こぼれおちる青

A子舐め舐め夢芝居

こぼれおちる青

 きっかけはサークルの後輩から聞いた話だった。彼女の祖母は半年前に膵臓がんで倒れて入院生活を送るようになり、母親は心労でやつれていった。とうとう祖母が亡くなったときは食事も喉を通らないほどショックを受けたそうだ。見かねた後輩は最近話題の人格模倣AIサービスを利用して祖母のマイモイドを作成した。マイモイドは対象人物の経歴やSNS投稿、利用者の記憶映像、関係者の証言などをもとに身体と人格を再現したものだ。人々は突然別れることになった人間を期限付きで再現し、緩やかな別れを通して喪失を受け入れる。後輩の母親も祖母のマイモイドと一か月ほど過ごすうちに健康を取り戻していったという。他人事として聞くなら反吐の出そうな欺瞞だが、自分の事情に当てはめるとなかなかどうして魅力的に感じるものだ。

 私が作ったのはバイト先の先輩だった。別に死んだわけではない。けれど、もう関わることがないという意味では死人と同じだ。特別仲がよかったわけではない。けれど、彼は私が晩ごはんを食べ損ねたと言うと、おにぎりを買ってきてくれた。仕事で行き詰ったとき何時間も相談に乗ってくれた。クリスマスにはいつも頑張っているからとチョコレートをくれた。彼の誕生日にバイト先の友人もいれて三人で水族館に行ったときとても楽しそうに笑ってくれた。

 本人は忘れているに決まっている。けれど私はこれらの出来事を忘れたことはない。ただそれだけのことだ。

 センターの調整室から現れたそれは実際の彼よりも頭一つぶん身長が高かった。それが日本人の平均身長なのだ。恐らくその大きさのマイモイドが一番在庫が多いのだろう。製作者の欺瞞がそこにあったが、つまらない羞恥心にこだわって細かいリクエストをしなかった私も悪かった。係員がプランの確認を説明しているあいだ、私たちはお辞儀をしてお互いの姿をチェックしていた。彼のおずおずとした感じの挙動は本物そっくりだった。私はかなり驚いたし、技術の高さに感心した。一日料金しか払えないことが悔やまれるほどには。二人で歩道を歩くとき、マイモイドは車道側を歩いてくれた。先輩にそんな気遣いができたのか、これも製作者の欺瞞なのか、私には判断しかねた。二人でどこかに出かけたことなどなかったから。

 水族館へ向かう途中で私たちは喫茶店に入った。料理が来るまでのあいだ、彼は自分の専攻の話をした。しかし、その講釈は門外漢の私でも知っているような初歩的なものばかりだった。全てかつて先輩が大学に入ったばかりの私に話してくれた内容や、先輩が知っていることを私も知りたくて独学で勉強したことがマイモイドの口を通してダイジェストされていた。今の先輩が何をしているか、どんな知識を習得しているか知らない私の記憶から作られたのだから当然といえば当然のことだった。きっと先輩はSNSでもそのような話題を投稿してはいないのだろう。バイト先の他の人たちとはフォローしあっていたけれど、先輩のアカウントだけはフォローしていなかった。

 マイモイドは私がオムライスをつついているあいだ、ティースプーンをぐるぐるかき回しながら非常勤で働いている大学の愚痴をこぼした。彼によると、授業の引継ぎや事務関連の事項を把握していない教務は「バカ」で、まともに日本語を理解できない学生は「バカ」で、ゴミをポイ捨てしてカラスに好き放題やらせている人間も「バカ」ということだった。ついでに彼の論文をまともに読まない担当教官も「バカ」で、修士課程で就職する人も「バカ」で、人文系学問を見下す人々も「バカ」であるらしかった。彼の矛先が与党や社会全般に向かう前に私は話題を変えることにした。先輩はここまで「バカ」という単語を多用する人ではなかった。AIが先輩のネットでの発言を拾ってこういう言動をしているのかもしれないと私は思った。あるいは私が最後に先輩に会ったとき「なんでそんなことも分からないの?バカなの?」と八つ当たり気味に言われたからかもしれなかった。マイモイドは記憶と感情が強く結びついている箇所を優先的に拾うと係員は説明していた。

 昔、先輩と水族館に行ったときオオサンショウウオが脱皮をしていて、本体の周りに透明のぬらぬらとした膜のようなものが揺らめいていた。三人でびっくりして水槽を覗き込んでオオサンショウウオが身体をごろりと回転させて膜を引き離すのを見つめた。その日のオオサンショウウオは脱皮などしていなくて隅っこでふてくされた顔をしていた。私はオオサンショウウオが脱皮していた日のことを話してみた。マイモイドは微笑みながら覚えているといって私の求めているとおりの完璧な回答を唱えた。私は顔が火照るのを感じながら思い切って申し込んでよかったと思った。

