第120話 伝言

「これでもなお、貴方は女神が守ろうとするこの世界を壊すのか?」



 静かな声で問いかけるロイゼルドに、ガルザ・ローゲはただ黙って目を閉じた。


 かつて人間にふんして地上を楽しむロキと、獣達と遊ぶレイリィが出会い惹かれ合った。

 世界に終わりをもたらす神は、始まりの神から創られた太陽の女神と逢瀬を重ね、やがて実を結ぶ。

 父神に悟られぬよう女神は姿を隠した。禁断の恋が引き起こしたのは、人の世に降り子を育む女神とそれを知らぬ終焉の神のすれ違いから起こる悲劇。


 女神の従獣を魔獣に変え、世界を混乱に陥れ、闇と憎悪から魔物を創り出したかつての恋人。

 女神は一体何を考えただろうか。自らを大地に封じて結界を張り世界を守ったのは、災厄を引き起こす原因をつくったことに対する贖罪の為なのか。




「ヴェーラ……ヴェズルフェルニルが、アルカ・エルラからの伝言を預かっている」



 ロイゼルドの言葉にガルザ・ローゲが顔を上げた。相変わらず冷たい表情のままであったが、もうそこに暗い影は無かった。



「言ってみろ」


「――女神を封印の眠りから解放する事。そして、神獣達に掛けられた呪いを解く事。その二つが創世の神の願いだそうだ」



 数千年もの長い間、女神はこの時の止まった場所でたった一人で耐えて来た。

 父である彼は、彼女をその孤独から解放したいと思っていた。



「受け入れるのであれば、ヴェズルフェルニルの力でこの天蓋の守りを解こう」



 ガルザ・ローゲは静かな微笑を口元に浮かべ、ああ、と小さく頷いた。



「……承知した」





 ロイゼルドが天蓋の紗に手を掛け開く。先程、終焉の神が触れる事を拒絶したそれは、ただの布と同じようにさらりと揺れるだけだった。


 中に入ったロキは、眠ったままの女神に近づきその顔をじっと覗き込む。わずかな息遣いを感じると、安心したように優しい笑みを浮かべた。


 彼女の額に手をおき、その豪奢な金髪をすくように滑らせる。長く結界を張り力を使い続けた女神は、全く目覚める様子もない。

 寝台のわきに片膝をつく。



「レイリィ、攫いにきたぞ」



 彼女の手をとり、その甲に口付けてロキは囁いた。


 大切な壊れものを扱うようなその仕草に、エルディアの胸が何故か痛んだ。彼はこの牢獄から女神を解放する為に、ずっとこの機会を待っていたのではないだろうか。

 はじき出された結界の外で。


 この神によって大勢の犠牲が生まれた。決して許せるとは思えない。

 それなのに女神の前に跪く姿には一筋のけがれもなく、その横顔はあまりにも気高く美しかった。



 金の髪の下に腕を差し入れて、ロキは女神を抱き上げ立ち上がる。意識なくされるがままに彼に身を委ねる彼女の唇が、かすかにほころんだように見えた。




「約束は守ると伝えろ」



 そう言い置いて、ロキは祭壇を降りる。

 最愛の女性をようやくその腕に取り戻した彼は、振り返ることなく霧の中へ消えて行った。


 二人はその姿が見えなくなるまで見送って、それからどちらからともなく顔を見合わせた。



「ねえ、ロイ……」


「何だ?」


「これで終わったの?」


「多分な」


「魔物はどうなるの?」



 アルカ・エルラの出した条件に、魔物の消滅は含まれていなかった。大地を包む結界は解け、再び世界は解放される。

 世界の果てに追いやられている魔物達が、大地を闊歩する様になるのではないか?

 エルディアの疑問にロイゼルドはさあ、と肩をすくめた。



「そこの辺はあいつの良心次第だろう。大丈夫と踏んだんじゃないか?」



 闇と人の憎悪から生まれた魔物達もまた、この世界を構成するものの一つ。人の心の闇を糧とする彼等は、地上が荒れると力を増す。

 あえてアルカ・エルラは残したのかも知れない。人々に戦乱の災禍を思い出させる戒めとするために。


 それに、呪いの解かれた神獣達は魔物を払い、神々もまた地上に降りて生きるもの達を守るだろう。




「ロイは凄いね。あんな神様相手に取引出来るなんて。怖くないんだ」



 さすがと褒め称えるエルディアに、ロイゼルドはとんでもないと首を振る。



「怖いに決まってるだろう。どうやってキレられずに条件を飲ませるか、ずっと考えていた。本気で怒らせると今度は腕だけではすまなかっただろうからな」


「女神はあれのどこが良かったんだろう。そりゃあ顔は綺麗だけど性格悪すぎじゃん」



 理解不能!と憤慨しているエルディアの頭をくしゃくしゃと撫でる。

 確かにちょっと連絡不能になっていただけで世界を壊そうとするのだ。女神の立場からいうと嫉妬深いにも程があろうと言いたくなる。



「彼に女神を任せて本当に良かったのだろうか」


「嫌になったら逃げるんじゃない?」


「そうなれば今度こそ世界が滅びるかもな」


「ほんと、最悪!」



 ブルブルと震え上がるエルディアを、ロイゼルドは笑って抱き締めた。



「それでも彼がいなければ、今ここにお前はいなかった」


「ひいひいひい……ひいおじいちゃん?」



 エルディアが苦虫を噛み潰したような顔をする。

 その頬に軽く接吻キスして、ロイゼルドは彼女の手をひいた。



「さあ、俺達も戻ろう」

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