第9話 父の思い
王都の西の貴族達の館が集まる一画に、マーズヴァーン侯爵家も屋敷を構えている。
この実力主義の国の中で、代々王家の側近を勤める侯爵家は領地を持たず、常に王家の側にいる。
その館は入り口から中を窺う事は到底出来ない程奥が広く、ロイゼルドは訪問したものの、門番が主人の確認をとるまでひどく待たされた。
館の主人が今日は珍しく非番だと聞いて、ロイゼルドは彼の子息(正確には子女であるのだが)の近況を報告に来たのだ。ついでに文句の一つも言ってやりたい。
「閣下、訪問の許可をくださりありがとうございます」
丁寧な挨拶のはずだが、声音に少し含みを持たせると伝わったようで、ニヤリと笑みを浮かべて招き入れた。
「まあ、まずは中に入れ。グレイゼル、お茶の用意を」
「かしこまりました」
真面目一徹と顔に書いた執事が奥へ消えて行く。
エルガルフは自らロイゼルドを客間に案内した。
そこは大家にもかかわらず美術品や装飾品の類が見当たらず、落ち着いた深いグリーンと茶で統一されていた。
しかし、中央に置かれたテーブルとソファーは華美な装飾がない分、材質は見事なマホガニーで、美しい深緑のビロードが張られている。
床の上の絨毯も、足を乗せるのが躊躇われるような毛足の長い高価そうな代物であった。
奥のソファーにエルガルフが腰掛け、ロイゼルドにも座るように手で示した。
無表情の執事がテーブルに紅茶を置いて出てゆく。
むずむずしているロイゼルドを前に、グレイゼルが淹れた紅茶を一口飲んで、エルガルフはおもむろに話を切り出した。
「あの子はきちんと補佐ができているか?」
その口調は面白がっているようにも聞こえたが子を思う親のものでもあり、ロイゼルドは思っていたのと印象が違うことに気が付いた。
笑みこそは見せなかったが穏やかに答える。
「はい。凄いですね、よく仕込まれていて驚くばかりです」
「………そうか」
瞳の光が緩んだ。
ロイゼルドは訳がわからなくなった。
厳しい人だと思っていた。
子供への思いやりがない人だと考えていた。
だって、そうだろう。
子供を敵討ちの為に騎士にさせる、それも女の子を。
だが、こうして面と向かってみるとどうもそうは思えない。
もともと皆の信任厚い人だ。情を知らないはずがないだろう。
「何故?」
自然と言葉が口をついて出た。
エルガルフの目をじっと見つめる。
彼はその緑の瞳に暗く影を落とし、重い口を開いた。
「私は父親失格だな」
苦い独白。
「全ては七年前のあの日に始まった。私の妻と子供達が魔獣に襲われたあの日に」
妻と息子は殺され、残された娘はフェンリルの呪いを刻まれていた。
「お前は何故エルディアを騎士にしようとするのかと聞きたいのであろう?」
無言で頷く。
無理に彼女自身を動かす必要はない。
たとえ彼女が自ら望んだとしても。
騎士になるという事は戦場で生きるという事だ。
槍と剣が打ち合わされ、弓が飛び交い、その度に絶叫があがる。
血と死体が見渡す限り延々と続く焼け野原で、死にかけた男達が苦しみ喘ぎ、その身体に狼や蝿がたかる。そんな地獄絵図が繰り広げられるところで。
「フェンリルはかつて神の子とも呼ばれた高位の魔獣です。本当にそれに対峙させるつもりですか?」
エルガルフはふっと息を吐いた。
「叶うなら屋敷に閉じ込めておきたかった。だが、あれに刻まれた刻印はフェンリルと繋がっているらしい。望むと望まぬとも関係なく惹き合う。どちらかが生きている限り、いつか必ず出会うことになるだろう」
守りきれるか?
その問いに即頷くことのできる者はいないであろう。
「アーヴァインに言われた。フェンリルを倒せるのはエルディア自身しかいないと」
確かに彼女に封じられた魔力は神代の頃のものだ。
コントロールできないほどの魔力など、他の誰にもそもそも持ち得ない。
どうしてフェンリルはエルディアにそのような刻印を刻んだのか。
自分にとって脅威になり得ないと分かっての気まぐれか?
人間達を嘲笑うために?
