ジルスチュアートの香水

TK

ジルスチュアートの香水

女性用の香水をつける男に、君はどういう感想を抱くだろうか?

「好きでつけているならいいんじゃない?」という肯定的な感想もあれば、「男の人が女性用の香水を使うのはちょっと・・・」という否定的な感想もあるだろう。

もし否定的な感想を持っていても、一向に構わない。

だけど、それを男に伝えるのだけは控えてほしい。

なぜなら、きっとその男は、君が知る由もない想いを抱いているからだ。


***


「このケーキ、まあまあ美味しいね」


「まあまあって・・・。そこは“美味しいね”でいいでしょ!」


俺の目の前で素っ気ない感想を述べる女性は、俺のガールフレンドだ。


3ヶ月前、俺は同じ大学に通う友達から合コンに誘われた。

合コンに集まる女子は全員が他大学の学生であり、ワンチャンやっても角が立つことはないと、下心を刺激する謳い文句をつけながら。

その誘いを受けた時、俺の心は全く踊らなかった。

俺は中二病をこじらせにこじらせた人間だ。ゆえに、偶発的な出会いだけを求めていた。

合コンという恋愛を無理やり発生させるような場は、全くロマンが無いと決めつけていた。

目の前の異性に気に入られるために、身の丈を超えた愛嬌を振りまきながらも、時に下ネタを交えながら距離を詰める。

そんな無個性なイベントに身を投じても、虚しさが募るだけと思っていた。


ただ、心のどこかで僅かな期待も抱いていた。

「合コンに集まる奴らの顔を拝んでやろう」「無個性な生物の生態を理解しておくのも悪くない」

そんな失礼な態度で挑んでくる人間が、いるかもしれないと。


当日は、男3人女3人の、計6人が大衆酒場に集結した。

人数から場所まで、全てがテンプレートすぎて笑える。

ただ、3人の女性の中に、明らかに異質な空気を纏っている者がいた。

合コンだというのに、わざとらしい愛嬌を振りまかない。髪を茶髪に染めていない。

胸を強調する服を着ていない。

一言でいえば、モテようとする気概が全く感じられなかった。

気づいた時には、「君が何者なのか、知りたいです」というひどく無粋な口説き文句と共に、彼女の連絡先を聞いていた。

彼女は「なんかキモいし、ダサいよそれ」と言いながら、なんの説明も無くQRコードを提示してきた。


彼女は全ての事象に対して、素直な反応しか示さない。

だからこそ、俺は常に安堵できた。

大抵の人間は、保身のために、または相手のために、バレない程度に着飾った言葉を吐きやがる。

そんな空虚な言葉で彩られた社会に、俺は辟易していた。


「まあまあ良かったねこの店。じゃあ、行こっか」


普通であれば「また来ようね」と言い切ってしまいそうな場面でも、絶対にそう言わない。

そんな彼女は、MCバトルに没頭していた。

不感症な自分を治療しに行くかのように、月に1度は現場に足を運び、狂ったように叫び続ける。

彼女は人生に全力で退屈しながら、全力で没入している。

この上なく人間臭い姿が、唯一無二の美しさを放っていた。


***


「いやあ、今日の講義も退屈だったなぁ」


学費から逆算すると、1回の講義に掛かる金額は数千円にも及ぶ。

ただ、その値段にあった熱量を見せてくれる教授は稀だ。

一体何の役に立つのか、一体何が面白いのか。

そんなことさえ理解していない事柄を、悪気もなく垂れ流す奴がほとんどだ。


「・・・え?」


鬱屈とした気分を携えながら大学の最寄り駅まで歩いていくと、俺は信じられない光景を目にした。

それは、最寄り駅に入っていく彼女の姿だ。

彼女の通う大学も、ここが最寄り駅だと知っていた。

だから、偶然にも遭遇することはなんら問題ない。

問題なのは、左隣に手をつなぐ男がいることだ。

その2人の姿は、どう見てもカップルであった。

俺は浮気されていたのか?それとも俺が浮気相手だったのか?

