生と死のジレンマ

森本 晃次

第1話 プロローグ

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。


 時は昭和初期の頃、時代は動乱を極めていた。軍部の力は強大で、政府の力を凌駕していた。明治には大きな戦争に勝利した日本軍はその実力をいかんなく発揮し、大陸での進出遅れを取り戻すべく、朝鮮、満州での権益を着々と固めていく。

 ただ、その道のりは決して平坦ではなかった。中国による反日運動、さらに欧米列強を刺激しないように行動も制限された中での工作は、決して簡単なものではなかったに違いない。

 大正時代に起こった最初の世界大戦では特需によって潤った日本経済であったが、そののちに起こった震災や、昭和に入ってからの経済恐慌などが尾を引いて、軍部内部でのクーデターや暗殺事件などが多発し、治安維持が機能しなくなっていた。

 日本はその対策として、満州で事変を起こし、満州を日本の勢力下に置いた。満州を勢力下に置く理由はいくつかあるが、一つは仮想敵であるソ連の存在だった。ソ連が満州に対して野心があるのは分かっていたし、満州がソ連の侵略を受けると、当時すでに併合し日本国の一部となっていた朝鮮の権益も危なくなる。そのための満州進出であった。

 だが、本来の満州進出への意味は、それだけではなかった。ソ連の脅威はもちろんリアルではあったが、それよりもひっ迫している問題が、日本国内にあったのだ。

 それはいわゆる、

「人口問題」

 であった。

 資源が圧倒的に少なく。国土の狭い日本では、当時の日本人船体を養っていくのは無理があった。日本の国土の四倍ともいわれる満州に侵攻し、満州への移民を増やすことで、資源開発と人口問題という二つを一気に解決するという方法を目論んだ。

 さらに当時の満州は日本国民に対して、土地を売ったり課したりすると、重罪となる法律が中国にはあったので、そんな迫害から居留民を保護しなければいけないという観点からも、満州侵攻は必要だったのだ。

 日露戦争にて得た権益の中で、満州鉄道とその周辺への利権があったが、治安のために設けられたのが、いわゆる

「関東軍」

 である。

 当時から関東軍は、

「天下無敵」

 という触れ込みもあり、関東軍がバックにいてくれるのであれば安心ということで、日本から多くの移民が満州に渡った。

 満州には、鮮度は別にして、石油、石炭などの地下資源が豊富にあり、重工業を営むには必要な土地だった。軍部としても満州進出は死活問題でもあったのだ。

 世界があっと驚くような電光石火作戦で、半年ほどで満州全土を占領した関東軍は、清朝最後の皇帝であった「愛新覚羅溥儀」を擁立し、執政として国家元首に据えて、満州国の建国を宣言させた。

 満州国は朝鮮とは違い独立国という建前だった。実際には傀儡国家であったが、外見的には植民地ではなかった。

 ただ、満州国を建国した背景として、満州国を他国に承認させ、国境を確立し、日本とともに発展させればよかった。満州国の建国スローガンとしては二つあり、一つは

「王道楽土」

 である。

 つまりは天皇をあがめる日本という国の庇護を受け、極楽のような土地を求めるという、移民に対してのスローガンであった。

 もう一つは、

「五族協和」

 というもので、漢民族、満州民族、朝鮮民族、日本民族、モンゴル民族という五つの民族がともに暮らしていける土地を築くというもので、これは対外的なスローガンであった。

 ここに日本国の、いや関東軍の考えがあった。

 満州事変を画策した人の中で参謀課長として石原莞爾という軍人がいる。彼は独特の考えを持っていて、それは日蓮宗からの考えのようなのだが、

「世界最終戦争論」

 という発想があった。

 それは、世界の今後の動向としては、それぞれの大陸の代表国が争って、勝ち抜いてきて最後に残った二国で最終戦争が行われ、それに勝利した暁には、その国を中心に恒久平和が訪れるという考えであった。

 ヨーロッパは第一次大戦で疲弊している。ソ連も革命から後、粛清が行われ、国力は万全ではない。アフリカは論外で、後はアジアとアメリカだが、アジアの代表としての日本と、アメリカ大陸の代表としてのアメリカが最終戦争を戦って、日本が勝利するというシナリオを抱いていたのだ。

 そのためには、まずまだ強固になっていないソ連を封じ込めることが大切で、満州を中心に日本は資源を蓄え、来たるべく最終戦争に備える必要があると思っていたのだ。

 しかし、彼の思いとは裏腹に、日本は中国本土に侵攻し、戦禍を拡大させてしまった。しかも、日本国内では陸軍の勢力争いが元で、統帥権を盾に、軍部が絶対的な権力を握り、石原莞爾の構想は完全に崩れてしまった。

 そのため日本は、泥沼の日華次元に突入し、欧米列強から海上封鎖などの経済封鎖によって、窮地に陥り、決定的な大東亜戦争を引き起こすことになったのだ。

 そんな時代背景の中、昭和十五年に召集令状、いわゆる「赤紙」を受け取り、中国大陸進出予備軍として編成された軍から、数か月の訓練ののちに派遣された。

 想像以上の大陸での戦争の激しさを知った彼だったが、昭和十五年の末頃に戦闘で足に負傷を負い、国内に送還された。しばらく陸軍病院で治療を受けていたが、治癒に対しては芳しくなかった。退院はできたが、軍に戻るまでの回復はしていない。日常生活にも支障をきたしている状況なので、しばらくは静養を必要とされた。

 そうこうしているうちに、国内は、

「欧米を打つべし」

 という風潮が高まっていった。

 政府としては、戦争か和平かでギリギリの外交を展開していた時期のことである。

 だが、彼の思惑とは裏腹に、時代の速度は猶予を許さなかった。国民感情は完全に戦争を欲していて、政府もアメリカの最後通牒に諦めを感じたのか、戦争への道が確立してしまった。昭和十六年の終わりころのことである。

 実際に戦争になると、連戦連勝、

「さすが天下無敵の日本軍」

 ということで国民は狂喜乱舞していた。

 だが、政府としては国が空襲に遭うという発想が最初からなかったわけではない。日華事変の始まった頃くらいから、国土を守るという考えから、いろいろな発想が生まれていた。特に日本家屋は木造建築が多いので、火がついたら消すのが困難である。火が回った時にどのように逃げるか、あるいは消火の方法なども研究されてきたが、何分まだ空襲がなかったので、ピンとこなかったのも無理のないことだろう。

 日本軍が連戦連勝だった頃、アメリカとしても起死回生を狙って、本土空襲作戦が立てられた。いわゆる、

「ドゥーリットル爆撃」

 と呼ばれる空襲で、太平洋上の空母から、

「B―25」

 という爆撃機が十六機、日本へ飛来し、帝都空襲を行ったのだ。

 被害としては大したことはなかったが、慌てたのは軍部であった。いずれ空襲があるとは思っていたが、まだ日本軍が連戦連勝の時期に、間隙を突くかたちで行われた空襲に焦りすらあっただろう。

 その思いがあり、日本軍は

「ミッドウェイ攻略作戦」

 を計画した。

 ミッドウェイ島攻略もさることながら、真珠湾で取り逃がした空母をおびき寄せて叩き潰すという起死回生の作戦を立てたのだ。

 これがそもそもの間違いで、暗号文をほとんどアメリカに解読されていたことで、裸状態にされていた日本軍は、戦闘中にさえ瞬時の判断をいくつも誤り、結局、自慢でもあるが虎の子でもあった主力空母を四隻も失うという大失態を演じたのだ。

 ただ、問題はそれだけではなかった。空母が沈められたということは、そこに乗り込んでいた熟練のパイロットを多数失うということである。日本海軍にとって必殺だった「機動部隊」は、空母からの航空兵力を元にするものだったので、母艦はおろか航空兵力になる航空機、さらにそれを操縦するべき熟練パイロットを失ったのは大きかった。

 極論でいえば、空母や航空機は再度作ればいいが、熟練パイロットを養成するには、かなりの時間が掛かる。それまで待ってくれないのが戦争であり、日本軍がこの後、敗退につぐ敗退を繰り返すのは、それが原因だったと言っても過言ではないだろう。

 その後の戦争は、作戦らしい作戦が成功した試しはなく、防戦一方だった。何よりも制海権も制空権もなく、孤立してしまった最前線に、いくら兵力を送っても、待ち伏せされて攻撃されれば、防ぐ手立てもない日本軍輸送船団は、援軍とともに太平洋に沈むほかなかったのである。

 泥沼に入ってきた最前線では、あらかじめ決められていた、

「生きて虜囚の辱めを受けず」

 という戦陣訓を忠実に守り、捕虜になることを恥ずかしいと感じ、手榴弾での自殺、あるいは集団自決である「玉砕」というやり方で、最後を迎えるしかなくなっていた。

 すでに戦略的作戦を立てられなくなった日本軍は、生身の人間を武器として扱う「神風特攻隊」や「人間魚雷回天」などと言った特攻作戦を行うしか、もはや道がなくなってしまった。

