魔女たちの青春ラブコメにはまだ遠い

@ts10

第1話 魔女からの誘い

 俺がいつものように総陰学園の屋上で昼食の惣菜パンを食んでいると、微かにドアが軋む音と共に背後から人の気配が近づいてくるのがわかった。


「童子どうじ君、今日の昼休みは球技大会に向けてクラス全員で練習すると伝えてあったはずなのだけど。どうして、まだこんな所にいるのかしら?」


 俺の名を呼ぶ冷たい声に反応して仕方なく顔を後ろに向けると、そこにはこの学校に入学してからの一年と二ヶ月でいつの間にか見慣れた少女の顔があった。


 風に吹かれて揺れる艶やかな黒髪には花を模した髪飾りがついていて、長い睫毛に縁取られた瞳は微動だにすることなく俺を見つめている。


 和服を着て武家屋敷にでもいればどこぞのお姫様と言われても信じてしまいそうな存在感だけれど、生憎とここは学校の屋上で彼女はただの高校生だ。


 まあ、なまじ顔が整っているだけにこうして鋭い目つきを向けられると中々に迫力があるけれど、知っている相手だからか怖いとは感じない。


「そりゃもちろん、練習に参加する気なんて微塵もないからだが。水無瀬みなせの方こそ、こんな所にいていいのか? 練習って、全員参加なんだろ」

「っ、どの口で」


 俺を見下ろす少女、水無瀬氷花みなせひょうかはこめかみをひくつかせており、俺に対して相当にイラついていることがわかる。


 そうやって無駄にストレスを溜めるくらいなら、俺のことなど放っておけばいいのにとは思うけれど。


 学級委員という立場がそうさせるのか、はたまた生来の面倒見のよさが為せる業なのか。

 水無瀬はクラス内で孤高の一匹狼、もとい単なるぼっちとして孤立している俺のような人間にまで気を回しこうして話しかけてくる。


「だいたい、俺が出場するのって個人種目の卓球だぞ。どうせ俺がいなくても気づくやつなんていないし、当日は一回戦で負けて残りの時間はてきとうな空き教室で休んどく予定だから練習なんていらないっての」


 我ながらろくでもないことを言っている自覚はあるけれど。

 実際問題クラスみんなで優勝目指して頑張ろうみたいなノリについていくのは無理だし、クラスメイトの方も俺なんぞには欠片程も興味ないだろう。


 お互いに興味がなくてどうでもいいと思っているのなら、わざわざ無駄な時間と労力を使ってまで一緒にいる必要もない。


「相変わらず理解できないのだけれど。童子君を気にかける人間がいないのは、あなたがそうして自分から溝を作ろうとするからでしょう。こう言っては何だけど、そうやって人間関係の構築を放棄して孤立することの何が楽しいの?」


 心底理解できないといった様子で水無瀬が口にした台詞は紛れもなく正論で、俺としても自分と彼女なら間違いなく後者が正しいと思うけれど。


 世の中にはみんなで一緒に何かをすることに価値を感じられず、物心ついたときからこういったイベントに義務感以外の感情を抱いたことのない人間もいるわけで。

 正直、俺みたいなどうしようもないやつに構ってまでクラスみんなでというお題目に拘る水無瀬の考え方は、知識として正しいと知っていても共感はできない。


「そう言われても、別に球技大会やクラスのやつに興味があるわけじゃないしな。どうでもいいものに追われて急いで飯をかき込むよりは、スマホでもいじりながらゆっくり食事した方が幾らか楽しくないか」


 俺の返答を聞いた水無瀬は深々とため息を吐いてから、諦観の滲む表情を浮かべた。


「……やっぱり、あなたのそういう所、理解できない」

「まあ、それでいいんじゃないか。自分で言うのもなんだけど、今のに共感できる人間よりお前の方がよっぽど人ができてると思うし」


 話の終わりが近づいてきたのを感じ気が緩んだ俺がその場で大きく伸びをしてから仰向けに寝転がると、水無瀬はそんな俺を見下ろしながらも場を離れることはなく暫し無言で佇んでいた。


「ん、まだ何かあるのか?」

「いえ、そういうわけではないけれど」


 何やら歯切れ悪く言い淀んだ水無瀬は数歩こちらに近寄ると、スカートの裾を整えながらその場にしゃがみこんだ。


「あなた、本当に父さんとは似てないわね」

「まあ、あの人は俺と違って生真面目なところあるからな。顔もよく母さん似だって言われるし、やっぱ母さんの遺伝子の方が強いんじゃないか」


 水無瀬が父さんと呼ぶ人物は当然ながら彼女の父親なのだけど、実のところ俺にとっても父親だったりする。


 とはいえ、俺と水無瀬が兄妹かというとそんなことはなく、両親が離婚し母さんが俺を連れて家を出た後に父の再婚した相手こそが水無瀬の母親であり、彼女はその連れ子というわけだ。


