妖怪の創造

森本 晃次

第1話 海に巣くう妖怪

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。


 時は大正、世の中は動乱の時代であり、世界では未曽有の大戦が起こったり、国内では帝都を襲う、これも未曽有の大震災があったりと、激動の時代であった。

 しかし、庶民の中では自由な風潮も出かかっていて、デモクラシーの発想、商人の街の発展と、短い時代ではあったが、よくも悪くも激動に変わりはなかった。

 それも一部の都会でのことであり、大部分の田舎や貧困層は、本当にその日の暮らしをいかに生きるかということで精いっぱいでもあった。昭和初期に訪れる世界恐慌の煽りを受けることのないこの時代は、まだ希望もあったのかも知れない。田舎の人にはそれもほとんど関係なかったのではないだろうか。

 M県は、大都市を抱える県の隣に位置しているが、基本的には貧困層の多い地区で、農業というより、漁業を中心に生業を立てる人の多い地区であった。童子はまだ鉄道も通っていないところが多く、獲れた魚を大都市に輸送することが困難だったため、地元民の自給自足に使われることが多かった。そのため、漁業だけではなかなか収入という意味で県や村が潤うことも少なく、何か代表的な産業でもなければ、貧困からはなかなか抜け出せなかった。

 ただ、この地域は幸いなことに、県の中腹あたりの半島で、真珠の養殖が可能であった。

阿古屋貝という真珠を生産するために必要な貝が分布するこの地域で、実際に養殖が盛んにおこなわれるようになり、このあたりの代表的な産業として発展した。そのおかげで、何とか県は、最悪の貧困にあえぐこともなく、漁業を中心とした産業も、衰えることなく発展していった。

 昔から、養殖真珠や、貝類、階層などを採取するために海に潜る「海女」という職業があったが、産業として充実してきた。実際に海女を一目見ようと、他県からやってくる人もいたり、体験させるイベントのようなものも細々と行っている団体もあった。

 あからさまにやると、県や国から違反行為として摘発される可能性があったので、あくまでもひそかにではあったが、それが地元の文化を根付かせるためということで、取り締まるはずの県では見て見ぬふりをしていたというのも話としてはあった。

 ただ、この地域の漁業は、別に一致団結して大きなことに当たっていたわけではない。あくまでもそれぞれ個別の地域で独自に行っている漁業が主であり、縄張りに関しても、それぞれの地域で厳格なものになっていた。

 例えば、故意、過失を別にして、相手の縄張りに入って漁をすれば、自分たちの間で裁きがあり、下手をすれば、獲ってきた獲物を売りに行った場合、買い取ってくれないという差別に見舞われることもあったくらいだ。

 ただ、だからと言ってそれぞれの地域が閉鎖的だったというわけではない。一応仕切られた縄張り内でキチンとルールさえ守ってれば、隣の地区で困ったことが起これば、できる限りの援助も行ってきた。

「わしらは、持ちつ持たれつだからな」

 と言っていたが、これも厳格なルールが存在するからできることに他ならなかった。

 ルールなくして、持ちつ持たれつということになると、なあなあのなれ合いになってしまい、秩序が保たれることはないだろう。

 実際に漁業についての決まった法律が存在するわけではない。お互いに規律を守るためにはお互いに守るべきルールを決めておく必要がある。

 それには厳格なものでなければいけないという事情もあり、それが漁村という狭い領域を最大限に生かせるためには必要なものであった。

 このような形になったのは、この県における海岸線の地形によるところが多いのではないだろうか。

 この県の海岸線は、でこぼことしていて、ちょうどうまい具合にほぼ同じくらいの大きさの入り江がたくさんできている。まるで全部の歯が抜けてしまった後の口を開けたような感じだが、ちょうどその大きさが一つの集落を作るのにいい塩梅に形成されていたのである。

 家屋にしてどれくらいであろうか? 数十人が暮らすだけの集落が作れるくらいの入り江が他の地区と一線を画した形でできるので、他から余計な詮索をされることはない代わりに、領域が曖昧でもあった。だから厳格な領域を設定することで、お互いが険悪になることを防いだやり方が、お互いの地域で助け合うというやり方を生み出したというのは、長年の時代の流れによる、

「人間の知恵」

 だったに違いない。

 獲れる獲物は豊富だった。実際に県の主要産業は漁業であり、魚のほとんどは県内での消費が多かったが、真珠の生産により、かなりの利益を得ていたことはハッキリしていた。

 だが、それも明治時代の後半以降のことであって、真珠が摂れると言っても、明治時代の初期の争乱の時代には、なかなか流通が思わしくなかった。

 なぜなら、真珠の需要の多くは外国であった。日本の商社が買ったものを貿易として海外の商人に売ることで商社は潤っていたが、生産者である漁村にまで、その利益が還元されることはほとんどなかった。

