この手はどうしよう

「わあ! 柊一さん見てください! すごく綺麗ですよ!」


 公園への入口となっている光の洞窟を跳ねながら、蓮香はこちらに向かって手招きをした。

 喫茶店で時間を潰すとあっという間に空も暗く染まったので、俺たちはイルミネーションの会場に訪れた。

 イルミネーションの会場となったのは、入場料を取られるほどの大きな公園だった。草木や遊具などには電飾が巻き付けられていて、それらが夜の暗闇の中で赤や青、オレンジや緑といった色とりどりな明かりを照らし出している。公園内はカップルや家族連れで賑わっており、皆が写真を撮ったり光に見惚れたりといった時間を過ごしている。


「綺麗なのは分かるからあんまりはしゃぐなよ。この人混みの中だから怪我したら大変だ」


「もー、柊一さんは真面目さんなんだから。せっかくのイルミネーションなんですからもっとはしゃぎましょうよ」


「俺はもうはしゃぐような年でもないんでね」


「いつまでもはしゃいでいいんですよ。私を見習ってください」


 蓮香はそう言うと、手を広げたままその場でくるりと一回転して見せた。

 これだけ楽しんでくれるなんて、ここまで連れて来た甲斐があったな。ちょっとぐらい羽目を外しても多めに見てやるか。なんて大人ぶったことを思いながら、蓮香の後を歩く。


「わあ! ワンちゃんの形をしたイルミネーションもありますよ。あれどうなってるんだろう」


 犬の形を模したイルミネーションの前で、蓮香はしゃがみ込んだ。

 女の子とデートに来たというよりかは、娘を連れている気分になる。蓮香は無邪気だし人懐っこいし、娘としての素質はばっちりだ。


「電飾だけで色々な形が作れるんだな」


「ね、職人さんってすごい」


「やっぱりイルミネーションにも職人が居るんだろうか」


「居るでしょ。イルミネーション職人みたいな人が」


 蓮香は「分からないけど」と最後に付け足すと、あははと声を出して笑った。こうしてよく笑ってくれるから、俺は彼女の笑顔が段々と好きになりつつあった。なんというか、蓮香の笑顔を見ていると元気が出る。それが俺に向けられての笑顔ならなおさらだ。


「ん、柊一さんどうしたの? 急に黙り込んじゃって」


 気が付くと蓮香が不思議そうな顔をしながら、俺の顔を覗き込んでいた。俺は慌てて首を横に振る。


「いや、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだ」


「ふうん。面白いこと考えてたんですか? それとも悲しいこと?」


 なんなんだその質問は。でも面白いか悲しいかの二択だったら――


「面白いこと、かな」


 別に蓮香の笑顔が面白いワケではないが、その二択だったらこっちだと思った。

 すると俺の答えを聞いて満足したのか、蓮香は「そっか」と笑顔を作って立ち上がった。


「そういうことなら安心しました」


「安心? なんで俺が面白いこと考えてたら安心するんだ?」


 俺が首を傾げると、蓮香はしまったという具合に自分の口を手で押さえた。しかし彼女は諦めたのか、すぐに「あはは」と誤魔化すようにして笑った。


「いえ。別に大したことはないんですけどね。柊一さん、たまに暗い顔をするので何を考えてるんだろうなーって思いまして」


「俺、そんな暗い顔してたか? 全然自覚ないんだけど」


「まあ、たまにですよ。たまに」


 蓮香はそう言ってくれるが、本当に自覚がない。営業の仕事をしていた時には、色々な人から「笑顔がいいね」だったり「明るいね」と言われていたのに。

「そうか」と言って目に見えて落ち込んでしまったからか、蓮香は慌てた様子で俺の手を掴んだ。彼女の目が、真っすぐにこちらを見る。


「私、柊一さんにはずっと笑ってて欲しいです。好きな人が暗い顔をするのは、あまりよろしくないので」


 蓮香は俺の目を見たまま言うと、「だから」と言葉を続けた。


「私が柊一さんを笑顔に――いや、幸せにしてみせます。社会人時代に大変な思いをしたのかもしれないですけど、それを忘れるくらい幸せにしてみせます。今が楽しいって、言わせてみせます」


 蓮香の力強い眼差しに身を引いてしまいそうになるが、彼女に手を握られているので動けなかった。だから彼女の熱量を真正面から受け止めてしまい、みぞおちの辺りにジンとした重みを感じた。

 しかし彼女に言われてようやく、自分が社会人時代のトラウマをまだ抱えていたのだという実感が湧いた。それをふとした瞬間に思い出して、死にたくなっていたのかもしれない。

 きっと俺が社会人時代のトラウマを思い出していることを、蓮香は見抜いていたんだと思う。その上で、こんな風な言葉を掛けてくれる。俺はとてつもなくいい子に目を付けられていたんだなと、ようやく気付かされた。


「ああ、ありがとう。そう言ってくれるだけでも本当に嬉しいよ」


 俺は感謝の言葉しか思いつかなかったが、蓮香は首を横に倒してくすぐったそうに笑った。


「期待しておいてくださいね」


 互いの熱が、手を通して伝わって来る。この寒い中でも、蓮香の手は温かい。温かくて柔らかく、肌もすべすべなもんだから、ずっと触っていたいと思ってしまう。


「で、この手はどうします?」


 俺の視線に気が付いたのか、蓮香は繋がった手を見ながら言った。

 繋がっている手を二人で見下ろす。この手をどうする、か。せっかく繋がっているのだから、離すのはもったいない。そう本心で思っても、照れて言葉が上手く口から出て来なかった。


「せっかくだから、このまま少し歩いてみませんか?」


 すると蓮香がそんなことを言った。その声に顔を上げてみると、彼女の顔は沸騰したみたいに赤かった。

 どれだけ積極的な蓮香でも、そういうことを口にするのは照れるに決まっている。年上の俺でも言い出すのを渋ったのに、蓮香は相当な勇気が必要だったことだろう。俺はなんて情けない男なんだと、さっそく後悔することになった。

 でもそれと同時に、照れて顔を真っ赤にさせている蓮香が可愛いと思ってしまった。俺はにやけそうになる口元を抑えながら、首を縦に振る。


「じゃあ、そうしようか」


 かっこつけてやや上から目線になってしまったが、蓮香が嬉しそうに飛び跳ねたので結果オーライだ。

 今度は横並びになって、二人で手を繋いで歩き出す。終始楽しそうにする蓮香を見ていると、俺まで笑顔にさせられていた。

 今がずっと続けばいいのに。津田蓮香という女子高生の笑顔を見て、何年ぶりかにそう思った。

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