真実はわからないが、とにかく、この状況を看過することはできない。


「よう、今日はもう授業終わったの?」


俺は彼女の背後から、男の存在を無視しつつ声を掛ける。


「あ!うん、今から帰るとこだよ」


一瞬の驚きを垣間見せたが、平然と俺の質問に答えた。


「・・・えっと、その人は友達?」


男は静かに彼女に問いかける。もう、繋いでいた手は離していた。


「いや、この人は彼氏だよ」


「は?彼氏?どういうこと?」


「どういうことって、なにが?」


「彼氏がいるのに、俺を誘うなんておかしいでしょ」


どうやらこの男は、彼女の方から誘われたようだ。

その言い分に嘘っぽさが感じられないことから、俺は強烈な苦しさを覚えた。


「彼氏さん、すいません!俺、彼氏がいるってホントに知らなくて。もう、金輪際付き合いませんので」


「あ、はい、わかりました」


腑抜けた返事を聞いた男は、足早に改札内へと消えていった。


「・・・これは、浮気したってことだよね?」


「うん。そうだよ。私から誘った。今までに付き合ったことないタイプだったから」


悪びれず答える姿は、非常に彼女らしい。だが、そこに美しさはない。


「俺、めちゃくちゃ悲しかったよ」


「うん、ごめん。じゃあ、別れよっか」


「え?別れる?」


「うん。だって、これが私の性根だから。多分、またやるよ」


そう潔く話す彼女の表情に、どこか孤独を感じた。


「今までも、こうやって別れてきたから」


彼女が助けを求めていることは、明白だった。


「止められないんだろ?」


「え?」


「浮気、止めたいのに止められないんだろ?」


「・・・うん」


初めて、ちゃんと彼女の弱さに触れた気がした。


「罪悪感があるなら、大丈夫だよ。過ちを犯すことがダメなんじゃない。過ちを犯す自分を見放すことがダメなんだ。原因を一緒に探ってさ、改善していこうよ」


「・・・ありがとう」


微笑みながら、彼女はそう呟いた。


***


「はい、コーヒーできたよ」


「うん、ありがとう」


一口すすると、6万円もするコーヒーメーカーから抽出されたそれは、どこか苦々しい後味がした。


「・・・なんで、浮気しちゃったの?いや、しちゃうの?」


おそらく今回の件は、氷山の一角だろう。


「この前ね、浮気する理由ランキングをネットで検索してみたんだ。そしたら、1位が“満たされていないから”で、2位が“女性としてみられたいから”で、3位が“結婚相手を探すため”って書いてあったの」


「・・・その理由を見て、どう思った?」


「ハッキリ言って、1つもしっくり来なかった。あなたと過ごす時間に満足しているし、有象無象に女性として見られようとか思わないし、結婚なんて今は考えてない。多分だけど、後悔しないために浮気してるんだと思う」


「後悔しないため?」


彼女の発言の意図を、上手く飲み込めない。


「あなたといる時間は絶対に楽しい。間違いなく、満たされているの。ただ、他の可能性を見出してしまった時、その可能性を見過ごすことができないの。見過ごしてしまうと、それにずっと気を取られちゃって、他のあらゆることが退屈に感じてしまう。そんな退屈な時間を、後悔しながら過ごしたくないの」


「誰だって、その退屈を受け入れて生きているんだよ。全ての可能性に、手を出すことなんてできないし、しちゃいけない。」


「わかってる。頭ではわかってるの。でも、やっちゃうの」


たどたどしく語る彼女を、責める気にはなれなかった。


「いいんだ。俺は、そんな君の姿に惹かれたんだから。退屈と没入を、いじらしく繰り返す姿に。でも、人生はもっと穏やかなものだと思う。平坦な道のりの中に、少しの山と谷があればいいんだ。代わり映えのない日々を、朗らかに過ごす努力を一緒にしよう」


「・・・わかった。努力するから、見守っててほしい」


その日を堺に、彼女は安心して付き合える無個性な女性へと、変貌を遂げた。

一般的な常識を着飾った彼女には、出会った頃ほどの強烈な魅力は感じられない。

でも、これでいいんだと思う。

男女の関係は、冷め始めてからが本番だ。

当初の想いをどれだけ愛し続けることができるかが、試されている。

彼女は表面的には変わったが、根本にある美しさは何も変わっていない。

だから俺は、これからもずっと、彼女のそばに居続けられると思えた。


***


「あった!これだ」


大きさの異なる2つのダイヤモンドを合体させたようなその瓶は、惚れ惚れするほどきらびやかだ。

“香水のくせに、香り以外の要素にめちゃくちゃこだわる姿勢が好き”

