きれいな桜の話

小糠雨

今年も桜は咲く

私が住む街には、とても美しい、一本の桜がある。たった一本だけだというのに、春には見物客で賑わう。別に、珍しい種類というわけでもない、一般的な桜の木。そのただの桜に人が集まるのは、その桜の木がとても美しいからだ。


 今年なんて、さらに美しくなった、なんて言って、昼夜を問わず誰かしらが見にきていた。とはいえ、今年はもうこれでおしまいか。ほとんどの花びらは散り、葉っぱだらけになった桜を見ながら、夜道を1人歩く。


「美しい花でしたね」


不意に声をかけてきたのは、よく知らない近所のおじさんだ。そのおじさんは、町内でもおしゃべりなことで有名で、私もその長話に引っかからないように避けていたし、なるべく知られたくないことは教えなかった。今日のおしゃべり相手は私と決め込んだようで、そのおじさんは話し始める。


「あんたはあの桜がなんで美しいか知ってるか」


いつも人の秘密ばかり話す彼が、意外と雅な話でも始めるのか、と私はその薄くなった頭頂部を眺めながら相槌を打つ。


「それはな、戦国の世にたくさんの血を吸ったからや。桜は人の血を吸って綺麗になる」


早くも鬱陶しい話を始めやがった。やめてくれ。


「そんな桜が、去年にまして綺麗になっとる」


帰れ、帰りた。


「わしはあれはきっと血を吸ったんだと思っとる」


言い終わらないうちに、鈍い音が夜道に響く。




私の住む街には、とても美しい、一本の桜が咲いている。それはとても美しく、去年に増して綺麗だ。そして、来年はもっと綺麗になる。それを知っているのは、私だけだ。

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