第10話 送別会

 レンブル領へ出発する日まであと数日となったある日のこと、訓練後の休憩時間にエルディアが絞った布で顔を拭いていると、ディミトリスがその背中を叩いた。

 


「なあ、エル、お前副団長についてレンブル領に行くんだろう?」


「ああ、そうだけど?」

 


 ウィードも寄って来て、エルディアに後ろから抱きつく。

  


「惜しいよな。お前にもっとダガー投げ教えて貰いたかったのに」


「レンブルって、魔獣が多いって本当なのか?」


「国境の森が魔獣の巣窟で、それで隣国が攻めて来れないって言うくらいだぜ」

 


 わらわらと他の者も寄って来て、口々に言い合う。

 


「大丈夫か?エル、いくらお前でもついて行って危なくないか」


「阿呆!黒竜騎士団だぞ。魔獣の一匹や二匹、あの人達には楽勝に決まってるだろう」

 


 この三ヶ月、生活は共にしていないものの同じ厳しい訓練を積んだ仲間同士、騎士見習い達とも大分仲良くなっていた。

 リアムが思いついたように言い出す。

 


「なあ、エルが旅立つ前に景気づけに街に飲みに行かないか?」


「え?許して貰えるかな?」


「行く奴手を挙げろ!」

 


 わいわいと挙げられた手は二十やそこらではない。

 


「皆僕をダシにして騒ぎたいだけだろ」

 


 エルディアは笑って言ったが、嬉しくないはずがない。

 仲間と街に食事に出掛けるなど初めてだった。

 


「なあなあ、副団長に聞いて来いよ」


「ロイに?大丈夫かな」


 


 

 その日の夜、部屋の椅子に座って書類を読んでいたロイゼルドに、エルディアは昼間誘われた事を話した。

 行っても良いかと尋ねたところ、片眉を上げてこちらを見てくる。

 


「却下!」

 


 頭ごなしに言われてエルディアはシュンとなった。

 


「お前はまだ子供だろ。夜に街に飲みに行くなど駄目に決まってるだろうが」


「皆一緒だし………」


「余計に悪いわ」

 


 狼どもの中に子羊を放り込めるか、と吐き捨てる。

 


「ロイ、僕はもう子供では………」


「だーめ!」


「危ないところには行かないから」


「無理!」


「ロイ、母様みたいだ」


「!」


「ちょっと過保護だと思うよ」


「………」

 


 少し自覚は無くもない。ロイゼルドは言葉に詰まった。

 

 しかし、エルディアにも自分が十四歳の侯爵令嬢である自覚は皆無だろうと思う。

 過保護であって当然だ。

 普通高位貴族の令嬢は護衛を数人連れて、昼間しか出歩かないものだ。

 夜に出歩くのはどこぞの貴族主催の夜会に社交で行くくらいだろう。街に飲みに行くなどもってのほかである。

 まあ、従騎士になどなっていること自体がおかしいのだが。

 

 魔道具ブレスで多少男らしく見えるとはいえ、もともとの秀麗な顔立ちはそのままだ。

 男どもは勿論、美少年好きのマダムに絡まれる危険性も極大である。

 


「僕、同年代の友達がいなかったので、みんなが送り出してくれるという気持ちが嬉しくて………」


「う………」

 


 わざとだ。泣き落としにかかったなと思ったが、確かにこれまでの経歴を考えるに、エルディアに普通の友人は出来にくかったに違いない。

 同年代で見習い騎士達の結束の強い関係は、とても新鮮だったろう。

 


「レンブルに行くともうしばらく会えないし、また会えるか分からない人も居るし」


「うう………」


「ダメ?」

 


 エメラルドの瞳が子犬のように見上げてくる。

 この顔でおねだりされると慣れていても動揺が凄い。

 ドギマギする心臓を宥めて平静を装っていたが、次の一言で陥落した。

 


「お願い、ロイ、許して?」

 


