家族と性格

森本 晃次

第1話 父とのわだかまり

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。


「子供だから、親と性格も考え方も似ている」

 あるいは、

「子供だから、親の言いたいことはすべて分かる」

 などというのは、親の側から見た勝手な思い込みだ。

 それは逆も言えることで、子供が親に対して似ていると思うことは当然のことであり、そうでなければ疑問を抱くのもごく自然だと言えるのではないだろうか。

 ここに一人の少年がいる。少年の名前は真崎恭一。現在は十八になっているのだが、当時はまだ十歳にも満たなかった。小学生で言えば低学年。モノの道理など、理解できる年齢でもなかっただろう。

 家族は父と母の三人暮らし。本当は妹か弟が欲しかったのだが、両親が作らなかったという話をもっと後になって聞いた。なぜ作らなかったのか、理由はその後のことを考えれば分かるような気がしたが、その頃は両親と自分だけというのは、いささか寂しい気がしていた。

 その頃まで父は結構社交的な性格だったのか、会社の人を仕事が終わってから家に招くこともしばしばあった。その都度母親がいろいろせかせかと用意して、もてなしていたようだが、子供の恭一には、それが普通の過程の風景であり。別に特別なことでも何でもないと思っていた。

 やってくるお客さんに変な人はおらず、いつも手土産を持ってくるような人が多く、一度だけではなく何度も来訪する人もいたということは後から思うと、父親はそれなりに会社の人から信頼される人だったということであろう。

 ただ、一つ嫌だったのは、父を含めて来客者のほとんどはタバコを吸うということだった。すでにこの頃には電車の中など全面禁煙が施行されていて、世間では、

「タバコを吸うのは罪悪だ」

 という風潮も出来上がっていた。

 それでも応接室では結構タバコの臭いが充満することが多く、お客さんが帰った後も、応接室に入るのを嫌だったことがあった。

 しかし、恭一がタバコの煙を毛嫌いするようになったのはいつからのことだろう。生まれてからすぐの頃は、父親のタバコの臭いが嫌だったわけではない。むしろ、タバコの臭いこそ、父親の臭いとでもいうべきで、懐かしさのようなものがあったはずなのに、やはり人数で吸っているというイメージを頭に抱いたことが大きな原因だったのではないだろうか。

 母親は献身的にお客さんに尽くしていた。タバコ以外では別に恭一も嫌な感じはなく、むしろお土産まで持ってきてくれるのは、願ったりだったくらいだ。

 だが、母親はいつも無口で何も語ろうとしない。いつも父親の背中に隠れて、その姿を表に出そうとしていないかのようだった。だから、恭一は母親から叱られたという意識はない。

「昨日、お母さんに叱られてさ」

 と学校で同級生がそう言って話すのを聞いて、違和感を抱くくらいにまで母親が子供を叱るというシーンを思い浮かべることができないほどの違和感だったのだ。

 父親も恭一を叱ろうとしない。父親の場合は、

「子供の教育は母親に任せておけばいい」

 というタイプの人だったのだろう。

 どこか考え方に古臭さがあり、そこが厳格に見えるところなのかも知れないが、古臭い性格を容認できないわけではなかった。

 ただ、両親ともに子供に対しての関心がまったくないように感じ始めたのは、ちょうど自分が十歳の誕生日を迎えたことくらいからではなかっただろうか。

 その頃になると、それまで頻繁に連れてきていた会社の人を連れてくることはなくなった。

 おまけにあれだけ吸っていたタバコもやめたようで、気が付けば応接室から灰皿が消えていた。

 応接室だけではない。家のどこを探しても灰皿が消えていたのだ。

「お父さん、タバコやめたらしいわよ」

 と、ボソッと母親が呟くように言っていたのが印象的だった。

 めったに聞いたことのない母親の声を改めて聞くと、

――こんな声だったんだ――

 といまさらながらに感じてしまったことに、情けなさを感じた恭一だった。

 いくら内向的な性格であまりしゃべらないとはいえ、さすがに声を聞いてビックリするくらいになっているなど信じられることではないが、それだけ自分に対して何もリアクションを示さなかったということであり、本当に関心がないのかということを裏付けされたような気がしたくらいだった。

 父親が家にお客さんを連れてこなくなってからというもの、少し父親に変化が訪れてきたように感じた。ただそれは変化が訪れたというわけではなく、元々の本性のようなものが現れたと考える方が自然なのかも知れない。

 中学生になる頃には少しずつ分かってきたが、小学生の頃には理屈すら分からない。もっとも理屈が分かってきたといっても、その考えに納得したわけではないので、大いに反発する材料になったわけだが、

――これも一種の反抗期なのだろうか?

 と思うと、反抗期という言葉も別に悪い意味ではないような気がしてきた。

 中学生になってからのことを思い出すと、父親が誰も連れてこなくなってからかなり経つ。その間に実は両親の離婚というのもあったのだが、恭一にはどこか他人事のように思え、その成り行きをじっと見守っていたが、自分の親権や養育は父親の方に行ってしまい、自分は父親と一緒に暮らさなければならなくなったことが不思議だった。

 考えてみれば、今までの家庭はほとんど父親が仕切ってきて、収入も父親だけで生活していたので、離婚してからの親権や養育は父親に任されるのは当然と言えば当然のことだった。

――あんな親父と一緒にいなければならないのは、息ができないくらいに苦しいことではないか――

 と思っていた。

 実際に性格の違いは、子供の頃に感じていたものよりも、成長するにしたがって、決定的に違っていることに気付いてきたからだ。

 だが、幸いなことに、父はあまり家にいることはなかった。仕事で忙しいということだったが、日曜日や祝日に家にいるくらいで、昼間恭一が出かけるくらいは別に何でもないことだった。

 だから、休みの日の昼間に恭一があまり家にいたことはない。

 そういう意味では。恭一と父親の二人暮らしなので、家に二人が揃うことはないので、必ず家は一人だけのものとなっていた。おかしな家庭なのかも知れないが、世の中にはいろいろな家庭があるので、それほど変わっているという感じもなかった。

 あれは、正月だっただろうか。父親は元旦からの三が日、家にいることになった。恭一は元旦、友達の家で集まって、正月は恒例になっている遊びに興じていたが、その日、友達皆で、主催者の友達の家に泊まろうということになった。

「じゃあ、皆それぞれのご家庭の許可を得てください」

 と言って、それぞれで家族に連絡を入れ、ほとんど皆快く了承してくれたというのだが、恭一だけはそうもいかなかった。

「今日、友達の家に皆集まっていて、それで一泊しようという話になったんだけど、僕も泊まっていいよね?」

 と聞くと、受話器の向こうから返事がなく、息遣いが荒くなってくるのを感じた。

――えっ? どういうこと?

 と、父親が怒りに震えている様子が思い浮かんだ。

 性格的にまったく似ていない相手だと思っているわりに、父親が考えていることは結構分かったりする。

――やっぱり親子なのかあ?

 と思うのだが、だからと言って、なぜそこで怒りを感じるのか、理解に苦しむだけだった。

――どうしてなんだ? 皆泊まろうという話になって、誰も反対している人はいないのに、どこに問題があるというんだ――

 これは、正当な理論だと思う。

 皆帰ろうということになっているのに、自分だけがごねているというのであれば問題だが、いくら子供とはいえ、普段できないことをしようというウキウキした気持ちになっているのだ。それを一人が参加しないということになるのは、せっかくの盛り上がりに水を差すことになり、社会人である父親がそんな理屈も分からないというのはおかしいと思うのだった。

「お前は何を考えているんだ。さっさと帰ってきなさい」

 とドスの聞いた声が受話器から響いた。

「何をって、せっかく皆一緒に泊まろうと言ってるのに、誰も反対している人がいるわけではないんだよ」

 というと、

「それは相手は子供の手前そう言ってるだけさ。せっかくの正月。家族水入らずで過ごす時間をお前は壊しているんだぞ」

 と言われた。

 しかし、自分だけが帰ったとしても、事態が変わるわけではないのが分かっているので、どうにも承服しかねる。そこで簡単に承服してしまうことは、まるで父親の威嚇に屈しただけだということで屈辱感しか残らない。

「おばさんが話をしてあげようか?」

 と言って。友達のお母さんに話をしてもらったが、結果は同じだった。

「やっぱり、お父さんは許さないって。おばさんもこれ以上のことは言えなかったわ。ごめんなさい」

「いえ、いいんです」

 もう、その時点で自分の帰宅は決定してしまった。

「それぞれの家庭の事情」

 ということだったらしいが、子供の世界であっても、大切なものはあるということを、あの父親は分かっていないのだろう。

 怒りと屈辱に身を震わせながら。皆の痛い視線を感じながら、うな垂れて友達の家を出るのは、まるで見世物のようで、嫌だった。

 だが、自分の姿が見えなくなると、友達の家ではきっともう自分のことなどすっかり忘れて。楽しむに違いない。それは当然のことで、いつまでも引きづるようなことではないからだ。

 涙が後から後から溢れてきた。

「なんで、俺がここまで惨めな気持ちにならなければいけないんだ」

 晒し者になり、さらに、同情の目を寄せられたのだが、その同情は気の毒というよりも、好奇の目に思えて仕方がない。友達の家から帰るには、一度駅まで行って電車に乗って、三駅も乗らなければいけない。普段から鉄道が好きで、電車に乗ることが好きだったはずなのに、これほど電車に乗るのが嫌な思いをするなど、思ったこともなかった。

 電車に乗ると、さらに屈辱感が増してくる気がした。それまでは暗い夜道だったこともあって、すれ違う人もおらず、もしいたとしても、暗くて相手の顔も分からず、しかも、すれ違ったとしてもあっという間まので、相手の表情を確認することも困難だったであろう。