 けれど、それ以降はダメだった。大水槽の前で並んで、チョウザメやマグロやエイがぼんやりとした様子で泳いでいるのを見上げていたとき、私は試しにマンタが一番好きだと言った。マイモイドは新しい情報を深堀りするための応答をした。先輩には昔同じ話をしたはずだった。AIが先輩はそんなことを覚える人間ではないと判断したのかもしれないし、私がヒアリングのときに伝え忘れたのかもしれなかった。

 クラゲのコーナーでは期間限定の特別展示をしていた。赤紫や黄緑のライトがクラゲの水槽を照らしていた。マイモイドは私たちの共通の友人でクラゲが好きだと言っていた人がいたよねと話しはじめた。彼女も見に来ているかもしれないとマイモイドは言って、遊園地に来た子どものような無邪気さで周囲をキョロキョロと眺めた。少ししてから、知り合いと鉢合わせるかもしれないと不安になって私も周りの顔を確認した。幸い見知った顔はなかった。もし知り合いと会ったら偶然先輩と出くわして一緒に見回っていると言うことに決めた。もし知り合いが一緒に回ろうと言い出したら二人ともこのあと用事があってもう帰るところだと言えば大丈夫なはずだった。

「田口と楠本は元気?」マイモイドは尋ねた。

「元気そうですよ。この前、三人でケーキを食べました」

「どこの店?」

「ル・ファントームっていうところです。楠本が見つけてきたんです」

「そういえばこの前、楠本と交差点ですれちがったんだけど、なんか髪型変わった?」

「かなり前にパーマかけてましたよ」私もその日髪を巻いていたが、マイモイドはそのことには一言もふれなかった。マイモイドが気付かないのなら本物でもやっぱり気付かないのだろう。

 チンアナゴの水槽の前で私たちはひざまずいて穴を出入りするチンアナゴを眺めた。私はマイモイドの横顔を盗みみた。マイモイドの顔は私が覚えているよりもニキビ跡が少なかった。髭をあてたあとの黒い点は一つもなく、額にうっすら刻まれていたはずの皺もなかった。本物の先輩はもっと鼻が低く、あごの線もゆるかった。首には赤いイボが点在していて、袖から突き出た腕は黒い体毛で覆われていたはずだった。今の容姿の方が理想に近いのにひどくいたたまれない気持ちになった。マイモイドは私の気持ちに気付くはずもなく、昔水族館に来たときのことを話しはじめた。

「隣同士のチンアナゴがメンチを切り合っていて、それ見て俺ら笑ったけど、藤井はそれに気づかなくて、別のチンアナゴが出たり入ったりしてるのを笑ってるのと勘違いしてそのことばっかりしゃべってて、それで俺ら余計に笑ったじゃん」

「そうでしたっけ」私はとりあえず笑ってみせた。自分が覚えていないことを他人が語るのはいつもゾッとする感じがした。

「そうだよ。俺とのこと忘れるなんて許さないよ」

それは以前に付き合っていた人の発言で、先輩が言ったわけじゃなかった。どうしてAIが先輩にそんなことを言わせたのか理解したくなかった。私は自分の声が震えているのを聞きながら親プログラムを呼び出した。マイモイドはゆっくりと目を閉じて、少し頭を傾けた姿勢のまま動かなくなった。

「発言を撤回。同様の発言の禁止」

「リクエスト承認。発言を撤回、同様の発言の禁止をします。貴重なご意見ありがとうございます。今後も人格模倣プログラム、ソラリスをよろしくお願いいたします」

 水族館の最後のあたりは爬虫類や虫のコーナーになっていた。先輩は虫が苦手で、私が部屋にクモが出たけどクモは他の虫を食べるから見逃したという話をしただけで、しかめ面をしてみせるほどだった。私は爬虫類や虫自体には興味がなかったけれど、それらを収容するケージの中の石や木の配置を見るのは好きだった。しかし、先輩に気を遣ってさっさとそのコーナーを抜けようとした。マイモイドはヘラヘラと笑いながら「ちょっと待ってよ」と言ってついてきた。私はもうフィードバックをする気にすらなれなかった。

「お土産買わなくていいの?俺買ってあげるけど?」

「プログラム召喚。プログラム終了」

「プログラムを終了すると再起動に別途料金がかかります。本当に終了してよろしいですか」

「終了して」

「リクエスト承認。プログラムを終了します」

 マイモイドは喋らなくなった。そうして黙って横を歩いてくれているだけの状態が一番私の望んでいるものだと分かった。帰る途中で最寄りの支部センターに立ち寄ってマイモイドを返却した。

「返却期限までまだ五時間あります。一度返却すると再利用はできませんが返却で本当によろしいでしょうか」

私は注意文を最後まで読む前に、モニター下部の「はい」ボタンを押した。

「規定に基づき五時間分の料金を返金いたします。よろしければフィードバックアンケートにお答えください。ご利用ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

アンケートでは期限より早めに返却した理由を聞かれた。私は「料金が高すぎる」とだけ書いた。


 

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