 だが、真珠の生産がなければ、ほとんどの漁村は立ち行かなくなり、貧困漁村など、あっという間に干からびてしまうのは明らかであった。

 そんな漁村が連なる中に、足立村という漁村があった。そこは、県のほぼ中心部にあり、さらにその場所は、

「小さな半島の入り口」

 の様相を呈していた。

 前述のように、ここの漁村は集落ごとに小さな入り江を目印に、大小さまざまな大きさの集落があるが、それほど大小の差が激しくないのも特徴だった。

 そんな海岸線から突き出した半島は、それほど大きなものではなかったが、先に行くほど鋭利になっていて、地図で見ると、まるでナイフのようになっていた。

 さらに、その半島すら入り江が込み入っているので、完全に、

「刃こぼれしたナイフ」

 だったのだ。

 その半島が付きだしたちょうど足立村があるあたりは、半島の付け根の上の方も少し盛り上がった地形をしていて、そのため、足立村と他の村を仕切る境界である「入り江」のまわりも、さらに大きな入り江があり、まるで内海を持っているかのような地形が特徴だった。

 その地形のせいで、内海と外海の境界があることから、内海と外海とで獲れる魚の種類が違っていた。それは、足立村には好都合で、自分たちが食するものと、売りに出すものとを選別でき、内海で獲れるものを自分たちで食し、外海で獲れるものを商売品として出す。そのおかげで、消費するものにお金がかかることはなく、外海で獲れたものがそのまま利益になる時代が続いていた。

 ただ、それも明治中期までで、それ以降、中央集権が進むにつれて、漁獲高は性格に国や県に申告し、税金を取られるようになってしまったので、それまでの利益は半減してしまった。それでも、税金で持っていかれるだけで、利益の半分は残ったことで、他の村に比べれば、潤っていたのは間違いなかった。

 ただ、そんな村にも「大敵」が存在した。

 というのは、災害のことで、特にこのあたりは昔から台風の通過点として有名な箇所であった。

 内海を持っているということは、普段は波がほとんど立たずに穏やかなのだが、台風のような災害には特に弱かった。すぐに水が一杯になり、逃れることのできない水が陸地を襲う。一種の洪水状態になり、足立村のような小さな村は一気に飲み込まれて、ほぼ全滅してしまうことが昔からあったようだ。

 そのたびに、復興はしてきたが、この村は、普段の潤った生活とは裏腹に、災害に弱いという大きな危険を孕んでいた。

 そのためか、災害を恐れて、村から脱出する一家もあった。だが、他の村では日々の暮らしすらままならない人がたくさんいたので、危険を承知で、村を離れた一家の家に、そのまま入り込んでくるよそ者も後を絶えなかったという。

 つまりは、足立村というところは、まわりの村と同じく閉鎖的な村ではあるが、絶えず人の入れ替わりの絶えないところで、そこが他の村とは違う最大の特徴だったのだ。

 このあたりの集落は、助け合いながら生活しているところもあるが、基本的には閉鎖的な村である。立地的にもそうなっても仕方のないところであるが、人間性もそれに匹敵するものがあった。

 山間の農村などでは、山という大きな境目があることで、隣村まで一山超えなければいけないというほど閉鎖されているが、漁村の場合は、海に出てしまえば、目に見える境界などないのだ。

 それだけに、海に出てから陸を見返すと、一瞬、

――どこが自分の村なのか分からないのではないか――

 と思うはずなのに、皆迷いもなく、自分の村に帰ってくることができる。

 海に出ることのない女子供はそれが不思議で仕方がなかったが、漁師に言わせると、

「そんなのは当たり前だ。わしらにはわしらだけにしか見えないものがあって、すぐに自分の村だって分かるようになっているんだ」

 というのだった。

 子供が大人になり、初めての漁に出るまでは、その言葉が信じられなかったに違いないが、実際に漁から帰ってくると、その言葉の意味が分かるようになっているという。

「どうして分かるようになったんだい?」

 と聞かれると、

「帰ってきた時には、初めて出た漁だったはずなのに、もう何度も漁に出ているという錯覚に陥るほど、すでに自分が大人になったのだと感じることができるからだ」

 という答えが、ほぼ皆から聞かれたのだ。

 昭和時代以降であれば、それを誰もが、「デジャブ現象」という言葉で理解もできるのだろうが、その頃は、

「そんなバカな」

 という言葉とともに、まるで都市伝説であるかのように扱われていたかも知れない。

 都市伝説というと、現象そのものを証明する理屈が解明されているわけではない状態で、そのことを認めようとする気持ちに対する理屈すらありえないと思わせることであるので、ほぼ信憑性はないと言っても過言ではないだろう。

 迷信や占いのごとくの世界に、誰が信用するというのか、気休め程度のものでしかない。特にこの界隈では、迷信らしい話はたくさん残っている。元々閉鎖された場所だけに、似たような伝説であっても、別物として信じられ、そのまま伝承されてきたのだから、迷信の類が多いというのも頷ける。

ただ、その中には全国的にも有名な話も多分に含まれていて、この界隈も、他の閉鎖された村と変わらなかった。

 確かに日本という国は海に囲まれた島国であるが、海岸線というよりも内陸の方が圧倒的に多い、山岳地帯も乱立しているので、当然、村の数は限られてくる。隣村に行くのに山一つ越えるというのも当然のことで、閉鎖されているという感覚は、農村の方がより強いだろう。

