第6話 エルディア
アーヴァインの執務室のソファーに座って、ロイゼルドは教えられていなかった事情を、今更ながらに聞いていた。
「エルはフェンリルに襲われた、ただ一人の生き残りだ」
アーヴァインは淡々と語った。
「王妹のアルヴィラ様は王女だった時から複数の教会を支援されていて、レンブル領の教会もその一つだった。七年前、アルヴィラ様は双子の子供を連れ、レンブルの教会を慰問に訪れる途中で魔獣に襲われたのだ。近衛騎士三名、従者五名に御者、側近すべて食い殺され、双子の兄エルフェルム様は崖下へ落ち行方不明になった。アルヴィラ様の腕の中で唯一生き残ったのがエルだ」
連絡を受け、捜索に出たマーズヴァーン将軍が見つけたのは、無惨に殺された一行の遺体と衰弱した七歳の娘だった。
「しかもエルには何故かフェンリルの呪いが掛けられていた。左腕に呪術紋様が刻まれ、膨大な魔力がその身に封じられていたのだ。目を覚ましたエルが母と兄を亡くしたショックで泣き叫ぶと、封じられた魔力が暴走して周囲を破壊する。そこで陛下の依頼で王宮の魔術研究所でエルを預かり、魔力を制御する方法を探ることになったのだ」
何度か研究所の壁が吹き飛ばされたが、とアーヴァインは事もなげに言った。
「エルに魔力のコントロールと魔法の使い方を教え、私の作った魔力封じのブレスで魔力の暴走はあらかた抑えられる様になった。暴走の起因は主に怒りや悲しみといった負の感情だ」
「エルが無表情な子になってしまったのは、魔力の暴走を抑えようとし続けたせいなの」
王女が可哀想に、と呟く。
感情を抑えるあまり、喜怒哀楽が顔に出ないようになったと。
「で、結局、私は一体誰を従騎士にしたんだ?」
ロイゼルドは目の前の三人に質問した。
マーズヴァーン将軍には兄と妹の双子の子供がいた。金と銀の髪をした大層美しく利発な子供達で、将来が楽しみだと言われていたと聞いたことがある。
エルフェルムはフェンリルに殺された母と兄弟の仇をとるために、黒竜騎士団を目指していると言っていた。その兄弟とは、妹のことではなく兄であったと言うことか。
「僕の……私の名前はエルディア・マーズヴァーン」
伏せていた目を真っ直ぐロイゼルドに向けて、エルディアは再び請う。
「ロイ、私を貴方の従騎士にしてください」
ロイゼルドは唸った。少女、しかも貴族の令嬢を従騎士にとは。
「あ、騎士団の方は大丈夫ですわ。陛下もご存知ですもの。
あっけらかんとした王女の言葉にロイゼルドは頭を抱えた。良いのかそれで!
のたうつロイゼルドを馬鹿にした様にジロリと見て、アーヴァインが諦めるよう促す。
「魔力封じの魔法は、姿変えの魔法を変形させて作った私オリジナルのものだ。本来の姿を少し変えてしまう。エルは兄に似た姿になるようだから、
いや、そういう問題ではない、そう言いたいが言えない。
この十日間、身の回りの世話をエルフェルム、いやエルディアにさせていたことを思い出して死にたくなった。
従騎士の仕事の一つとはいえ、入浴の世話までさせていたのだ。
エルディアは服を来ていたが、自分は全裸だ。未婚の令嬢に見せて良いものではない。知らずに見られた自分も可哀想だ。
それに、むさ苦しい男ばかりの騎士団の中に少女が紛れて、いつ何時危ない目に遭わないとも限らない。
そう主張したが、三人とも顔を見合わせてキョトンとした。
「騎士養成学校だと寮なので困るのですが、僕は従騎士なのでロイの側からあまり離れることがないから大丈夫かと」
「心配しなくてもエルは暗器の達人よ」
「魔術も私が仕込んだ。それでなくとも襲おうとする不埒者は、部屋ごと吹き飛ぶと思うぞ」
それらを聞いたロイゼルドは天をあおいで自分の不幸を呪った。
ダメとは言えないようだ。
「エルの呪いを解く方法は何年も研究しているが、今のところ掛けたフェンリルを殺すか捕らえるしかない。エルはどのみちもう普通の令嬢としては生活できない。どうかエルを手伝い、そして守護して欲しい。彼女は我が国の至宝だ」
引き受ける前に知りたかった。
将軍はわかっていて敢えて言わなかったに違いない。
強い魔力の持ち主は何処の国でも垂涎ものだ。
そしてその能力は魔獣によってもたらされるという。
それが知られるとどうなるか。
国家機密の守秘だけでも責任重大な上に、必然的に魔獣討伐の役割も担わなくてはならない。
覚悟を決めるしかなかった。
「ロイ………?」
エルフェルム、いや、エルディアがじっと見つめている。
不安気な色がチラチラとその瞳の中に見てとれた。
この少女は一体どれ程の重圧を背負っているのか。
ロイゼルドは承認の言葉の代わりに、エルディアの頭を胸に抱き締めた。
まだ研究所に用事があるという王女とアーヴァインに別れを告げ、研究所から騎士団の宿舎に帰る途中ロイゼルドは、そういえば傷を治しにいく目的だったことを思い出した。
「傷は治ったのか?」
「ブレスをはずすと魔力が噴き出て傷も消えてしまうのです。その代わりコントロールも効かなくなるので困るのですが」
いちいち髪も伸びてしまうので面倒です、と王女に短く切ってもらった髪をくるくると指に巻き付けて遊ぶ。
何ともすごいとしか言いようがない。
「治癒魔法が使えるのか?」
「いえ、魔法というより異常に治癒能力が上がるみたいで。回復系魔法は試した事はありますが、できませんでした」
「何が使える?」
「風の攻撃魔法と魔法に対する結界は張れます。結界は物理攻撃にはさして役に立たないのですが、自分に対して強化魔法は少しできます」
剣は重いので少し腕力強化しています、と答えた。
「どうして始めに言わなかったんだ」
恨みがましく尋ねると、エルディアは珍しく戸惑った表情を浮かべた。
「父から事情を聞いているのかと思っていたのです。その上で気付かぬふりをしているのかと。少ししてこれは知らないなとは思ったのですが、今更言い出しにくくて」
まあ、知らなかったとは言え、色々言い出しにくくしてしまったかも、とロイゼルドも反省する。
「団長はこの事を知っているのか?」
「ヴィンセント団長はリュシエラ殿下の護衛をされていたので、僕が魔力持ちである事は知っています。ただエルディアである事は言っていなかったのですが、僕が騎士団に入る時に父から聞いているのではないかと思います」
ならば都合が良い。
自分一人で抱えるには、余りにも事が重い。
団長もこき使ってやる、そうロイゼルドは決心した。
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