 潤んだような瞳が瞬き、その十四歳とは思えぬ色気に背中をゾクゾクとしたものが這い上がる。

 

 こういう時だけ女の武器を使ってくるのは狡い。ロイゼルドは折れるしかなかった。

 

  

 


 三日後の週末、エルディア達は王都の所謂居酒屋を貸し切って、送別会という名の宴会を開いていた。

 

 幸い一度許すと言ったものを翻す事も無く、行ってきますと声を掛けたエルディアにロイゼルドは黙って頷くだけだった。

 

 可愛く頼んでみるものだ。

 

 エルディアはウィードの知恵に感謝した。

 

 ロイゼルドが許さないかもというと、そんなの副団長の目を見つめて可愛くお願いって言やあすぐだぜ、とウィードが教えてくれたのだ。

 

 可愛く、と言っても可愛いってどうやるのか考えたが、リュシエラ王女のお願いの仕方を参考にしてみた。

 王女は命を狙う暗殺者さえ魅惑する。魅了の魔法を使ったのではと思うのだが、何度かこの『お願い』で刺客を寝返らせた事もあるのだ。

 

 効果は抜群だった。

 

 何故かはわからないが、ロイゼルドは机に突っ伏してしまった。そして顔を上げないまま、遅くなるなよと念を押された。

 そんなに心配しなくていいのに、と思う。

 


「なあなあ、エルはどうして黒竜にしたんだ?将軍の考えでか?」

 


 普通は金獅子だろう、とリアムが言う。確かに貴族の令息が従騎士に付くのは、近衛騎士団も兼ねる金獅子騎士団が多い。

 

 そうだよな、と金獅子騎士団の従騎士であるレオンハルトとオルフェスの二人が頷き合っている。

 


「僕が行きたいって頼んだんだ。腕を上げたくて。黒竜は戦闘が多そうだから、経験が積めると思う」

  

 ほう!と声が上がる。

 


「魔獣討伐ってかっこいいよな。俺も早く参加したいぜ」


「はいはい!俺、サラマンダー倒したい!」

 


 リアムが興奮したように拳を突き上げた。

 


「痛っ!おい、周り見ろよ!狭いんだから」

 


 ぶつかった隣のウィードが頭をさする。

 


「先輩に向かって何だと!」


「こら、喧嘩するな!」

 


 ディミトリスが仲裁に入る。

 

 程よく酒が入ったテーブルは、わいわいと騒がしい。

 だが、エルディアには何もかもが珍しくて楽しかった。

 

 焼いて塩を振りかけただけの鳥肉は香ばしくジューシーで、甘いりんご酒もとても香りが良い。

 よく煮込まれたシチューもとても美味しい。

 みんなで食べるからかも知れない。

 大皿の上の料理をみんなで取りあい、酒を注ぎ合う。無礼講だと誰かが言っていた。

 


「しっかし、あの副団長がよくオッケーしたな。めちゃくちゃ過保護だろ」


「え?やっぱりそう思う?」


「だって、騎士の人達、結構夜は街に飲みに出掛けたり女の人と遊んだりしてる人もいるってきくけど、あの人全くそういう話が無いもんな。従騎士がいるからって断ってるらしいぞ」

 


 確かに夜もたまに戦術についての話をしてくれたり、色々な魔獣の特徴について講義してくれたりしている。

 特別に剣の練習に付き合ってくれていたりも。

 


「どうやって許して貰ったんだ?」


「え?ウィードが可愛くお願いしたらいいっていうから」

 


 やってみた、と言うと、

 


「それだけで?」


「どんな風に?」

 


 やってみせろと色々催促されて、とっても恥ずかしいんだけど、と前置きしてやって見せた。

 ちょっと首を気持ち傾げると、ハラリと銀の髪が数束頬に掛かる。

 胸の前で祈るように手を組み、上目遣いでじっと見つめて哀願する様に頼む。

 


『お願い、許して』

 


 周りの皆の表情が固まった。

 一様に口を開けて赤面している。

 