 しかし数としては少ないかも知れない漁村であるが、漁村にも漁村としての誇りのようなものがあり、いくら隣接していても、隔絶された世界であることに違いはなかった。ただ、海というのは、農家のように家の庭に位置しているわけではなく、広大な大海原という一種の未知の世界に入り込んでいくという恐怖と背中合わせになっている。それだけに迷信めいたことや言い伝えなどは、農村に比べれば信じられてる可能性は大きいだろう。それを研究しているグループもその後いくつかあったようで、ただ、あまりにも言い伝えが都市伝説であったので、信憑性に欠けていたのも事実だった。

 その後に研究が進んで、海に出没する妖怪の特徴がよくあらわされるようになってきたが、まず一つとして、

「海の妖怪は、夜に出没するものが多い」

 と言われていることである。

 そして、もう一つの特徴として、

「妖怪に出会うと、その人はほとんどの場合、死んでしまう」

 という言い伝えである。

 そういう意味で、海に出現する妖怪の類は恐ろしいものが多く、食われてしまったり、海に引きずりこまれてしまい、結局は死んでしまうというものが多いということになるのだろう。

 ただ、一つの特徴として、

「海の妖怪を見ると死んでしまうという伝説がよく囁かれているが、それを予防するための伝説も伝わっている」

 という話もあるらしい。

 これは妖怪というものが、本当に存在するものなのかを疑問視する説でも言われることなのかも知れないが、最初からその予防策があるということは、

「人間が故意に創造したものではないか?」

 という説が成り立つのかも知れない。

 要するに、物語として面白おかしく伝わったものとして、怪談と同じような趣向で、用いられるものもあれば、海という神聖な場所に、邪気やただの好奇の考えのみで入ろうとするのを戒めるという意味もあったのかも知れないという考えも成り立つのではないだろうか。

 その後の海のように、行楽を目的とし、実際に妖怪すら住めないような海岸線を作ってしまったことは人間の罪と言えるのだろうが、

「妖怪すら住めない世界」

 にしてしまったその罪の大きさを、誰が代償するというのか、

「時代は繰り返す」

 というが、最後には人間すら住めない世の中になると、妖怪世界では信じられているのかも知れない。

 足立村の特徴は、

「他の村に比べて、死体が流れ着く比率が高い」

 と言われていることだった。

 海での生活を強いられ、さらにまわりすべてが海に依存しながら生きていることもあって、どうしても人の「土左衛門」(放送禁止用語らしい)が多いのは仕方のないこと。何しろ、予測不可能な天候と、それに伴った潮の流れなどの複雑な状況が引き起こす自然現象は。無限と言ってもいいほどに考えられる。したがって、海の事故は本当に予測不可能であり、海に出れば、「死」というものを覚悟しなければいけないというほどの危険な場所でもあった。

 そんな「墓場」ともいうべき海から、死体が流れ着いたとしても、それは甚だ不思議ではないものと言えるだろう。いちいちそのことに一喜一憂する暇もないくらいに、漁村で生活するというのは、想像以上の厳しさがあるだろう。

 ただ、そんな海を目の前にしても、足立村に押し寄せる「土左衛門」の数はハンパではなかった。

 他の村と暗黙の了解で助け合いはすると言っても、情報共有まではしていないのが実情で、確かに死体が流れ着くのは日常茶飯事だと思っていながら、他の村がどれほどのものなのかは周知ではないに違いない。

 その証拠に、村の少年たちは、ほぼ毎日のように流れ着いてくる死体の数を、

「これが当たり前なんだ」

 と思い込んでいたことだろう。

 隣村の少年たちは、そんな数を知らないから、一月に数体流れてくればいいという程度であっても、

「多いな」

 と認識していたかも知れない。

 それでも実際に海に出て仕事をするようになると、それまで何ら新たな情報があったわけでもないのに、

「この村は多すぎる」

 という認識を足立村の若い漁師は感じていた。

 理由についてはいくつかあったようだが、一つの理由として、

「足立村が入り江になっていること」

 が一番の理由だとされている。

 特に足立村の左右から角のように突き出したところの左側は、断崖絶壁になっている。

「あそこから落ちたら、まず助からない」

 と言われているところで、子供の頃から、

「あそこには近づくな」

 と言われていた。

 角の手前には小さな神社ともいえるくらいの大きな祠があり、そこが断崖から亡くなったと思われる人たちの菩提寺の役目を果たしていた。

 何しろかなり高い断崖絶壁で、下は岩場となっているので、落ちてしまうと、顔や身体が誰とも見分けのつかぬほどになってしまうので、身元不明者として、無縁仏ということで、この祠に祭られているというわけである。

 そのうちにこの祠が、

「足立村の海の守り神」

 として伝えられるようになり、毎日のように、穀物や果物が供えられるようになったという。

 これはずっと誰にも知られていなかったが、村から一番祠に近いところに住んでいる家が、代々行ってきたことのようだ。

 そのご利益なのか、この神社にお供え物をしていた家は、江戸時代に大きく発展し、網元のような大きな屋敷を構える家に成長していた。

 明治に入り、少しは没落したが、それでも家の格式は他の一般漁民とは違い、洗練されたものであった。

 農村でいえば、さしずめ、

「お庄屋様」

 と言ったところであろうか。

 時代が変わっても、穀物をお供えするという風習は変わっておらず、ずっと続けられてきた。ただ、すでに祠のことを真剣に守り神として考えている人が減ってきたのか、お供えする家がどこなのか、知らない村人が増えてきたのは事実だった。

