なめらかな世界の、パルプ・フィクション

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なめらかな世界の、パルプ・フィクション

【なめらか】大辞林より

 ① 表面が平らですべすべしているさま。つるつるしているさま。また、すべりやすいさま。

 ② 物事がよどみなく運ぶさま。すらすらと進むさま。

 


【パルプ〔pulp〕】ジーニアス英和辞典より

 名、どろどろとした状態

 動、~をつぶしてどろどろにする

 形、低俗の、安物の、三文の

 




「金を出せ、このバッグに詰めろ」

 平日のお昼どきなのにそこそこお客さん多くて忙しいなー、わたしこのあと休憩なんだけど三枝さん(わたしと同じパート、同期ではない)早く窓口代わってほしいなー、もう勝手に閉めて休憩行っちゃおうかしら、いやでも『窓口休止中』の札立てるときのお客さんの視線がなんかすごい責めるみたいで申し訳なくなっちゃうからあとひとりくらいは受けておこうかな、その間にきっと三枝さん(あんまり親しくはない)も来るでしょ、とか思ってたらこれだよ。え? 強盗ってやつ? 「なにグズグズしてんだ、十億用意しろ」とかマジか。いや、ないけど十億円なんて、だってここふつーの地方銀行のふつーに郊外の支店だよ? たぶん窓口とATMのお金ぜんぶかき集めたって二億円いかないくらいなんじゃない? いや、二億円ってすごいな、やるじゃん埼玉〇そな、いやじゃなくて。

「えーっと、お客さま……? 確認ですけど預金のお引き出しのことをものすごーく雑に仰ってるってことでは……」

「んなワケねぇだろ、普通に強盗」

 ふつーに強盗。生きてるうちにいったいどのくらいのひとが耳にするセリフなんだろう、そういう意味じゃいますごい貴重な体験してる? なんかテレビの取材とか応えちゃったりして、それから地上波デビューなんかしちゃったりして周りのひとからチヤホヤされちゃうとか考えたら、最近三十歳の壁(絶望)を突破しちゃってそろそろお肌に若さ(水分?)が失われつつあってお化粧のノリが前とくらべると悪くなってるなって感じちゃうくらい悪くなってることを思い出しちゃって、ああやっぱりテレビの取材は断ろう、あ、でも写真NGの週刊誌のインタビューには応えてもいいかな、それから小粋なトーク力でラジオ界を荒らしまわってやるぜとかこれからの人生計画についてわたしが真剣に悩んでいると窓口の向こうからなんかすらっとした細長い板みたいなのがわたしの左肩よりちょっと左にそれた空間を貫いて、そいつが起こした風圧でわたしの前髪がふわふわ揺れた。カリバーンだった。

「こいつは脅しの道具じゃあねぇぞ。指示に従わなかったらアンタの首が飛ぶ、いいな?」

 確かにカリバーンならわたしの首くらい一枚でも二枚でもなんなら四十枚(某「地上最強の生物」リスペクト、読んだことないけど)並べたところで『ちょん』で済んじゃう零崎一賊垂涎ものの切れ味だろうけど、え、これもしかしてわりとヤバいやつ? 正面に座ってるアーサーくん(カリバーン持ってるからとりあえずそう呼ぶことにする)をよく見たらなんか目出し帽かぶってるしそう思うとけっこう本格派の強盗かもしれなくて、いやそもそもなんでロビーの田口さん(二回りくらい年上、むしろ仲いい)はこんなに露骨に怪しいアーサーくん通しちゃったんだろう、ってもろもろの話を全部まとめてしたらこげ茶色で天板が厚くて艶のある品の良いテーブルをはさんで向こう側に座ってるミユは目を点にして、フォークで口元まで運んでたバジルソースをからめたおいしそうなエビを皿に戻した。

