第64話 ~茜がぴょんぴょんするんじゃ~
大勢で一人を取り囲んで虐める横暴狼藉を目の当たりにし、茜は居ても立っても居られなかったようだ。
「ええっ!? あいつ何でっ」
雪花の探し人はナイフを握ったジュリナの手を握り、止めている。
しかも茜の手には以前フェリー内で出した万力グローブが。これは臨戦態勢だという事だろう。
「やめろ」
「おいチビ……それあーしに言ってんの?」
ジュリナは背が高い。傍から見れば大人と子供と勘違いするくらいに。
ジュリナは大きな目をぎょろりと下に向けて睨みつけてくる。白目を剥き出しにしたその表情は何処か悪魔じみている。
だが茜も負けていない。ジュリナを見上げて眉間に皺を寄せて睨み返している。
「あーしが誰だか知らねえのかこいつ。なあ……もういっぺん言ってみなよ?」
今度は更に声を低くして顔を近づけ凄む。
同じことをもう一度言えばそれが喧嘩の合図になるだろう。雪花はどうすればいいか分からず、その成り行きを見守っているだけ。
だが茜は同じことなど言い返さない。逆にもっとジュリナを煽るように声を低くして凄み、言い返してやる。
「お前は言葉が理解できないチンパンジーか? チンパンが人間宜しくナイフなんか使ってんじゃねえよ。動物園に返って林檎でも食ってろ」
と、挑発に挑発を重ねて更に挑発する茜の行為はガソリンに火を灯すようなものだ。
ジュリナの体がフルフルと震えているのは怒りでだろう。目をひん剥いて開き、下瞼をひくひくさせている。
「んだと!?」
「いい林檎なら紹介してやってもいい」
とは朝見つけた八百屋の事だろう。まだ林檎の事が尾を引いているようだ。
「てめぇ、いい加減にっ」
ジュリナが茜の手を振りほどこうとするがそれは無理な相談だった。
茜が装着している手袋は万力グローブ。握力を十倍にするファウンドラ社開発の装備だ。
茜の握力が三十キロ程だとしても優に三百キロを超える計算だ。その握力で手首を締め付けられれば痛いでは済まない。
「なっ!? いっつ……この放せっ」
「てめぇ! ジュリナに向かって舐めた口きいてんじゃねぇぞ!」
「手ぇ放せよ! 嫌がってんだろ!」
手を振りほどけないジュリナを見かねてか、一緒になっていじめていた他の女子生徒達が茜に詰め寄って恫喝してくる。
だが茜はそんなもの意に返さない。
だがこのままでは茜は邪魔されてしまう。
だから逆に茜はその取り巻きを鋭く睨みつけたの。ジュリナよりも更にすごい剣幕で。
「黙ってろよ、私は今この女と話してんだ」
そう言い放つ茜。
更に殺気を込めて茜は二人を睨みつける。
「いっ!?」
「へっ!? あ……」
二人の女子生徒は茜の睨みに怯え上半身を少し仰け反らせて後退りする。うち一人は腰を抜かしたのか、尻もちをついて倒れてしまった。
何故なら茜は元裏組織のエージェント。そこから放たれる殺気は本気を出せば女子生徒達は失禁ものだろう。
生と死の入り混じる紛争地帯や潜入先で怪物のような敵と対峙する事は少なくない。
そこは一瞬でも恐れをなした者から死んでいく世界。
自分の家族を守る為なら死を恐れない民間人や特殊な訓練を受けた兵士達、政府の放った暗殺者に残虐非道な犯罪者、それらと向き合わなければならない事も多いのだ。そして一様に、彼らが放つ殺気も常人とはかけ離れている。
そしてそんな狂気の中を駆け抜けてきた茜も例外ではない。
それを一般人であり、経験の浅い女子生徒がまともに受ければどうなるか。まともに動けるはずがない。
「は? あんたらなにビビってんの!? こんなクソチビ相手に!」
「い、いや、でもこのチビ……なんかめっちゃ」
改めて取り巻きの女子生徒が茜をまじまじと見る。
「美人……なんだけどさ」