「神の国」

 として教育を受けた日本だからこそできる作戦であった。

 だが、サイパンなどのアリアナ諸島が米国の支配下に落ちると、すでに日本の運命は決まっていた。つまりアリアナ諸島からであれば、長距離爆撃機の航続距離から計算すれば、日本本土の狩猟都市すべてが爆撃範囲内に入るからだった。

 実際に、アリアナ諸島から飛び立った爆撃機は、連日のように日本の主要都市に対し、無差別爆撃を繰り返した。

 しかも、爆撃には通常爆弾だけではなく、市中を焼き尽くす、ナパームと呼ばれる焼夷弾が使われ、一度火がついたら、消火することなどできなかった。日本で住民の訓練として行われていた「バケツリレー」など、まったく効果はなかったのだ。

 それでも日本人は空襲を最小限に食い止めるための工夫を行っていた。各所に掘られた「防空壕」などもそうであるが、火事になった時にまわりに燃え広がらないようにするための、いわゆる

「建物疎開」

 というものも毎日のように行われていたのである。

 ただ、それもどこまで効果があったのかは疑問である。なぜなら米軍の爆撃機は列挙して押し寄せ、爆弾や焼夷弾を雨あられと降り注ぐのである。下では逃げ惑う住民、防空壕でじっと耐える住民、さまざまだったことだろう。

 また、空襲に際して行われていたこととして、

「灯火管制」

 というのもあった。

 これは、空襲警報が発令されると、部屋の電気を消し、少しでも爆撃機からの目標をあやふやにしようというものであった。これも無差別爆撃にどれほどの効果があったのかも疑問であるだろう。

 他には、窓ガラスにまるで「?」のようにテープを張っていた。これは爆弾がさく裂した時、ガラスが粉々に砕けて、人に刺さるという被害を最小限に食い止める工夫だった。灯火管制よりも、この方が効果としてはあったのかも知れない。

 そういう意味で、日本は空襲に対して事前に対処を取るように訓練されていたり、準備もされていたが、圧倒的な破壊力での空襲には歯が立たなかったことだろう。

 結局、終戦までの一年ほどで、主要な大都市はほとんどが焼け野原になってしまい、焦土と化した国家を憂いた天皇が、自らの英断で、戦争を終わらせたのであった。

 だが、天皇が戦争を終わらせると言っても、結局は軍部の一部は納得が行かなかったようだ。

 宮中事件というものを引き起こし、最後の抵抗を試みたが、それが失敗に終わり、戦争はそこで完全に継続不能となってしまった。連合国の「無条件降伏」を受け入れた日本はそのまま降伏し、日本本土はもちろん、満州国を中心とした大陸へ渡った人も占領軍によって拉致されたり、強制労働を強いられたりと、屈辱的な状態になったことは、歴史の証拠として残っているのだ。

 その後、民主国家として生まれ変わった日本だが、そこにはアメリカをはじめとする国の思惑が働いていることは周知のことであるが、それまでの大日本帝国という時代を、

「悪い歴史だった」

 として一刀両断とするのはいかがなものかと考えるのは筆者だけであろうか。

 そんな時代を負の歴史として片づけるのは簡単であるが、

「そんな時代に生きていた人もいて、そんな人々はひょっとすると今の時代よりも真剣に、そして必死に生きていた」

 と言えるのではないだろうか。

 急激に歴史が変わった背景に、戦後の混乱があったことと、アメリカの思惑などが絡まって、今の日本人にはまったく理解できない時代だったのかも知れない。

 そんな時代の一人一人の心境を、今の時代の自分がここで書くのは当時の人への冒涜なのかも知れない。なるべく、心境に触れることなく、事実、あるいは事実として伝えられていることを冷静に書いていきたいと思っているが、人間なので感情移入が無意識にでも入ってしまっていれば、そこはご容赦願いたい。


 時としては昭和二十年の春、いよいよ本土空襲が本格化し、毎日のように空襲警報に悩まされるようになったからのことだった。

 最初に空襲警報が鳴った時のことは、生き残った人にはセンセーショナルな思い出として残っていることだろう。軍事訓練として日課のようにやってきた経験を生かして冷静に行動するべきなのだろうが、実際に警報が鳴ると、そうもいかない。

 しかも、自分だけの問題ではなく、まわりがパニックになると、自分もいくら平静でいないといけないと思っていても、そうもいかないのが人間というものではないだろうか。

「ウーーー」

 その響きは鳴り始めてから耳に慣れてくるはずだから、音が次第に静かになりそうなものだったが、最初に聞いた時には、その音が次第に大きくなってくるような錯覚に陥っていた。襲い掛かってくる恐怖を空襲警報が代弁していると思うからなのか、それとも目に見えぬ何かが自分を押さえつけているという思いがあったからなのか、その時の恐怖を表現するすべを知らなかった。

 H県K市というと、後ろは連山、前は海という済むには限られた場所であったが、昔から貿易港として栄えていて、外国人の移民も多い、そんな中、海軍の造船場も近くにあるので、住民の居住都市としても、軍需都市としても、戦略爆撃には欠かせない標的だった。毎日のような空襲も致し方ないのだろうが、最初の頃のような混乱も収まってきて、被害は少しずつ減少傾向にあった。

 もっとも、都市の半分近くは焼失していて、建物疎開をするまでもなく、歯抜け状態になっているので、燃え広がることもさほどなくなっていた。しかも市民も空襲に慣れてきて、防空壕迄の避難も混乱なく行われているので、爆弾による直撃でもなければ、防空壕で何とかやり過ごすこともできた。

 それでも悲惨なのには変わりなく、学校の運動場などには、入り切れないほどの死体が置かれていて、火葬も間に合わないほどであった。それでも国は、

「一億総火の玉だ」

 などと寝言のようなことを言っている。

「竹槍やバケツリレーなど何の役に立つというのか」

 と言いたいのはやまやまだが、言ったら最後、憲兵に連れていかれて、拷問を受けるのを覚悟しなければならない。

 政府や軍が戦争にならないように努力していた時、戦争機運を煽ったのは、国民であり、マスコミだった。そういう意味でのマスコミの罪は重いだろう。しかも、選挙区が厳しくなってからは政府による報道管制が敷かれ、政府のいいなりの報道しかできないのだから、最大の先般はマスコミなのかも知れないという意見も、まんざら信憑性のないものとは言えないだろう。

 前述の昭和十五年に召集され、大きな負傷を負い、送還された男は、ちょうど、この土地に住んでいた。

 彼の名前は矢久保隆二という。

 彼は、その土地に生まれ育ったわけではないが、けがを負ってもう戦地に戻ることは困難となったので、この街に流れ着いて、海軍造船所で、軍需の仕事に従事していた。まだ不自由な身体だったので、通院は欠かさずに行っていたが、空襲が激しくなると、通院も軍需もままならなくなってきた。

 矢久保は一人で暮らしていたのだが、家族は田舎にいた。

「いつでも帰ってきてもいい」

 と言われていたが。帰る気はサラサラなかった。

 田舎に帰ったとしても、優しい言葉を掛けられることはない。この時、

「いつでも帰ってこい」

 というのはあくまでも社交辞令であり、矢久保が帰ってくるわけはないという思いがあるから、平気でそんな戯言が言えるのだ。

 帰ったら最後、隔離されるがごとく、外出もままならず、

「お前のようなハンパ者は世間様の笑いものだ」

 と言われるだけだった。

 さらに、身体が悪いと言っても、結局はこき使われる。

「どうせ、どこも痛くはないんだろう」

 と言われて、彼の人格はおろか、人間として扱われないに決まっている。

 矢久保はそんな環境の元に育った。

 高等小学校を出てから、中学に入ることもできず、働きに出された。いわゆる丁稚奉公のようなものである。

 時代は世界恐慌の時代で、田舎の暮らしでひどいところは、娘がいれば、娘を売らなければその日の生活もできなかったくらいの時代であった。矢久保のような男の子であれば、丁稚奉公に出されることも、倒れるまで働かされることもどこにでもある事例であった。

 特に矢久保家はその傾向が強く、両親ともに血も涙もないと言われるほどの性格で、その最たる例が、決してまわりを信じようとしないところであった。

「騙されるのは、騙される方が悪い」

 と言わんばかりで、

「騙されるくらいなら、騙した方がよっぽどいい」

 というほどに、モラルなどの欠片もない家族だったのだ。

 そんな家族に育てられたからなのか、家族の遺伝子をそのまま受け継いだのか、モラルという意味では矢久保もかなり欠如していた。

 子供の頃の趣味はというと、

「昆虫採集だ」

 と答えるだろう。

 珍しい昆虫や、綺麗な蝶々のような昆虫を集めてきて、生きたまま串刺しにして、箱の中に収める。彼の感性としては、綺麗なものも、グロテスクなものも、感覚としては同じだった。要するに、