「ピンチじゃん」なんて言うから「やっぱりそう思う?」って返したら「うん」とかけっこう真剣な感じで頷くから、日本人特有の心配されると大丈夫って言いたくなっちゃうよね理論によって三十回/秒(一往復を一回とカウントする)のキツツキさんも地べたに頭こすりつけて屈服間違いなしの高速首振りつきで「大丈夫、大したことじゃないし」ってほほえむしかなかった。そうえばキツツキが長い舌で脳を保護してるってうんちくは間違いらしいよ、Y○uTubeで見たから間違いない。だけどもう長年(高校のときからだからかれこれ二十年以上?)の付き合いになるミユにはわたしのしょうもない強がりなんてバレバレのバレで、彼女はまったく年齢を感じさせない美魔女もいいところのつやつやのお肌に浅くないしわをよせてわたしを見つめる。

「大丈夫、ってことはないでしょ。だいたいあっちのユズキは稼ぎ口なんだから、死んだら困るのはユズキなんだよ? わかってる?」

「うっ……」そうなんだよなぁ、生活費てきにはたっくん(あっちの旦那、遠洋漁業やってて最後に会ったのは半年前)がいるからなんとかなるとして、さすがに娯楽費くらいは自分でまかないたいよねみたいな、いやたっくん(三年前にマッチングアプリでマッチして電撃入籍した)は優しいから好きに使っていいよって言ってくれるだろうけどそうは問屋が卸さないというか、じゃあ遠慮なく湯水のようにばっしゃばっしゃやったるぜ! とはできないんだよこれが、そもそもお水流しっぱなしにしてるだけでももったいないって思っちゃうタイプだし(ちょっと違う)、そんなこんなでこうしてミユとのランチ代もきちんとわたしのパート代(時給千二百円)から出ているわけで、それが仮にもしもなくなっちゃったりしたら困りすぎて困るというかむしろこれを機に食い逃げデビューでもしてやろうかしらなんて具だくさんでチーズたっぷりのアルデンテーなパスタをちゅるちゅると吸いながら席から出口までの最速最短ルートを何通りも考えていたら、すぐ真隣に座った川島さん(同じサークルの後輩で法学部の二年生)がいつも以上にきゃぴきゃぴした感じで「ちょっと聞いてます~?」ってわたしの肩をつついた。

「次、一条センパイの番なんですけど」

「え、ごめん、ぼーっとしてた。えっと……」

「自己紹介~、しっかりしてください」ああ! そうだったそうだった! 「××大学文学部三年の一条ユズキっていいます、よろしく~。趣味は順当に読書てきなサムシングで、それから、ええっと……、まじのいまでなうなんだけど生きててはじめて強盗と対面しててけっこうピンチというかむしろラジオデビューのチャンスでラッキーみたいなそんな感じです」

 シーン……。カラオケボックスに六人で入ったにしては静かすぎやしないだろうか? ひょっとしてわたしがいままで音としてとらえていたものはただの幻だったのかもしれなくてそうなると自分の肉体さえ真偽を疑う必要があって、そうやってぜんぶ疑ったあと最後にやっぱりわたしの理性というか心だけは絶対的な真として残らざるを得ないし、だからこうしてこんな風に思考というか理性をぐるぐる巡らせているわたしは疑う余地のない真として証明できちゃうんだなとわたしが気づいたころになって方々からドッと笑いが起こった。何事?(デカルト?)

「なにそれー」「ウケ狙いにしたって攻めすぎじゃない?」「強盗て(笑)」「ホントならそっちに集中しなよw、自己紹介してないで」

 そうだよね、まぁ冗談だと思うよね、わたしだってふつーに「今強盗されてます!」なんて言われたらあらあら目立ちたがりなのねそういうお年頃なのねふふふってお上品なおマダムになっておててをお頬におあてになると思う。だからわたしはとりあえず愛想笑っておいた。あははー(ちくしょう)。

「まぁ、普通の感性だったら強盗と対面してるのにイタリアンを食べたり合コンに混ざったりはしないよね」ってミユは呆れたみたいに言うけどわたしはそうなのかな? って感じであんまり腑に落ちない。だってすっかり習慣てきになった親友とのランチも若気の至りてきな新しい出会いもどっちも大事で楽しいし、ないがしろにしたくない。

