第7話 回想

 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

 まだ私が七歳だったころ、私には双子の兄がいた。

 私は母に似た金髪、兄は父に似て銀髪で髪の色こそ異なっていたが、目の色も顔も瓜二つで、鏡を見ているかのようにそっくりだった。

 家族の間でだけ、ルフィ、ルディと呼び合い、まるで自分自身と遊んでいるかのように何でも気が合い、とても仲が良かった。


 貴族の子供とはいえ私達はかなりやんちゃな性格をしていて、二人でいたずらをしてはよく周囲の大人達を困らせていた。

 母アルヴィラはそんな私達を優しく諌め、時には厳しく叱ることもあったが、私達は母が大好きだった。

 

 子供の目から見ても、母は美しい人だった。

 もとは王女だったそうで、近衛騎士をしていた父と大恋愛の上に結婚したらしい。

 父は王に母との結婚を許してもらう為、騎士団団長のさらに上の将軍にまで出世しなくてはならなかったと笑って言った。よくわからないが若かったのでかなり大変だったという。

 

 いつものように家庭教師の先生を部屋に閉じ込め、窓から脱走した私達は、追いかけて来た侍女から母が明日、教会の慰問に行くと聞いて大喜びした。

 教会には学校があり、同い年くらいの子供も沢山いるのだ。

 私達は彼等と遊ぶのが大好きだった。行きたかったらお勉強しなさいと言われて、素直にそれに従った。

 

 翌朝、王宮から護衛をする近衛騎士や従者達が何人も屋敷に来て、母と私達を馬車に乗せてくれた。


 父は騎士団の仕事があって、一緒には行けないらしい。

 いつものことなので私達が気にすることもなかった。

 

 今回は東の国境の地であるレンブル領の教会に行くという。

 教会は領地の西の端の王都寄りに建てられてはいるが、それでも遠いので日帰りではなく、途中貴族の館に泊まりながら合計五日の旅となるという。

 ますます気分が上がった。

 

 コトコトと揺れる馬車の中で、私達はうきうきして外の景色を眺めていた。

 王都を出て、なだらかに続く畑や鳥の囀る森の木々を眺めるのはとても気持ちが良かった。


 一日目は父方の祖父の館で泊まった。

 久しぶりに会った祖父母達はとても歓迎してくれて、沢山の玩具や絵本をお土産にくれた。

 旅の途中で退屈しないように、との配慮だろう。

 

 二日目も街道を走り続け、昼過ぎに一度休憩と食事のために森の中で止まる事になった。

 


「遠くへ行ってはダメよ」

 


 母に注意されて元気よくはーいと言ったものの、子供の好奇心は旺盛なもので、ついつい森の奥まで行きかけた私達は、近くの沼地で一匹の獣の子供を見つけた。

 真っ白いふさふさした毛皮と漆黒の瞳が綺麗な犬、だと思って抱いてみんなのところへ戻った。

 


「エルフェルム様、エルディア様、これは狼の子供です」

 


 食事の用意をしていた従者の一人が教えてくれた。


 珍しい白い狼だった。

 大人しく捕まってくれたのは、猟師の罠に掛かったのか、脚を怪我していたからだ。

 


「ルフィ、ルディ、森に返しておあげなさい」

 


 怪我を手当てしてやった狼を母は離してやるように言ったが、私達はあんまり可愛いその子狼を手放すことは出来なかった。

 


「名前を付けよう」

 


 兄の言葉に私はすぐに良い名前を思いついた。

 

「フェンリルのフェン!」

 


 ちょうど一昨日、家庭教師に神話を読んでもらったのだ。

 

 フェンリルとは、太陽と炎の女神アイレイリアの側に、いつも寄り添う巨大な白狼のことである。

 白銀の身体に漆黒の瞳、風を操る神の獣。白狼騎士団の名前の由来でもある。

 


「フェンか。すごくいいね」

 


 フェンは私達の言葉がわかるかのように、嬉しそうにペロペロと舐めてくれた。

 

 フェンも一緒に馬車に乗せ、私達は再び走り出した。

 

 レンブル領に入ったのは夕焼けの美しい頃になっていた。

 

 

 森の様子がおかしい、そう報告があったのは夜闇が迫って来た頃。

 この峠を越えると、もうすぐ教会に着くという距離まで来た時だった。

 

 動物達の気配がしなくなり、おかしいくらいに静寂があたりを包んでいた。

 ただ、遠くで谷川の流れる音だけが、耳鳴りのように聞こえていた。

 思わず兄の側に擦り寄った時、腕の中のフェンがグルルと唸りを上げる。

 

 馬車を止めて騎士達が周囲を警戒したその時、

 


「グワオーン!」

 


 おそろしくも獰猛な唸り声をあげて、闇の中から巨大な獣が襲いかかって来た。

 たちまち二人の従者が血飛沫をあげてくずれ落ちる。

 


「何だ!こいつ!」

 


 騎士の狼狽した声がして馬車の外を見る。

 そこには、仄かに光る漆黒の毛皮の巨大な犬のような獣、魔獣と呼ばれる類の化け物が、赤い舌から涎を垂らして私達一行を睨みつけていた。

 

 私は震える身体を母に抱かれながら、その呟きを聞いた。

 


「魔獣……フェンリル………」

 


 神の獣は主を失うと闇に堕ち魔獣となって人を襲う。

 フェンリルもまた闇の獣と化し、黒銀の魔獣となる。

 目の前の化け物は、まさにその言い伝え通りの姿をしていた。

 