「だ、だけどめっちゃ……怖い? でも……美人」
取り巻き二人も訳の分からないようで言っている事が意味不明だ。美人で自分よりもか弱い少女に気圧される謎の感覚に混乱しているのだろう。
だが一般人よりも美人が怒った時の顔は思ったよりも怖い。更に激怒するのではなく、静かに怒る様は、少しでもつついたら噴火してしまいそうな休火山に他ならない。
だが傍にはずっと噴火しっ放しで体積も大きな活火山がいる。
「あぁ!?」
ジュリナがそんな情けない意味不明な言葉を垂れる二人を恫喝する。
今注意しなければいけないのは活火山なのだ。
「ひぃ、ごめんなさい!」
「そ、そんな怒んないでよ……」
一声で取り巻き二人に喝を入れ、横眼で茜を睨むジュリナ。
「そんでさぁ……いつまであーしの腕掴んでんだてめぇ!」
その時、ジュリナがナイフとは逆の手を大きく振りかぶった。
茜の頬をびんたしようとしているのだろう。金色の髪を振り乱し、大きく振りかぶる。だが腕が振り降ろされることはなかった。
それは振りかぶったジュリナの手首を掴まれたから。
「あぁ!? 誰だてめ――」
ジュリナが怒声を上げて振り向くとそこには自分の知らない男子生徒。
「へ? はぁっ?」
ジュリナよりもさらに大きく、筋肉隆々の体。
「その子に手を出すな」
茜の保護を請け負い、任務としているファウンドラ社のエージェント剣だった。
茜の事を運命の相手だと冗談めかして宣言された剣。その運命の相手である茜に降りかかる災厄はすべて排除するのだ。
「ひぃっ」
さすがのジュリナも体格のいい剣が助けに入った事で先程までの威勢が削がれていく。
牙をむいて怒涛の威嚇を続ける犬にいざ近寄って見るとこうなるのだろう反応だ。
ジュリナは被害者宜しく顔を伏せて縮こまる。そしてこの場を一刻も早く離れたいのだろう。後退ろうとするが手首を掴まれているせいでそれができない。
「な、何よあんた! 放しなさいよ!」
先程の低くすごみが増した声はどこへやら。
いかにもか弱い乙女といった高く弱々しい声に早変わりだ。まるで自分が被害者かのような振る舞い。これには演技に定評がある茜も舌を巻くかもしれない。
ジュリアが暴れ出したので茜と剣は互いを見合って手を離とジュリナはおずおずと情けなく距離を取ったのだった。
「な、何なんだよてめぇは!」
距離を取ったとたんに威勢が良くなるのは全く弱い犬と同じだった。
いくら笑い上戸の茜でもこれほどあからさまでは苦笑も出てこない。
だが吠えるジュリナの視線の先には剣は入っていなかった。剣は怖いのだろう、あくまでも茜だけだ。
正義の味方とでも名乗ってやろうかと一歩前に出ようとした茜。
だが次のジュリナの言葉に百戦錬磨の茜も頭が真っ白になる程の暴言を吐かれることになる。
「てめぇは男が居ねぇと何もできねぇのかよ!」
「え?」
とは剣の事だろう。
あのような助け方をしたからか、茜の恋人とでも思っているようだ。
茜はそれは違うと指摘しようと口をひらくがジュリナの声量に負ける。
「美人だからって男はべらせて調子こいてんじゃねぇぞ!」
ジュリナは茜の事を男に物を言わせて強権を振るうお嬢様とでも思っているのだろう。
だが最初に手を掴んだのは茜一人の独断先行した結果だ。剣が居る事も知らなかった。
「いや、これは剣が勝手にでしゃばって――」
「ふん! いくよ!」
これは心外だと、茜は良い訳をしようにもジュリナには無視され、聞く耳を持ってくれない。
「あ、待ってよジュリナ!」
「ジュリナさん!」
他の取り巻き達も茜一人を睨みながらジュリナの後を逃げるように追っていく。
茜はそれを釈然としない表情で、ただ呆然と見送るだけ。