 しかし、電車の中というのは明るくて、しかも、皆が静止していることもあって、気になる人がいればずっと凝視することもできる。電車の中はさすがい昼間と違いそんなに人がいるわけでもなかったが、逆に少ないだけに、その凝視はすべて自分に向けられているという錯覚にさえ陥るほどであった。

 しかも、その錯覚は惨めさを誘うものであり、その表情には相手を嘲笑うかのような薄笑いが浮かんでいた。薄いだけに余計に相手の考えが分からない。そう思うと、嘲笑いの信憑性はかなり高いように思われた。

「本当に惨めだ」

 こんな屈辱感を味わったことは今までにはなかった。しかも、その屈辱感を味合わせているのは、自分の親なのだ。

――親であれば、息子を助けるのが当たり前じゃないか――

 と思うのは間違いなのだろうか。

 もっとも、自分とは趣味趣向がまったく違うと思っている父親のことなので、冷静に考えればこれくらいのこと、あっても不思議ではなかった。そういう意味では今までになかっただけでもよかったと言えるのではないだろうか。

――それにしても忌々しい――

 屈辱感が、次第に怒りに震えてくるのを感じた。

――本当だったら屈辱感よりも先に怒りがこみあげてくるはずなのに――

 そう思うようになったということは、少しは落ち着いてきた証拠だろうか。

 家に帰りつく前にそう思えたことはよかったのかも知れない。家の扉を開けるのが怖い気持ちに変わりはなかったが、それでも意を決して家に帰った。

「ただいま」

 案の定父親が待ち構えていて、何か文句を言っている。

 こっちも怒りに震えているので、言っていることを聞く必要はないという思いがあった。

「ちゃんと聞け」

 と言って、ぶん殴られた。

 もうそれで十分だった。

「ふざけんな、くそ親父」

 そう言って、家を飛び出した。

 行先は決まっていた。母親のところだった。母親は再婚したということだったが、どんな人と再婚したのか知らなかったが、とりあえず挨拶がてら行ってみることにした。

 さっきの父親はどうやら酒を飲んでいたようだ。あまり酒を飲めないことも知っていたので、一種の酒乱状態だったのだろう。そんな状態も初めて見たこともあって頭に血が上って出てきたが、翌日には家に帰ってもいいと思っていた。

 母親も、

「今日一日はここに泊まってもいいけど、明日にはお帰りなさい」

 と、恭一に促していた。

 分かっていることではあったが、少し寂しそうな顔で母親に対して、

「分かった」

 と告げると、安心したような笑みを浮かべた母親だったが、それが本心からの笑みではないことを、恭一は分かっていた。

――もし、あのくそ親父となんかあれば、今度からはここに来ればいいんだ――

 ということが分かっただけでもよかった気がした。

 父親に比べて母親というのは分かりやすいものだと思った。

「女の子は父親に似るけど、男の子は母親に似る」

 ということを聞いたことがあったが、真崎家の場合はまさにその通りだと恭一は感じていた。

 つまりは母親の考えていることも分かるような気がするということで、父親と性格が違えば違うほど、母親と似ていることがありがたいと思う恭一だった。

 それは離れて暮らしていても同じことのようで、

「今日、お母さん、恭一に遭えるような気がしていたから嬉しいわ」

 と嬉しいことを言ってくれたが、それがおべんちゃらからではないということを、恭一は分かっていた。

 恭一の方も、今日ここに来たのは、父親とのわだかまりからの偶然だったのだが、言われてみると自分も昨日から母親に遭えるような気がしていたと思ったのは偶然ではないような気がする。

 母親が結婚したという相手はほとんど顔を見せなかったが、それはその人が気を遣ってくれたからだろう。自分の父親とは大違いだと思えた。

 次の日には家に帰った恭一だが、すでに父親は四日から仕事ということで、すでに眠っていた。昨日のことなど覚えていないのか、夜中に起きてきて恭一の部屋を覗いても、何もなかったかのようにトイレに向かうだけだった。

 もちろん、恭一にもその方がありがたく、恭一の中でも屈辱感はすでになくなっていた。

 だが、あの日の父親から受けた屈辱感を完全に忘れたわけではない。その時のことがあったから、恭一は完全に父親に対して父親としてお遠慮はその時からなくなったのだと思うようになった。

 これほど屈辱を味わうということが、相手に対して遠慮や尊敬の念をこんなにも簡単に捨てることができるのだろうと思わせた。

 特に相手が父親だと思うと余計にその気持ちが強い。そのおかげで、

「本当に俺はあの男の子供なのだろうか?」

 という疑念が次第に膨れてくるのだった。

 もし違っていればどんなに気が楽なことか。親子関係というのは、そう簡単に反故にすることはできないものではないはずだからである。

「血は水よりも濃い」

 というが、それはあくまでも目に見えていることだけであって、ことわざとしてわざわざ言うことではないように思う。

 ただ、それは、

「そうであってほしい」

 という願望が多分に含まれているからであって、本当にそう思っている人が実際にどれほどいるのか、統計を取ってほしいくらいだと思う。

 きっとそんなにたくさんはいないだろうから、統計も取ることをしないのだろうと思うのは恭一だけであろうか。

 せっかくの思春期に入った時期なのに、親から余計な気を遣わされていると思っただけで腹が立ってくる。

「俺が一体何をしたというんだ」

 と言いたいのは、やはり先日の屈辱感からそんなやり切れないという気持ちにさせられてしまったのだろう。

 父親の正体を今まで知らなかったわけではないが、こう露骨に知ってしまうと、母親が出て行った気持ちも分からなくもない。

 最初は、

「僕を置いて出て行っちゃうの?」

 と言って何とか家にいてくれるように言ったが、その時の何とも言えない、苦み走った母親の顔を今も覚えているのは、それだけ印象に深かったからだろう。

「ごめんなさい」

 その時はまったくこっちを見ようとせずに走り去るように出ていった。

 完全に顔を見ることができなかったに違いない。恭一もその時の母親の顔を見なくてよかったと思っている。もし見ていたらどんな気分になるだろうと思うからだ。

 もし、積念の思いに耐え切れずにこちらを見れなかったとすれば、母親を止めることができなかったのは自分が悪いと思い、自責の念に堪えられないかも知れない。

 逆に後悔を少しでも滲ませる思いがあったとすれば、引き留めようとしてもダメな相手だということを自らが悟ることになり、それを自分で認めなければいけないという思いに駆られるだろう。

 どちらにしても、引き留めることが結局は恭一自身を苦しめることになり、結局は出て行かなければならない立場にいるはずの母親をも無駄に苦しめることになる。どちらにしてもいいことはないのだ。

 大人になると分かることなのだろうが、恭一は中学生になると、今考えたことを理由に引き留められなかった母親に対しての自分の正当性を主張できると思っている。

 だから、落ち着いた今では、何かあれば母親のところに行くのはいけないことではなかった。

 両親が離婚する時の協約として、子供への面会に対しては自由だと記されていた。

 だが、母親から会いに来てくれることはなかった。よほど父親が恐ろしいのか、それとも自分が出ていく時の後ろめたさが今も引きづられているのか、母親の気持ちは分からなくもない気がした。

 父親と二人だけで暮らすようになって、最初は父親も恭一にいろいろ構ってくれた。だが、恭一が五年生になる頃から、なかなか家に帰ってこなくなった。

「仕事が忙しいんだ」

 と言っていたが、ウソではないだろう。

 厳格な父親だけに、息子である自分にウソはつかないと思っていた。

 実際に家に帰ってからも仕事を持ち帰っているようで、自室にこもってパソコンを前に仕事をしているようだった。

 そんな父親の姿しか見ていないので、しばらくは父親の顔を忘れてしまうくらいになっていた。

 朝は、一緒に朝食を摂るのだが、それもお互いに黙っての朝食で、少しいたたまれない時間を過ごすことになった。それでも、しばらくすると、

「お父さんは早く会社に行かなければいけないので、朝は一緒に食べることはできない。すまないが、お前一人で食べてくれ」

 と言って、恭一が起床してくる時間にはすでに父親は仕事に出かけていることが多かった。

 恭一は小学生でありながら、自分の朝ごはんくらいは作ることができる。元々母親がいたことは、食事の手伝いをしていたこともあったので、少々の簡単な料理くらいはできるのだ。

 目玉焼きに卵焼き、後は適当に炒め物くらい作ることができる。洋食であれば。朝食くらいはいくらでもできるのだった。

 さすがにみそ汁などの手残った和食は難しいが、毎日洋食というのも飽きが来るもので、次第に朝食を抜くことも多くなった。学校で話を聞いていると、

「俺も朝は食べないな」

 というやつもいるので、そのうちに朝食の回数が減ってきて、週に半分、さらには気が向いたら作るという程度にまでなっていた。

 ズボラと言われればそれまでだが、男二人の家族なのだから、別にそれでもいいと恭一は思うのだった。

 そんな恭一のことを父親は知っていたのか、

「お前、最近朝食べてないだろう?」

 と聞かれたことがあり、どう答えようかと思ったが、

「ああ、ほとんど食べてないよ」

 と正直に答えた。

「そうか」

 とそれ以上何も言わなかったが、どうやらその頃から父親には一つの思いがあったようだ。

 それを聞いてきた時はもう中学に入っていて、例の友達の家から強引に帰らされる二か月くらい前のことだっただろうか。父親が何かを考えているということが分かっていただけに、父親の考えが余計に分からなかったのだ。

 そんな父が最終的に何を考えていたのか知ったのは、それから半年ほど経ってからだった。

 その日の父は、それまでの無表情と違って晴れやかな顔をしていた。その時、恭一はハッと思い出したのだった。

――そうだ、お父さんは元々感情が顔に出やすい人だったはずなんだ――

 ということである。

 そんなことすら忘れてしまっていたのは、それだけあの時の屈辱が大きかったのと、それだけ父親と顔を合わせていなかったという証拠であろう。

「恭一、今度お父さん、再婚することにしたんだ」

 といきなり言い出した。

 中学生で思春期の真っ只中にいるニキビ顔の息子に、そんなデリケートな感情を抱かせるような発言をそんなに堂々と言えるというのも、父親の性格の一つだろう。幸い、趣味趣向がまったく合わない父だったが、そのあたりだけは遺伝したというべきか、そんなにこだわるタイプではなかった。

「そう」

 と言っただけで、別に感情を表に出さなかったが、その時の父はどう感じただろう?