「わかるけどもっと危機感持ちなって。それに相手はカリバーンを出してきたんでしょ?」

 わたしが「首筋に添えられてるよ、なんかひんやりしてる」ってのんびりガーリックトーストをかじるとミユは「まずいな……」ってつぶやきながらさっきのエビを今度こそ頬張った。「あ、おいしい」それはよかった。

「カリバーンってのはね、『因果をこちら側に引き寄せる力』を持っているの。あり得るかもしれないって程度の結果をほぼ確実にあり得るというレベルにまで引き上げるかなり強力な権能。つまりユズキの首はいま、因果論てきには切られて当然だし切られるべきってわけ」

 まぁほとんど死んだようなものねって肩をすくめるからわたしはいまさらながらちょっと焦ってきてやばいどうしようって感じがしてきて、せめてたっくん(ちなみにまじで本物が登場してカッコよく助けてくれたりはしない、だっていまオーストラリアの海でマグロ追ってるから)に最期の「ありがとう」てきなメッセージは送っとこうって思い至ってスカートのポケットを探るんだけどそうだった仕事中だから携帯はロッカーのなかだよね、わたしってばわりとけっこう真面目な性格なんだった、って自分で自分にちょこっとだけ感心した。いやでもけっきょくスマホがないならたっくんにメッセ送れないし助けも呼べないことに気がついて暗澹たる気持ちになって、次もしもまた強盗に出くわしたら絶対目の前で携帯を使って「ああ、たっくん? いま強盗されてて、ね、ウケるよね~(笑)。あ、お夕飯納豆でいーい?」みたいな電話してやるんだって誓いを立てたはいいけど、とりあえずいまこの状況はどうしよう?

「おい、聞いてんのか。十億、用意できるよな?」って凄まれましてもできるかできないかで問われればそりゃもちろんノーと言わざるを得ないわけだけど、そんなことうっかり口を滑らそうもんならわたしの頭と胴体は因果論にしたがって永遠にバイバイしないといけないわけでそれは困る。もっとはっきり言うとランチ代が払えなくなるのでいままで一切の瑕疵なく生きてきたのにはじめてのはんざい(食い逃げ、詐欺罪)をしなくちゃいけなくなる!

「ちょお~っと難しい案件なのでぇ、マネージャーに相談してきてもいいですか?」いいですよね? って席を立とうとしたら左肩にカリバーンを押し付けられてそのままぐぐっと椅子に押し込められる。おいおい死んだわ。

「んなの許可するわけねーだろ、妙なマネしてみろ殺す、安心しろこの場でちゃんと十億きっちり差し出したら解放してやるから」

 もはやなんなんだよその十億へのこだわりは、小学生が身代金要求ごっこで最初に思いつく数字じゃん、もうちょっと現実味のあるラインだったらこっちも対応できたかもしれないけどこのキャッシュレスの時代にそんな額の現なまそうそう都合よくあるもんですか、ペイ○イ? ぺ○ペイならワンチャン払えるか? 最近は子どもへのおこづかいもああいうのであげるって風の噂で聞きました。でも小さな子どもには現金を渡したほうがいいと思いますなぜならわたしだったら現金のほうがうれしいし大事に使おうって思えるから(個人の意見です)。まぁどちらにせよ携帯がないからおこづかいも十億もあげられないしこれはいよいよ万事休すかって感じで、わたしの血を欲して舌なめずりしてそうな魔剣(聖剣)を見つめるんだけど、あれこんなような似たようなのわりと最近どこか見かけた気がするぞってふと思ったら、脳内でバリバリって効果音つきそうな感じでひらめいたというか思い出した。

「もちろん用意させていただくんですけど、ほらわりと金額が大きいのでぇ、けっこう時間かかっちゃうっていうか少々お待ちいただく感じでもオーケイですか?」

 わたしは精いっぱいの営業スマイルで延命しながらバレないようにそーっとカウンターテーブルの薄い天板の裏側を手で探ると、あった。主婦がへそくりを隠すときみたいにガムテープで張り付けられている長い棒のようなもの。エクスカリバーだった。つい二ヶ月くらい前に防犯対策として各窓口とロビーさんたちに一本ずつ配布されたってことをこの平和な日本に生きてたらすっかりわすれちゃっててもまぁ無理はないかな、って言い訳しつつ状況を打開できそうな気がしてきた嬉しさにまかせて残りのガーリックトーストへとかじりつく。おいしい!

