4月9日(水) 午後ー③
その日の夜。
私は寮を抜け出して、中庭で夜風を浴びていた。中庭は昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っていて、ただ花々だけが私を見ていた。
少しすると、背後から誰かの足音が聞こえた。振り返ると、そこに立っていたのは私の知らない生徒であった。だが、顔は変わろうが私を呼ぶ声は変わらず、誰なのかはすぐ察することが出来た。
「お久しぶりです、妹様」
「無理を言って悪かったわね、ファルジュ。兄さまは元気?」
「今はメイ・ユダローレルですよ。マーガレット様」
彼女はファルジュ・ムスタコラン。現在第一王子の護衛をしている兄、ヴィンセントの元で諜報員を行っており、今回は無理を言って聖女の調査と護衛のため協力してもらっていた。
彼女は近くから聖女を観察・護衛するために、元々カルフェン様から協力を依頼されていたセブルス先生に話を通し、彼の姪として学園に入学していたのだ。
「それにしても、セブルス先生の姪という設定だから名前がメイって、捻りがなさ過ぎないかしら?」
「ええ~?おじさんはいいって言ってくれたよ?」
そう言いながら彼女は笑顔を浮かべ、中庭のベンチに腰を下ろす。
私もそれに倣いベンチに腰を下ろすと、前触れもなく抱き着かれた。
「ウフフフフ。久しぶりに嗅ぐ妹様のかほり……」
「いつものことながら、その趣味は何とかした方がよいかと」
「聖女様もいい香りでしたよー」
消臭用の香水を使っているにもかかわらず、私の匂いを嗅いで恍惚とした顔を見せる彼女に対し、私は嫌な顔をしながらも引き離すことは出来なかった。
どれだけ気持ちの悪いものだとしても、彼女はこの人並外れた鼻の良さで、諜報員としてリコリスネーロ家に仕えているのだ。
それに彼女は、小さい頃はよく遊んでくれた姉のような存在なのだ。今思い返すと、視線を始めおかしな点はたくさんあったが、それでも邪険にはしたくなかった。
私は抱き着かれたまま、密会の主題を切り出した。
「それで、その聖女については?ちゃんと友人になったのでしょう」
「ええ。というか、友人でもない女性の匂いを勝手に嗅ぐなんて、犯罪ですわよ?」
「あなたがそれを言いますか……」
私が呆れ顔を向けてもファルジュが笑みを崩すことはなく、そのまま報告へと入った。
「性格は善良で真面目。ただし田舎生まれ故の世間知らず。しかし嘘や暴力といった暗いものには慣れていると感じました。なんともちぐはぐですが、見た目は妹様も見た通り、とっても可愛らしいですよね!」
「私も同じように感じたわ。追加して、殿下とは別方向で人に迷惑をかけるような……」
自分で口にしたことではあるが、私にかかるであろう負担を考えて、また気分が重くなってしまう。だが、今は落ち込んでいる時間ではないと頭を振ってそれを追い出し、気になることを口に出した。
「一つ、彼女から重要なことを聞かされたのだけど、あなたは?」
「友人として仲良くなったとは思いますが、そういうことはなかったですね。妹様はなにか?」
「ええ、ちょっとね」
「まさか、交渉を戦闘と勘違いしている妹様に、フレンドリーさで負けるとは……!」
「兄さまの部下だからって調子に乗ってないかしら、あなた」
そうして拳を振り上げようとし、やはり暴力かとファルジュがにやにやと笑う。
このまま殴ると更に煽られると感じて、なんとか感情を押さえつけ、わざとらしく咳してから会話を再開させる。
「あなたが聞かされていないのならば、私から話すことは出来ません。一度父上に報告してからね」
「そんなー。どこを調べればわかります?」
「教会を調べれば手がかりはあるかと」
「ああ、なるほど。それは御当主様に確認が必要ですね」
教会は唯一貴族とは別に権力を持つ、王族ですら容易に手を出せない存在。彼女もそれを理解して、それ以上追及してくることはなかった。
「それ以外になにか確認はありますか?」
