第5話 お前



衍字

お前



 第五話【お前】




























 本当に暑くなってきた。


 Tシャツ一枚羽織っているだけでも汗ばんできて、満員電車にでも乗ろうものなら、女子高生が臭いだのなんだの言うのだから、嫌な季節だ。


 「中井さん、またお会いしましたね」


 「これはこれは、おださん」


 飲み屋に入ると、そこには良く会う気の知れた仲間の中井勝がいた。


 中井は良い奴なのだが、飲み過ぎると途端にファミリーネームとファーストネームを織り交ぜて呼び始める。


 「りょうま!もっと飲め飲め!!」


 「中井さん、飲みすぎじゃないですか」


 「いいだろうが!おだ!信長と同じ名字だからって偉そうにしてるのか!!」


 「その織田とは別の字ですから」


 「お姉ちゃん!ビールおかわり!」


 居酒屋で働いている女性に声をかけて新しいビールを持ってきてもらうと、セクハラまがいの行動をしようとしていたため、おだが止める。


 なぜかおだが女性にヘコヘコして謝ると、女性は同情するように頭をさげて仕事に戻る。


 「りょうまー、お前仕事何してるんだっけ?」


 「なんですいきなり」


 「俺はよー、こう見えて検視官なんだ!すげぇだろ!!!ベテランよベテラン!」


 「すごいですねー。中井さん、仕事出来そうですもんね」


 「だろ!?でもまー、楽な仕事じゃあねえけどなー」


 顔を真っ赤にしながらそういう中井に、おだは水を飲むかと聞いたが、断られてしまった。


 もっと酒を飲みたいらしく、空のジョッキを掲げながらオーダーしていた。


 「検視で事件性が無ければ、司法解剖にまわされることは無いんですよね?」


 「あー、そうそう。ま、時々、面倒だから自殺にしてる時もあるけどな・・・なんて!んなわけねぇって!一応仕事は真面目にやるから俺!!!」


 「そうですよね」


 「おだ、お前釣りってやるか?」


 「釣りですか?やったことないです」


 「なら今度一緒に行こうや!俺が教えてやるから!!道具も貸してやるし!」


 「それは申し訳ないですよ。自分で用意します」


 「そうか?どうせ女房とは別居中だし、俺ん家に来ても構わないんだぜ?」


 検視官という仕事のせいなのか、結婚して少し経つと奥さんが我慢できなくなったらしく、どうしていつも仕事ばかりなのかと文句を漏らすようになったそうだ。


 「中井さん、何か人に話せないような検視の話とかないんですか?」


 「仕事上言えねぇよー」


 「ですよね。中井さんほどの方なら、何かあるのかなと思ったんですけど」


 少しがっかりそうに言えば、おだとは仲良くしている中井が無下に出来ることも出来ず、おだとの距離を縮める。


 「何年か前の事故が遭ったんだけどよ、実はその検視の時、金貰ったんだよ」


 「金?どういうことです?」


 「本当はな、ただの事故にしては損傷が激しいし、事故に遭う前に何かあった可能性もあったんだけどよ、目撃者もその場にいた警察官も、周りに不審な奴はいなかったって言うし、司法解剖を頼もうとしてた先生は用事があるから回されると困るっていうしで、その先生から金受け取っちゃったんだよ。で、しょうがなく事件性なし。自殺ってことで処理されたんだ」


 「自殺だから轢いた方も咎められなかったんですね」


 「罪が軽くなったってことだな。確かに、司法解剖に回す予算も少ねぇし、人手不足で大変なんだろうけどよ」


 「もし本当に自殺じゃなかったとしたら、それこそ大変ですよね。遺族から莫大な金を要求されるとかあるんじゃないですか?」


 「それはねぇだろ。当時の司法解剖担当するはずだった先生は今やでかいとこの病院長。来年には医師協会の会長になるんじゃないかって言われてるからな。今更ひっくり返そうとしても、遺体は骨になってるし、証拠も何一つなし。裁判やるにしても金がかかるから、んな無駄なことはしねぇと思うな」


 「そうですか。それで、話は戻りますけど釣りって何処に行くんです?良かったら車出しますよ?」


 「いや大丈夫だ。俺に全部任せておけって。ビール飲みながらのんびりやろうや。誰も来ないとっておきの場所があるんだ。りょうまだから連れてってやるんだからな」


 「ありがとうございます。楽しみにしておきます」


 それからしばらく飲み続け、勘定を済ませると2人はそれぞれ帰路を辿る。








 その週の終わり、おだは朝早くから中井の家に徒歩で向かっていた。


 多少時間はかかったが目的地に着くと、中井の家にはでかい車があって、すでに荷物は積みこんであるようだった。


 家にあがることなく車に乗り込むと、中井が秘密基地とまで言う場所に着いた。


 海に落ちたときようのジャケットをつけると、早速中井のうんちくから始まり、釣り竿の話へと続いて行くが、おだはそれを穏やかに聞いていた。


 ビールを飲みながらようやく釣りを始めると、徐々に天気が悪くなってきた。


 「なんだよ、晴れるって言ってたのに。まあ、まだ大丈夫だろ」


 ぐいぐいと、魚を入れるはずのボックスに冷えたビールを入れて来た中井は、次々に缶を開けて行く。


 「あ、これ引いてますか?」


 「お!引いてる引いてる!」


 おだは自分の竿がくいくい引っ張られていることに気付き、中井に助けを求める。


 中井はおだの竿を変わりに持つと、未だ強く引っ張る、その先にいるであろう大物を捕まえるために必死になる。


 その時、とん、とおだが背中を押した。


 バランスを崩した中井は、よろよろとしながら、足場の悪いそこになんとか踏みとどまろうとしたが、出来なかった。


 高そうな竿を持ったまま海へと落ちて行くと、ジャケットが膨らむと思いきや膨らまず、徐々に荒れて行く波に抗う事も出来なかった。


 「金で解決できることなんて、たかがしれてる」


 おだは中井の持ってきたボックスに何かを放り込んでから、振り返ること無く家に帰る。








 俺は少し前まで、警察官だった。


 自分に恥じることないよう、正義を貫いていた。


 だが、その事故が全てを変えた。


 俺の少し上の同僚の奴が、自殺だと言い張ったんだ。


 目撃者だってもっと沢山いたはずなのに、ほとんどの奴らが怖くてなのか、関わりたくなくてなのか、いなくなっていた。


 証言した奴だって、本当に目撃者か怪しいもんだ。


 現場に来た検視官とその同僚はちょっとした顔見知りのようだが、今となってはどうでも良いことだ。


 何しろ、口が利けないのだから。


 『行方不明だった男性が発見されました。男性はお酒を飲みながら釣りをしており、その最中に海へ落下したものと思われます。ジャケットを着用しておりましたが、穴が開いておりそのまま沈んでしまったものと思われます』





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