「こいつ、どこまで逆らうんだ?」

 と頭に来ていたのか。

 それとも、結婚するというという感情の高ぶりから、それほど息子の感情に興味自体がなかったのか、ただ一言言って踵を返した息子にそれ以上何も言わなかった・

 それから三日ほどして、恭一が学校から帰ってくると、珍しく父親は帰ってきていた。応接間で聞こえる話声が聞こえてきたことで、それが分かったのだが、相手が女性であることと、笑い声が聞こえたことで、見る前からそれが父の再婚相手だということは想像がついた。

 すぐに階段を上がって自分の部屋に行ってもよかったのだが、せっかくだからと思い、応接間に挨拶した。

「おかえり」

 それは相手がいるということは分かっていて、わざと父親だけにした挨拶だが、却ってそっちの方がよかった。父親に相手を紹介させるタイミングをうまく作ってあげることができたという意味で正解だったのだ。

「ただいま」

 と父がいうと、その言葉を待っていたかのように、奥に座っていた女性が立ち上がると父も一緒に立ち上がり、

「まあ、ちょっとこっちに来ないか。お前に紹介したい人がいるんだ」

 と言って、恭一を応接室に招き入れた。

「こちらは、今度お父さんが再婚しようと考えている方で山本さんだ」

 と言って、掌を上にして、彼女を紹介してくれた。

 紹介を受けたその女性は身体はあまり大きくなく、実の母親よりも小さかった。少しモジモジしたような様子で、若干下を向いたまま、

「あの、私山本美鈴と言います。お父様とお付き合いをさせていただいております」

 と、言ってペコリとあいさつした。

――こんなにも緊張するものなのか?

 と、こういうことはやはり実際に経験しないとその緊張感は分からないものらしいということだけは感じた。

「彼女は、お父さんの取引先の事務員をしているんだけど、お父さんとはここ二年ほど前からお付き合いをさせてもらって、この間やっとプロポーズしたんだ」

 二年前というと、お父さんがあまり家に帰ってこなくなってからではないか。

――そういうことだったんだ――

 と、知らなかったことではあるが、不思議と怒りはなかった。

 それどころか、安心した気分になっていた。家に寄りつかないのは、家にいても面白くないとか、自分と顔を合わせるのが嫌だというわけではないということだけが分かっただけでもよかった。

 もし、そうだったら、これからもずっとそんな関係が続いてしまって、親子関係が崩壊してしまわないかと思っていただけに、安心したというのも本音だったに違いない。

 目の前に立ちすくんている二人は、実に神妙に見えて、自分の方が立場は上だとは思ったが、その微笑ましさに、結婚を反対するなどという意識はまったくなかったのである。

 その日はぎこちない挨拶だけで終わったが、それから一緒に食事に行ったりすることもあり、徐々に相手の女性にも慣れてきた。さすがにいきなり母親として意識するなどできるはずもなかったが、それはそれで楽しいことだった。義理の母親とはいえ、結婚するのは父なので、自分があまり意識する必要もないだろうと思ったからだ。

 ただ、大人二人はそれなりに気にしていたようである。何といっても思春期の男の子のこと、精神的に微妙でデリケートなものだということを考えていたのだろう。本人はそれほどでもないのに、変に気を遣っているのはよく分かった。

 その頃はまだ知らなかったが、二人が恭一に気を遣っている理由にはもう一つあった。それは山本さんには娘がいるということだった。

 彼女の方も再婚で、父との違いは夫だった人とは死別だったということだ。交通事故だったようで、即死だったということだ。いきなり夫や父親が急にいなくなったというショックは、恭一には想像を絶するものだったに違いない。

 それでも、死んでから数年が経っているということで、父が知り合った二年前くらいというのは、まだショックが残っていた時期だったのかも知れない。父がそれを励ましてそこから男女の関係になったのだとすれば、そこに何ら問題はない。反対する理由もなければ、二人ともに幸せになってほしいと思うだけだった。

 だが、相手に娘がいるということは、恭一にとって義理の姉か妹ができるわけである。父の話では妹になるそうだが、そのうちに遭う機会を与えてくれると言っていたが、恭一はドキドキしていた。

 思春期を迎えてはいて、異性に興味を持つようにはなったが、実際に彼女ができたことはない。気になる女の子がいないわけでもないが、話しかける勇気があるわけでもなく、好きになった女の子は品行方正で誰にでも優しい。そんな女の子が恭一だけを好きになってくれるという可能性は非常に低いと思わざる負えなかった。

 学校に行っても、どこかムズムズした感覚が芽生えてきて、それが精神と肉体のバランスを崩しているという証拠だということに気付いていなかった。

 その特効薬になるのはやはり彼女を作ることしかないというのは分かっているのだが、気になっている女の子に対して声を掛ける勇気がないだけではなく、もし付き合い始めるようになったら、その女の子との関係がまったく見えてこないことが心配になってきて、恭一を不安にさせるのだった。

 その理由の一つには、恭一の方で女の子と付き合うということがどういうことなのか分かっていないのが一番の原因だった。一緒にいて、何を話して、どのように接すればいいか、具体的にまったく頭に浮かんでこない。そんな状態で二人きりになったとしても、お互いにぎこちない空気が充満し、息苦しい状態が続くことで、ひょっとすると、衝動に駆られる行動に出るのではないかという自分の欲望を抑える自信がなかった。

「そんなことは誰だって最初に通る道なんだから、お前だけじゃない」

 と言われるだろう。

 しかし、実際にその立場に陥れば、どうしていいのか分からないというのが本音ではないだろうか。一番気になっているのは、

――もし、二人とも話題がなくて、無口になってしまった時、何をしゃべればいいのか――

 ということであるが、それは自分が相手の傷つくようなことを口にするのではないかという可能性が非常に強いと思っているからだ。

 相手も不安、自分も不安。相手の不安まで自分で背負わなければいけないと感じた時、プレッシャーとなって自分だけに襲いかかった時、

――どうして俺だけがこんな思いをしなければならない――

 というプレッシャーから逃れようとして安直な考えに入ってしまうと、逃避行に走ろうとするだろう。それが、自己防衛本能というのので、このような場面では決して表に出してはいけないものだと感じた。

 自己防衛という言葉を自ら感じてしまうと、本性が出てしまう気がした。本性が本能を通り越して、衝動だけで行動することになってしまったら、不安の相乗効果で、してはいけない行動に走り、収拾がつかなくなってしまう。

 もし相手がそれを問題にしなくても、自己嫌悪に陥った後、罪悪感から自分を引きこもらせてしまい、表に決して出ることのない性格を形成してしまうのではないかと思った。

 思春期あたりになると、引きこもりが多くなるというが、思春期になって突入する引きこもりの中には、初恋だったり、女の子とどう接すればいいか分からずパニックになってしまったことで取り返しのつかないことをしてしまいそうになったり、実際にしてしまったことで引き起こされた自己嫌悪が原因だったりするのではないだろうか。

 恭一は、その可能性はかなり高い位置にあると思っている。そして一番陥りやすいタイプは自分のようなタイプではないかと思っていた。ただ自分が本当にどういうタイプなのかということは漠然としてしか分からず、本当に理解できているのか、疑問に感じるほどだった。

 恭一が自分のことをどうしても卑下してしまうことが多くなったのは、父親に、

「早く帰ってこい」

 と言われたあの時であることは紛れもない事実だろう。

 あの頃の父は確かに少し乗除不安定だったような気もするが、それだけで説明できるものでもない。きっとあれは本心からであり、あれが父の本性だったのだろう。

 あれは父親の中で、自分の正当性を必死に訴え、それを完全に息子に押し付けていたのだ。ひょっとすると、父親も自分に本当の自信を持っていないのかも知れない。一縷の望みとしての自分の正当性を息子に押し付けることで、自分の正当性をかろうじて保ち、その正当性を息子が証明してくれると考えているのだとすれば、気持ちは分からなくもないが、度台無理な話である。

 そもそも息子は父親とは性格も趣味趣向も違うと思っている。そんなことをすれば反抗心しか生まれないのがどうして分からないのだろう。

 しかし、それでも父親の言うことに逆らうことができない息子なので、そのジレンマが自己嫌悪を引き起こし、そのまま罪悪感となって、屈辱に繋がってしまう。

――大人のくせにそんなことも分からないのか――

 とも思ったが、それ以上に、

――そんな大人になるのでれば、俺は大人になんかなりたくない――

 と思った。

 そもそも、子供と大人の違いはなんだろいうのだろう?

 思春期という、子供が大人になるためのまるで昆虫でいえばさなぎのような時間を過ごさなければならないのは、そんな大人になるためなのであろうか? 人それぞれに思春期に対しての考え方も過ごし方も違うだろうが、この期間が大人への階段であることは周知のことだと思っている。

 そういえば、

「末は博士か大臣か」

 と言う言葉から、

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」

 という言葉に繋がることわざのようなものを聞いたことがある。

 つまり大人になるにつれて、平凡になっていくという例もないわけではないが、やはりこれはごくまれな例と言っていいだろう。

 父親もきっと自分と同じように、少年の頃には少年らしく、大人になれば大人らしく成長したのだろうが、どうして成長して大人になってしまうと、子供の気持ちが分からなくなるのか、実に疑問だった。

――いや、分からなくなったわけではなく、分かっていて、わざとしているのではないか?