ジルスチュアートの香水を、彼女はそう評価していた。

香水の本質は、香りを良くすることではない。気分を上げることだ。

何気ない日常を、いじらしく彩ることだ。

どんなに上質な香りを携えていても、着飾らない瓶に入れられた香水に価値は無い。

彼女が語っていたように、ジルスチュアートの香水はかなり奇抜な造形をしている。

開発チームが意地張って試行錯誤している様を身勝手にイメージすると、不思議と愛着が湧いてきた。


「間違いなく、誕生日にピッタリだなこれは」


明らかに場違いな俺は素早く会計を済まし、そそくさと店をあとにした。




「・・・嘘だろ」




店を出た瞬間に、30前後の男に肩を抱かれる彼女の姿が目に入った。

明らかに身の丈を超えたブランドで全身を固めるその男は、俺に細やかな敵意を向ける。


「・・・なんで、ここにいるの?」


呆然とした表情で、彼女は俺に問いかけてきた。


「君にプレゼントする香水を買うためだよ。君は?」


「この人が、香水を買ってあげるって言うから、一緒に来た・・・」


以前に別の男と一緒にいた時とは、明らかに様子が違う。

抗ったは抗った。だけど、抗い切れなかったんだろう。


「あ!もしかして君が彼氏?この子可愛いからさ、デートしたくなってつい誘っちゃった。ごめんね!最初は彼氏がいるからって断られたけど、しつこく誘ったら着いてきてくれたんだ。粘り勝ちって感じかな。ははは。」


今すぐコイツの顔面を、全身全霊をかけて殴ってやりたい。

いや、本当に殴ってやればいいのかもしれない。

直後俺は捕まるだろうが、後悔はしないような気がした。


「・・・今すぐ、今すぐ消え失せてくれ!」


「そ、そんなにキレるなよ。別に何もしてねえよ。じゃあな」


異常なまでの憎悪を感じ取った男は、言われるがままに情けなく消え失せた。


「・・・努力するって言ったよね?あの言葉はなんだったの?」


俺はあまりにも残酷な質問を彼女に投げかけた。


「・・・るわけないじゃん」


「え?」


「治るわけないじゃん!」


「・・・」


「そんな人が簡単にさ、治るわけないじゃん!」


大粒の涙を流しながら叫ぶ彼女を見て、俺は果てしない後悔に包まれた。

彼女は間違いなく、抗う努力をしていた。

今回は彼女から誘ったわけじゃない。誘ったのは男の方だ。

しかも彼女は、俺のことを想い一度断っている。

彼女がどんな想いで断っていたか、男は微塵も想像できなかっただろう。


・・・いや、想像できなかったのはあの男だけじゃない。俺もだ。

苦悩を想像する前に、隔絶する言葉が先に出てしまった。

つまりこれは、もうそういうことを意味している。


「・・・今まで、最高に楽しかったよ」


***


人の性根は、簡単には治らない。彼女の言う通りだ。

だけど、抗い続けることで、幾分か良い方向に導くことはできる。

完全に治らなくたっていい。いや、完全に治すことなんて不可能だ。

完全に治ってしまったら、もうそれは別の人間だ。

いや、そもそも彼女の性根を、病的に捉えていた俺が間違っていたのかもしれない。

忌み嫌っているはずの無個性な人間になってほしいと願った俺こそが、狂っていたのかもしれない。

でも彼女は、自分の性根に罪悪感を覚えており、それを変えたいと思っていたわけで・・・。


考えれば考えるほど、迷宮入りしてしまう。

つまり俺たちは、最初から別れる運命だったのだろう。

だけど、俺は間違いなく彼女に惚れていたし、彼女も多分、俺に惚れてくれていた。

その事実だけは、絶対に忘れたくない。


「これ、めっちゃいい香りするんだな・・・」


ジルスチュアートの香水をつけた俺は、退屈な講義を受けに大学へと向かった。

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ジルスチュアートの香水 TK @tk20220924

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