 ただ、この祠に対しての言い伝えは諸説ある。海の守り神として、あみもとの先祖が建立したものだという話であったり、かつての城主が建立したものだという話もあったりするが、どの話にも信憑性があるようで、決定打が薄い。だが、明治以降に言われるようになったウワサが今では一番信頼できるとして信じられるようになったのだ。

 そのウワサというのは、その先にある断崖絶壁にまつわるもので、断崖絶壁から落ちる人は昔から絶えなかったという。その中には生活に困窮し自殺を試みた人も多いというが、それ以外には、海で妖怪に出会い、それが精神疾患を呼んだことで、本人の意志とは裏腹に、断崖から身を投げてしまうというのだ。

 本当の自殺とどこが違うのかよく分からないため、最初の頃は、そんな説を信じる人はいなかったという。だが、妖怪伝説がこの村に定着してからは、

「ひょっとして生活苦での自殺よりも、妖怪による魔力の方が強いのではないか?」

 と言われ始めて、祟りを恐れる人が増えたという。

 特に海が生活に密接に結びついている地域なので、海を無視して生活するわけにもいかず、いろいろな対策が考えられたが、そのどれも功を奏することはなかった。そのため、残った方法としての、

「神頼み」

 のために建立されたという説が浮上してきたというわけだ。

 しかもこの建立には村人たちそれぞれが協力したものだという。もちろん網元が資金の多くを供出したというのは当たり前のことだが、村人皆からの寄付によって建立されたこの祠、確かに記念碑のようなものがそのそばに建っているが、その裏には何かで彫られた文字が残っていた。長年、潮風に晒されたせいもあってか、解読は困難だったが、どうやら建立の年月と、寄贈した人たちの名前が彫られているようだった。大正時代のことなので、それを解読できるほどの技量もなければ、そこまでして解読する必要もなかった。ただ、守り神としての祠がそこに存在していることが重要なのだった。

 そんな祠と記念碑の横には、道というには粗末で、草も生え放題になりかかっている状態がある程度の期間放置されている。さすがに祠が近くにあるので、生え放題を放置しておくには忍びなく、少し荒れてき始めると、村人が一日総出で、整備するのだった。

 だが、実際には祠の神通力が通じているのか通じていないのか、検証などできるはずもなく、一月に数人はここで死んでしまうという状態が続いていた。

 祠から向こうは道がない状態で、しかも、しめ縄に視界ような綱で、絶壁の前にある二つの大きな木の間に張り、立ち入り禁止の状態にはしていた。

 ただ、できるのはそこまでで、それを乗り越えて立ち入ることは大人であれば、容易なことだった。子供でも無理なことではなく、大正時代に入ってからは、大人だけではなく、子供がここから死体となって上がるということも少なくはなかった。

 だから、生活苦のための自殺だけではないと騒がれるようになったのであって、子供がどうしてそんなところに行って、死ぬことになるのかということは誰にも分からなかった。

「やはり、妖怪がいて、誘うんだよ」

 誰かがいうと、

「妖怪なんか迷信に過ぎないんだ」

 と他の人がいう。

 この人は元々怖がりなので、妖怪の存在を何とか打ち消したいといつも思っていた。だが実際にはそんな人間ほど一番妖怪の存在を信じているもので、だからこそ、いの一番にその存在を打ち消したいと思うのだ。

 村人は死人が定期的に出ることを憂慮していた。県の方からも以前調査団として派遣された人たちがいたが、大学の研究チームだという。彼らに妖怪の話をすると、

「妖怪ですか? そんなもの本当にいると信じているんです? そんな非科学的な」

 と、村人の真剣な話を一蹴されてしまった。

 一蹴したのは、研究員の若い連中で、実際に調査団のリーダーとしての教授と呼ばれた人は、口では、

「妖怪というものは、何かの超常現象が重なり合って、妖怪の存在という形で説明する方が一番楽だから考えられたものじゃないかって思うんですよ」

 と言っていたが、どうやら、本音は信じているようだった。

 教授は調査に来る前に、この村や周辺に言い伝えられ、古文書として残っている文献をどうやら調査済みのようだった。

「信じていないと言っている人がそんなことはしないだろう」

 と、教授からその話を聞かされた網元の息子はそう言って、教授としての表向きと裏側を考察していた。

「俺も妖怪なんていないとずっと思っていたんだけど、その教授と話をしていると、何だか本当にいるんじゃないかって思うようになったんだ」

 きっとこの網元の息子は、教授の話術に引っかかったのかも知れないとまわりは感じたが、その人たちも妖怪を信じている方だったので、それをあからさまに網元の息子に話すことを嫌った。

「それにしても、ここで自殺者が多いというのは分かる気がしますが、飛び込んだ死体はこの村に流れ着くんですよね?」

「ええ、そうだと思います」

「でも、中にはこちらに来ずに、そのままこの海の底で引っかかっている状態の死体も多いかも知れませんね。だから実際に上がった死体の数よりも、本当に死んだ人というのは、もっとたくさんいるのかも知れません」