 という思いが頭をもたげた。

 今回の屈辱があったことで、恭一にはあの時のことがトラウマとして残り、無意識にこのように考えているのではないだろうか。

「俺は子供が生まれたら、俺のような屈辱感を味合わせるようなことはしない。だから、もし同じようなことが息子に起こったら、二つ返事で宿泊を許すだろう。決して一人だけ帰ってこいなどというようなことはしない」

 考えるだけではなく、心に深く刻んで誓いとして残っていくはずである。

 そう思うと、あそこまで父が確執し、こだわったというのは、似たような経験を子供の頃にしたのかも知れない。その時に何かがあって、その時の父も、

「今のような俺の思いを自分の息子にさせたくない」

 という思いがあったのではないかと思えば、理屈としては理解できないこともないだろう。

 だが、この考えはあまりにも父尾谷たいして都合のいい考えであるのだが、

「逆に言えば、相手が父親だから。このような相手に都合のいいかんがえができるのではないだろうか」

 と言えるような気がする。

 だが、どんなに父親の考えを勝手に想像したとしても、恭一自身は絶対に容認できるわけではない。むしろ気持ちを理解できたとすれば、それは余計な憎しみを生む結果になるかも知れないということである。

 あれだけ毛嫌いしていて、自分と性格も趣味趣向も合わない父親だと思っている自分の気持ちに一点の曇りをもたらし、必要以上の迷いを生むからである。

 この迷いはまったく無駄なことであり、父親という直接的に関係のある人間に対して、余計な壁は必要ないということである。

 つまりはお互いにわだかまりをなくして正面から向き合うのが親子なのだとすれば、今の二人は親子関係をキープすることはかなり難しくなっていると言えるのではないだろうか。

――わだかまりを捨てるなどできるはずなどない――

 と恭一は思っていたが、同じ感覚を父親も持っているのではないかと思っているのだが、それもまんざら間違っていないような気がしてきた。

 その感情が親子ならではだというのであれば、否定したい気持ちになるのだが、それほど父親と自分とはまったく違う人種だと思っていた。

 そういう意味で、わだかまりを捨てることはできないと思うのだが、それとは別に、

「わだかまりを捨ててはいけない」

 という訴えが自分の気持ちの中から聞こえてくるのだ。

 お互いにわだかまりを持っているから、同じ家で暮らせるのだ。わだかまりを捨ててしまうと、一日たりとも一緒にいることをお互いに我慢できないのではないかと思うほどだった。

「同じ空間に存在していることすら我慢できない」

 などと言っている人の話を聞いたことがあるが、以前であれば、

「そんな感情に陥るのは、精神に異常をきたしているからだ」

 と思っていたが、今はどうだろう?

 確かに精神に異常をきたしているのかも知れないが。そうであれば、今の自分も同じような精神状態にいるのかも知れない。

「自分だけは精神異常などではない」

 と思っていたとすれば、それは相当な傲慢である。

 自分だけが他の人と違うという意識を持っているとすれば、それは自分の中にある精神状態のことであり、生まれついてのものであったり、本性のようなものは、自分ではどうにもならない。それを自分だけと考えるのは、傲慢だとして見るのは仕方のないことだと思っている。

 我慢というのは、一人でできるものと、一人ではできないものがある。一人ではできないものは、逆に言えば。何人いたとしても我慢ができるものではないだろう。つまりは我慢ができないということだ。一人でできる我慢と一人ではできない我慢、それは言い換えればできる我慢とできない我慢と言えるのだ。

 できない我慢をしようとすると、そこには必ず限界があり、その限界に近付けば、そこが限界だということを知ることになるだろう。

 知ってしまうと、我慢できていたはずの我慢が今度はできなくなってしまう。我慢の限界が、結界に見えてくるからだ。そこから先に一歩足を踏み入れてしまうと、もう元に戻ることはできない。そう思っても、結界を見てしまったことで、引きづりこまれてしまう状況に陥ると。精神が崩壊してしまい、精神異常に陥る。

「我慢できずに、精神に異常をきたした」

 というのは、結界を見てしまったことで、自分が元に戻れないと自覚したために起こる究極の精神状態になるのではないだろうか。

 恭一と父親の関係がそこまで行ってしまったのかどうか分からないが、もしそこまで行ってしまうのであれば、すでにその兆候は表れているだろう。

 どんなに抗っても逃れることができないものを運命というが、運命にはいい運命と悪い運命がある。その二つは表裏一体で、

「一歩間違えば」

 という場面がいくつも存在し。それが分岐点となり、その行先という可能性は無限に広がっていることだろう。

「父親のことを少しでも理解したい」

 という気持ちになったこと、今までにあっただろうか?

 気持ちになったことはあったかも知れないが、行動に移したことはないはずだ。ここまで性格や趣味趣向が違うことを意識せざる負えなくなってしまったのだから、意識してしまったとすれば、それを忘れてしまうなどありえないことだからである。

 思い出そうとしても思い出せないのは、きっとそれまでにそこまで考えたことがなかったからに違いない。

 恭一は父親に対して抱いている感情を常に否定しようと思っている。考えたことはすべてにおいて、間違っていると思うからだ。

 もっとも、何が正解なのかを本当に求めているのか、自分でも分からない。正解を求めたところで、それが実際として問題の解決に繋がるとは思えないからだ。

「問題解決には。その問題になったことを探し出し、正解を求めることで、解決になるのだ」

 という言葉はあまりにも形式的すぎる気がする。

 もっと現実的でリアルな発想がなければいけないのだと恭一は思っている。

 そんなわだかまりのある家庭に新たな家族が増えるというのはどういう感じなのだろう? 当然父親もわだかまりを感じながら生活をしてきたのであろうが、その中に、しかも自分と関係の深い相手を入れるというのは、一種の冒険に近いものだと思う。

 むしろ恭一のように、直接的に官界のない人間の方が気が楽ではないか。確かに新たな血が入ることで、新鮮な感覚があり、お互いにけん制しあうことで葛藤や喧騒が生まれにくくなるかも知れない。しかし、それはあくまでも可能性という意味での問題で、実際にうまく行く可能性がどれほどのものか、お互いの性格をしっかりと把握していないとダメであろう。

 少なくとも当事者にお互いの性格を把握できているというのは難しいかも知れない。恭一の場合は、自分の性格を思い図ったうえで、父親を見て、

「これは性格的にも趣味趣向の意味でもまったく違う」

 と感じた。

 だが、それは恭一が自分の性格をすべて把握してのことではなかった。むしろ父親との確執の中で、父親の性格を鏡として映すことで、自分の性格がどういうものなのか、分かってきたようなものである。

 つまり鏡という媒体がなければ、できることではなかった。しかも鏡というのは、相手に自分を写すことで成立するものだけに、そこには左右対称という弊害がある。果たして相手を鏡とした時の、

「自分を写す媒体」

 には、どのような弊害があるというのだろう。

 恭一にはそこまでは分かっていない。鏡のような媒体の存在もハッキリと認識しているものではないだろう。

 父親にしても同じであろう。自分を恭一に照らすことで、自分の性格を把握しているのだとすれば、どこまで自分のことが分かっているのか、分かったものではない。

 そう思うと、恭一は自分も父親も相手のこと以前に自分のことを分かっているというわけではないことに気付く。

 そもそも、どれだけの人が自分のことを分かっているというのだろう。自分のことが分からずに右往左往しながら、紆余曲折を繰り返して、時間とともに成長していくものではないだろうか。だが、それは自分個人だけにおいてうまくいくことであり。父親や息子との関係は、成長の間、わだかまりを残さない程度に収まっていることが条件ではないだろうか。そう思うと、今の二人の立場は実に微妙だ。お互いにどこまで理解し、相手を思いやるかが必要なのだろうが、相手を理解することができたとしても、それは自分が許容できるものだという保証はない。特にこの親子関係においては、これこそが一番の難関ではないかと思うほどではないだろうか。

 だが、どうやら父親には何か自信があるようだった。それは自分のことというよりも、恭一のことを考えて、

「こいつとなら、大丈夫だ」

 という自信である。

 最初は、父親は母親しか家に連れてくることはなかったが、

「おい、今度表で食事をしようと思うんだが、都合のいい時を言ってくれ」

 と言ってきた。

 父親が外での食事を誘ってくるなど、母親がいた頃ならまだしも、離婚してからは一度もなかったことだ。それを考えると、この誘いはきっと新しい母親も一緒だということを暗示していると恭一は察した。

 果たしてその思いは間違っていなかったのだが、

「いいよ。俺はいつだって」

 というと、

「よし分かった。あっじゃ、明後日の金曜日の夕食を表で一緒に摂ろう」

 といい、場所と時間はまた連絡するということになった。

 実際に連絡を貰ったのは翌日のことで、午後六時、駅前での待ち合わせとなった。

 駅前には有名ホテルも有名レストランも結構あり、食事を摂る場所としては事欠くことはない。それなりの恰好をして約束の日時に駅に向かうと、すでに父親は来ていた。金曜の夜ということもあり、駅前は待ち合わせの人でごった返していた。すぐに見つけることができない自分に、父親は手を振って分かるように手招きしてくれていた。

「おお、こっちだ」

 と言って無表情で手を振る父を見て。違和感があった。

――こんなことができる人ではなかったはずなのに――

 こんなことを平気でできる人なら、無表情というのが違和感を抱かせるが、逆に初めて見る光景に無表情というのは、実に当たり前に見えた。違和感を抱くだけでそれ以上の感情を抱くことがなかったのは、そのせいであろう。

