インヴィズィブル・ファング四

maria159357

第1話 優しい嵐のように


優しい嵐のように



   登場人物




     グラドム・シャルル四世


     リカント・ヴェアル


     ロイヤス・ミシェル


     空也


     ラグナ


     レイチェル


     ソレイユ




































困難の中に、機会がある。


     アインシュタイン






































 第一爪【優しい嵐のように】




























 全てを擲ってまで守るものなど、この世に存在するだろうか。


 もしあるとしたら、それは本当に守るだけの価値があるのだろうか。








 闇夜の生き血を啜り、薔薇色のワインを呑み干し、宵闇とともに堕ち、錆びた朝を唄い、狂楽に踊りだす。


 貴方の愛に齧り付き、骨の髄まで噛みついたら、一番美しい表情を見せる。


 満月、三日月、新月、いつの夜でも姿を見せるその姿は、まさしく蝙蝠。


 ただ蝙蝠と違うのは、その姿は妖艶に口元を歪めて笑い、二足歩行することが出来、蝙蝠よりも性質が悪いということだ。


 誰もその存在を認めないまま、時代は進み続けて行く。


 だが、時代が認めなくとも、存在が確実であり、進化しているのもまた、今から知る事実となり、現実離れした現実となる。








 月がその身を隠し始め、太陽がその存在を消す為に、神々しく光を放ち始める時間。


 森の奥、霧の道を通り抜けてさらに奥へと歩みを進めて行くと、そこに、薄らと姿を現したのは、茨に呑みこまれそうな城。


 蝙蝠が城へと向かって飛び、とある小窓から部屋の中へと入っていく。


 その部屋は、埃を被り蜘蛛の巣もはっている、錆び付いた豪華なシャンデリアがあり、大きな額縁の中には、この城の持ち主だろうか、こちらもすでに色褪せた肖像画が飾られていた。