「へぇ、エクスカリバーね、なかなかいいんじゃない?」なんてミユはのんきに食後のコーヒをすすりながら言う。「カリバーンが『因果を引き寄せる』ならエクスカリバーはさしずめ『因果を断ち切る』って感じかな。原因も結果も過程も可能性もぜんぶぶった切るから最後に残ったエクスカリバーの持ち主が勝つ、みたいな脳筋ゴリラもいいところの権能ね」

「カリバーンにも勝てる?」って訊ねてみたら「うーん、本質てきには同じものだから絶対とは言えないけど有利でないことはない」ってどっちだよ。少なくとも死ぬ可能性はだいぶさがったんじゃないかしら百パーセントから七十パーセントになった程度だけど、とかまぁとりあえず文字通り首の皮一枚つながったっぽいからよしとしよう(ポジティヴ)。

 よし、それじゃあなんとか隙をついてこの目の前の男の首をはねよう。

 大丈夫たぶんわたしにはできる。というか殺す殺せる殺したい。ああなんかそう思うとちょっと気持ちが高まってきた感じがしてわたしってばもしかして殺し屋てきななんかそういうダークでアンダーなイケナイお仕事に向いている気がしなくもないし、うおおおおお、よし、よぉし、大丈夫おちつけもちつけエクスカリバーの切れ味ならこんな男の首くらいちょちょいのちょいで済んじゃうんだから一瞬の隙でいいちょっと目を離したらわたしの勝ちだざまあみろ今夜わたしがいただくのはお前の血肉だ、って脳内シミュレートを一通り済ませたところでこぶし一個分の距離を置いて隣に座っていたさわやか~なイケメンくん(左目の泣きぼくろがアクセント、たぶん天然モノ)が話しかけてくる。

「すごい顔してるけど、どうしたの?」

「わたし殺し屋の才能に目覚めたの」ってわたしが真剣に言ったらイケメンくんは「ラジオの次は殺し屋かぁ」って朗らかにニコニコスマイルでいかにも人畜無害って感じなんだけど「でもそういうお仕事ってまずなによりもロボットてきな冷静さと冷徹さが必要なんだろうけど君は見ての通りにまったく冷静じゃいられないだろうし感情だって破裂した水道管に張り合えるくらいにはダダ洩れだから、向いてないんじゃないかな」って意外にもすらすらつらつら全否定でわたしはびっくりしてイケメンくんの顔を見た。

「実はその強盗、俺なんだよね」

 え、は? もっとびっくり。あなたがいまわたしの首筋にカリバーンあててる十億欲しいくんってこと?

「うーん、そうなんだけど、そうじゃないというか。彼──ここはあえて『彼』と形容させてもらうけど──彼はもう俺ではないから。彼の時間軸にすると四年くらい前になるかな、不慮の事故に巻き込まれてね。身体のほうにはとくに障害は残らなかったんだけど、脳には大きなダメージが残ってほかの平行世界パラレルを知覚できなくなったんだ。それ以来、俺はずっと彼の苦労を本物の感覚として感じ続けてるのに、僕からはなにもしてあげられない、支えてあげたいと何度ねがっても世界ストリングが違う。このもどかしさ、わかるかい?」

 イケメンくんは闇属性てきなオーラをまとって(でもやっぱりイケメン)ほとんど独り言っていうか悲哀壮大お涙頂戴のモノローグを語ってくれたけど、え、けっきょくなんの話? 「わかるかい?」に答えるとすると「わかんない」としか言いようがないっていうか、だってあなたのこと全然まだまだよく知らないのにそんな重い話されても反応に困る、ていうか名前すら知らないし。「佐伯カズマ、自己紹介したじゃん」ごめんそれは聞いてなかったでもいい名前だと思う。