 父に寄り添うようにしてそばにくっつぃいていると思っていた、

「母親となるはずの女性」

 は、そばにいなかった。

 思わずあたりを見渡している恭一に対して、

「何をキョロキョロしているんだ」

 と言ったので、

「いや、一人なのかと思ってね」

「新しいお母さんがいてほしかったか?」

 と言われて、すぐに返事ができなかったのは、柄にもなく照れてしまったからなのかも知れない。

「いや、そんなことはない」

 と口では言ったが、まんざらでもなかったのも事実である。

 恭一は実際には父親が誰かと再婚することに関しては反対ではない。父親が恭一の本心をどのように考えているかは分からないが、恭一としては、

――きっと親父が思っているよりも、俺はずっと冷静だし、反対するような気持ちなんかない――

 と思っていた。

 むしろ父が再婚してくれた方が家族ができていいと思っていた。実際に父と二人だけの家族だけということになると、どんな心境になってしまうかというのは、この間嫌というほど思い知ったからだ。よほど変な女性でもなければ家族が増えることで最初はぎこちなくなったとしても、それは慣れるまでのことであった。父親と二人だけだとそれぞれが今は歩み寄れなくても、いずれ歩み寄れるということはないと思っているだけに、そこにワンクッション入ってくれることは恭一としてもありがたいことであった。

 恭一が父と歩み寄れないと考えているのは、かなりの信憑性があった。なぜなら、お互いに性格は似ていないとはいえ、相手のことは他の誰よりも分かっていると思っているからだった。

 分かっているからこそ、歩み寄れないだけの性格の違いが分かるのだ。もしこれが夫婦間であれば離婚ということもできるのだろうが、ベタな言い方ではあるが、親子関係を解消することはできないのだ。

 そんなそれほど血というのは濃いと言えるのだろうが、それだけに反発すると反動は大きい、そのことも分かっているので、

「歩み寄ることは不可能に近い」

 という考えも信憑性に富んでいると言えるのではないだろうか。

 そんなことを考えている自分を無表情で見つめていた父親だが、それに気づいた恭一が父親と目を合わせたその瞬間、

「じゃあ、行こうか」

 と父親が促してくれた。

 この呼吸が父親は絶妙にうまい。恭一が今考え事をしていた時間がどれほどのものなのか自分ではよく分からなかったが、思ったよりも短かったような気がする。それでも無表情で見守ってくれることができるのが父親の父親たるゆえんであろう。性格がまったく合わなくて、こちらのやることにことごとくイライラさせる態度からは想像できない行動に思えるが、これが父親が息子に対しての本性なのではないかと思うと、少しホッとする自分を感じた。

 恭一は父親にしたがってついていった。父親はゆっくりと歩いていて、

――これがこの人の性格なんだ――

 といまさらながらに思わせた。

 そんな父親と違って恭一は道を歩く時は絶えず急いで歩く。人と同じスピードになるのも嫌で、目の前にいる人をごぼう抜きにするくらいの勢いだった。

 父親のように落ち着いて歩くこともできると思うのだが、自分の性分がそれを許さない。人が目の前で歩いていると、追い抜かないと気が済まなかったり、なるべく人が密集しているところを探して、そこに入り込もうとしている習性があるようだ。ただ、この習性は無意識に起こす行動のようで、いつも、

――気が付けば早歩きをしていた――

 と、ハッと気が付くのだ。

 気が付くタイミングも別に決まっているわけではない。ふとしたタイミングで気付くのだ。

 父はまわりに人がどれほど多かろうが気にすることはない。人を押しのけることもなければ、後ろからついていくのも気にしない。自分と違ってガタイのいい父親の場合、人相もそんなによくはないというのもあって、まわりの人はその貫禄に臆したかのように、道を開けることが多かった。

 後ろからそんな父親というよりも、道を開けているその他大勢の人のびくついた姿が滑稽に感じられ、思わず笑い出してしまいそうな気がしていたが。そんな父親に後ろから従って歩く自分はまわりからどんな風に見られていることだろう。

 もっとも、恭一はそんなまわりの視線を意識することはなかった。人の視線など、どうでもいいと思っているくらいだった。

 父親はその体格からか、歩幅は短い。そのため歩くスピードがゆっくりになるのも無理もないことで、ゆっくりであっても、足はちょこまか動いているようで滑稽だった。それに比べて身長も高く、歩幅の広い恭一は、ゆっくりと歩くことに慣れていない。父親のスピードに合わせて歩くのはある意味苦痛なくらいで、歩をどのように進めればいいのか戸惑っているくらいだった。

 それも滑稽に見えるに違いない。ゆっくりと歩いているつもりで足がもつれているのを感じるというのはおかしなもので、

――もっと早く歩けないものか――

 という苛立ちを抱くくらいだった。

「もう少しだからな」

 と後ろを振り向いた父がそう声を掛けた。

 まるで自分が歩くのが苦痛だというのを分かっているかのようで、それも癪だった。分からないようにして歩いているつもりだったのに、その努力が無駄だったと思うと、他の人に対して感じる無駄という思いよりも父親に感じる方が、癪に障り方も大きいのだ。

 父親が連れてきてくれたのは、この近くでも有数の高級ホテルと誉れ高い、某航空会社が運営するホテルだった。

 ホテルでの食事など、ほとんど経験のない恭一にとって、少し戸惑いもあった。服装の適当に見繕ってきただけなので、

「正装をされていない方の入店はお断りしております」

 などと言われればどうしようと思ったからだ。

 だが、恭一は中学生である、そんなことに気付くはずもない。もし正装が必要なホテルを予約しているのであれば、最初からそう言うはずである。

 確かに父親は恭一が訝しがるようなことをするが、それはあくまでも父親の性格から、自分に正直に行動した結果が恭一を訝しがる行動になるだけであって、意識しているわけではない。そのことは恭一にも分かっているので、最初から訝しがるような意地悪はするはずもなかった。

 しかも、今日は父親が誘ったことである。そんな日にわざと困らせるようなことをしないというのは周知のことだった。

 恭一はそういう意味では父親への反発はなかった。それだけに性格の違いからくる訝しさだけは許せないのであった。

「恭一こっちだ」

 そう言って、エレベーターに案内してくれた父は、十五階まで昇った。

 そこはこのホテルのスカイレストランがある場所で、かなりの高級感をその案内の写真から見て取ることができた。

 エレベーターには二人きりだったが、十五階まではあっという間のことだったので、気が付けばすでについていた。

「さあ、こっちだ」

 と促されて入り口から入ると、父親は係の人に一言二言告げると、ボーイがやってきて、

「どうぞこちらに」

 と案内してくれた。

 そこは表が見える大きな窓際の席で、展望がパノラマで拝めることができる場所だった。「こちらへ」

 と言って案内してくれたその場所には、二人の女性が待っていた。奥の窓際にはこの間会った女性がいて、その手前に横にちょこんと控えているのは、まだあどけなさの残る女の子だった。

 自分もまだ中学生なので、その娘を、

「あどけなさの残る」

 などと表現するのはおかしなものだが、清楚なその雰囲気は、クラスの中の誰とも似ていない雰囲気を醸し出していて、よほどこの場所が似合うというお嬢様の雰囲気を感じさせた。

「じゃあ、お前はこっちだ」

 と言って、最初に奥のM度際の席に腰を掛けた父親に促されたのは、手前のあどけなさが残る女の子の正対する席だった。

 だが、それは当たり前のことである。結婚する二人が正面に座らなくてどうするというのだ。言葉は悪いが、横の二人の子供は結婚する二人からすれば、ただの付属品でしかないからだった。

――そうか、今日のこの食事会は、僕にこの娘を紹介するということだったんだ――

 と思った。

 そして次に感じたのは、

――待てよ。俺はこの会合の前にこのお母さんとなるはずの人と事前に顔を合わせている。ということは、彼女も俺の父親とは初対面ではないということになるんだろうな――

 という思いだった。

 席に着くと、最初の料理が運ばれてきた。予約をした時、料理の予約もしてあったのだろう。

 前菜が運ばれてきて、ボーイが頭を下げて下がっていくと、

「それじゃあ、紹介しておこう。恭一、こちらの道子さんは紹介済みだったな。その隣にいるのは、彼女のお嬢さんで咲江ちゃんというんだ。まだ小学六年生だから、お前の妹になる。仲良くしてあげてくれ」

 と言って、恭一を咲江に紹介した。

「僕、真崎恭一です。よろしく」

 と言って、いつになくかしこまった様子に、自分でも滑稽に感じた。

 完全にぎこちないその様子は、穴があったら入りたいくらいの気持ちだった。

 咲江はそんな恭一の様子をビクビクしながら眺めていたが、無理もないことであろう。見るからに内気な女の子なので、どう対応していいのか分かっていないに違いなかった。

 そして、今度は攻守交替というべきか、父親は席に座ると、母親になるはずの相手である道子さんが席を立った。

「こっちが私の娘の咲江です。恭一さん、これからよかったら、仲良くしてあげてくださいね」

 と、父親よりもさらに恐縮してそう言った。

「よかったら」

 と付け加えたところも、どこか違和感があり、それが滑稽だった。

 よほど娘のことが気になっているのかも知れない。

 母親にそう言われた彼女は、今度は、

「よろしくお願いします」

 と自分から立ち上がって、恭一だけではなく、父親にも頭を下げた。

 その様子は、想像以上にぎこちなく、まるでロボットのような動きだった。

 もっとも小学生なのだから、まわりが皆大人だと思うと緊張するのも無理もない。恭一のような中学生であっても、二つか三つ年上というだけで、大人に見えてくるのではないかと思えた。考えてみれば自分が小学六年生の頃というと、確かに制服を着ているというだけで一年上の先輩でも、大人に見えたくらいだった。

