お台場今昔物語

すでおに

お台場今昔物語

 ゴールデンウイークに『松本人志 なかみ展』を見に、お台場フジテレビへ行ってきました。テレビ局としても建造物としてもフジテレビに愛着があるわけではありませんが、なんやかんやでお台場には毎年のように足を運んでいます。

 夏になるとお台場の空気を吸いたくなる。習慣になっているから行かないと収まりが悪いという理由で行く初詣のように、いつからか夏にお台場へ行くのがルーティンになりました。ただし初詣にはもう何年も行っていません。


 それが、今回はコロナもあって5年ぶりのお台場でした。行かなければ行かないでどうにかなるものです。初詣と同じです。行かなくても不吉を実感することはありません。


 5年ぶりとはいえ誰かと再会するわけではないから胸が高鳴ることもないし、たった5年でコロナを挟んでいるからさして変化はないだろうと高を括っていました。


 私の足は定番の「ゆりかもめ」ではなく「りんかい線」、新木場駅から乗車しました。車窓に広がるのは東京湾。日差しは私の記憶より優しく、夏はもっと暴力的な光線だった気がします。


 フジテレビの最寄り駅「東京テレポート」で下車したら、そこで流れた発車メロディが『踊る大捜査線』のテーマ曲でした。私が聴いたのは二つあるうちの『CX』の方でしたが、まるでここだけ時間が止まったままのようでした。


 発車メロディが土地にちなんだものであるのはままあることですし、選曲したのはフジテレビではないでしょう。にしても。


 東京テレポート駅は、ホームに人気は少ないのにエスカレーターには人がいる、この感覚も久しぶり。駅を出たら左手後方にあったヴィーナスフォートや巨大観覧車がなくなっている。Zepp Tokyoも。一つの時代が幕を閉じていました。

 巨大観覧車には乗ったことはありませんが、ヴィーナスフォートには何度か行きました。照明の加減か、異空間にいるようで徘徊するだけでも非日常の気分を味わえた。Zepp Tokyoにもいくつも思い出がありますし、ライブハウスのネーミングという視点で見ても『Zepp Tokyo』は逸品と言える代物で、年月をかけて熟成された『渋谷公会堂』とは異なる、打ちたての刀のような切れ味を感じさせる。それらがすっぽりなくなっていました。


 フジテレビ幕府といっても差し支えないほど、かつてのフジテレビはそれはそれは繁栄を謳歌していました。テレビの画面越しにも嫌味なほどの浮かれ具合が伝わってきました。お台場もいわばフジテレビの城下町として発達したわけで、社屋移転前を知っている人がどれだけいるでしょうか。


 それも今や昔。10年前に、これほどテレビ離れが進むとは誰も予想しなかったでしょう。「嫌なら見るな」はたかだか十数年前。遅ればせながらそれが叶って、今では10%が高視聴率とされる時代になりました。


 結局のところ、お台場移転当時がフジテレビのピークだったのではないでしょうか。そこからライブドア騒動があり、抗議デモが起き。テレビ不振を招いたことは否めない。


 お台場移転が1997年3月10日で踊る大捜査線の放送が1997年1月7日から3月18日。やはりこの頃がピークと言えます。そのテーマ曲がいまなお最寄り駅で流れている。パチンコ屋で軍艦マーチを聴いた気分です。

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