「芸術的に演出して、綺麗なものはより綺麗に、グロテスクなものはよりグロテスクに仕上がれば、それでいいのだ」

 というものだった。

 小学生のクラスメイトは、皆そんな彼を気持ち悪がっていた。

「お前、どっかおかしいんじゃないか?」

 と言われていたが、矢久保はまわりからのどんな批判であっても、反論を唱えるようなことはしない。

 ただ言われたことを黙って聞くだけで、何を考えているのか分からないところが、まわりの人間に対して、

「何て気持ち悪いやつだ」

 と言わしめるだけだった。

 最初こそ彼は一人でこっそりと昆虫採集をしていたが、そのうちに教室の中でもやるようになった。それを見た生徒のほとんどは、ゾッとした気持ちになったことだろう。

 最初の頃こそ、皆自分たちの遊びに夢中で他人のことなど気にもしていなかったが、さすがに一人で籠って黙々と何かをしている様子を無視するのは難しくなった。

「何が気持ち悪いって、あいつは時々ニンマリとした表情になるんだ。その時の顔っていうと、まるで妖怪のように、耳元から口が裂けているように見えるくらいの恐ろしさなんだ」

 一言で言うと、

「道化師のようだ」

 と言った子がいたが、その言葉を聞いて皆。心の中で、

「そうだそうだ」

 と呟いたが、声に出した人はいなかった。

 声に出すことが恐ろしい。それほどの気持ち悪さをまさか皆小学生で味わうことになるなど思ってもみなかっただろう。

 気持ち悪がっていたのは生徒だけではない。先生のほとんども彼を気持ち悪がっていた。下手に説教などしようものなら、じっと黙って下を向いて聞いているが、説教している先生が言葉に詰まった瞬間、顔を挙げて、例のニンマリした表情を浮かべる。これほどの恐ろしさを先生も感じたことはなかっただろう。

「ぐっしょりと背中に汗が滲んだ」

 と言っていた先生もいたが、まさにその通りだと、他の先生も考えた。

 ただ、当時はそんなおかしな子も稀ではあったが、いるのはいたと言われている。動乱の時代であり、震災や強硬で参ってしまっている世情が生み出した悪魔のような子供、

「社会が悪い」

 という言葉だけで片づけられるものではないだろうが、少なくとも矢久保家の場合は、社会が生み出した環境に、持って生まれた親からの遺伝が影響してか、末恐ろしい悪魔のような子供が生まれたと言っても過言ではないかも知れない。

「俺って、いったい何なんだろう?」

 一度は自分のことをそう思う時が普通の人ならあるのだろうが、矢久保少年に限っていえば、そんなことはないのではないかと思われた。

 それほど彼は冷徹であり、冷酷であり、性格を表す時、「冷」という言葉が必ず入る人物なのだろう。

 そんな彼が思春期になった頃、父親は外地によく赴くようになり、家を空けることが多かった。そのおかげで彼の家は当時としては裕福な家庭として君臨できたのだが、相変わらず世間と打ち解けることもなく、アンモラルな家庭としてまわりからも相手にされていなかった。

 そんな矢久保をオトコにしたのは、何と母親だった。モラルの欠片もない母親だったこともあって、成長した息子は母親にとって、

「快楽を与えてくれる一匹の獣」

 に過ぎなかった。

 そこに愛情があるわけでもない。ただ性欲を貪りだけのケダモノと化した母親は、ただ快楽のためだけに息子を求めた。

 息子の方も、元々モラルなど持ち合わせているわけでもない。相手がたまたま母親だったというだけで、貞操観念はおろか、近親間であろうが何であろうが、相手が望むことだからと、拒むことはなかった。

 そのうちに、背徳感に溺れる母親と、まるで新しいおもちゃを得たというような新鮮な気持ちになった息子との間で禁断の、そして見せかけの性愛が繰り広げられる。鬼畜にも似た愛欲は、道徳観念などまったくない世界の中で、二匹のケダモノが貪るようにただ、相手を求めるだけだった。

 これは、経験したことのない人でないと味わうことのできない快感であろう。息子は今まで母親に愛情など感じたことはない。もちろんそれは親子愛のことであるが、身体を重ねたからと言って、今度は男女の間の愛情が芽生えたわけでもない。本能の赴くままに相手を求める行為は、矢久保の中では「正義」だった。これまで愛情を感じたことのない相手に快楽を与えてもらえるなど、想像もしていなかったからである。

 矢久保とすれば、母親が何を考えて自分を求めているかなど考えるつもりはなかった。本能に従うことが自分の正義だと思っているのだから、相手の気持ちなど関係ないのだ。母親の方も、相手を息子として見ているわけではない。いくらモラルが欠如しているとはいえ、普通の精神状態なら、息子に手を出すなどありえないことだという理屈は、母親にはあった。そういう意味ではまだ母親の方がモラルとしてはあったのかも知れないが、

「モラルを破ることも快感の一つ」

 という思いがあることから、たちは悪い。

 いわゆる、

「確信犯」

 であった。

 息子の方はモラルという言葉すら関心がない。両親ともにモラルの欠如の遺伝子を持った相手から生まれたことで、彼は快楽を受け入れた。ただの快楽だけではひょっとして疑問を抱くこともあったかも知れないが、その快楽の中に、

「癒し」

 を見つけてしまったのだ。

 他の女性に見つけた癒しであればいいのだが、自分の母親に癒しを見つけてしまうと、それが自分にとっての「母性愛」であった。

 母性愛など感じたことのなかったはずの矢久保だったが、癒しを感じた時、

――何か懐かしさを感じる――

 と思ったのだが、それをどこで感じたのかというと、まだ生れ落ちる前の母体の中だったとすれば、これは悲しく切ない思い出ということになるであろうか。

 癒しに母性愛という今まで感じたことがなかったが、本当は一番欲しかったものを一気に手に入れたのだから、これ以上有頂天になることはない。しかも、ただでさえ性欲が芽生える思春期に訪れた刺激と快感、手放すことなどできようはずがなかった。

 母親も、きっと自分の体内にいた時の息子を意識しているのかも知れない。最初は好奇心から軽い気持ちで誘惑した息子だったが、まるでミイラ取りがミイラになってしまったかのように、母親も息子に溺れてしまっていた。毎日のように、いや、目を合わせれば気付くとお互いが求めていて、快楽の赴くまま、矢久保は母親の身体に粘着力の強い体液をぶちまけるのだった。

 二匹の野獣は、行為に及んでいる間というのは、まさに、

「野獣の叫び」

 であった。

 甘い吐息など二人の間には存在しない。他の人が見れば吐き気や嘔吐しか誘わないような光景は、二人だけの世界でしか成り立たないものである。もしこの世にいくつかの地獄が存在するとするならば、この二人の行為は、十分地獄として認識できるものではないだろうか。

「神も仏もない」

 と、言わしめるに違いない。

 十歳代前半で貞操観念のない性生活を送っていた矢久保は、熟した母親の肉体に溺れていた。だが、心は許したわけではない。むしろ母親という人間に対しては憎しみを抱いていたのだ。

 母親も似たようなものだった。息子に手を出したとはいえ、息子を溺愛する母親とはほど遠く、目の前に現れた、

「新鮮な肉体」

 に興味を抱き、悪戯心半分に手を出したのだ。

 だが、さすがに親子、肉体の愛称はバッチリだったのだろう。母親は息子の肉体にドップリと浸かってしまった。息子の方は、まだ母親しか知らないこともあり、しかも母親の執着に彼自身も離れられなくなった。二人の粘着度は他の人の比ではなく、生まれついての性欲の強さがお互いを離れられないものにしていた。

 矢久保は母親と最初に身体を重ねた時は、それほどでもなかったが、オンナの身体をしることで、彼の中にある天性の何かが目を覚ましたのか、誰が見ても惚れ惚れするような美少年になっていた。

 まわりの視線に粘着を感じた矢久保であったが、母親の粘着とは違ったものがあり、恐怖すら感じていた。彼には貞操観念もモラルも欠けていたが、恐怖心を抱くという感覚は他の人に比べて激しかった。

 やはり他の人と違うものを持っていると、どこかに恐怖心が芽生えてくるもののようで、そのおかげで他の女性に目を向けることはなくなっていた。

 だが、どんなに粘着があったとしても、飽きというのは訪れるもの。最初に飽きを感じたのは母親の方だった。

 いくら自分好みの男に仕立て上げようとしても、熟した身体が若い肉体を欲するには時間的な限界があった。要するに一人だけでは満足できなくなっていたのだ。

 母親の方とすれば、途中から完全に飽和状態になっていた。いったん飽きが来てしまうと、

「見るのも嫌」

 という状態になることもあるもので、特に食欲の場合は、毎日同じものを食していると、どんなに空腹になったとしても、見ただけで嘔吐してしまうようになることもある。

 母親は自分が誘惑しておきながら、飽きてしまうと、さっさと息子を遠ざけるようになった。

 このあたりにモラルの欠片もない人間の容赦はなかった。本当であれば、徐々に遠ざけるようにするのであろうが、飽きが来た瞬間から、母親は昔のように息子に対して嫌悪を抱くようになっていた。

 いや、かつての嫌悪よりもひどいカモ知れない。飽和状態になってしまうと、嘔吐を催すようになるからだ。母親の息子を見る目は完全に汚らわしいものを見るような視線であり、今までの母親からの変わりように、矢久保としてもどうしていいのか分からなくなってしまっていた。

――俺が何をしたんだ――

 と、最初は矢久保は自分を責めた。

 こんな感覚は初めてだった。何か自分に都合の悪いことがあったとしても、自分が悪いなどという感覚は今までではまったくなかっただけに、初めてのこの感覚に対しても矢久保は戸惑っていた。

――思春期という時期だからかな?