「たしかに、この顔でこれをやられると………」


「ああ、逆らえないよな」


「すっげー破壊力」


「俺、副団長を尊敬する。こんなのがいつも隣の部屋で寝てるんだぜ」


「俺もそう思う」


「将軍、副団長なら女に困らなさそうだから選んだのかな」


「かもな」


「俺、エルなら男でもいける」


「ばーか、殺されるぜ」

 


 頭を寄せ合って口々に何やら言い合っているのを、エルディアは酒をちびちび飲みながら、みんな仲が良くていいなぁと見ていた。

 

 送別会っていいなとご機嫌で飲みすすめるうちに、エルディアの頭もホワンとなってきた。

 

 周りもいい加減みんな酔っているのだろう、だんだんと場が乱れてきた。

 服を脱ぐ者、歌い出す者、隣に抱きついて泣き出す者などなど。

 隅で眠り込む者や口を押さえてトイレに駆け込む者も出てくる中、カランと店の扉が開いた。

 


「すいません、今日は貸切なんで………」

 


 店主が申し訳なさそうに言った相手は、手を挙げてそれを制する。

 


「迎えだ」

 


 渋い顔をした栗茶の髪の青年が店の中を覗き込む。

 ウィードとリアムにレンブルに行くなよう、と抱きつかれていたエルディアを見つけて、さらに不機嫌な顔になった。

 


「エル、帰るぞ」


「あ、ロイ?なーんで?」

 


 だいぶん飲んだようでぽわーんとした返事がかえってきた。

 目がトロンとなっている。

 両脇からぎゅーぎゅー抱きつかれたその無防備な様子にロイゼルドは憮然となった。

 

 無言でウィードとリアムをベリベリと引き剥がし、ふにゃんとしたエルディアを引っ張って行く。

 


「あ、副団長酷い!」


「エルを返せ!」


「うるさい、酔っ払いどもめ」

 


 店主に向けて銀貨を数枚投げて、足らずはこいつらから貰えと言い置いて扉を押す。十分お釣りが出る額だ。

 


「わー!副団長ありがとうっす!」


「まだ飲めるぞ、わーい!」

 


 連れ去るようにエルディアを小脇に抱えて帰ってゆく後ろ姿を見送って、見習い騎士達はやっぱり過保護だよなと再び認識を新たにしていた。

 

 翌朝、半分記憶の無いエルディアは、ロイゼルドにこんこんと説教されたのは言うまでもない。

 

 

 


 

 一週間後、王都に帰還していた黒竜騎士団の騎士達と新たに配属された騎士達は、レンブル領へ旅立った。

 

 王とマーズヴァーン将軍、そして金獅子騎士団が、敬礼して王宮を出る騎士団を見送る。

 ウィードやディミトリスや他の見習い騎士達も遠くからたくさん手を振ってくれていた。

 

 見送りの人だかりの中にリュシエラ王女、そして魔術師団長アーヴァインの姿があった。

 


「ヴィンセント団長、ロイゼルド副団長、エルを頼みます。エル、元気でね」

 


 そっと手渡された餞別は、何故かずしりと重い。

 

 

「これは?」


「王女に頼まれて魔石を嵌め込んだダガーを作った」


 

 アーヴァインが答える。

 


「それからこっちは治癒魔法を封じた魔石と魔獣の目眩しに使える粉と、その他諸々だ。使い方は中に説明書を入れているから読むがいい」



「ありがとう。なんだか凄いな」


「彼の地は魔獣が多いからな。急いで用意した」

 


 荷物にガシガシと袋を押し込まれてエルディアはよろけた。

 ぶっきらぼうだが心配してくれていることが有り難かった。

 


「無事に戻って来い」


「もちろん」

 


 ニコッと笑う。

 自然に笑えただろうか?

 二人とも笑っていたので笑えていたのだろう。

 また、ここに帰って来る。エルディアはそう誓って旅立った。

 

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