反射的に何もないと答えようとしたが、一つ言わなければならないことがあった。答えによっては彼女を担当から外さねばならないと思いながら、その問いを口にする。
「あなたから見て、セシリアは聖女ですか。それとも、守るべき民ですか?」
その問いに、ファルジュは初めて笑みを隠し、ベンチから立ち上がって私の前に跪いて答える。
「我らに神の加護も、聖女の祈りも必要ありません。それに、可愛い女の子は誰であろうと守りますよ」
姿勢を変えず、ニッと笑顔を浮かべる彼女に、私はまたため息をついて返す。
「最後の一言さえなければ、完璧なんだけど……」
「嫌ですわ。私はただ、悲しい思いをする女性を減らしたいだけですのに。そう、婚約破棄された可哀そうな女性とか……」
なにやら熱い視線を送ってくるファルジュを無視して、私は真面目な顔で彼女に宣誓する。
「私はセシリアを、巻き込まれた憐れな民だと判断しました。私はそのように動きます」
「ええ、マーガレット様の思うが儘に」
ファルジュもまた、私の誓いを一も二もなく肯定してくれる。
風に揺れる中庭の花も私を祝福してくれるように感じ、二人笑顔を浮かべ歩き出した。
「ねえ、一つ聞きたいんだけど、学生に戻るってどんな気持ち?確かあなたの子供も来年……」
「それ以上言ったら妹様でも許しませんよ」
「と、言うことで、こちらが本日セシリアちゃんにすげなく振られ、愚かにも復讐の計画を立てていた愚か者でございます!」
「なんだ貴様らは!この俺をソドム・ネグロコランと知っての狼藉か!」
私たちは今覆面を付け、男子寮の部屋の一つを訪れていた。
二人部屋なはずのここは、何故かもう一人の生徒の姿はなく、元からあった家具類はすべてが一人用に変えられていた。
一体いつ用意したのか、絨毯までもが豪華なものに変えられていて、彼が初日から好き放題やっているのが読み取れた。
ただ現在部屋の主は芋虫のように縛られ、その柔らかい絨毯の上に転がされている。
見栄と傲慢さに満ちたその男の愚かな姿に思わず声が漏れた。
「北の重鎮とも呼ばれるかの伯爵家に、こんな愚か者がいるとはね」
「愚か愚か言い過ぎだろうが、貴様らぁ!」
下から怒鳴り声が飛んでくるが、無視して部屋を漁っていく。使用人が苦労して整えたのであろう部屋を荒らすのは、少しだけ心が痛かった。
「そう言えば、何か企んでるって気づいたのはどうして?」
「いや、そいつ廊下で復讐だ!とか叫んでたんで、何かするのかなーと思って付けてたら、そう言う筋の奴らと話してたんですよ」
「杜撰にもほどがあるわ……」
実際、部屋のクローゼットなどからは、何枚もの借用書や学園に持ち込みを禁止されている魔道具など、何かを企んでいたことが読み取れる品々が見つかった。
それらを一度、これまた豪華なテーブルの上で整理していく。
「よくもまあ半日程度でこんなに用意できたわね。ま、腐っても伯爵家か」
「これで何をしようとしてたのかよくわかりますねー」
「貴様ら!今すぐこの部屋から出ていけ!そもそもどうやって入った!」
なおも無視してその品々を一つ一つ確認していく。ちなみにどうやって部屋に入ったのかというと、寮長に事情を話して鍵を貸してもらっただけだ。
催淫や隠遁の効果を持つ魔道具に、裏社会と交わされている契約書。契約書には要人の誘拐と書かれており、明らかに悪意をもって集められた品々であった。
「こんなものまで用意していたなんて、バレたら法務省も動きそうね」
もしこれが我々ではなく国の警邏に見つかっていれば、彼が犯罪者となるのは想像に難くない。最も、そうしないために来たのだが。
「そんなもの、貴様らがでっち上げた偽物だろう!」
「おお、流石に誤魔化す知恵はありましたか」
ファルジュがソドムを煽るように書類を目の前でヒラヒラと見せつける。彼もイラついたようにこちらを睨んでくるが、我々はそのような視線には慣れている。
ある程度煽って気が済んだのか、ファルジュが立ち上がり私に決断を迫る。
「それで、いかがいたします?」