 とも思ったが、それだけでは説明がつかない気がした。

 この状態を他の少年たちが味わったとすれば、中には気が狂うかも知れないと思えるほどの状態であることに、矢久保も気づいていない。子供の頃からの迫害を受けているうちに、精神的にも強くなっていたのであろう。

 だが、完全にちゃぶ台をひっくり返されてしまったような精神状態に、付き離された自分がどうすればいいのか、途方に暮れていた。だが、彼はすでに生まれながらに免疫を持っていたようで、すぐに立ち直っていた。

 そして、立ち直ってから感じたのは、

「寂しさ」

 だった。

 この寂しさは今までに感じたことのないもので、孤独と背中合わせであることにそのうちに気付くようになるのだが、それが世間一般の少年が感じる感覚であるということに気付いたのは、母親がいきなりどんでん返しを食らわしたからだということは実に皮肉なことだった。

 寂しさは、人恋しさであり、先に知ってしまった女性の身体を求めてしまう矢久保であったが、今度は一緒に癒しも求めた。それは母親に感じていた癒しではないことは、矢久保も何となくであるが分かるようになっていた。

 矢久保に対して優しさとは何か、そのことは誰に教えてもらうわけではなく、自分で悟るしかない。しかし、きっかけを与えるのは自分ではなく他人、そんな女性が現れるかどうかが問題だった。

 人間としてどうなんだろうと思われるような矢久保であったが、そんな彼にでも出会いは他の人と同じで公平にあるようだ。母親からの影響力がなくなり、次第に憔悴していった矢久保に神は見放さなかった。しばらくして体調を崩し、入院を余儀なくされた時に出会った看護婦が、矢久保にとっての、癒しになった。

 病気の時というのは、誰であっても精神的に弱いものである。特に普段あまり病気になどなることもなく、さらには人と接触することもない矢久保だけに、病気になると一気にその不安は押し寄せてくるもののようで、入院中は明らかに、

「借りてきたネコ」

 状態だった。

 そんな矢久保についてくれた看護婦がいて、まだ十五歳になったばかりの矢久保から見れば十分お姉さんであった。年齢は二十三歳だと言っていたが、矢久保から見れば、もっと年上に見えた。

「熟女である母親をずっと見てきたんだから、二十代前半と言えば、幼く感じられるんじゃないか?」

 と他の人から見れば、そうなのかも知れない。

 しかし、矢久保にとって母親は、あくまでも、

「オンナを教えてくれた相手」

 であり、身体に溺れたと言っても、愛情の欠片もなかった相手だった。

 しいて言えば、

「近親者という意識はなかったはずなのだが、心の中にあったモヤモヤが背徳感となり、余計に身体の中の血潮を滾らせる結果になった」

 と言ってもいいだろう。

 愛情がない相手、肉体だけしか見ていない自分にとって、年齢はあまり関係なかったと言ってもいい。しかし、今目の前にいる看護婦は自分にとって初めて相対した女性のような気がして、その視線を四六時中気にしていた。

 相手が自分のことをどう思っているか気にはなるが、それ以前に、自分が彼女をどうしたいのかということが分かっていない状態では、ますます悶々とした時間が過ぎて行くだけだった。

 病気は自分の気持ちとは裏腹に、順調に回復しているようだった。

「退院の時期もまもなく見えてきますね」

 と言って、喜んでいる彼女の顔を見ると、腹立たしく思えてきた。

――俺の気持ちも知らないくせに――

 と感じたが、そもそも自分自身で分かっていないことがモヤモヤの原因であることを忘れている。

 彼女の名前は宮崎典子という。いつも胸を意識しているので、どうしても名札に目が行ってしまうが、その名札に書かれている名前を見ると、ドキッとしてくるのは、自分がおかしいからだろうかと矢久保は思った。

 真っ白いナースキャップがやけに眩しく感じられる。今までであれば看護婦というと、

――薬品臭くて、近寄りたくないな――

 というイメージがあったが、今はそんなことはない。

 母親に感じた淫靡な臭いを思い出すだけで、今は気持ち悪くて吐き気を催してきそうであった。しかし、典子の清楚な笑顔と、無視できない薬品の臭いに混ざって匂ってくる淫靡な香りは決して母親のものとは違うもので、薬品の臭いが却って消毒作用を感じさせ、さらに淫靡な想像を掻き立てるのだった。

 矢久保が入院した病院は、それほど小さな病院ではないので、入院患者も結構いる。さすがに陸軍病院のように大けがをした人はいないが、病気による入院は多く、別病棟では感染症患者を収容するところもあり、隔離病棟すらあるくらいだった。

 典子は一般病棟での看護だけだが、それだけに笑顔が多く、患者からも人気があるようだった。

 中には露骨に嫌がることをしては、典子を困らせる中年患者もいて、見ていて、

――あんな大人にはなりたくない――

 と思うようになっていた。

 自分にモラルの欠片もない過去があるのを棚に上げてそこまで考えられるのは、典子の存在が矢久保を普通の世界に誘う見えない力を有しているかのようであった。

 矢久保には、

「自分のことを棚に上げて」

 という意識も欠如していた。

 それが今後の矢久保の運命を決めることになるかも知れないと、少しして感じたが、それを教えてくれたのは、典子だったのだ。

 典子はそんな患者たちを窘めるのがうまかった。看護婦としての経験からなのか、それとも持って生まれた性格からなのか、少なくとも矢久保にはないものであった。矢久保は自分が要領のいいいい男だとは決して思っていなかった。自分を分析することがあまる得意ではないと自分で思っていた矢久保にとって、少なくともこれだけは自他ともに認められる性格だった。

 典子を見ていて、まわりをしっかりいなすことのできる性格を羨ましく感じていた。ただ羨ましく感じていただけではなく、たくましくも感じていた。自分が病気だという思いから心細さや依存心が高まっていることからの思いなのだろうが、その思いを典子も分かっていたのではないだろうか。

 矢久保の病気は一度よくなって退院したのだが、しばらくすると、もう一度悪化してきて、再度入院ということになった。家族からは、

「なんだお前は。治ったんじゃないのか? 使えんやつだな」

 と言われて、蔑まされていることがハッキリと分かるような口調で、詰られたものだった。

 それでも、また典子のいる病院に入院できるということで、今度ばかりは家族の蔑んだ口調も気にはならなかった。

――言いたければ言えばいいんだ――

 という程度でしか気に留めておらず、親に対してこんなに意識しないですむ自分がいることにも感動していた。完全に、「典子様々」だったのだ。

「また、入院されることになったんですか?」

 と、少し呆れたような口調で言う典子に対して、

「ええ、まあ」

 と言った、恥ずかしがる様子を少し大げさに見せることで、彼女を引こうと思ったのは、浅はかだったと普通なら思うのだろうが、性に関しては貪欲なくせに、恋愛に関してはまったくのど素人の矢久保らしかった。

「しょうがないですね」

 と言いながら、矢久保の面倒を見てくれる典子の存在は、やはり今の矢久保のすべてを支えてくれているように思えてならなかったのだ。

 初めての「間違い」が起こったのは入院から数日が過ぎた夜のことだった。病室は二人部屋で、ちょうど昨日の昼に、一人が退院していったことで、この部屋を矢久保が占有することができるようになった。

 一緒に入院していた人は結構な饒舌で、二人きりの時にはいろいろな話をしていた。

 と言っても、もっぱら話題を振るのは相手からのことで、ほとんどは話に相槌を打つだけのことだった。

 もう一人の入院者は年齢が三十過ぎくらいだったのではなかったか、戦争に召集された時の話が結構多く、戦場での生々しい話や、大陸の面白い話などをしてくれた。国内にいて、まだ学校を卒業して間がない彼にとっては、新鮮でありながら、生々しさが時として聞いていて、病気を進行させてしまうのではないかと思うほど、見えない力に痛めつけられているような錯覚に及んだものだった。

 そんな中で、彼から聞いたオンナとの生々しい情景は、矢久保の中で想像を絶するものに感じられ、その様子を見て話し手も面白がって、余計に誇張して話したものだったが、それは決してリアルな生々しさに彼がその都度感動していたわけではなかった。