 そんな相手と偶然同じ高校へ進学したのは奇縁と言う他ないが、まあ逆に言えばそれだけだ。

 父親がどうあれ俺と水無瀬の関係はあくまで一クラスメイトでしかないし、同級生はもちろん教師だって俺と水無瀬が同じ人間を父と呼んでいるなんて知りはしない。


 父さんが俺の学校生活に及ぼす影響は皆無と言っても過言ではないだろう。


 俺がそんなことを考えながらこちらを見下ろす水無瀬の顔を見つめていると、微かに響いてきた音で誰かがドアを開き屋上へ足を踏み入れたのがわかった。


「あー、学年証の色が赤ってことは一年か?」


 起き上がり屋上へ入ってきた人物へ目を向けると、そこには先客がいることに驚いているのか目を白黒させながらこちらを見つめる背の低い男子生徒の姿があった。


「担任が説明するの忘れたのかもしれないけど、屋上は立ち入り禁止だから勝手に入るなよ」

「え、でも、先輩たちは……」

「いいんだよ俺は。どうせ、先生にバレても忘れてもらえばいいだけだし」


 言葉の意味を測りかねているのか男子生徒は怪訝そうな顔を浮かべていて、些か良心が痛まないでもないけれど。

 俺は人の多い空間が好きではないし、学校の中にも一つくらいは静かに食事できる場所を持っておきたいタイプだ。

 

 だから、彼にはこの空間からご退場願おう。


「というわけで、お前は今見聞きしたものを全て忘れて今後屋上には近寄らない」


 台詞を言い終えてから、勢いよく両手を打ち合わせ周囲に拍手の音を響かせる。


 すると、男子生徒は目をとろんとさせ呆けた顔を浮かべてから、おもむろに踵を返しドアの向こうへ消えていった。


「……相変わらず、異常に精度の高い催眠術ね。私も少し調べてみたことがあるけれど、催眠術というのは本来こんな便利なものではないはずなのだけど」


 男子生徒のいなくなったドアを見つめる水無瀬は眉をひそめていて、どうして今の流れが成立するのか理解できず疑問を抱いているようだけど。

 俺としては、こんなの小さい頃から繰り返してきた単純作業でしかない。


 昔からずっと、俺が何かを忘れてくれと頼めば周囲の人間は文句の一つも言わずに従ってくれた。

 最後に拍手をした方が聞いてくれるお願いの範囲が広がるとか、成長の過程で小さな発見をすることは何度かあったけれど、根本の部分は昔から何も変わっていない。

 

 俺が忘れろと言ったことは忘れるし、近寄るなと言えば近寄らなくなる。

 催眠術がどうとか細かい理屈は知らないが、これは俺にとって当たり前の事象だ。


 唯一、母さんだけはなぜだか何を言っても効果がなかったけれど、それ以外の人間に対しては度の過ぎたお願いをしない限り全て言った通りになってきた。


 まあ、幼い頃に俺が考えていた自分にできるのだから当然に他の人間も似たようなことができるのだろうという予想は年を経るごとに的外れなのだと実感することになったけれど。

 正直、水無瀬を筆頭にした他人になぜ同じことができないのか、俺には皆目見当がつかない。


「別に、そんな難しいことしてるつもりはないんだけど」


 俺がぼやきながら何となく水無瀬の視線を追って屋上の入口であるドアを見やると、タイミングを見計らったかのようにそれが開かれ俺たちと同じ緑の学年証をつけた女子生徒が姿を現した。


 緩く波打った黒髪には所々赤のメッシュが入っていて、肌は透き通るように白く鼻梁は高く通っている。

 女子生徒の容姿は間違いなく可憐と評せるもので、少しだけ目を惹かれるけれど。


 自信に満ちた強気な顔立ちは獲物を見定める捕食者のようで、澄んだ水色の瞳と目が合うと微かに背筋が冷えた気がした。


 誰だか知らないが、これは早々にお引き取りいただいた方がよさそうだ。


「ストップ。お前は今から俺たちのことを忘れて、そのまま回れ右をする」


 いつも通り台詞の締めに拍手をして、女子生徒が先程の男子のように踵を返すのを待つ。


 しかし、どういうわけか彼女は屋上を出ていこうとはせず何かを振り払うかのように頭を振ってから、両手で自分の頬を張った。


「ようやく見つけたわよ。あんたね! この学園で素人丸出しの精神感応魔術を乱用してる馬鹿は」


 女子生徒は何やら意味のわからない独り言を呟いてから、右手の人差し指を俺に向け大きく口を開いた。


「あんた! 才能の無駄遣いはやめにして、今日から魔女になりなさい!」

「……は?」


 俺が漏らした疑問の声は、誰に届くこともなく果てしなく広がる青空に溶けて消えていった。

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