 背もたれの長い椅子に座り、足を組んで優雅にワインを呑んでいる男が一人。


 「・・・・・・」


 朝日が昇り、いつものように男、シャルルはジキルとハイドを連れて散歩にでも行こうとしていた。


 しかし、まだスヤスヤと寝ていたジキルとハイドを見て、シャルルはその可愛い寝顔を起こすわけにはいかないと、昼ごろまでうたた寝をしてしまった。


 目を開けると、ヴェアルとミシェルがいて、人の家だと言うのに、二人はとても寛いでいた。


 「あ、シャルル起きた」


 「こらモルダン、こっち来なさい。シャルルのところなんてばっちいからダメよ!」


 「ミシェル、お前そこになおれ」


 いつものように、そんなやりとりをしていた。


 だが、今日はいつもと違ってしまう。


 一瞬、シャルルにも何が起こったのかが理解出来なかった。


 気付いたら、ヴェアルが床に倒れていて、その前にはミシェルが立っている。


 先程まで、変わらぬ風景があったはずだというのに、今、ミシェルは確かにヴェアルに何かしたのだ。


 ヴェアルは血を流して倒れており、シャルルはゆっくりと視線をミシェルに戻す。


 「おい、お前何をした?」


 「・・・・・・」


 ミシェルからは、いつものミシェルの気配は感じられず、すうっと手を出すと、今度はシャルルに向かって攻撃をしてきた。


 「!!!」


 瞬時に避けたシャルルだが、ミシェルの攻撃の痕を見てみると、そこには数十本の変な形の剣が刺さっていた。


 じゅうう、と音を出して床を溶かしているのを見る限り、毒か何かがついている。


 次々に攻撃をしてくるミシェルを、普段なら止められるはずなのだが、スピードも攻撃の仕方も、瞬発力にしても、今までのミシェルとはケタ違いだ。


 避けるだけならまだしも、ここからミシェルに近づくのは難しい。


 少しだけ、考え事をしていたのがいけなかった。


 そのほんの一瞬の油断で、ミシェルの攻撃を受けてしまったシャルルを見逃すはずもなく、さらに攻撃を受けてしまった。


 「・・・!」


 今までにも、こうしてミシェルが怒って攻撃をしてきたことはあるが、ここまで魔力が強いのは初めてだ。


 シャルルはそこから動こうとしたが、すでに足元には何か魔法陣が書かれており、シャルルの足はまるで磁石のように床とくっついてしまった。


 ちら、とヴェアルの方を見るが、全く起きる気配がない。


 「何の心算か知らんが、俺は手加減しないぞ」


 「・・・・・・」


 何も言わないミシェルに、シャルルはただただ舌打ちをするしかない。


 なぜこんなことになったのか分からないまま、シャルルはミシェルの攻撃を避けることに集中した。


 とはいっても、ミシェルの攻撃はとても乱雑で、狙っているのだろうが、簡単に避けられるものだった。


 それに何より、ミシェルはなぜかフラフラとしていた。


 その様子を見て、モルダンもハンヌも、ミシェルには近づこうとしない。


 「にゃあ」


 「・・・・・・」


 モルダンが鳴けば、いつもならすぐにでも自分の腕の中に入れてしまうというのに、今日は横目でその存在を見ただけだった。


 「・・・にゃあ!」


 ひときわ大きい声を出して、モルダンはシャルルの方に走ってきた。


 「!来るな!」


 シャルルが止めたにも関わらず、モルダンは走ってくると、モルダンが走ったお陰で、魔法陣の一部が消えてしまった。


 動けるようになったシャルルは、モルダンを連れて魔法陣から出る。


 振り返ると、ミシェルは悔しそうな様子もなく、フラフラと、まるで骨がない人間のように動いていた。


 そしてミシェルが腕を上げると、そこには炎が立ち上がる。


 それをシャルルとヴェアルに向けて投げてきたそのとき、炎は見えない壁にぶつかっているかのように、途中で姿を消した。


 その隙に、シャルルはヴェアルを連れてその場から離れた。


 「・・・貴様は」


 「よう。やばそうだな」


 そこに立っていたのは、以前会ったことのある金髪の男、空也だった。


 ミシェルの先輩というか、師匠とも呼べるこの男はまだ若い。


 「ちっ」


 「ちょいと遊びに来てみたら、なんだこりゃあ。お前、あいつを怒らせるようなことしたのか?・・・いや、そういうわけじゃあなさそうだな」


 空也が炎を斬って、その隙間から見えたミシェルに風を送り込むと、その風によってバランスを崩したミシェルは尻もちをついてしまった。


 だが、その際に床に着いた手に何かを唱えると、床がぐにゃぐにゃとこんにゃくのようにうねりだした。


 「こりゃあ、ミシェルの魔法じゃねえな」


 小さい声でそう呟いた空也は、ぐにゃぐにゃの床からジャンプすると、窓を割って入ってきた人一人が楽に乗れるほどの大きな葉っぱに飛び移った。