 話し手に、矢久保の過去が分かるわけもなく、話し下手の彼を見ていると、余計に苛めたくなる苛めっ子の気分になっていたようだ。

 実際にこの男性は、相手の反応を見て、それを面白がるという性癖があるようで、入院中の退屈な毎日のほとんどを矢久保との話に費やしていたのも分かるというものだ。

 しかも、彼には話を継続させるだけの経験の豊富さと、誇張して話すだけの話術があった。矢久保のようなほとんど人と話をしたことのない少年には奇抜であったが、これほど興味深い人もいなかったのだ。

「大丈夫ですか?」

 話をしていて、これでもかとばかりにまくし立てる相手に対して、冷静にそういう矢久保の姿もあったくらい、彼の話が佳境に向かえば向かうほど、矢久保は冷静になっていた。

 それは彼が、

「他の人と同じでは嫌だ」

 という性格を持っているからにほかならず、矢久保にとってこの男性は、自分と違うところがあると思いながらも、似たところもあるように思えてきて、それがどこなのか、話を聞きながらいつも探していた。

――どこか似ているところがあるのは間違いないんだけど、それが一体どういうところなのか自分では分からない――

 と感じていた。

 矢久保という男は自分の気持ちを表に出すことが苦手で、そのわりにまわりには分かりやすい性格らしい。前者の表に出しにくい性格というのは、母親と関係してから母親との環境の中で育まれてきたものであり、後者のまわりには分かりやすいという性格は、持って生まれた性格に違いなかった。

 そのことを、矢久保は自覚しているつもりだった。自己分析が苦手だと思っている矢久保だったが、ところどころ正確に自分を捉えていて、そのわりに自分を信じられないという性格は、どこか自虐的なところがある性格を生み出しているかのようだった。

 彼は矢久保が恋愛に対しては従順だと思っていたので、性に対しても純真無垢だと思っていた。もちろん童貞で、女性の身体など知っているわけもないと思っていたので、女性の身体についても、いかにも童貞の男の子が初めて聞かされるような話をして、興味をそそってその様子を見ながら楽しもうと目論んでいたのだ。

 矢久保は敢えて、自分が経験のあることや、性癖が傾倒していることを口にせずに、いかにもまだ童貞で彼の思っているような性に対して純真無垢な少年を演じて見せた。だから相手も矢久保がまさかそんな性癖を持っているなど思ってもおらず、性に対して興味が湧くような話を延々と聞かせていた。

 矢久保はそれを黙って聞いている。時々興味津々な表情を浮かべることで、相手の自尊心をくすぐり、もっと話を引き出そうとさえした。彼もこのような下ネタ系の話は嫌いではなく、その時に頭に浮かべたのは、自分が架空の女性と愛し合っているノーマルな光景であろうか、それとも過去に母親から受けた「施し」という名の、愛情もどきであっただろうか。きっとその時々で感じ方も違っていたのかも知れない。

 話がそのうちに、典子のことになっていった。

「あの宮崎典子という看護婦だけどな」

 と、話が典子に向いた時、それまでのわざとらしい興味津々の表情とは明らかに違う、本心からの興味を帯びた表情になったことを、話し手である相手に看破できたことであろうか。

 相手は自分の話に十分酔っていたし、これからは実際の女性をリアルに弄った話をしようと思っているので、相手の表情の変化にまで気付いていたのかどうか、怪しいものだった。

 最初はそれまで同様に矢久保は口出しをまったくしないようにしようと思った。自分が典子に興味を持っていることを知られるのは一番嫌だと思っていたからだ。

 嫌だと思った理由の一番は、もちろん恥ずかしいという思いがあったからだ。

――女との話に恥ずかしいなどと思うなんて、今までにはなかったことだ――

 と感じた。

 母親との情事を誰にも話したことはなく、

――この話は墓場まで持っているべき内容の話なんだ――

 という思いは持っていた。

 それだけに、自分の内面に羞恥の気持ちを抱いていれば十分だと思っていて、敢えてまわりに自分が恥ずかしがっているという思いを伝える必要などないと思っていた。恥ずかしさをあざとさと感じているのは、異常性欲に自分が塗れていたからであり、他の人はあまり考えることはないと思っていた。

 矢久保は、

――異常性欲などというのは「まやかし」で、実際には他の人にはあるものではなく、自分の母親と自分だけが異常なだけだったんだ――

 と思っていた。

 それだけまわりのことを分かっておらず。分かる気もなく、まわりとの接触をなるべく抑えたいと思っていた。それはまわりのことを知るのが怖かったからで、その思いは過剰な異常性欲から生まれた感情だと思っていたのだ。

 典子の名前に反応した矢久保は、彼が何を語るのか大いに興味があった。

――この二人、関係があったのかも知れないな――

 と勝手に想像してみた。

 しかし、どこで経験があったというのだろう? もしあったとすれば、自分がこの病室に入ってくるまで、一人部屋としてこの部屋を占有していた時であろうか。もしそうだとすれば、想像は妄想になって矢久保の血を逆流させていた。

――こんな気分になるなんて――

 今まで自分に関わることにだけしか、性的感情を感じたことなどなかったのに、この感情がどこからくるのか、まったく分からなかったのだ。

 彼はゆっくりと話を続けた。

「典子ちゃんって、最初は結構抵抗が強かったんだよ。まるで男のような力強さでな。やっぱり看護婦って力が強くなければできない仕事なんだろうなとも思ったが、俺なんか、抵抗されればされるほど燃えるので、きっと彼女を羽交い絞めにながら、ニヤニヤとニヤついていたに違いないんだ」

 と言って、それまで見せたことのない淫蕩な表情を見せた。

 矢久保は、シーンとした静寂の中で、真っ暗ともいえない状態の中に、星の瞬きが差し込んでくる中で、シーツがこすれ合いながら、必死に抵抗する女の囁くような声と、必死になって相手を羽交い絞めにしている男の吐息とが、湿った空気によって流れてくるような感覚を覚えた。

 もちろん、部屋はこの部屋である。まさしく目の前で語っている男のベッドの上で、どれくらい前になるのか分からないが紛れもなく繰り広げられた愛情絵巻を想像させられた。

――いや、愛憎絵巻なのでは?

 とも思ったが、愛憎にはどうしても思えなかった。

 彼が自慢げに語るのであれば、彼が最初から出まかせを言っていない限りは、そのほとんどに信憑性を感じることができるからだ。

 吐息は次第に荒くなってきて、目は血走っている。充血していてもいいだろう。そんな状態で抵抗を続けるには限界がある。いくら看護婦が力が強いとはいえ、逆に諦めも早い気がする。すぐに冷静になり、

――下手に騒ぎ立てるよりも、この状態を一刻も早く終わらせればそれでいいんだ―― と思うのではないだろうか。

 覚悟さえ決めてしまえば、彼女たちは強い。こちらが相手を征服しているつもりになっているとすれば、敢えてその気にさせておいてさえいれば、相手はこちらの言いなりで、ことを早く終わらせることもできると考えたとしても、無理はないだろう。

 普通の女の子であれば、そうもいかないだろうが、ここは病院、ただでさえ気持ちが弱くなっている患者と、その患者に絶えず寄り添っている看護婦との関係である。普通の男女関係とは程遠いものがあるに違いない。

 ただ、矢久保は普通の男女の恋愛を知らない。彼にあるのは母親との異常性欲、二匹の獣が愛情もなく惹かれあったという醜い事実。それだけだったのだ。

「俺って、他の人とは明らかに違うよな」

 と思っていた。

 そんなことを想いながら、典子の顔を思い浮かべた。

――もし、その場に誰か他の人がいたらどうだっただろう?

 とふと思った。

 普通なら恥ずかしさから、

「見ないで」

 と言って、恥じらうか、それ以上にリアルな感覚で、

「助けて」

 と言って、なりふり構わず助けを求めるかのどちらかだろうが、典子の場合は前者だと思った。

 ただ、前者の場合は、本当に恥ずかしさからの行動である場合と、「あざとい」行動である場合の二つが考えられると思った。

 つまりは、恥ずかしがりながら、

「見ないで」

 というのは建前で、本当は、

「見て」

 と訴えているように思えた。

 それは、マゾヒストな考えであるが、その思いは矢久保の中に確かに存在していた。その思いを矢久保はウスウス感じていたように思う。矢久保は母親との異常性行為の中で、二人しかいない状況の中で、絶えず誰かの目を感じていたのを思い出していた。

――誰もいるはずなんかないのに――

 という思いが強く、それでもまわりを気にしている自分に対し、

――俺っておかしいんじゃないか?

 と感じていた。

 もっとも、こんな行為自体がおかしなものであることは分かっていたので、異常な感情を抱くことはいまさらのように思っていた。だから、いつも一瞬自分がおかしいと思ったとしても、次の瞬間には打ち消している自分がいる。

 そういえば、矢久保は毎日のように母親と関係を結んでいたが、矢久保が自分から望んだことは一度もなかった。ただ、抗うこともなく、完全に相手の言いなりだった。

「何をされても、それは自分が望んだこと」

 という気持ちが強く、抗うことは自分を否定することのように感じたのだ。

 異常性癖を嫌だと思うこともあった。

――今日はしたくない――

 と思うような気分になるのが増えてきたのも事実だった。

 しかし、それを母親は許さない。

――この人は、俺のように嫌になることってないんだろうか?