「自己紹介も終わったことだし、あとはゆっくりと食事を楽しみましょう」

 と父親は言った。

「ええ、そうですね」

 と道子さんは言ったが、父親というものに対して必ず何か返事をしなければいけないという一種の封建的な奥さんの考えからなのか、それとも、気が利く女性ということなのか、すぐには分からなかった。

 しかし、父親は、普段から厳格で、性格的には封建的なところがあると思っていただけに、そんなタイプの女性に惚れたと思えば、前者なのではないかと考えた。

 ただ、父親は思ったよりもがさつなところがあり、せっかくの料理もマナーなどあったものではないと思うような食べ方だった。

 一応マナーらしきものは守っていたが、それもギリギリ、見た目のいかつさも手伝ってか、マナーが悪そうに見えていた。

 そんな父を恥ずかしがることもなく、さりげなくフォローしているのが道子さんだった。それを見ていて、

―ーこの人なら、案外父親とはうまくいくのではないか――

 と思えた。

 実際に、父親のがさつな性格を考えた時、再婚相手に対しては、かなりの注文が必要だと思っていた。

 元々父親の再婚に反対する気はない。むしろ再婚でもしてほしいと思っていたくらいだったので、後は相手がどんな人だろうかということだけが問題だった。

 一度母親と離婚しているだけに、今度選ぶ相手は慎重を期すだろうというのは、都合のいい考え方ではあったが、どうやら、自分の気にしすぎだったのではないかと思う恭一だった。

 前菜を食べると、いよいよメインディッシュ。テレビでは見たことはあるが、もちろん食べたことなどない。父親のことも気にはなったが、食事に集中している恭一もいた。

 咲江は、まわりをキョロキョロしている。

「この中で一番挙動不審なのは誰なのか?」

 と言われれば、誰もが咲江だと答えるだろう。

 ただ、その雰囲気はあどけなさが先に立っているという意味で、表情だけでは何を考えているのか分からない。状況と彼女の立場を考えれば想像はつくのだが、恭一はどうしてあげれば一番いいのか困っていた。

 本当は恭一が何か話しかけてあげればいいのだろうが、言葉に出てこない。ただ、ひょっとすると大人がいない時の子供だけだったら、話ができたかも知れない。

 子供同士の会話であっても、あまり馴染めるわけではなかった。それはきっと二人きりではなく、何人かいる中での一人となると、余計話しにくいのではないか。

 だが、一対一になると話ができるような気がしていた。学校で一人だけ女の子で話をする子がいた。その子は小学生の頃から同じクラスで、自分と同じようにいつも一人でいたのだ。

 彼女のことはずっと意識していて、いつか話しかけてみたいと思っていたのだが、その機会が訪れたのは、中学に入ってすぐくらいのことだった。

 クラスの中で当番を決めるのに、男女ペアというのがあった。恭一はすぐに男子から推薦を受け決まってしまったのだが、決まってしまったことで、

「お前がパートナー決め手いいぞ」

 と言われたのだ。

 他の女の子であれば、口も達者で自分が嫌な思いをするのは分かっていたので、最初からその子に決めていた。悪いと思ったが、彼女なら文句がこないと思ったのだ。もし、自分が決めかねたとしても、結局は彼女に決まっていたかもしれないと思うと、決めてあげた方がいいと思ったのは、自分の勝手な思い込みからであろうか。

 その時に、彼女に決めてしまったことを後で彼女に謝ったら、

「いいわよ、私も気にしていないから。どうせやらされるのは目に見えていたからね。それよりもこれからよろしくね」

 と言って握手してくれた。

 どうせやらなければいけないのであれば、仲良くできればそれに越したことはない。お互いに嫌な相手ではないということもよかったのであろう。

 そのことがあってから、皆の中で発言するよりも二人きりの方がまだ話ができるのではないかと思った。

 食事会のその日は、会話をする状況ではなかったように思う。

 元々顔見世程度のつもりだったようなので、会話がなくてもよかったのだろう。その日は食事をしてから、少し公園を歩いてみた。父親と道子さんは子供二人に目を向けることはなく、夜の公園からネオンサインを見ながら、ロマンチックになっているようだった。

 恭一が一人でいると、

「ここいいですか?」

 と言って咲江が自分の隣に腰かけた。

 ベンチは大人二人でちょうどいいくらいだったので、子供には大きいかも知れない。

 まだ小学生だと思うと、自分が思春期に入っているとはいえ、彼女を女性として意識してはいけないという思いから、無意識に避けているように思えたのだった。

 だが、まだ小学生の彼女は、あまり恥ずかしいという感じではなかった。それよりも、何を話していいのか分からないと言った感じで、下を向いている。

――彼女を見ていると初めて出会ったような気がしない――

 と感じたのだが、それはきっと中学で話をするようになった女の子の小学生の頃の雰囲気によく似ているからではないだろうか。

 今日は何を話していいのか、恭一も戸惑っていたので話をすることができなかったが、他の日に二人で会って話をしたのであれば、きっと会話が成立するのではないかと思えた。

 相手が何を考えているか考えるよりも、一緒にいて、

――僕の方から何かを話してあげなければいけない――

 と感じる時の方が、言葉が出てくる気がしたのだ。

 プレッシャーに強いわけではなく、女の子と二人きりでいる場合、自分から話しかけることができるのは、クラスの当番を決める時、恭一がパートナーを彼女にしようと思ってその顔を見た時、その表情に、

「ちゃんと話をしてほしい」

 と言っているかのように見えたからだった。

 それは彼女が目で訴えていたというのを感じたからであって、もし、自分が話をしてあげていなければ、今もずっと彼女から避けられることになったのではないかと思うのだった。

―ー俺は話をしようと思えばできるんだ――

 と感じたのだった。

 実際に小学生の頃、家の近くに住んでいた女の子がいたのだが、その子は自分よりも二つ下で、五年生の時、三年生だった。その子はどうやらクラスでいつも一人ポツンといるような女の子だったようで、ただ別に苛めを受けていたわけではない。なぜかその子は、いつも恭一に近寄ってきて、離れようとしない。恭一を見つけると遠くからでも何とも言えない嬉しそうな顔をして近寄ってくるので、恭一も敢えて避けるようなことはしなかった。

 その顔を見ると、

「人懐っこい女の子なんだ」

とずっと思っていた。

 だが、実際には学校ではいつも一人で、他の人と離れたところにいる。その時の表情を知らないので、自分に近寄ってくる彼女がまるで懐いているイヌのように思えて、可愛らしくて仕方がなかった。

 その表情が本当は嬉しそうな表情ではなく、その裏に寂しさを隠し持っていたなどずっと知らなかった。

 ただ、一度本当に寂しそうな表情をした彼女を見て、何と言って声を掛けていいのか分からなかったことを覚えている。その時の彼女は明らかに恭一に何かを言ってほしかったのだ。

 初めて見る寂しそうな表情でありながら、その視線は恭一を貫かんとする眼力に、怖さすら感じた恭一は完全に戸惑っていた。

――どうすればいいんだ?

 声を掛けてあげるどころの問題ではない。

 まるで自分が金縛りにでも遭ってしまっているかのようで、彼女のことを考える前に、自分がどうすればいいのかが分かっていなかった。

 その時、彼女がいつも嬉しそうに見えるあの表情が、初めて寂しそうな表情だったのだということに気付いた。

 寂しさというのは、どうしても相手に対して隠したいという意思が無意識に働くのだろう。だから、相手が気を付けて見てあげないと、本当に寂しい時の気持ちを分かってあげることはできない。戸惑いの中で相手の寂しさを見つけることは結構難しいことなのではないだろうか。

 その時、恭一は、

――とにかく何を言ってあげなければいけない――

 という思いはあった。

 だが、そう思えば思うほど、どういえばいいのか分からないという思いに戻ってきて、ループを繰り返してしまうようだ。

 それでも、何とか絞り出すように話しかけた。どんなことを話したのか覚えていないが、話しかけてあげたことで、彼女は安心したような表情になった。

――これでよかったんだ――

 と思ったが、彼女は次の日から恭一を避けるようになった。

 あれだけ顔を見かけただけで、人懐っこく近づいてきて、抱きつきでもするかのような態度とはまったく違っていたのだ。

 避けられてしまうと、前の日に、

「何でもいいから話しかけよう」

 と感じたことが間違いであり、彼女が安心したような表情をしたと感じたのは、勘違いだったということになるのであろう。

 そう思うと。恭一の後悔はかなり大きなものとなった。彼女ともう二度と話ができなくなるのではないかという思いが辛くそして重くのしかかってくる。しかもその原因を作ったのは、他ならぬ自分である。

 それが後悔となって襲い掛かってくることで、

――ではどうすればよかったんだ?

 と考えることもなかった。

 とにかく、やってしまったことへの後悔だけで、それ以上何かを考えるということができなくなってしまっていた。

 考えなければいけないことがあるということは分かっているのだが、考えることが怖いのだ。このジレンマがトラウマとなって今の自分を形成している。

――ひょっとして父親との確執もこの時の感覚が影響しているのではないだろうか?