 と教授は言った。

 この場所から飛び降りるとほとんどはそのまま入り江に入り込んでくる。この場所というのが、

「入り江の中の入り江」

 という特徴的な形になっているからで、その意見は教授も同じであった。

「地形的なものから考えると確かにほとんどの死体はこっちに来るんでしょう」

 と言って、教授は入り江を指さした。

 その後、教授が少し飛躍的な話をしたことで、その場にいた人たちは頭の中でパニックを起こし、キャパオーバーになってしまったようだった。

 その内容というのは、まず教授が祠の奥にある

「ご神体」

 を指さして、

「あれは何ですか?」

 と言ったことから始まった。

 一人がそれを聞いて、

「あれはこの村の守り神で、海難から救ってくれるという言い伝えが昔からあって、元々はここでの死亡者というよりも、海難事故が起こらないようにということで建てられたものだとわしは思っていました」

 というと、まわりの数人が、

「うんうん」

 とばかりに、無言で頷いていた。

 だがその表情は真剣そのもので、その話を信じていることは明らかであった。

 この話を聞いて、教授は少し考えていたようだった。

「この姿は、昔から伝わっている妖怪に特徴が似ているんだ。その妖怪は海難事故を引き起こすと言われている妖怪によく似ているんだ。それに……」

 とそこまでいうと、教授はそれ以上何かを話そうとするのを躊躇っていた。

 これまである程度自信を持って話をしていた教授にしてはおかしな様子だった。


「どうしたんですか」

 と言われるまで、教授は本当に考え込んでいて、

「心ここにあらず」

 という雰囲気がその場に充満していた。

 それだけその場の空気は重たく、教授が何かを言わなければ、そのまま凍り付いたまま時間だけが通り過ぎてしまうように誰もが思えた。

「実は……」

 と言いかけてまた少し黙り、すぐに意を決したかのように、

「実は、この妖怪は自分が知っている人によく似ているんです」

 というと、一瞬、まわりの空気はさらに凍り付いてしまった。

 誰もが何かを言おうとしているのを躊躇っていた。しかし誰かが何かを言わないと、その場の空気が流れることはなかったので、口を開いたのは網元の息子だった。

「今の教授の話なんだけど、実は俺もこの絵の妖怪を見て、誰かに似ているという気がするんだ。しかもソックリに見えて、あまりにもソックリなんで、その人にそれを言ってしまうと何か恐ろしい呪いのようなものが起こるのではないかと思って、恐ろしい気がするんだ」

 というと、もう一人が、

「うんうん、そうなんだ。俺はここであの絵を見た時からそんな気がしていたんだが、誰にも言えなかった。でも、今は俺が言い出したわけではないから、俺には祟りはないと思えてきた」

 この男は、いつも自分さえよければいいというタイプの男で、まわりからはあまり相手にされていなかった。

 さすがに、この時とばかりに口を挟んだが、それ以上は何も言うこともなく、黙り込んでしまった。これがこの男の、

――悪いところでもあり、いいところなのかも知れない――

 と、網元の息子は思っていた。

 断崖のちょうど上、つまりは自殺する人が飛び降りるであろう、まさにその場所に佇んでみると、不思議なことに気付かされる。

 まわりは、前述のように草が生い茂っていて、道になっているはずの部分も、どこまでが道なのか分からないほどに荒れ果てている。それなのに、自殺のために足を揃えるであろうその場所には、草が一本も生えていない・ちょうど人が足を揃えて置くにはちょうどいい大きさに禿げ上がっていて、

「そこに草が生えているところを見たことがない」

 と誰もが感じていたのだ。

 それを口にする人はいなかったのは、口にすることで災いが降ってはこないかが怖かったのだ。暗黙の了解として草が生えていないことを誰もが無意識に共有していたのかも知れない。

 それなのに、昨日今日やってきた研究チームの若い研究者が、そのことに触れてしまった。

「ここって、草が生えていないんですね」

 と言うと、サッとまわりに緊張が走ったのを、教授は見逃さなかった。

「ああ、いいんだ。今はその話は……」

 と言って、話を敢えて遮った。

 しかし、一度口にしてしまった言葉を取り消すことはできず、緊張が走ったままだったが、教授はさらに話題を変えた。

「ここで、身投げをする人が多いということですが、履物を脱いだり、何か家族に書置きのようなものを残しているんでしょうか?」

 この時代でも自殺に遺書や、履物を揃えておくということは一般的だったのかも知れない。

「その時々でバラバラだったようです。ここに何も残っていないのに、死体だけが上がるというのも結構ありましたからね」

 と網元の息子がいうと、

「じゃあ、その人たちが本当に身投げだったのかどうか分からないので、事故の可能性もあるというわけですか?」

 と教授が聞くと、

「いえ、そんなことはないんです。死体が上がった人にはそれなりに自殺の原因はありましたからね。中には、『俺はいつ死んだっていいんだ』という投げやりな言い方をする人もいるくらいですからね」

 というと、

「でも、意外といつ死んでもいいなどという人に限って、実際にはなかなか死なないものです。これこそ伝説のようなものかも知れないんですけどね」

 と教授が言った。

 それを聞いて、網元はおかしくなって思わず笑みがこぼれた。教授はその表情も見逃すことなく、

「そんなにおかしいですか?」

 と聞くと、

「ええ、大学のお偉い教授が、迷信のようなことを真剣に信じているように見えて、思わず苦笑いしてしまいました」

 という皮肉を込めた言い方だったのに、

「そうですか? 私は意外と迷信や伝説の類は信じる方なんですよ。何でもかんでも最初から否定から入るというのは、研究者として科学を冒涜していると思っているくらいですからね」