 と思ったが、最初は本当に嫌になることはないと思った。

 だが、一緒にいると、明らかに相手が手抜きをしているのが分かるのだが、それを指摘でもしようものなら、ヒステリックになり、何をされるか分からなかった。

「お仕置き」

 という名の元、本当に恥ずかしいと思えるようなことをされたこともあったからだ。

 矢久保が母親との行為の中で、本当に恥ずかしいと思うようなことは稀だった。そう思うということは、やはり自分を否定することだと思っていたからで、いつもであれば行為が終わった後はまるで何事もなかったかのような生活に戻るのだが、その時だけはそうもいかなかった。

 気が付けば母親を凝視していて、

「何見てるのよ」

 と叱責され、ハッとするのだった。

 この時の花親の顔は二度と見たくないと思うほどに冷淡なもので、本当に何を考えているのか分からないと言った感じであった。この母親の顔を見てしまったことで、

――この人が本当に分からない――

 という思いにさせられた。

 この思いは今でも持っていて、他の人にも同じように感じることもあるが、あくまでもそれは他人事であって。関係の切れた母親であっても、まだ心のどこかで、

「他人ではない」

 と思っている自分がいて、それを矢久保は誰のせいにしていいのか分からずに、悶々とする時間がたまにあったのだ。

 母親との関係と、典子への思いはまったく違ったものであり、その気持ちがあるにも関わらず、結局、肉体関係になってしまってからは、やることは変わらないという思いがあることを恥ずかしく思っていた。

 そんな中で、矢久保が入院患者からの話で典子とのいわゆる「性交」についての話はある意味新鮮に感じられるのは、そういった気持ちの表れからなのかも知れない。

 彼の話は、性交の前兆としては、さほど矢久保を興奮させるものではなかった。今まで経験したことはないとは言いながら、矢久保の想定内のことだったからである。もちろん、抵抗されることもそうだし、相手が覚悟を決めてから、自分に言い寄ってくるかのようにしな垂れてくる様子も、妄想しようと思えばいくらでもできたのだ。

「典子って女は、結構なものだぜ」

 と、完全に相手が自分の話に酔っていると感じている口調だったが、それを、

「はいはい」

 と思って聞いている矢久保も、相当な「役者」だともいえるだろう。

 矢久保が興味を引いたのは、その後の話だった。

「典子は、ああ見えて、結構なサディズムでな」

 と言い出した。

「サディズムって、そんなに積極的なの?」

 と、初めて矢久保が聞き返したのだが、相手はそれが初めてだとは思っていなかったかのように、意識もせずに話を続ける。

 それだけ彼は自分の話に酔うタイプの男性だったのだろう。

「ああ、あいつはどんなに恥ずかしいことでもやってのけるんだ。それだけを聞くと、逆にマゾヒストなんじゃないかって思うんじゃないか?」

「うん」

「しかしな、マゾヒストにも限界があるんじゃないかって俺は思っていたんだ。しかし、彼女には限界がない。こちらが遠慮してしまうほどになっているのに、それじゃダメっていうんだ。こっちが引いてしまうくらいにな」

「引いてしまったんですか?」

「俺は自分がマゾヒストだと思っているので、お互いに相性はバッチリだったと思うんだよ。だから引いたりはしなかったが、引く代わりに、この関係は長くは続かないと思ったよ」

「それを彼女の方では?」

「きっと分かったんじゃないかな? ことが終わって話をした時、自分がサディズムであることを分かっているって言ってたからな。そしてその性癖の酷さで、自分とあまり長続きする男性はいないと言っていた」

「そうなんですえ」

「ああ、彼女は自分から男性に言い寄ることはないんだ。いつも相手から寄ってくる。しかもそのほとんどは相手に蹂躙されて、俺がしたようにほとんど犯されるような状態になるというんだ。だから最初はそんな自分が嫌で嫌で仕方がなかったんだって」

「ひょっとして、彼女は今までにも似たようなことがこの病院であったんじゃないですか?」

「ああ、あったんだよ。しかも、俺も彼女に襲い掛かる前に、同じように同部屋で入院していたやつから、彼女のこういう話を聞いていたんだ」

「それで火が付いたというわけですか?」

「興味が深まったのは事実さ。しかし話には聞いていても、実際にやるとなると、度胸もいるし、下手をすれば、手が後ろに回りかねない。何しろ相手がいることだからな。半ば強引に相手を蹂躙するんだから、本当であれば犯罪さ。それを行おうとするには、それなりの覚悟がいるというものさ」

「あなたにはその勇気が」

「実はあったわけではないんだ。ただ、二人きりで静かな部屋にいると、ムラムラとした気分になったのも事実で、しかもその時にm話に聞いていた情景が思い浮かんできた。絶対に二人きりになったら思い浮かべてはいけないと自分に言い聞かせていたにも関わらずだよ」

 と言って、彼はタバコに火をつけた。

 矢久保はその話を聞きながら、自分がこれからどうしていいのか考えた。

「あなたは、どうして僕にこの話を? 僕にも自分たちと同じ思いをさせたいという気持ちですか?」

「いや、そうじゃないんだ。これは俺のためでも君のためでもない。彼女のためなんだ」

 と言って、うまそうにタバコを燻らせた。

「どういうことですか?」

「きっと彼女は男を求めていないといけない身体なんじゃないかって思うんだ。しかも、それが強すぎて相手の男は彼女にすぐに飽きたり怖がったりするので長続きはしない」

「でも、それはそれで悪いことなんでしょうか?」

「そうなんだよ。俺は決して悪いことには思えない。むしろ勝手な言い分ではあるが、世の中の仕組みの営みのようなものを感じるくらいなんだ。この関係をどう表現していいのか分からないが、それ以上でもそれ以下でもない気がしてね」

 と彼はそこまでいうと、せっかく付けたタバコを揉み消した。

 彼は続ける。

「でも、彼女のそんな性癖はどこかで終わりが来ると思うんだ。それはきっと彼女のその性癖を終わらせることができる男性が現れることで実現することではないかって思っているんだけどね」

「今までにはいなかったと?」

「ああ、なぜか彼女の近くにいるのは、皆似たような性格の男性ばかりで、彼女を満足させられる人はいなかった。ただその満足というのは性的、肉体的な満足ではなく、もちろんそれも含めた精神的な満足を与えてやれる相手ということだね」

「ということは、すぐに飽きたり怖くなったりするだけではなく、彼女をそのまま受け入れられて、恒久に愛を与えられる相手ということでしょうか?」

「ああ、そうなんだ。お前はなかなか言葉の使い方がうまいな。まさにその通りなんだよ。俺たちにできなかった満足感をお前なら与えられるような気がしてな」

「買いかぶりではないですか?」

「いや、俺はお前に託したいんだ」

 それが先日の話だったのだが、矢久保はその時の話がついこの間だったにも関わらず、かなり昔にした話のように思えていた

 それでいて思い出してみると、

「まるで昨日のことのようだ」

 というような感覚に陥った。

 いよいよ彼から託された思いを達成できる日が来たのだったが、なぜかその時の矢久保にはおじけづいたような気持ちがあったのも事実だった。

――俺がおじけづくなんて――

 それは、彼の生々しい話の時には想像がついた情景が、いざ自分のこととなると、まったく浮かんでこなかったからだ。

 それが本当だとは思うのだが、まったく想像も妄想もできないことに対して不安しかなく、これからしようとしていることが犯罪であるという事実しか頭の中に浮かんでこなかった。

――本当にいいのか?