「可哀想だとは思わない?」って賛同を求められてもだから強盗を許せってそれはなんか違うそれだけはわかる。わたしは真の平等主義者だからそんな事情なんて考慮してやらないし同情なんてもってのほかってわけ。まぁわかったテメェにめんじて百歩どころか五〇〇〇兆歩譲ってるのはやめといてやる(慈悲)。

「いつまで待たせんだよもういい加減待てねぇよ、ああもうまどろっこしい! よしいまから三つ数える。三つ数える間に十億出さなかったらアンタの首をはねる。いいな? 一……、二……、三……」

「お待たせいたしました。えーっと、十億用意できたっぽいんですけど(大嘘)、さしあたってひとまずこの窓口にあるお金をお渡ししますね」ってわたしはカウンターの横に備え付けられた精算機からありったけの万札を取り出してテーブルのうえに置いてみたけど、朝一に旅行代として一五〇万円振り込みに来たおじいちゃんのおかげでわりと厚みがあって自分でもびっくりした。精算機には『シュッキン 1880,000』って書いてあるからぜんぶで188枚あるらしい。むしろわたしがもらっていいですか? とか現なまの魔力に吸い寄せられているのはわたしだけではないようで、目の前のアーサーくんもほんの一瞬だけどわたしから注意をそらして札束を見て、その瞬間をわたしは逃さない。カリバーンを手にしているほうの腕(右腕)の手首あたりをガッとつかんでグッと引き寄せてまずは首から刃のマークをはずして即死の脅威を排除、それと同時にエクスカリバーを自由なほうの手(右手)で天板裏から引き抜いて逆にアーサーくんの首筋に添えた。数秒の沈黙。目出し帽から瞳孔までもかっぴらかれた両の目がよく見えて、左のほうにはアクセントてきな泣きぼくろがぽつりとあるのがわかってホントに同じひとじゃん、ってとくに感慨もなく理解したりする。

「キャァァァアアアア‼」って甲高い悲鳴がわたしから見て左手(アーサーくんからだと右手)のほうから聞こえてきて何事? って視線だけそっちにやるとバックルームにつながるドアの前にアロンダイトを持ちながら突っ立ってあんぐり口を開けた三枝さん(わたしのほうが一年後輩だけど彼女のほうが年下、複雑)がいた。そのままこっちに走り寄ってきたけどわたしがデカい刃物持ってることに気づいたのかちょっと距離をあけて止まった。そこでアロンダイトを構える、はっきりとわたしに向かって。

「やめてなにしてるのカズくんにひどいことしないで!」とかおっとまさかのそっち側?

「わめくな!」ってわたしは声を張り上げるけど半狂乱の三枝さんには届いてないみたいでずっとなんか聞き取れないくらいぐちゃぐちゃの言葉を発してる。「落ちつけシズコおちつけ!」ってアーサーくんもわたしと至近距離で目を合わせながらなだめてくれる(下の名前シズコっていうんだ)。

「『なにもするな』と言え」と命令したらアーサーくんは素直に「なにもするな」と繰り返す。

「バカな真似はよせ」ってわたしも気持ち優しめに声をかけるけど「彼をはなして」って言うばかりだから「誰もケガはしねぇ、三人ともクールに頭を冷やそう」と諭す。「わかったな! シズコ」「ええ」「なんだって? もっと大きな声で!」「わかったわ!」「いいぞ、お互い頭を冷やそう。クールにな」

