救出

 私は不機嫌そうな薺ちゃんに声をかけつつも、李凛に依頼の内容を確認させてもらおうと考えていた。もしも依頼が重なっていた場合、報酬の行方が分からなくなってしまうからだ。

 依頼失敗と判断され、教室の修理費用を請求されてしまったら、ついさっきまで訓練生だった私は一気に借金生活へと追い込まれる事になる。

 魔法少女になった直後に借金を背負うなんて稀有なパターンは出来れば回避したいものなのだ。


 そんな事を呑気に考えながら、李凛に声をかけようとした時、私は気づいてしまった。

 李凛の背後に潜む魔獣の存在に。闇に潜み、ジッとこちらを伺う、人ならざる者に。


「……ねえ、李凛さん。う、後ろ」

「後ろ?」


 私は出来る限り冷静に、そして魔獣を少しでも刺激しないように声をかける。薺ちゃんも同様に魔獣に気づいたらしく、小声で李凛に警告をした。


「李凛。そこ、離れた方がいいよ。ゆっくりこっちに来た方がいい」

「は? なんだよ。油断させて獲物を横取りってか? 姑息な真似するくらいなら奪い取って見せな」

『……ヨコ、ドリ。ウ、バウ』


「あん?」と、李凛が怪訝な表情を浮かべ、後ろを振り返る。


「バカッ! 早く!」


 叫ぶ薺ちゃんが即座に李凛の元へ駆け寄る。そして魔力を込めたステッキを勢い良く薙ぎ払い、魔獣に攻撃を仕掛けた。だが、遅かった。李凛は自らの影に飲み込まれ、まるで深い水溜まりの中に沈むようにその場から姿を消してしまった。


「消えた?」

「薺ちゃん。今の、魔獣だよね」

「だね。依頼が被っていた訳じゃなかったみたいだ」

「まさか」

「元々、依頼が二つだったんだ。ここには二体の魔獣がいるってことだよ」


 これは全くの予想外であり、明らかに緊急事態であり、恐らくシェイムリルファでさえも想定外の展開。

 私達の討伐対象だった魔獣よりもタチの悪そうな相手が出現してしまったのだ。


「莉々、ゆっくり下がって」

「うん」

「一応確認するけど変身は出来そう?」

「分からない。試してみないと」


 まさかこの短時間で、二度も魔法少女が魔獣の手にかかる所を目撃する事になるなんて。

 わけも分からず必死にステッキを振りかざした先ほどと違い、魔力酔いによって役立たずと化している私。(もっとも魔法少女になれてたとて、役に立つのかは分からないのだが)魔法少女になりたてホヤホヤの薺ちゃん。置かれている戦況が不利なのは間違いなかった。

 

 試しに『泡沫の依代』に魔力を送ってみるも、相変わらず何の反応は無い。

 私は一体ここになにをしに来たのだろう。このままでは薺ちゃんの足を引っ張る事は絶対の事実として、仮にもシェイムリルファの代理を任された身であるにも関わらず何もする事ができない。

 

 半ば強引に務める事となった代理も、実際の所そこまで嫌な気分はしていなかった。むしろ少し嬉しい気持ちさえあったほどだ。確かにシェイムリルファに対しては、少し怖いという感情が先行してしまっている。が、それでも変わらず彼女は憧れの存在であり、目指していた人には変わりはないのだから。


 そんな事を考えていると、こちらの様子を伺っていただろう魔獣が姿を現した。「あいつだ。莉々、気をつけて」と薺ちゃんが魔獣を睨みつける。


 それはまるで影がそのまま立体化したような魔獣。人の形を成してはいるが、影そのものがこちらへ向かい歩を進めて来る。そして驚いたのが輪郭こそぼやけて見えるものの、ハッキリと分かるその姿。