 躊躇いとはこんな気持ちをいうのだということを久しぶりに感じたのだ。

 その日を計画に選んだのは、彼女のパートナーと言える女性が意外と鈍いところがあり、しかも、見てみぬふりができる性格であるということが分かっていたからだ。しかも、そのことは他の入院患者からも聞いていた話なので、タイミングとしてはその時しかないのだった。

 しかも、その日は満月で、部屋の明かりをつけずとも、目が慣れてくると十分だと思えたからだ。行動を起こすにはもって来いのタイミングで、気持ちを高ぶらせるにもちょうどよかった。

 満月というと、オオカミ男の伝説にもあるように、何かが起こる時でもある。月というものが潮の満ち引きに関係があるように、人間の真理にも大いなる影響を与えるに違いない。

 そんな理屈を知る由もない矢久保だったが、彼には彼なりのロマンのようなものがあった。これは理屈ではなく、普段から本能で生きているような人間独特の感性のようなものではないかと思えた。その日の彼は昼間から少しおかしくはあったが、それを分かる人は誰もいないと、矢久保は思っていた。

 典子がやってくるのは足音を聞いただけでも分かる。入院して最初の頃には、少しは分かったが、その的中率は三分の一にも満たなかったのだが、さすがに毎回集中して耳を澄ませていれば、今ではほぼ満点に近いだけの的中率を誇っていた。他の入院患者と当てっこをしてみたが、

「どうして分かるんだ?」

 とまわりから言われるほどの精錬された的中率に、矢久保は有頂天になっていた。

「典ちゃんの足音は、特徴らしいものは何もなく、一番分かりにくい」

 と皆が言っていたが、これは逆の理論でもあった。

――一番目立たないから、逆に目立つんだよ――

 と心の中でほくそ笑んだ。

 学はないが、こういう「知恵的」な発想には長けたところがあった。これもきっと本能の赴くままという性格が影響しているのだろう。

 この日も矢久保は午後九時の消灯時間にはさっさと電気を消して、大人しくしていた。大人しくしていたと言っても、これから起こるであろう出来事、まるで他人事のようだが、自分で挽き起こすという感覚は矢久保にはなく、他人事だと思うことが彼にとっての「覚悟」であったのだ。

 典子はいつものように懐中電灯を片手に見回りをしていた。

 すでにこの頃になると、足音の気配と大きさだけで、どこまで彼女が近づいてきたのかということも分かるようになってきた。

――二つ隣の大部屋に入ったな――

 と思った当たりから、彼女がその部屋の確認に五分ほど費やし、隣の部屋は今は誰もいないことから、今が実質的な隣の部屋だと思うと、柄にもなく緊張してしまった。

――こんなに緊張したことなんてあったかな?

 考えてみれば、矢久保が何かショッキングなことがある時というのは、そのほとんどは他人から及ぼされることだった。

 そもそも最初に女性を知ったのだって、母親に無理やりに犯されたようなものだった。

 今では黒歴史として、本当は思い出したくもないことなのだろうが、この日だけは鮮明に思い出された。しかもまるで昨日のことのようにリアルな感覚でである。

 学校で彼が悪者になってしまった事件であっても、最初に考えたのは他のやつで、矢久保は巻き込まれたのだ。

 しかし、発案は別のやつでも、構想や計画はすべて矢久保の考えによるものだった。彼はそういう「悪知恵」もしっかり働く頭を持っていた。

 彼は、ずっとそれを自分によるものだと思っていた。母親に無理やりにされたのも、学校で首謀者にされてしまったのも、自分の性格にあると思ったが、それを変えようとは思わなかった。変えようと思っても変えられるものではないし、変えることが彼にとってどんなメリットがあるのか、自分でもよく分からなかったのだ。

 そのせいもあってか、彼には自分が自ら始めたことに対して、今度は他人事のように思えてしまうようになっていた。まったく逆な性格が感情に及ぼす内容は変わってしまっている。それを彼はウスウス気付いてはいたが、どうすることもできなかったが、敢えてそれを問題にしようとは思わなかった。それだけ彼は最初から何事も他人事のように考える性格だったのかも知れない。

 病室の扉は学校の教室のようにスライド式の木製扉になっている。そして上部がすりガラスになっていて、中は覗くことができないが、明かりが灯っていれば分かるので、次に扉の開く音がして足音が五,六歩近くになると、扉が開くのが分かっていた。

 矢久保は扉がゆっくりと締まる音が聞こえてから、すりガラスに注意を向けていると、果たして懐中電灯の明かりが微妙に揺れているのを見て、自分でも典子の足音に合わせて呼吸をした。すると、足音と自分の心音が同じリズムであることに気付き、ニンマリとした。

 今まで彼女に対しての計画を半信半疑で考えていて、どうしても他人事としてしか思えなかった自分に覚えていた苛立ちが、急に解消された気がした。その解消が安心感に繋がり、これから自分がしようとしていることですら、正当化されているかのように思えてきたのだ。

 足音が止まり、いよいよこの部屋に彼女が入ってくる。そんなシチュエーションを抱いた時の矢久保は、完全に有頂天になっていた。まだこれからが本番なのに、すべてが終わり、その結果は今想像していることであるかのように思え、現実と幻想を完全に混同していた。

 ただ、それでも息遣いは湿った空気に彩られ、抑制することはできないでいた。

 それに連動したかのように矢久保は、典子の暖かさも感じたような気がした。さらに、胸の鼓動も彼女からは感じなかった。その代わり共鳴しているように思えたことで、

「この部屋の空気は、俺を中心に回っているんだ」

 とさえ思えたくらいだった。

 その思いはまんざら勘違いでもなかったようだ。

 部屋に入ってきた典子はゆっくりと眠っていると思っている矢久保の顔を覗き込んだ。矢久保は最初に気付かれては元も子もないと思ったのか、必死に寝たふりをしていた。それを見て典子は安心したのか、わざと布団をはだけさせている足元の掛布団に手を掛けたその時だった。

「あれ?」

 典子はゆっくりと小声でそう答えた。

 矢久保が典子の手を取って掴みかかったからである。

 だが、典子のリアクションは本当に静かなものだった。

――これだったら、他の部屋にも聞こえたりは絶対にしないよな――

 と思えるほどで、これが彼女の持って生まれた性格なのかとも思った。

 最初から矢久保の計画を知っていて、それで驚きもしなかったのか、それとも病院という場所ということもあり、今までに似たようなことが何度もあり、その対応にも慣れているからだということであろうか、それとも、典子も矢久保への思いがあり、

「やっと来てくれた」

 という思いの表れだったのか、矢久保は頭を巡らせた。

 典子は、第一声のその後は、ほとんど吐息だけで、言葉を発することはなかった。

「やめてください」

 などとは言わない。

 若干抗うことはあったが、同意の元の行為に思えて仕方がない。最初の頃の矢久保はぎこちない手つきで、いかにもゴツゴツシタ男の手が乱暴に女体を扱っていたが、次第に状況に慣れてくると、彼の指先は繊細になっていった。まるで女性の指先を思わせるようなソフトなタッチは、典子を天国へといざなっているかのようだった。

 矢久保は調子に乗ってきて、少し荒々しさを示したが、その時、自分で思っているような行動に出られず、苛立っている自分に気が付いた。

――どういうことなんだ?

 典子はしばらく矢久保の繊細なソフトタッチに委ねられていたが、次第に身をよじるようになった。

 それが何を意味するのかすぐには分からなかったが、どうやら、典子にとってそのソフトなタッチは、

「物足りなさ」

 を示しているようだった。

 矢久保とすれば、自分が中途半端なことをしているとは思えない。一度攻撃に入ったらその手を緩めてはいけないということは分かっている。しかも、攻撃は単調であってはならず、波を作る必要がある。

 時間が掛かってしまえば、同じ力で攻撃しても、相手は緩くなったと感じるだろう。それは慣れを感じてくるからではないだろうか。

 さらに、波の中には第一波、第二波と、断続的に反復させなければならない。

 これは、軍隊で得た教育と経験によるものであった。

 世の中は、いよいよ欧米列強との戦争機運が高まっていて、

「欧米討つべし」

 と新聞などは書き立てている。

 民間の世論も一緒になって戦争を要望しているが、軍隊や政府の方が慎重であった。

 この病院を退院しても、今までの生活に戻ることは困難だろう。

 退院して少しくらいは家にいられるかも知れないが、またすぐ召集令状がやってくるのがオチであった。

「今の世の中、病気か怪我か、あるいは学生くらいしか徴兵を免れることなどできなくなるんだろうな」

 と、矢久保は予感していた。

 彼は異常性格を持っている分、先見の明という意味では他の連中よりも正確だったのかも知れない。

 そもそも、この時代自体が狂っているので、まともな神経で先を予想すれば、まず外れるのは必至であり、異常と言われる性格の方が線形の明に関してはあったかも知れない。

 確かに世の中は、予想すれば必ず当たるという人もいるだろうが、いくら政情をしっかりと把握している人間であっても、その先見が当たっているというわけではない。それだけ世の中というのは、何が起こるか分からないというわけである。

 狂ったこの世の中で、矢久保のような性格はどうなのだろうか? 先見の明があったとしても、それを公然と口にできない時代であり、下手をすれば憲兵に捕まえられて、拷問を負わされてしまう。尋常な世界であるわけもない。

 矢久保はそんなことを考えていると、この日の典子に対しての行為くらいは、何でもないことのように思えた。

 矢久保は何か悪さをする時や考える時、

――どうせこんな世の中なんだから――

 という思いが見え隠れする。

 それを自らの保身だと思っているとすれば、矢久保という男はそこで終わりだったのだろうが、そうではなかった。何か自分の中で探しているものがあるのだと言い聞かせていたに違いない。

 典子は矢久保に蹂躙されながら、どこか悦んでいるようだった。態度には出さないようにしていたが、身体の一部に力を入れると、典子も同じように力を入れてくる。

 考えてみれば、最初から呼吸のタイミングが同じだったということなのだから、気持ちは同じところにあったと思えたとしても、それは無理もないことであろう。

 二人の湿気た時間は、あっという間だったような気がした。

 それは矢久保よりもむしろ典子の方があっという間だったようだ。

――物足りない――

 という思いはすでになくなっていて、お互いに果てた身体を布団の上に投げ出して、生まれたままの姿になっているのを隠そうともせず、すでに羞恥の気持ちなど、二人の間にはなかったのだ。