「どうしてこんなところに魔獣が!」

 


 騎士の叫びが聞こえる。

 


「アルヴィラ様!皆様お逃げください!」

 


 馬車の扉を開けた従者は、次の瞬間馬車の扉ごと黒い影に身体を引き裂かれた。

 


「うわあ!」

 


 御者の悲鳴が響く。

 

 私達が馬車の外に転がり出た時目にしたのは、先程まで私達を守ってくれていた騎士や従者達の、累々と横たわる血に染まった遺体だった。

 


「逃げなさい……」

 


 母が私達を背に庇い、小さく命じる。

 


「嫌……母様……」

 


 母は囮になるつもりだ。

 

 グルルル……

 

 魔獣の赤い口と血に染まった牙が私達に向けられる。

 

 次の瞬間、私の抱いていたフェンが、ガウッと一声吠えて魔獣に向かって飛びつき、噛み付いた。

 


「ギャン!」

 


 鋭い爪の一閃で弾き返されたフェンが地面に叩きつけられる。

 その温かい血が私の腕に飛び散って濡れた。

 


「フェン!」

 


 思わずルフィが駆け寄り、フェンを抱き上げる。

 


「ルフィ!走って!」

 


 母の悲壮な叫びが聞こえた。

 

 ルフィがタッと背を向けて走り出す。

 魔獣はそれを追いかけて凶悪な爪で引き裂き跳ね飛ばした。

 


「ルフィ!」

 


 背を大きく切り裂かれたルフィが弾き飛ばされた先は、底に谷川の流れる崖になっていた。

 力を失った小さな身体がフェンと共に落ちていくのをただただ見ていた。

 

 残された私達を血のように赤い瞳が見据える。

 


「ルディ、貴女だけは……」

 


 母が私を覆うようにして抱きしめた。

 

 身を震わすような獣の唸り声と、骨が軋むくらいの衝撃と、だんだん冷たくなる母の身体を感じながら、消えてゆく意識の中で、私はもう二度とあの楽しかった頃に戻れないことを悟った。

 



 

 

 目が覚めた時、最初に見えたのは見慣れぬ灰色の天井だった。

 知らない部屋のベッドに寝かされている。

 すぐに父が隣にいることに気がついた。

 


「父……様?」

 

「ルディ………痛いところはないか?」

 


 父のゴツゴツした温かい手が額を撫でている。

 優しい、そしてとても悲しそうな顔をしている。

 


「将軍、危険ですので外へ」

 


 黒い長髪のローブを着たまだ若い男が、渋る父を部屋の外へ追い出した。

 


「エルディア様、貴女達の身に何があったかお話しください」

 


 ダークグレーの瞳が強い光を湛えて見つめてくる。

 

 何が?

 

 そうだ……私達は襲われた。

 


「貴女達は何に襲撃されたのですか?」

 

「何に……?」

 


 男は静かに頷いた。

 

 周囲を見廻したが、ベッドは一つしかなかった。

 


「母様は?ルフィやみんなは……?」

 


 口にしたその瞬間、耐えがたい映像が次々と脳裏に浮かび上がる。

 壊れた馬車、赤く染まる遺体の数々、崖から落下する兄、私を見据える赤い瞳。

 


「ああっ!あーっ!」

 


 みんな死んだのだ。

 

 ルフィも母様も!

 

 涙が私の両頬を流れ落ちてゆく。

 

 嗚咽がとめどなく漏れ、息が苦しい。

 

 気がつけば私の周囲を風が吹き荒んでいる。

 ベッドのシーツが舞い上がり、壁際の花瓶が床に落ちて割れる。

 そのかけらも舞いあげながら、嵐のように風が部屋をめちゃくちゃにしてゆく。

 


「何が貴女達を襲ったのですか」

  

 ローブの男は再度尋ねる。

 彼の周りだけ風が避けていく。

 

 闇の中でも光る黒銀の毛並、巨大な狼。

 


「フェンリル……魔獣が、フェンリルがみんなを!」

 


 そこまで伝えた瞬間、パン!と大きな音を立てて部屋中の窓ガラスが砕け散った。

 


「フェンリル……」

 


 男は驚いたように目を見開いた。

 


「これはフェンリルの刻印か」

 


 刻印?何のこと?

 

 頭が痛い。どうしてこんなにも苦しいの?

 

 私の心臓から黒い風が巻き起こる。それは身体の外へと迸り、竜巻のように部屋中に渦巻いている。

 どうかこのまま私も切り裂いて。

 ルフィ、私を置いていかないで!

 

 壁がメキメキと悲鳴をあげて崩れ始めた。

 


「だめだ!」



 男が私の手を握りしめる。

 


「母君の守った身体を傷つけてはいけない!」

 


 低く呪文を呟くと、ガンガンと頭を苛んでいた痛みが消え、何も考えられなくなった。

 風が徐々に静まっていく。

 


「お眠りください。貴女にはまだ眠る必要がある」

 


 男がそう言って私のまぶたの上に手を乗せた。

 冷たい氷のような手のひらは、何かの呪文と共に再び私を深い眠りにいざなった。








  〜〜〜〜〜〜



このお話以降は主にエルの目線でお話が進んでいきます。

私が書いた一人称の他作品にはない、三人称の良さが出るように頑張って書いてますのでよろしくお願いします。

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