 という教授を見て、まわりの研究者も頷いていた。

 この頷きは教授の考え方に共感したものなのか、それとも教授の日ごろの口調から、この話に信憑性を感じたことでの頷きなのか、漁民が輪にはよく分からなかった。

「この村だけではなく、このあたりには結構迷信や伝説などは残っていますので、他の村でも聞いてみるといいですよ」

 と、網元が言った。

「それなら、他の村にはここに来る前にいくつか行きました。私が興味があったのはこの村だったので、まずは土台から組み立てておこうと思い、まずは他の村に聞いてまわったんですよ」

 と教授は答えた。

「それで何か分かりましたか?」

「ええ、興味深くですね」

「私たちは隣村とはあまり話をしないので、向こうの村でどんな伝説が残っているかなどということはほとんど知らないんです。でも、私が思うに意外とどの村にも似たり寄ったりの話が残っているんじゃないかって感じます」

 当たらずとも遠からじと言ったところであろうか、網元の話は意外と的を得ているところが多いと教授は感じていた。

「それにしても、ここでの無縁仏というのは、結構多いようですね?」

「ええ、この村の人間ではない人だったり、中には顔がつぶれていて、誰だか分からない死体もあるんです。その人も誰だか分からないので、しょうがないので無縁仏として供養させてもらっています」

「墓地はどこにあるんですか?」

 と聞かれて、網元は少し躊躇したが、

「私の家の奥に細々と葬っています。この村は土葬が習慣になっているんですが、無縁仏の場合はどうしても敷地の問題があるので、火葬にします。骨だけになったところで、皆一緒の場所に安置します」

「なるほど」

 教授は、網元の息子がさらに何かを言いたげなのを察知していた。

「他には?」

 と聞かれて、さすがの網元の息子も看破されてしまっていることに気付き、隠し通せないと思ったのか、少しずつ口を開いた。

「実は、この村では、いやこのあたりの村ではというべきなんでしょうが、火葬は不吉だと言われているんです。なぜかというと、火葬にしてしまうと、身体が亡くなってしまうので魂が彷徨ってしまって、それが霊として生きている人に災いをもたらすと言われています。だから火葬にすることは秘密にしていましたが、明治時代の中期くらいから、そんなのは迷信だから、余計な風潮をこれからの時代に残すのはやめようと言い出した人がいたらしいんです」

「なるほど、勇気がありますね」

「ええ、でもその人の発想は時代が早すぎたのか、他の人に受け入れられなかったようです。まわりからは無視されるようになり、村八分にされてしまい、最後には……」

 またしても、そこで口籠ってしまったが、教授が最後の言葉を代弁した。

「その人自身がここで自殺した?」

「ええ、死体は入り江に流れ着いたんですが、これも不思議なことに、あの断崖から身投げしたにも関わらず、遺体は実に綺麗なもので、それほど傷はついていなかったそうなんです。それでもさすがに身投げですから、無傷と言うわけにはいきませんでしたが、あんな高いところ飛び降りたにも関わらず、これだけで済んだのは奇跡だと言われました」

「ひょっとして、他で死んだのではないかと言われたりはしませんでしたか?」

「はい、あまりにも綺麗だったので、死んだ場所が違ったのではないかと疑われましたが、履物もちゃんとあの場所に揃えられていたし、何よりも中途半端ではありましたが、傷があったことで、普通の死に方ではなかったのは間違いないんです。だから、本当に奇跡的に綺麗な死体だったんだということで処理されたようです」

「うーん、不思議な話ですね。その人にとって、あの場所でなければいけなかったんでしょうね」

「村人への恨みからでしょうか?」

「そうかも知れないですが、それよりも、彼はここから飛び降りることで、何かを証明したかったのかも知れませんね。ひょっとすると、自分の死体に傷があまりつかないということを分かっていて身を投げたのかも知れないですね」

 というと、まわりで聞いていた人たちも、網元の息子も、一斉にゾクッと背筋を伸ばしているようだった。

「彼は無縁仏ではなかったので、当然、この村で荼毘に付されたんですよね?」

「ええ、皆気持ち悪がって、葬儀もまわりでお金を出し合って結構盛大にやったそうです。そして彼が持っていた形見となった品が対になっているものだったので、形見分けのような形で、それをこの祠に奉納しているんです」

「それは何ですか?」

「銛なんですが、それは一本の鏃ではなく、横にさらに二本ついた、三本の鏃なんです。一本は代々伝わるものだったようで、そちらを奉納しました」

「じゃあ、もう一本は?」

「彼の家はそこで途絶えてしまいましたので、私の家、つまり網元が代々受け継いできました」

「それをご使用になっているんですか?」

「ええ、それを使って漁をしています。かなり昔のものなのに、まだまだ現役で使えるなんて、すごいものだって、親父は言っていました」

「何かまだ釈然としない思いがあるんですが、他に何かありませんか?」

 と言われて網元の息子はまた躊躇したようだった。

 ただこの話はさすがに他言ができないようで、

「いえ、別にありません」

 と言って、その場を何とかやり過ごした。

 しかし、雰囲気的にその場を収めただけのことで、どうしても引っかかっているものがあったようだ。急いでその場を収拾し、解散にこぎつけた。あまりにも急だったため、他の連中にも違和感が残ったかも知れないが、村の力関係はまだこの時代では、網元に圧倒的にあったこともあって、息子が、