「……李凛?」


魔獣のシルエットは、影に呑み込まれた口の悪い魔法少女のものだった。見間違えるはずもないあの大きな両手。間違いなくその姿は李凛そのものだった。


『ヨコド、リ。サンシタチャン』

「なんなのあいつ、さっきも喋ってたよね。魔獣が喋るなんて聞いた事ないよ」


 その産まれて来る理由が歪なほど、予想外の行動をとってくるのが魔獣。きっと私達が知らないだけで、魔法少女にとってはこんな事は日常茶飯事に違いないのだろう。

 まるで自我が無いように見える魔獣は、李凛が発していた言葉を不気味な声で繰り返す。

 

『……タスケ、テ』

「っ!」


 聞こえた声は李凛の声だった。まるで今もなお、影に呑み込まれたまま苦しみもがいている様な、そんな声。

「り、李凛?」薺ちゃんはその声を聞き、明らかな混乱を見せる。そして魔獣はその隙を逃さなかった。


 魔法少女に似つかわしくない李凛の巨大な拳が、一直線に薺ちゃんに襲いかかる。

 薺ちゃんが咄嗟に身体を丸め、その攻撃を肩で受けるも、あまりの衝撃により屋上の縁ギリギリまで吹き飛ばされてしまった。


「な、薺ちゃん!?」


 痛みで顔を顰める薺ちゃんに間髪入れず襲い掛かる魔獣。させまいとその後を追うも全く追いつけない。そして薺ちゃんが体制を立て直すよりも早く魔獣の拳が振り下ろされる。


「だ、だめ!」私は声を張り上げるしかなかった。だが、その声に反応したのかのように、その拳が薺ちゃんに振り下ろされる直前に魔獣は動きを止めた。


『ギ、ギギッ!』


 明らかに苦しむ魔獣。その姿は既に人の形をしておらず、もはやただの黒い煙のようになっている。

 そして魔獣が完全に動きを止めた時、またもや李凛の声が聞こえてきた。今度は助けを求める弱々しい声ではなく、怒りに満ち溢れた声だった。


「なっめんな! このヤロウ!」


 その怒声と共に李凛の拳が魔獣の体の中から飛び出てきた。もはや声を出すことすら叶わなくなっている魔獣は、抵抗することすらままならない。


「李凛!?」

「くたばれ! このクソ魔獣が!」


 口の汚い魔法少女の渾身の一撃は魔獣を葬るに十分な威力だった。機会仕立ての拳が魔獣に直撃すると、無惨にも四方に飛び散り、あっという間に消えて無くなってしまった。


「ば、バカ魔獣が。私があれ位でやられると思って、んの…か」


 恐らく、最後の一撃に全ての魔力を乗せたのであろう。李凛は明らかに疲労困憊であり、今にも倒れそうなほどにフラフラになっていた。


「だ、大丈夫ですか!?」

「あん? 商売敵に、心配させる筋合いは……ねぇ」


 李凛は大きな指で駆け寄る私を制した。しかし啖呵を切る余裕はもう既になく、こちらを睨みつけるのが限界といった様子だ。

 

「薺ちゃんは?」

「大丈夫、大丈夫。だけど、これ多分折れてるかな」

「え、ええ!?」

「鍛え方が、なっちゃいねえんだよ。……ひよっこ、が」

「アンタねえ! この後に及んで、は? ちょっと!」


 やはり限界だったのだろう。李凛はビルの縁に立っているのに関わらず足元が定まっていない。


「危ない!」


 薺ちゃんが必死に李凛に手を伸ばす。だが李凛はこちらを指差したまま、ふらふらと後退り、まるで天を仰ぐようにビルから落ちてしまった。


「李凛!」叫び声にも似た悲痛な声を上げる薺ちゃんを横目に私は走り出す。

 

 何で魔法少女になってもいない、平々凡々な私が、この時こんな行動をとってしまったのかは未だに分からない。しかし、走り出さずにいられなかった。気がつくと私は、李凛を助ける為に飛び降りてしまっていた。この街で一番高いビルの屋上から。


 普通に、冷静に考えれば、なにも出来ずにただ死んでしまうだけなのに。

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