この場での勝者は誰がどう見ても茜だ。だが茜の背中には哀愁が漂っていた。
だが剣は違う。この場に置いて茜と黒髪の女子生徒をいじめから救ったヒーローになっているのだ。表情を見てもジュリナ達を追い払えて満足している様子。これにも茜は釈然としないものがある。
「茜、何もされなかったか?」
「……ふんっ」
茜を気遣う剣。だが茜は不満そうに鼻を鳴らし、剣の脛を蹴ったのだった。
「な、なぜ蹴るっ!?」
「なんとなくだ!」
「はぁっ!?」
茜は唇を尖らせて不満げだ。
剣に見せ場を潰されたばかりか、男がいないと何もできない女と茜はみなされてしまったのだ。
それにしても助けに入ってくれた剣を蹴るのは酷いだおる。あのまま剣が来なければ、この場は女子生徒達の屍で埋め尽くされるところだったのだから。
剣は困惑の表情だが、不満げに唇を尖らせる茜が可愛かったようで目にやけてしまっている。
「あ、あのありがとうございますっ」
そんな二人のいざこざに、今まで茜達のやり取りを傍観していた黒髪の女子生徒が割って入る。
はっ、と茜は不満げな表情と尖らせた唇をへこませて黒髪の女子生徒に歩み寄った。
「当然の事だから、怪我――」
怪我は無いかと、問おうとした茜を剣が遮った。
「大丈夫か、唯」
「え、唯?」
黒髪の女子生徒は唯という名前らしい。そして茜はその名前に聞き覚えがあった。
どこにでもありそうなそんな名前。だが剣が呼び捨てにするという事は古くから知る少女だという事だ。
「うん、大丈夫。剣君もありがとう。何だか正義のヒーローみたいだったよ」
「別に、当然の事をしたまでだ」
完全に唯を救った手柄は剣のものだろう。
だが茜は手柄を取られたという感覚も忘れて唯を見据えた。
「もしかして時雨唯?」
「へ? そうですけど」
唯はなぜ今日初めて会った茜が自分の名前を知っているのか首を傾げる。
更に茜を知っているであろう剣に助けを求める。
「ああ、こいつは今日こっちに転校してきたばかり――」
「今日この学校に転校してきた茅穂月茜。よろしく。同級だから茜でいいよ」
今度は茜が剣を遮り、仮の本名を名乗って手を差し出す。
「そうなんだ、よろしくね。私は時雨唯……って、なんで私の名前を?」
差し出された手を握って唯は問いかけてくる。だが唯という名前は現段階で茜が知り得ない名前だ。
しかし茜はそんな事で焦ったりはしない。
「光君からちょっとだけ聞いてて」
いけしゃあしゃあとそんな事を抜かす茜。
そしてもちろん唯も光の事は知っている。唯は光とも幼馴染なのだ。
その名前を出した途端、困惑していた唯の表情がぱっと明るくなる。
「え? 光君って葵光君?」
「そうそう、ちょっとした知り合いでさ」
「そうなんだ! 久しぶりに会いたいなぁ。元気だった?」
「うんうん、元気元気!」
距離を知事めるには共通の話題を出せばいい。
剣も茜がルイスの研究室で光と出会ったことは聞いていた。だから茜の説明の通り、そんなものだろうと疑問に感じる事はないようだ。
「良かったぁ! ずっと見ないから心配してたんだよ~」
更に唯は茜の両手を取って嬉しそうに小刻みにぴょんぴょん飛び跳ねる。
唯は光の心配をしていてくれていたようだ。
本人を目の前にしてそんな事を言ってくれる唯に茜も嬉しくなったのだろう、空のように青くふわふわな髪を楽しそうに弾ませて唯と一緒にぴょんぴょん飛び跳ねている。
そんな二人の光景は微笑ましく、更に茜の少女っぽい動きが意外で新鮮だったのだろう、剣は表情が自然と緩んでしまう。
「これもいいな……」
と、剣は小声でつぶやいたのだった。
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