薺
やっとのことで施設から解放された薺は、ようやく家路を辿る事が出来た。
現場に駆けつけた鑑識達には、最初から最後まで、一から十まで状況説明をし、何度も何度も同じ事の確認を迫られた。
相手方も仕事なのだから仕方がないとはいえ、ああまで徹底してやられると、まるで自身が首謀者として疑われているのではないかと変に勘繰った気持ちになる。
ため息をつきつつも、莉々が心配しているかもしれないと薺は携帯を取り出す。しかし一瞬立ち止まり、ふと考える。
「……アイツらと一緒にいるんだっけ」
そう考えると、なんだか連絡を入れるのが馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
薄気味悪い死体に囲まれ、そして鑑識達に詰め寄られ、いい加減辟易していた頃、あの三人は笑って過ごしていたのかと思うと苛立ちすら覚えた。
莉々の事を『冷血の乙女』に勧誘していたのも面白くなかった。いけ好かない李凛に誘われた所で、鼻で笑って断るのは確実なのだが目の前であからさまに莉々を勧誘しているのがどうも癪に触った。
少なからず、自分を差し置いてなぜ莉々なのかという嫉妬もある。
莉々の力は、シェイムリルファのステッキによって増幅、増強された、いわば仮初の力なのに。
偽物の力で、他人の力。莉々には分不相応な力。
シェイムリルファの代理として恩恵を授かっている莉々の事も、薺は煩わしく思えてきてしまっていた。
頭の中にはずっと残っている。シェイムリルファが教えてくれた事。感情を、力に。
薺は優等生だったし、優等生を演じていた為、感情を抑える事が得意だった。
どうすれば周りから『いい人』と思われるのかも分かっていたし、実際にそれを行動に移すのも苦ではなかった。
誰よりも優秀で、人に優しく、それでいて謙虚。それが薺の優等生としての理想像。
今にして思えば、一人ぼっちの莉々に声をかけたのも心の奥底では計算していたのかもしれない。
誰にでも分け隔てなく、笑顔を振り撒き、差別なく接する優しいの私。そんな自分を演じるのに、莉々はぴったりの相手だったのかもしれない。
そうする事で、周りから尊敬や称賛の言葉をかけられ、自身のアイデンティティを確立する事が出来たし、それが自身の安定にも繋がっていた。
薺は認められたいし、認めてほしかったのだ。
だけどもうそんな事をする必要もない。心を揺さぶる感情を、激情を抑えなくていい。だってシェイムリルファにそう告げられたのだから。
この感情を解放するだけで、魔法少女として成長出来るなら悪くないとも感じていた。
白くて真っ白な無垢で無知な薺の心は、既に濁って、淀み始めていた。そしてそれは自身も十分に理解していた。
なのに、何故か以前りよも力が湧いてくる。これが感情を力に変えるという事。
シェイムリルファは認めてくれたし、正しかったのだ、と薺は盲信的に彼女を崇め始める。
そしてそれは、薺にとって仄暗かしき破滅への入り口となるのは誰も知る余地は無い。
唯一無二の魔法少女、シェイムリルファ——彼女以外は、誰にも。
◇
「……は?」李凛が眉をひそめる。
「だから、いないよ」と、キョトンとした顔で莉々は念を押す。莉々からしてみれば勘違いしている二人に、間違いを教えているだけなのだろうが、二人にとっては莉々の言動は明らかにおかしすぎた。
莉々は神経質な兄だと説明をしていたし、お兄ちゃんらしきモノに、妹として笑って話しかけていた。誰が見たって明らかにおかしいのだ。
「莉々、おまえ大丈夫か?」
「大丈夫、だけど」
「……ちょい、ちょい。お二人さん。お話しているところ、ごめんなんだけど」
と、灯花は今しがた転がる様に飛び出してきた莉々の家を指差す。いつも飄々としていて、どこか掴みどころのない灯花が真剣な眼差しで。
「おいおい、マジかよ」
「ここがどうしたの?」
「どうしたのって。莉々の家、があった場所だろ」
「私の家?」
莉々の反応に言葉を失う李凛。灯花の指が示す先には家どころか建物すら建っていなかった。そこには空き地と書かれた汚れた看板が立ててあるだけだったのだ。
「なんてこったい。アンビリーバボーだよ」
「莉々、落ち着いて聞け」
落ち着いて聞け、と言った李凛が既に落ち着きがない。しかし、これはどう考えても異常事態であり、異変で異質。
李凛と灯花だからこそ、これくらいの動揺で済んでいるのかもしれない。
「ど、どうしたの」
「お前、思い出せるか?」
「……何を?」
「家族の事を」
莉々は考え込む。そんな明白で単純な質問を。しかし、その答えが中々出てこない。そしてその表情は段々と暗くなっていく。
「親御さんは海外にいるって言ってたよな?」
「海外?」
まるで記憶がすっぽりと抜け落ちてしまった記憶喪失のような症状。莉々は頭を押さえ、次第に苦しみ始める。
「……なんで? 思い出せないよ」
「焦らなくていいから」
「分からない、思い出せない!」
頭を抱えてその場にしゃがみ込む莉々。まるで何かに怯えているように震えている。流石の李凛もこれ以上は言及出来なかった。
「凛、それくらいで。こんな所にいてもしょうがないし、場所変えようね」
「そうだな、灯花の家に行こう。莉々、立てるか?」
「……うん」
李凛は灯花を引き起こす。そして頭を撫で、頬を優しく摘む。
「ごめんな。でも自分の為にも思い出した方がいい。ゆっくりでいいから」
「さ、行こ。私達は依頼が無ければただのニートなんだから時間はたっぷりあるよ」
「お前がニートになりたいだけだろ」
そう、時間はまだたっぷりとある。
長い、長い、忘れられない夜は、まだ始まったばかりなのだから。
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