 三枝さんも落ちついてきたのかおとなしくなったので(ただしアロンダイトはわたしに向けられたまま)、わたしはアーサーくんに向かって言う。

「三つ数える。その間にカリバーンを捨てて両手をテーブルにつきながらゆっくり椅子に座り直して深く腰掛けろ、ゆっくりだ。わかったな? 一……、二……、三……」

 アーサーくんはわたしの命令通りに動いてカリバーンがわたしの足元にカランと落ちた。

「もういいでしょカズくんを逃がして!」

「シズコ、わめくな。お前がわめくとわたしはイラつく。イラつくとエクスカリバーを振り下ろすことになる」

「彼に手を出したら切るわよ」

「まぁそういう状況だな。だがわたしもお前もそれを望んじゃいねぇ、そしてこいつもそれを望んでねぇ」わたしは飽くまでアーサーくん(もといカズマくん)から目を逸らさない。

「状況を考えよう。普通ならぶっ殺すとこだが──あるヤツにめんじて、わたしだって多少の慈悲を与えようと思ってる。だが銀行の金はやれねぇ、これはお客様のものだからだ」

 わたしはそこで言葉を区切ってスカートのポケットから自分の財布を取り出す。その動きを不審に思ったのか三枝さんがアロンダイトの剣先をふるわせるのでカズマくんに落ちつかせるように指示する。

「落ちつけ、シズコ」「ごめん私がメイク直しをもっと早く終わらせてれば二人で実行できたのに、ごめん」「いや俺だってまだシズコが来てないのをわかってて窓口についた。呼ばれてるのに待たせる申し訳なさに勝てなかった」「愛してるわ」「俺もだ、シズコ」ああ最初から二人で強盗する計画だったのね。ともあれわたしはテーブルに財布(こっちではめずらしく奮発してメルカリで三万弱で手に入れたグッチ)を置いた。「なかの札を数えろ」

 カズマくんは訝し気な顔を隠そうともしないけど、エクスカリバーをちらりと見て諦めたようにわたしの財布を手に取ってお札を取り出す。「いくらある?」「一万二千円」あれ、そんなに入ってなかった?

「……小銭のほうも数えろ」じゃらじゃらじゃら。けっこう大量の硬貨がテーブルにぶちまかれてなんとなく恥ずかしくなってくる。「だいたい五千円くらいだ」そうだよねちょっと細かすぎてはっきり数えるのはめんどくさいよねごめん、いやでも小銭でそんだけあるって普段の生活がどれだけズボラなんだって話なわけで反省してこれからは細かいケタもちゃんと出してキリのいいお釣りをもらおうと思います。

「合わせておよそ一万七千円、それはお前のものだからしまえ」

 カズマくんは困惑したように何度か目を瞬きつつもとりあえずお札だけをポケットにしまった。小銭はポケットに入れるにはちょっと量が多すぎたかもしれない。

「金はタダでやったんじゃねぇ、あるブツを買ったのさ。なにを買ったと思う?」

「さぁ」

「テメェの命だ。買ったからにはお前をわざわざ殺す必要もねぇ、だよな?」

 言ってからじゃっかん屁理屈っぽい気がしないでもないなって感じはじめたけど、まぁいいか。きっとアーサーくんも雰囲気に呑まれておとなしく引いてくれるでしょ(楽観)。

「行け」

 わたしがエクスカリバーの剣先を出口に向けて指し示すと、アーサーくんは一回だけ鼻から大きく息を吐くと手ぶらで席を立ち、出口に向かって歩き出してその後ろを三枝さんが慌てて追いかける。ふぅなんとかなったかなって気持ちでエクスカリバーをもとの場所にしまって、それから床に落ちてたカリバーンを拾ってこれどうしよう警察に届けたりしなきゃダメかな? なんてミユに聞いてみたんだけど、そのミユはなにやら思案顔をしてる。

「そもそもさ、なんでその田口さん? だっけ? は目出し帽かぶってカリバーン担いでいるようないかにも『強盗です!』のひとを通しちゃったんだろうね、普通お店に入ってきた時点で止められそうじゃない?」

 確かに! ロビーさんだってエクスカリバーは持ってるしマニュアル通りの対応だったら窓口に来る前に警察に通報しているか切り捨ててるはずだ。ん? じゃあなんでだろう?