「ここで話を終わらせよう」

 と言って収拾させてしまうと、他の人からは、異存を唱えようなどとする人は一人もいなかった。

 この場を解散させたことで、彼はホッとしたようだったが、その顔は教授を見つめていた。まるで、

「助けてください」

 と言わんばかりのその表情には、言い方は悪いが、情けないような、泣きべそを掻いているようにさえ見えた。

 息子は教授に耳打ちし、

「すみません。本当は話を続けたかったんですが、ここから先は村人に聞かさてはいけない部分が含まれているので、内密に二人だけでお話できる場面を設けたいと思います」

 というと、

「大丈夫なんですか? あなたは網元の息子さんでしょう? お父上の意見も聞かずに勝手にできるんですか?」

 という教授の話を抑え込むようにして、

「本当はいけないんでしょうが、村人に聞かれてはいけない部分は多分にありますが、部外者であれば、聞かせてもいいものもあります。親には内緒ですが、これも仕方のないことだと思います」

 と息子は言った。

 教授は、彼に対して、

――重荷を背負わせてしまったかな?

 と思ったが、彼が何らかの覚悟を決めているのであれば、彼の気持ちを尊重してあげるべきだと考えた教授は、彼のいうように、自分が宿泊している宿に、夕方訪ねてくるように申し入れた。

「分かりました。じゃあ、夕刻、ご指定のお時間にお伺いいたします」

 と言って、その場は別れたのだ。

 教授の方は、それから夕方近くまで何かを研究しているつもりだったようだが、研究員に調査を続けさせ、自分だけ先に宿に戻っていた。どうやら、息子との対談に、幾分かの用意があるかのようで、研究員にも内緒で、用意をしていた。

 宿に帰る前に、研究員には、

「夕刻、私のところに先ほどの網元の息子さんが訪ねてこられるので、私は彼と夕餉を一緒にします。だからみんなは久しぶりに宴会とでもしゃれ込んでくれたまえ」

 といい、研究員の感嘆を得られた。

 研究員としても毎日研究に勤しんでいるだけで、楽しみなど後回しにされていただけに、久々に宴会ができることを素直に喜んでいた。だから、

「私は来客の準備があるので、先に帰る」

 と言った時も、

「お疲れ様です」

 と誰もが言い、教授の行動に異議を唱えるものは誰もいなかった。

 宿というのは、村から少し奥まったところにある宿で、そこはこの地域の中心的な街になっていた。鉄道も繋がっていて、都会からも仕事や観光に訪れる。特に近くにある温泉では全国的にも効能が有名なため、来訪客が多かった。観光だけではなく、湯治でも客が多いことから、老若男女と世代、性別関わらずに来訪客はどの季節も安定して多かったのだ。

 宿にも温泉から湯が引かれていて、宿も盛況だったようだが、ちょうど時期的に一番寂しい時期に当たるようで、この大学研究の団体客がいなければ、客は一週間に数件と、寂しいものであっただろう。

 予約を入れた時の電話口での宿主の声を予約を入れた研究員は今でも覚えている。

「本当に歓迎されているんだな」

 と感心したほどだった。

 宿をここに決めてよかったと思った研究員は、教授に誇らしげに宿が決まったことを報告したものだった。

 教授を一人にして、いよいよ研究員たちの宴が始まった。普段は厳格な教授の元で日夜研究に明け暮れているので、たまに許可の出る宴会は、彼らにとっては最高のストレス発散だった。隠し芸のようなものや、下手な歌だったりと、宴はあっという間に華やいでいるようだった。

 教授は一人自室でその日の研究をまとめた書類に目を通していた。研究の書記は専門の人がいて、その人の達筆さは、少し癖のある字であるため、慣れるためには少し時間が掛かる。そのおかげで誰かに盗み見られても解読に時間が掛かるので、そういう意味ではありがたいというべきだろう。教授は鳴れているので、すぐに読破することができた。

 と言っても、そのほとんどは周知のことなので、本当に復習程度のことだった。それでも一度落ち着いてから見ると、情報収集中であれば気付かなかったことに気付けて、新鮮な気がしてくる。

 そうやって書類に目を通していると、ほどなくして息子がやってきた。

「先生、お客様です」

 そう言って女中が取り次いでくれたので時計を見ると、約束の時間ピッタリであった。

 自分の感覚では約束の時間を五分くらいオーバーしているような気がしていたが、実際には時間通りだったのだ。それだけ書類に目を通して気を落ち着かせているつもりだったが、想像以上に興奮状態だったのかも知れない。

 女中に導かれて現れた息子は、先ほどよりも表情は落ち着いているように見えたが、落ち着きすぎていて、少し怖いくらいでもあった。その表情の真意がどこにあるのか分からないまま、教授は彼を部屋に招き入れた。