「私は一縷の望みに賭けたのだよ」
エルディアがいつかフェンリルと出会った時に生き延びることが出来るように。
「エルディアを騎士団に入れれば、もしかしたら魔獣による犠牲者が増えるかもしれない。だが、フェンリルが我が国内にいると知れた以上、出現すれば討伐に行くのが我々の仕事だ。国の為にあれの力を使う。目的は同じならより可能性が高い方を選ぶ」
ロイゼルドは頷くしかない。
「親の情がないと言われても仕方ない。だが、それが私の出来る精一杯なのだ」
望むがままに自ら剣を教え、望めば暗器や体術の師範を探して付けた。
魔術はアーヴァインが嬉々として教え込んでくれた。
「二度と失いたくないのだ。自分勝手と言われようとも」
それが父としての本当の気持ちだろう。
その思いに何も返す言葉はなかった。
「………承知しました。出来得る限りお護りします」
ロイゼルドは騎士の敬礼をとり、館を後にした。
侯爵家を後にして王宮に戻ったロイゼルドが、宿舎への途中にある中庭・通称『獅子の庭』を通りかかると、数人の近衛騎士達が立ち話をしていた。
「お、ロイ!どこ行ってたんだ」
聞き慣れた同僚の声で立ち止まる。
三人の騎士が噴水の周りに集まっていた。
共にまだ二十代の青年ばかり。
右端で腕組みをしているのがべレザーディ、中央の貴公子然とした青年がレインスレンド、左端で噴水の縁に座って足を組んでいるのがイーリュアル。
騎士養成学校以来のロイゼルドの友人達である。
「マーズヴァーン将軍の家だ。ちょっと報告に行ってきた」
「ああ、お前の従騎士の」
そうだ、と返事をしてロイゼルドも噴水に腰掛けた。
「エルフェルムは私の従弟なんですよ」
「え、そうなのか?」
初耳だぞ、と返すとレインスレンドは微笑んだ。
「私の母は将軍の妹なんです。身体が弱いので滅多に領地から出てこないのですけどね」
「全然似てないな」
彼はヴィーゼル伯爵家の次男坊だ。
そういえば彼の髪はエルフェルムと同じ見事な銀だ。
しかし、身のこなしは優雅だがしっかり男っぽさが漂っている。
エルフェルムに似せているとはいえ、繊細な陶器人形のような可憐さを持つエルディアとは全く異なっていた。
「へえ、似てないんですか」
「ん?会ったことないのか?」
キョトンとして聞き返す。
「ええ、最近はね。年が離れているし、アルヴィラ様が亡くなってからはあまり交流がないんですよ」
「ふーん………お前より美人だぞ」
レインスレンドの顔が奇妙に引き攣った。
「しかし、ロイ、お前とんでもないのを任されたな」
べレザーディが気の毒そうな台詞を、全然気の毒そうでない口調で言った。
とんでもない、といえば本当にとんでもない子であるのだが。
「何だ、何を聞いた?」
知らないはずだが何を聞きつけてきたのか。
「え、近衛騎士の間では有名だぜ。リュシエラ王女のお気に入りで、アストラルド王太子を追い落として次期王太子を狙っているって」
「はあ?何でそんな話に?」
「リュシエラ王女に送り込まれた刺客を一人で何人も殺しているらしいが、その半分はエルフェルムを狙っていたとも言われているぞ」
「王太子殿下が刺客を?」
「馬鹿、そんなこと殿下がするかよ。エルフェルムが万が一にも王座に着くと困る奴らの仕業だろうよ」
アストラルド王太子は第一王子であり、聡明で次期王として何の問題もない。
それでもその座を脅かすとして目をつけられるほど、まだ十四歳のエルフェルムの器量が目立っているということか。
「将軍がエルフェルムを黒竜に入れて王都から離したのは、王位を狙っていないと示す為だと言ってる奴もいるぞ」
自分は噂に疎いので、こういう忠告は有り難い。
「ありがとう、肝に銘じておく」
イーリュアルが呆れたように手を振った。
「俺なら面倒みてくれって頼まれたって嫌だね」
「それは貴方の手に負えるわけないでしょう。何たってゆくゆくは侯爵家当主、末は将軍かという子です。リュシエラ王女の伴侶となるかもしれません」
レインスレンドがそう言うと、ギョッとしたようにイーリュアルが振り返る。
「それはちょっと無理がないか?従姉弟同士だし殿下の方が年上だぞ」
「従姉弟同士の結婚もありえるし、二歳違いなんてどうってことないですよ」
「そ、そうか?」
イーリュアルは一人むーっと考えている。
「何だ、あいつ」
「知らね。思春期なんじゃねえの?」
「リュー、悩み事があるならおにーさんに言ってごらん」
「だー、うるせえ!」
じゃれている三人を眺めていたレインスレンドが、思い出したように口を開いた。
「そういえばリュー、べルディ、二人とも殿下に呼ばれていたのではないですか?」
「え?ああ、もうそんな時間か」
落ち着いたべレザーディに対し、イーリュアルはわたわたと見るからに慌てて、噴水から飛び降りる。
「おい、行くぞ!殿下を待たせる気か」
「待てよ、ゆっくり行っても十分間に合う」
「駄目だ!」
呑気なべレザーディの襟首を掴んで、引きずるように連れて行く。
「また今度エルを紹介してやるよ」
「おう、頼むぜ」
やけに気合の入った返事が返って来た。
レインスレンドがクスクス笑いながら見送る。
「リュシエラ殿下ももう十六ですからね」
(なるほど、そういうことか)
ロイゼルドは微かに笑って、友人の健闘をひそかに祈った。
「それにしても腑に落ちないことがあるんです」
レインスレンドが腕を組んで唸った。
「何?」
「いえ、アルヴィラ様の葬儀に僕も伺ったのですが、その時には男の子なんていなかったんですよねえ。仮にも母親の葬儀なのに」
ロイゼルドの心臓がドキリと跳ね上がる。
「僕の弟が今、兄の従騎士をしていて白狼にいるのですが、金髪の女の子を見たと言うんです。親戚に金髪の女の子と言えば死んだエルディアしかいなくて、一体誰だったんだろうかと」
「へ、へえ………」
「いえね、弟がどうも一目惚れしたらしくて探しているんですけどね」
また聞いておいてください、と頼まれる。
「わかった」
頷いたものの、それは国家機密だ。
そう心の中でつぶやいて、ロイゼルドは逃げるように立ち去った。
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