 という思いもあった。

 だが、父親との確執はもっと前からあったような気がする。それは物心がつく前のこと、つまりは、自分の方が考えるのではなく、父親の方で考えたことが、理解できないまでも、何かおかしな感覚として、恭一に襲い掛かったのではないだろうか。

 その時、そのように考えたからと言って、実際に相手の希望通りに話しかけたことはなかった。頭の中でシミュレーションをしてみたことはあったが、それはあくまでも想像上のことにすぎない。要するにそれ以降、そんな機会に恵まれなかっただけのことだった。

 元々そんな感情を持つようになったのは思春期前のこと。つまりはまだ子供だった頃のことで、思春期に突入し、自分の精神状態が不安定になり、気持ちも流動的にはなっていたが、この想像は不変のものであり、

――もし、今度こんな機会が訪れれば、きっと想像通りに事が運ぶに違いない――

 という、根拠はないが自信のようなものはあった。

 今、その機会が訪れた気がした。

 相手は、まだ子供の小学生、しかも、自分が最初にこのことを感じた相手とほぼ年齢的に変わらないだろう。

 だが、その時恭一は気付いていなかった。

「女の子は男の子と違って思春期前になると、成長は急激に早い」

 ということをであった。

 実際に乳房の膨らみが目立つようになってくるのも、初潮を迎える時期というのは、男の子が思春期に入るよりも早かったりする。早熟な女の子は十歳にはすでに初潮を迎えている人もいるというが、そこまではさすがに恭一の想定外であった。

 小学生の頃、女の子は男の子と別れて、女の子だけが教室に入って、何か女の子の成長に対して話をされていたのは知っていた。だが、それを男の子が聞くことはない。知るのはきっと中学に入り、自分が思春期に入ってから誰かから聞くことになる。

 それが学校の先生であったという意識はない。悪友か何かに最初に聞かされた気がした。最初はそれを聞くとどこかショックな気がしたのは、その後に多分、保健体育の授業で聞くことになったと思うのだが、その時の印象がほとんどないのだ。学校の授業で聞いたということすら記憶に残っていることに自信が持てる気がしないくらいだ。

 だが、初めて義理の妹になるだろう女の子である咲江と会話をした時、そんな意識はまったくなかった。聞いていたかも知れないが、意識の中で記憶のように表に出すのを封印していたのかも知れない。それが無意識なのか、意識的なことなのかは、想像することもできない。それだけ、正面から咲江と向き合わなければいけないと思ったからではないだろうか。

 もう少し成長すれば、その時に一歩立ち止まって、女の子の成長が男子とは違うという話を頭において考えることができたのかも知れない。それは彼女と正面から向き合うための姿勢をとるために、一度冷静にならなければならないと思うからだった。

 もし、その思いを自らできるようになるとすれば、それは自分が大人になるということの証明のようなものではないだろうか。

「一歩立ち止まって冷静になれるということ」

 それが子供と大人の一番の違いなのではないだろうか。

 その時の恭一は、まさしくまだ子供だった。完全に目の前にいる小学六年生の女の子は、自分の中で子供としてランク付けしていた。

 言葉は悪いが、

「舐めていた」

 と言われても仕方がないだろう。

 何を話していいのか考えがまとまらないくせに、それでも何かを話そうとしたのだから……。

 もし相手が同い年の女の子であれば、このような行動は相手が受け入れてくれたかも知れない。咲江という少女は、そういう意味で一番中途半端で、

「限りなく大人になりかかっている少女」

 だったのだ。

 見た目はほとんど成長した身体と雰囲気であるが、その本質はまだ子供だった。それだけに壊れやすく傷つきやすい。

「取り扱い注意」

 という見えない札が貼ってあるのに気付かなかったとすれば、それは気付かない方がやはり悪いのだ。

 その時何を話したおか分からないが、恭一の話を咲江は顔を上げることもできずに聞いていた。だから、咲江がその時どんな表情だったのか分からずに、しかも、一度話し始めると、恭一は止めることができなくなっていた。

 使命感に燃えていたというよりも、離し始めた自分が普段の自分と違うということに対して有頂天になっていた。

――これって、本当に俺なのか?

 という思いである。

 恭一は完全に悦に入っていたことだろう。

 一つ言えば、彼女との最初の出会いがあのホテルでのレストランだったということも、恭一の中で咲江を偶像化させることになったことに繋がっているかも知れないということだった。

 咲江は普通の女の子だったはずなのに、恭一の中で一人の女の子を意識するということへのどこか罪悪感のようなものがあり、それが思春期における淫靡な部分を垣間見てしまったということへの罪悪感ではなかっただろうか。

 咲江という女の子は自分の中で「オンナ」として意識ができていたのかも知れない。それを否定したい気持ちで、彼女に対して綺麗なドレスを着て、玉座に座っている王女のようなイメージを抱いていたとするならば、そこには、感じてはいけない彼女に対しての主従関係を心の奥底に抱いていたと言えるのではないだろうか。

 あくまでも妄想である。

 だが、実際には自分が彼女の義理の兄であり、守ってあげなければいけない存在であるわけなので、そのことも意識としては分かっていた。それだけにこの両極端な意識は矛盾となって、ジレンマを引き起こしたのだろう。

 このジレンマはトラウマになってしまったのかも知れない。どうして自分がこんな気持ちにならなければいけないのか、その半分は自分にあるのは分かっている。だが、すべてを自分のせいにしてしまうというのは、あまりにもひどいことであり、誰にも言わずに抱えておくには酷なことであるという意識もあった。

 そうなると誰かにその責任を負ってもらうことになるわけだが、ちょうどいい人間がいるではないか。そう、自分の父親である。

 そもそも再婚したいと言い出したのは父親だったではないか。もし、父親がそんなことを言い出さなければ、山本親子と出会うこともなく、咲江を知ることもなかったはずだ。自分は屈折した思春期を歩むことなく、まっすぐに、他の連中と同じように歩むことができた可能性は大いにある。そう思うと、父親への反発心がこみあげてきたのも無理のないことだろう。

 さらにかつての屈辱感が、この気持ちを後押ししたのは言うまでもない。咲江には誰が何と言おうとも責任はないと言いたかった。それは彼女を守るのは自分しかいないという思いの表れで、彼女のためというよりも、自分のためだと言ってもいいだろう。

 恭一は、咲江に対して話をしたことで、咲江がもっと明るくなってくれて、少なくともも他の女の子と遜色のない雰囲気になってくれることを期待した。

 それは彼女が恭一好みに変わってくれたわけではなく、あくまでも他の女の子に近づいたという意味で、恭一の「人助け」という意味での貢献が功を奏するという意味の持っていきたかったのだ。

 それが恭一の中で、

「自分を納得させる」

 ということになり、お互いに一番いい解決方法だったはずだ。

 だから彼女に話しかけたのだし、もしこれが自分のために行ったことだと解釈してしまうと、彼女の心が恭一に向くというれっきとした証明される確かなことが表に出てこなければ、その時点で後悔の念と、自己嫌悪に襲われることは分かっていた。それが罪悪感に繋がるのだし、罪悪感はつまりは、自分のためになることが匠永されなければ必ず生まれるものだと言えるであろう。

 自分が話しかけたことで咲江がその後どのように変わったのか、それは恭一の中の想定内のことであっただろうが、その確率的なものは、結構低かったのではないだろうか。しかもその結果に対して、恭一は承服できるものではなかったかも知れない。

「もう少し違った結果になってくれていればよかった」

 と感じたことだろう。

 それ以後の咲江が恭一に取った態度は、結構積極的なものだった。最初に出会った時のいかにも引っ込み思案な態度は、最初から計算済みだったのではないかと思わせるほどの積極性に、一瞬引いてしまいそうになった自分を感じたくらいだ。

 だが、中途半端に大人になっていた恭一にはそんな態度は嫌いではなかった。むしろ好きだと言ってもいい。

 相手から慕われていると思うのは今までにはなかったことで、それはまだ子供だったことから、人に慕われるなどないという先入観もあったからだ。

 慕われていると思ったのは、咲江が積極的に恭一に連絡を取ってきて、会う機会を彼女お方から作ってくれるようになったからだ。

――あの時、俺が話しかけてあげたことで、俺にだけ心を開いてくれるようになってきたんだ――

 という思いがあったからで、状況を時系列に沿って見ていれば、その感情にまったくの無理はなく、誰にでも感じさせることに思えた。

 だが、彼女の場合は慕情というよりも、依存に近い形だったのだが、その違いをその時の恭一に分かるはずもなく、その感情はきっと咲江本人にも分かることではなかったであろう。

 その日のことを両親(母親は義理であるが)は、

「あの二人、きっといい兄妹になるわ」

 と思っていたことだろう。

 実際に、恭一と咲江の会話にはお互いに笑顔が漏れていたという。しかし、実際にもっと近くで見ていれば、恭一の方の笑顔が少しぎこちなかったことに気付いただろう。恭一の笑顔はあくまでも自分からのものではなく、咲江が笑ってくれたことでの安心感から出たことだった。悪い笑顔というわけではないが、少なくとも自分からの笑顔ではないだけに心の底からの笑顔ではなかっただけに、引きつっていたというのも無理もないことだ。

 恭一の場合は、自分の感じたことがそのまま顔に出る。この部分は自分の父親と同じだった。それは遺伝によるものなのだろうが、そのことは恭一にも分かってることだった。だが、本心としては認めたくないことで、

――なんで、こんなところだけ似ているんだ――

 と思ったのは、この性格が自分では嫌いではないところだった。

「咲江ちゃんは、お母さんと俺の親父の結婚に対して、別に何も感じないのかい?」

 と聞いてみた。

「うん、別に気にはしていないわ。お父さんができるというのは嫌なことではないのでね」

 と言っている。

 その表情にウソは感じられなかった。無理をしているのであれば、もう少し声に抑揚が感じられたり、言葉がたどたどしくなったりするものではないかと思うからだった。しかし、咲江の返事に恭一が思うような戸惑いも憤りもない。

「そっか、だったらいいんだ」

 と言って、恭一は少し複雑な心境を持って、そう答えた。

 本当は咲江にもこの結婚に対して少し違和感を抱いてもらって、自分の味方になってほしいという気持ちもあったのは事実だった。だが、咲江はそんな恭一を見て、

「お兄ちゃんは、反対なの?」

 と聞いてきた。

「いや、そんなことはないんだけど、急に母親ができると言われても、気持ちの整理ができないような気がしてね」

 というと、

「気持ちの整理が必要なの?」

 と、咲江は言った。

「うん、心の準備というべきかな? いきなり何かをあげると言われたりするとビックリしたり警戒したりするでしょう?」

 というと、

「警戒? 何を?」

 といかにもまったく分かっていないように純粋な目でまっすぐに恭一を見つめた。

――こんな素直で純粋な女の子がいるなんて――

 と恭一は彼女に圧倒され、それ以上何を答えていいのか分からなかった。

 恭一は驚愕していた。自分のまわりには父親を含めて、自分の気持ちをそのまま表に出す人はいるが、こんなにも純粋な心を持った人はいなかった。そういう意味で、彼女が自分を慕ってくれているのは嬉しかったが、その反面、

――依存ではないか?