「やあ、いらっしゃい。他の連中は宴を催しているので少しうるさいかも知れないが、そのあたりは勘弁してくれたまえ」

 と、親近感のある挨拶をした。

「え、いえいえ、お招きいただいてありがとうございます」

「じゃあ、一献やりながらでもお話しましょうか?」

「そうですね。ありがとうございます」

「君はいける口なんだろう?」

 と教授がいうと、

「そんなことはないです。チビリチビリやりますよ」

 という息子に対して、

「それはありがたい。私もそんなに強い方ではないので、お互いに気を付けながらやりましょう」

 と言って、教授は手を二回叩いた。

 すぐに熱燗が届けられ、

「ささ、どうぞ」

 とお互いにお銚子に一献注ぐと、同時に一口呑みほした。

「これで、少し緊張がほぐれましたかな?」

 と教授がいうと、

「ええ、気分的にだいぶ違います」

 と言って、笑顔を見せた。

「さっそくですが、村人にも知られたくない秘密というのは何なんですか?」

 と教授はいきなり核心を突いた。

「実はですね。この村には妖怪の伝説が残っているんです。妖怪伝説というのは、他の村にも似たようなものがあるようなんですが、この村に残っている伝説には、信憑性があるというところが他の村とは違うところです」

「というと?」

「あれは、百年くらい前になるでしょうか? 私の何代か前の網元の元締めだったんですが、その人がちょうど私くらいの年齢の時に、妖怪のようなものの死体を見つけたというんです。それはどうやら子供の死体のようで、身長も十歳未満の子供よりもさらに低かったと思います。その死体は干からびていて、顔などはほとんど判別ができなかったと言います。ただ、外傷は何もなく、自然死だったのか、それとも空気が合わなかったのか、とにかく発見した先祖は怖くなって、それを村の奥にある洞窟に隠したといいます」

「その洞窟というのは?」

「今は跡形も残っていませんが、どうやら、先ほど行った断崖絶壁の真下の岩場に横穴があって、そこから入れたようなんです」

「どうして今は残っていないんですか?」

「このあたりに、八十年くらい前に大地震があったらしいんですが、津波が押し寄せて、横穴を塞いでしまったということなんです。これは代々網元にしか伝わっていない話なので、誰も知らないはずのことなんです。だから、先ほど他の村人には知られたくないと申し上げた次第なんです」

「なるほど」

 と教授は一度頷くと、少し静寂の時間が訪れた。

 微妙な空気の中時間が流れると、今度は教授が話し始めた。

「ところであなたは、あの自殺の名所というか、死体が頻繁に上がるあの断崖絶壁と、その時発見された妖怪とが何か関係があるのではと思っているわけですね?」

「ええ、あそこに祠があるのも、きっと何か妖怪に関係があるような気が私はしているんです。本当は大学の教授にこんなことを言っても信じてもらえないと最初は思っていたんですが、お話をしているうちに、聞いてもらいたいと思うようになったんです。それも最初は徐々に、そして自分の中で確信に変わったんです」

「それだけあなたが一人で抱え込んでいた気持ちが大きかったということも言えるんでしょうね。欲求不満は解消しないといけませんからね」

「ええ、そうなんです」

「その頃の何か逸話のようなものは残っていないんですか?」

 と教授がいうと、

――待ってましたーー

 とばかりに彼は話し始めた。

「実は、これは妖怪を発見した先祖の話らしいんですが、どうやら、その人は妖怪の死体を見つけてから少しして、幻覚を見たり妄想に捉われるようになったというんです」

「それは何か信憑性があるんですか?」

「書物で残っているというわけではないんですが、私たち網元の家では伝承されてきたことなんです。口伝えに伝わってきたことですね」

「その幻覚や妄想というのは?」

「その人がまだ若く、網元というにはまだまだで、いわゆる『若旦那』と言われていた頃のことですが、その人には妹がいて、その妹は実は偽物で、ソックリな化け物と入れ替わっているというような妄想です。次第に妹だけではなく、両親にも抱くようになった。そのせいもあって、一時期完全に家の中に引きこもってしまって、家族を大いに心配させたというのですが、ある日網元の元締めがどこかから祈祷師のような人を連れてきて、祈祷をしてもらったというのです。それで何とか幻覚や妄想はなくなったのですが、その祈祷師がいうには、『おぬしは妖怪の死骸を発見し、それを誰にも言わずに処分したであろう? それが今回の呪いに繋がったのだ。だから、供養をする必要がある』と言われたというんです。だからあそこに祠がありますが、あの祠は実はその人が建立したもので、自殺者を弔うというよりも、干からびた妖怪を供養するという理由も隠されているんですね」

 と言った。

 教授は、その話を聞いて、

――どこかで聞いたことがあるような話だな――

 と感じた。

 その後の研究で、このような幻覚や妄想のことを「カプグラ症候群」というのだが、実際に発表されるのは、大正のこの時代よりも少し後になるのだ。だから、この時は誰からも発表されているわけではない現象であったが、教授がどこかで聞いたことがあると思ったのは、ただの勘違いだったということだろうか。

 だが、教授にとっても、この話はセンセーショナルな内容だった。何が原因でそんな精神状態になるのか分からない。本当に妖怪が存在し、死んだあと、いや、死体を見たということで効力を発揮する魔力の類となるのであろうか。

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