「そりゃあ当然、田口さんもグルだったんじゃないの?」

 ええそれは流石にないと思うけどな、だってあの田口さんだよお昼の時間には毎回おいしいお茶請け持ってきてくれていつもニコニコしてて周りのことよく見ててパートさんのなかではリーダーてき存在の田口さんだよ? ないないないないって前髪が浮き上がっちゃうくらい顔の前で全力で手を振ったんだけど田口さんのことをちらっと見たら、あれなんかエクスカリバー構えてない? しかもそのまま出ていこうとしているカズマくんの背後で剣を振り上げて……、「仕事に失敗した無能はいらねぇ、死に晒せ!」ってヤバい!!

「ぜりゃあぁぁああああああああ!」

 わたしは咄嗟にカウンターを飛び越え、手に持ったままだったカリバーンを構えながら田口さんに向かって突進、勢いそのまま左下から右上へと斜めに切り上げる。田口さんの両手が手首くらいから豆腐みたいにスパッとなって握りしめたエクスカリバーごとくるくると宙を舞う。わたしはさらに一歩踏み込んでしっかりためを作って、ここだ。

「ちぇええすとぉぉおおおおおおおお!!」

 狙うは首、ただ一点。わたしが右から左に薙いだ剣は田口さんの頭と胴体の隙間に寸分の狂いもなく吸い込まれて、ゴールテープを切るよりも抵抗なく切断した。勢いを殺しきれずに一回転してしまったわたしを出迎えてくれるのは首をなくした田口さんで、てっぺんからは真っ赤な血が面白いくらいに噴きだしはじめて、もちろんそれを避けるのは土台無理な話でわたしは全身を真っ赤に染められるけど、不思議とそんなに嫌じゃなかった。「よっしゃあ!」って雄叫びを挙げてカリバーンを両手で掲げてみたりするくらいにはね。

 ただ血と脂でぬらぬら光るカリバーンのさらに向こうになんか長い棒状のものがあって、それはどうやら回転しながら落下してきてるみたいだった。田口さんの持ってたエクスカリバー(田口さんの両手つき)か、とわたしはごく自然に理解して妙にスローモーションでその様子を眺めていた。あー、このままだったらカリバーンとぶつかるな、なんかにぶーい嫌な音しそう、とかぼーっと思ってると会計伝票を持って席を立ち上がりかけていたミユが「あ、そうえば」ってふと思い出した友だちのなんでもないような噂話を始めるテンションで言った。

「エクスカリバーとカリバーンの刃は絶対ぶつけちゃダメだよ、因果律が崩壊して世界が破滅の方向を向いちゃうからね」

 ごーん。それは世界の終わりを告げると同時に、始まりを祝福する鐘の音だった。

 走馬灯のようにすべてのわたしがつながる。伊○丹でランチをするわたし、合コンにいそしむわたし、エベレスト登頂を達成したわたし、ようやく立って歩けるようになったわたし、夫に先立たれて独りさみしく余生を過ごすわたし、バリキャリなわたし、銀行パートのわたし、まったく知らなかったわたしから、よく知るわたしまですべての人生がほんの刹那だけつながった言い表せない多幸感で胸がいっぱいになった。しかし暖かな感情は意外なほどにあっさりと立ち消え、そして世界は逆行を開始する。初めにいまわたしが存在する宇宙が、数多の平行世界をすべて巻き込んで折りたたんで、凝縮を繰り返し米粒ひとつに満たない小さななにかになった。それに感化されたかのようにべつの宇宙も膨張を停止、そして縮小していく。それに感化されたかのようにべつの宇宙も膨張を停止、そして縮小していく。それに感化されたかのようにべつの宇宙も膨張を停止、そして縮小していく。同様の米粒がいくつもいくつも生まれ続け、いつしかそれが収まったころ、最初は隣り合った小さななにか同士が、それが済んだらまた隣り合った二つが、交わって一つになって、ゆっくりと長い時間をかけてその数を減らしていく。

 小さななにかはいつの間にか一つになっている。

 そのようにして、世界は戻る──いや、

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