「こういう貴族も珍しくないのよねー。だからこそ、私たちが必要なんだけど」
「さっきから何を言っている!よほどひどい目に会いたいと見たぞ、女!」
「縛られながら言われてもねえ」
私は床に這いずるソドムを見下しながら、判決を告げる。
「執行対象ですわ。ランクはC。しばらく実家で大人しくしていてもらいましょう」
「承知です!そのように手配いたしますね!」
これがリコリスネーロの仕事。行き過ぎた貴族を断罪すること。国の世話にはなってはいけない、または国で対処できないものに対応する家。
また、我々の中にそう言った者が現れようと、他の血族がその者を止める。例え命を奪うことになっても。
それで言うと、今回のCランクは「対象への傷害未遂、または計画」といったもので、罪のレベルとしては低いものだ。
もしこの計画がすでに実行に移されていて、傷害ではなく殺害であればBにもAにも上がる可能性もあった。
全く話を聞かない我々に恐れをなしたのか、彼は震えた声で叫んだ。
「なんなんだ……。お前らは何者なのだ!」
その言葉を聞いたファルジュが急にテンションをあげ、目を輝かせて答える。
「誰何の声には答えましょうとも!」
彼女は急に手に持った書類を投げ出し、まるで演劇のようにかっこつけたポーズを取る。
「我々は貴族の首輪、貴族の手錠、貴族の足枷。我々は貴族に礼節と責務を強いるもの」
「は?」
ソドムの口から音が漏れた。彼女はそれを意に介さず、今度はテーブルの上に乗り、踊るようにポーズを変えていく。
「あなたは礼節を欠いた。なればこそ、あなたの元に黒い華が咲く……」
部屋の中に静寂が流れ、先ほどまでの得体の知れない雰囲気はどこかに行ってしまった。
私は何とか気を取り直し、ファルジュの頭を軽く叩く。
「いや、あなた。急に何を言っているのよ」
「え?かっこよくありませんでした?」
「どちらかというと困惑の方が多いけれど……。どうするのよこの空気」
先ほどまで怒り狂っていたソドムもポカンと口を開けて呆けてしまっている。どうして私の周りの人間はこんなのばかりなのかと、私は一つ溜息をついた。
「まあいいわ。あながち間違いでもないし」
場の雰囲気を取り戻すためにも、私はソドムの方を向き、顔につけた覆面を勢いよく脱ぎ捨てる。
すると彼は先ほどまでの威勢が嘘だったかのように、青い顔で震え始めた。
「お前は、リコリスネーロの!まさか……!」
「リコリスネーロは彼岸花。悪人を送る黒い華。だから私はここにきたの」
「いったい何を」
動けないソドムに手を向け、痛みのないように気を付けながら魔術で意識を飛ばす。
「黒華(こっか)の名を持つ家は貴族を裁く。あなたも、噂程度は聞いたことあるでしょう」
リコリスネーロは貴族を裏で操っている。それは王都の貴族の間で最も流れているはずの噂。
これにより彼のような暗い感情を持った人間を牽制し、また、爆発したときに我々が矛先となれるよう情報操作を行っている。
最も王都がリコリスネーロの担当というだけで、他の黒を抱く家々も各地で同じようなことをしているはずだが。
「愚痴程度に留めておけば私たちが動くこともなかった。屈辱を味合わせたいなら、正面から対抗する方法もあった」
その言葉は彼にはもう届いていない。
「貴族ならば勝ってこそ。激情に駆られて動いても、あなたのためにはならないわ」
私が手を振り合図を出すと、どこからともなく現れた黒衣に身を包んだ人物が、縛られたままのソドムを担ぎ上げる。更に別の黒衣の人物が証拠品をリュックに詰めていく。
「では身柄と証拠は彼の家に。これで今日の
二人は無言で頷き、そのまま部屋を後にする。
それを見送っていると、ファルジュが後ろから抱き着いてきた。
「夜更かしはお肌の敵ですから。早く帰りましょう!」
「ええ、そうね。忘れ物は無いようにね」
そう姦しくはしゃぐ彼女らの足元には、ソドムが雇ったはずの用心棒、
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