 と感じたのも、この純粋さに不安を感じたからだった。

 だが、この不安は、彼女から慕われているという幸福な気持ちからすれば、ほとんど小さなものであり、心を落ち着けることができる相手に出会ったということが幸福へと自分を導いてくれると思っていた。

 だが、彼女の依存を忘れたわけではない。心のどこかでいつも意識していて、それが一抹の不安を与えていた。その思いがどこから来るのか気付くまでにさほど時間は掛からなかった。

 と言っても、それに気づいたのは父親が結婚し、咲江が正式に自分の義理の妹になってからのことだった。

 咲江が義妹になったということで、義兄としての責任のようなものを感じた。実際の妹がいるわけではないので、妹というのがどういうものなのか分からなかったが、小学生の頃には、

「弟か妹がほしい」

 という気持ちはあった。

 ただ、あまり年の離れた弟か妹がほしいと思っていたわけではない。だから、両親が離婚する前から、兄弟ができることに対して、何も思わなくなっていた。

 それが、義理とはいえ、父親の再婚という形で現実のものとなると気持ちは複雑だった。同時に義母もできたわけで、義母に対しては、どうして本当の母親というものを思い出すため、意識しないわけではない。

――この人は本当のお母さんではないんだ――

 と常々思っていないといけないのだと自分に言い聞かせていたくらいだった。

 だから、一度父と喧嘩した時、母のところに行ってみたのだし、ただ行ってしまうと、

――ここに俺の居場所はないんだ――

 と思い知るだけのことだということを思い知るだけだった。

 実際にはそれでもよかった。思い知ったということも実際には悪いことではない。思い知ったことで、もう実の母親のところにはなかなか行くことはできないと思うのだが、もう少し成長して、何年ぶりにか母親と会った時のお互いのギャップを考えると、ゾッとするものがあった。

 母親に思い漕がれて会いに行くはずなのに、もしそこにすでに新たな人生を出発させていた母親から、怪訝にされてしまうと、そのショックは計り知れないものになるだろうと想像できるからだった。

 離れてから初めて会いに行ったのが、まだ大人になり切れていない時期だったのは、ある意味よかったのかも知れない。大人になってしまうと、母の本当の気持ちも分かるかも知れないからだ。、

――そんなこと知りたくなかった――

 という思いを強く持ったことだろう。

 中途半端な大人が、いきなり大人の世界のドロドロした感情を知ってしまうと、多感な時期だけに、どう考えていいのか分からず、気持ちが整理できることもなく、それだけに受け入れられない感情が、きっと自分の中に蠢いているに違いない。

 それはまるで血液の中を小さな虫が蠢いているような感覚ではないだろうか。気持ち悪くて、すぐにでも排除したいのだが、身体の奥深く、しかも、触ることのできない小さな部分であり、身体全体を貫くという一番大切な部分だけに、余計に気持ち悪さが倍増してしまう。そんな思いを想像しただけで、ゾッとするのであった、

 実の母親と、義理の母親。比較などできるはずもないが、今は義理の母親と一緒に住んでいる。

 そして、目の前にいるのは義理の母親なのだ。

「お義母さん」

 と口ではいうが、文字にしてしまうと、

「義母」

 なのだ。

 そんなことはよく分かっている。

 大人だから分かっているというわけではなく、いつも頭の中にあるから、これだけ考えていれば分かりたくないものであっても分かってしまって当然というものだという考えに則ったものだった。

 咲江の方がどうだろうか?

 彼女は自分の父親に対してどのような感情を抱いているのだろう。

 彼女の実の父親はもうこの世にはいない。恭一とは境遇が違っている。お父さんの面影が残っているかどうか、定かではない。

 ただ咲江を見ていると、

――目を閉じれば、瞼の裏に今も実の父親の面影が残っているのではないか――

 という思いが頭をもたげる。

 それは、恭一が、

――そうであってほしい――

 と思いからで、そうであってほしいのは、咲江という女の子が実に純粋でまっすぐな女の子だということが分かっているからだ。

 そんな女の子であれば、父親のことを忘れないでいてほしいと思うのは、恭一の都合のいい解釈でしかないが、だからこそ、彼女からの慕われる気持ちとは別の依存心のようなものも、一緒に受け入れても構わないという気持ちになっているのではないだろうか。

 そのくせ、恭一は目を閉じても、瞼の裏に母親の面影は残っていない。それはきっと母親はまだこの世にいるという意識があるからなのかも知れない。

――会おうと思えばいつだって会えるんだ――

 と感じるからで、そう思ったのは、咲江という、本当の父親は死んでしまって、もう会うことが二度とできないという人がそばにいるからだろう。

 恭一が想像してしまうと彼女に悪いという思いを抱いてしまうという感覚と、義母への遠慮も一緒にあるのではないだろうか。

 咲江に対して、慕われていることにいとおしいという感情は手放しに喜ばしいことであり、いくら義理であっても、妹ができたということは嬉しかった。しかし、逆に咲江にはどこか病的なところがあり、まるで結核患者のような弱さが見え隠れしている。そこに不安を感じるのだが、その感覚が依存に思えてしまい、思わず彼女を遠ざけてしまうというジレンマを自分の中に表すことになってしまった。

 ジレンマとは矛盾を孕むもののことであり、自分の気持ちに素直になれない時、どうして素直になれないのかを考え、それをジレンマとして矛盾を明らかにしようと考えるのだろう。

 そう思うと、どこか咲江に妖気的なイメージが湧いてきて、自分が妹として本当に咲江を受け入れることができるのかどうか疑問に思えてきた。それは好き嫌いの問題というよりも、彼女に対して恋愛感情を抱かないとも限らない自分が怖いと言えるのだ。

 確かに彼女とは血がつながっているわけではないので、恋愛感情を抱いてもそれは無理もないことで、別に問題があるわけではない。しかし、恋愛何条を抱くことでせっかくこれから築くであろう関係を壊しかねないのも怖かった。

 これから築くであろう関係も、恋愛感情とは違う次元ではあるが、自分にとって大切で捨てがたいものになるはずである。

 恭一は、まだよく分からないこれから抱くかも知れないという正体不明の恋心を今から考える必要などあるであろうか? そもそも恋愛感情とはどんなものなのか、人を好きななったことのない恭一に想像することもできないはずである。

 しかし、一度思ってしまった恋愛感情というキーワード、経験したことがないだけに、余計に気になるというものだ。

 思春期とは、経験したことのないものを想像しては悶々とするという、そんな苛立たしい感情が入り混じった時期でもあるのではないかと思う。それこそ、血管を蠢ている無数の虫を感じているような感覚に、不思議と身体が反応してしまうという、そんな感情である。

 咲江はまだ小学生、オトコの人を、男子として意識することはあっても、恋愛感情などありえないだろう。

――だけど、女性の場合は、男性よりも成長が早いともいうぞ?

 と、まわりの男子から、聞きたくもないのに耳元で囁かれた言葉が頭の中に去来している。

 そんな風にいろいろ考えていて、ふっと我に返って考えた時、思い出すのは、咲江の肉体だった。

 服の上からでも分かる胸の膨らみ、リップでもぬっているのか、ほのかに光を帯びて濡れているかのように見えた柔らかそうな唇。

 何を訴えているのか分からないが、恭一を見つめながら次第に黒目が寄ってきているように見えて、それが不安を感じさせる目に思えてきて、彼女が自分を慕っているというよりも依存しているように見えるその感覚。思春期でなければ感じることのできない感情なのだろうと、恭一は思っていた。

 その日のことは、まるで夢であったかのように思えた。自分の父親が再婚するなどということは誰にも言わなかった。もし言ったとすれば、まわりは好奇の目で自分を見て、いろいろ質問を浴びせてくるだろう。そしてあれやこれや、こちらの思いもよらぬような想像を巡らせて、

「知らぬが仏」

 とでもいうべき内容を、勝手に想像されているのではないかと気を病んでしまうに違いない。

 それを思うと余計なことを考えないようにしようと思い、逆にそれが、自分の中で悶々とした思いにさせてしまうだろうから、決して自分の父親が再婚するなど、言えたことではなかった。

 恭一は咲江ばかりを意識しているように書いてきたは、実は母親になるはずの道子さんのことも気にしていた。

――あの人は大人のオンナなんだ――

 と自分に言い聞かせてきたが、いまだに道子さんを直視できないでいる。

「あいつは恥ずかしがり屋なんだ」

 と父親は道子さんに話していたが、そうではないことはあの父親だったら分かっているだろう。

 時々、恭一をライバル視するかのような目線を送ることがある。

――なんとも大人げない――

 と言えるが、その感情があるからこそ、恭一が咲江に興味を持つことを喜んでいるかも知れないとも思えた。

 ただ、この思いが甘かったことを、少ししてから知ることになるが、父親がまさかここまでの人間だったとは思ってもみなかったのだ。

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