 だが、矢久保は今度は、

――何かが違う――

 と感じたのだが、その感情の正体をすぐには分からなかった。

 だが、その正体が前に感じた、

――何かが違う――

 と感じたことであり、それがさらに、典子の中で、

「典子に羞恥の欠片も感じられなかった」

 ということであった。

 自分が起こした事件であったが、典子はそれを他言しなかった。矢久保も敢えて口留めすることもなく、

――典子がいうのであれば。それは仕方がない。覚悟を決めて実行したことだ――

 という思いと、まわりから聞いていた、

「典子は誰が相手でも言いなりになっている」

 という一見悪しきウワサを聞いていたからだった。

 だが、典子のことを教えてくれた人の話では、

「典ちゃんの恥じらいが、わしたちには最高なんだよ」

 と言っていたのを思い出し、その時自分が何かが違うと感じたその原因が、やっと

「羞恥の欠片もなかった」

 ということだったのだ。

「他の人と俺とでは違う」

 という感覚を持っていたためか、羞恥がなかったことで悔しいという思いはなかったが、そのおかげで何かの違いの何かをすぐに分かることができなかったのだろう。

 矢久保は一度典子を蹂躙したが、もう病院で何か事を起こそうとは思わなかった。これは典子を襲ってから気持ちが冷めたり萎えたというわけではなく、最初から一度キリだということを自分で感じていたからだった。

 この思いは最初から一貫して変わることはなく、退院するまで続いた。

 しかし、いざ退院してみると、今度は典子が恋しくてたまらなくなった。

 退院する時、典子は矢久保に対して寂しそうな表情をした。それは不安に感じるといってもいいかも知れない。

「何が不安なんだろう?」

 と思い、退院してから、しばらくは典子のことを忘れようと思っていた。

 退院してから典子のことを忘れようと思っていて、その感覚に慣れてきた頃、またしても矢久保に召集令状がやってきた。

 戦局はいよいよ厳しくなった昭和十九年、今度は南方である。

 だが、彼はまたしても病気に見舞われ。そのまま本土へ送還される。今度は前のような目でまわりは見てくれない。

「あいつは、お国のために死ぬこともできない兵隊なんだ」

 などという理不尽で身勝手なウワサを掛けられる。

――こっちだって好きで戦争に行っているわけでもないのに、戦争に行かない連中から好き勝手言われるなんて――

 と思っていた。

 だが、時代も時代、それに逆らってもどうなるものでもない。ストレスを抱えながら、またしても入院生活となった。

 また同じ病院へ収容され、そこで典子との再会となったが、典子はすっかり変わってしまっていて、矢久保に対して命令調な言い方になっていたのだ。

 ちょうどその頃、アリアナ諸島やサイパンが陥落し、本土空襲がそのリアルさを増してきたことで、銃後の生活もすっかりと変わっていたのだ。

 以前に感じた、

――兵隊にもいかないのに、好き勝手言いやがって――

 という状況ではなかったようだ。

 それを教えてくれたのが典子だったというのも。、皮肉なものであろう。

 防空訓練や、消火訓練、竹槍訓練と、重要なものや、

「本当に必要があるものなのか?」

 と思えるようなものの訓練もあり、入院患者もそれなりに

「自分の身は自分で守る」

 という意識を持たなければいけなくなっていた。

 矢久保が入院していた土地は、昭和二十年後半くらいになって、いよいよ空襲が本格化してきた。

 この話を最初としたのは、初めての空襲警報が鳴った時のことだったが、その時矢久保は典子と病室にいた。

 前のように襲ったりはもうしなかったが、二人は合意の上で、時々それぞれの性癖を貪るまるで二匹の野獣だった。

「痛い」

 という声が部屋に響く、その声は矢久保だった。

 もし、その部屋が和室で。障子にその影絵が写っていたとすれば、どんな光景が写し出されたことであろう。四つん這いになった男性に馬乗りになった女性、手には革製の鞭が持たれていて、背中をいたぶっている。

 男はまるで女のような声を上げ、悦びの声を上げている。

 女は男の背中しか見ていない。そこにくっきりと浮き上がったミミズ腫れを見て、ニヤニヤ笑っている姿はまるで耳元迄口元が裂けた魔女のような顔をしているようだった。

 日本にも昔からあったであろうSMの世界、しかし、圧倒的に残っている仕様は海外に多く、SMというと海外を思い浮かべるのも仕方のないことだろう。

「これでもか」

 と言わんばかりに女は責め立てる。

 しかし、その視線は一点しか抑えていない。それはきっと自分の中にあるSという正体に必死で抗っている自分がいるからではないだろうか。

 ただ、女はたまに、横を見ることがある。それは自分が襖に浮かび上がっているであろう影絵を見ているような気がしているからではないだろうか。

 鞭で打ち付けているが、実際にはそれほど痛いものではないらしい。

 しょせんそれぞれが「プレイ」なのだから、それなりの限界があるはずだ。

 限界がなければ、下手をすれば相手を殺害してしいまうかも知れないという危険性もはらんでいる。

「そういえば、そんな探偵小説を読んだこともあったな」

 と、矢久保は感じていた。

 矢久保は自分がMであるということを以前から知っていた。詳しくはいつからなのか断言できないが、心当たりがないわけではない。

――あるとすれば、以前入院した時、自分が典子を襲った時だ――

 と思った。

 あの時羞恥をほとんど感じなかったが。今から思えば、

――羞恥を感じないということが却って羞恥に対しての気持ちを掻き立てているためである――

 と感じた。

 では典子の方はどうだっただろう?

 彼女がいつの頃から自分がSだと感じていたのかというと、ハッキリとしない。典子に聞いても、

「分からない」

 というだけで、自分がいつからMを感じたのかということを説明しても、典子には感じるものはなかったようだ。

「じゃあ、まったく分かっていなかったのかな?」

 と聞くと、本人はどうやらそうでもないようだった。

「何となく分かっていたような気がするんだけど、自覚がなかったから」

 という。

「自覚がないということは、それは意識していなかったということなんじゃないか?」

 と聞くと、

「いえ、そんなことはないわ。私の中で自覚と意識は違うものだって思うの」

 という言葉が返ってきて、

「ということは、その感覚がSの人特有の考えなんじゃないだろうか? もしそうだとすると、君は最初から意識していたということなのかも知れないな」

「でも、自覚ってよく他の人はいうけど、私には自覚という意識がないの。自覚っていったいどういうことなのかしらね?」

 という。

「Sの人って、人をいたぶって快感を得るわけだろう? その時に自分にも相手の痛みが分かるという感覚はあるのかい?」

「私の場合はないわ。あくまでも私は自分がやりたいことをするというだけで、相手がどう思っているか考えたことはないわ」

 と言った。

「だから自覚もなければ、前から感じていたのかどうかというのも分からないんだね?」

「そうかも知れないわ」

「君には、『他人事』っていう意識があるかい?」

「他人事?」

「ああ、自分に対して何かが起こっていたり、自分が他人に何かを及ぼそうとした時、自分がしているという意識がないことさ。だから痛みも感じないのかも知れない」

「そうなのかも知れないわ。でも、全部自分がしているという意識があるわけでもないの。どちらかというと、『やらされている』という感覚かしら?」

 Sというと、自分の行為が相手を蹂躙しているものだから、すべてが主観的に考えていると思って浮いたが、どうやらそれも違うようだ。

 Sというものを少しは分かっているような気がしていたが、少なくとも典子に限っては違っていた。

 しかし、二人の相性はバッチリである。つまりSというものへの誤解はあったが、それを教えてくれた典子とは相性がピッタリだということであろうか。実に皮肉なことに思えてならなかった。

「あなたは、他人事に思うことが多いの?」

「僕はそうだね。これは他の人とあまり変わりないと思っていたんだけど、都合の悪いことは他人事に思うことが多い。だからいつも逃げ腰になってしまい、Mの性格が表に出てくるんだって思っていたんだ」

「それは間違っているかも知れないわ。私も実はSだとは思っているんだけど、Mの性格も十分に持っているような気がするの。あなたと一緒にいる時と、実際に好意に及んでいる時とでは、まったく違っていて、でも共通していることは、一つの出来事の間に、SとMが交互に顔を出していると思うことなの。あなたになら、そのタイミングは分かっていると思っていたわ」

 と言われたが、矢久保にはさすがにそこまでは分からなかった。

 ただ、言われてハッとした部分もあることから、まんざらの虚勢でもないことはハッキリしている。

 そんな二人が矢久保が退院してすぐの最初の空襲警報が鳴ったその日、二人の間に何があったのか、思い出そうとしたが、数年経ってからは思い出せなくなっていた。矢久保は戦後のどさくさで記憶の半分を失ってしまったからであった、戦時中は一緒にいた二人だったが、あの日のどさくさで別れてしまったのだ。

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