 冷静にそれを見ていたミシェルは、今度はその葉っぱに向かって、空気の銃弾を撃ち込んで行く。


 それを避けながらミシェルに近づいて行き、ミシェルの頭上に来ると、空也は葉っぱから勢いよく下りた。


 そして、相手が少女ということも気にせず、背後に回ってミシェルをうつ伏せに倒す。


 顔面から倒れてしまったミシェルは、必死に抵抗を試みたかと思うと、髪の毛を長くして空也を捕えようとした。


 思わずミシェルから離れると、ミシェルはゆっくりと立ち上がり、空也のことを睨みつけた。


 「ったく。幾つになっても世話が焼ける」


 二人の魔法による攻防がしばらく続くと、ミシェルは糸がぷつっと切れたかのように、ばさっと倒れてしまった。


 「お?」


 ミシェルに近づいて行き、ツンツンと突いてみるが、動かない。


 ミシェルが動かないことを確認すると、空也はまるで動物の毛皮のマフラーのようにして、首に担いだ。


 そして、ミシェルが暴れないようにと、両腕をまとめた手首のところに手錠をつけて鍵をかけた。


 「何があったか知らねえけど、それを調べるためにちょいと借りるぜ」


 「好きにしろ」


 「それから、ほれ」


 そう言って、空也がポケットから無造作に出してきたものをシャルルが受け取ると、それは小瓶に入った液体だった。


 怪しげなそれを、シャルルは目を細めて眺めていた。


 そんなシャルルを見て、空也は笑う。


 「解毒のな。二人分はあると思うから」


 ぽん、と大きな葉っぱを出すと、空也はそれに乗ってひゅいん、と飛んで行ってしまった。


 残されたシャルルは、ただ隣で未だ起きないヴェアルの口を強引に開けて、空也から貰ったそれを半分ほど流し込んだ。


 「苦い」








 「空也じゃない。どうかした?」


 「ああ、ミシェルの様子がおかしいんだ。調べてくれるか」


 「あら。じゃあ、そこに寝かせてくれる?」


 魔法界にミシェルを連れて行った空也は、すぐに医務室へと運んだ。


 そして手錠を外してベッドに寝かせると、色々調べるから出て行ってくれと言われた。


 心拍数や脈拍、血液検査に脳検査、MRIに遺伝子検査までされていた。


 「どのくらいかかる?」


 「今日中に終わらないことは確かね。暇なら、国王のお手伝いでもしたら?」


 「俺はこう見えて忙しいんだぜ?」


 「はいはい」


 一日かかって採取するだけ採取し、検査出来るものはしていたのだが、そろそろ陽も沈むという頃、異変が起きた。


 女性はバタバタと空也のもとまで走り寄ってきて、空也は思わず両腕を広げる。


 そんな空也を手加減なしでペシッと叩くと、女性はこう叫んだ。


 「空也!大変!」


 「なになに。俺への抱擁じゃないの」


 「そんなわけないでしょ馬鹿!ミシェルが、いなくなっちゃった!!」


 「はああ!?」


 バッ、と医務室を開けてみると、ベッドに寝ていたはずのミシェルの身体はどこにもなく、カーテンがひらひら踊っていた。


 カーテンをずらして窓の外を眺めてみるが、もうどこにもミシェルの姿は見えなかった。


 「・・・・・・」


 「すみません!私が目を離したばかりに!」


 「いや、これはしょうがねえよ。それに、今のあいつはあいつじゃない」


 ふと、身体を反転させた空也は、女性が持っている何かに目がいった。


 「それは?」


 「え?あ、これは、血液検査の結果です」


 「見せて」


 ミシェルの血液検査の結果を見て、空也は渋い顔をした。


 ベッドに座って足を組み、それをじーっと見てしばらく経った時、空也はベッドから立ち上がり、何処かへと向かって歩き出した。


 空也が向かった先は図書室で、空也はそこから何かの本を取り出すと、椅子に座る。


 そして、なぜか本を読むときだけ身につける眼鏡をかけると、その本を読み終えるまでただじっとしていた。


 「あれ?空也がいる。珍しい」


 「本当ね。何してるのかな」


 大抵、一日中女の人と一緒にいることが多い空也が、今日は珍しく一人でいるぞと、噂は瞬く間に広まった。


 そして本を読み終える頃には、そんな空也を見る為だけに図書室に来たギャラリーで一杯だった。


 パタン、と本を閉じると、その本は自分でもとの場所へと戻って行く。


 「空也、何読んでたんだ?」


 眼鏡を外すと、空也は自分に声をかけてきた海斗という男をちらっと見て、何も言わずに出て行ってしまった。


 そしてまた葉っぱを出して出かけようとしたとき、父親に声をかけられる。


 「空也!お前はまた何処へ行くんだ!」


 「ミシェルがピンチなの。俺だって忙しいんだって」


 「なに、ミシェルが?」


 まだ何か言おうとしていた父親のことなんて放っておいて、空也は再びシャルルのもとへと訪れた。


 椅子に座り、足を組んで頬杖をつくという、いつものスタイルでいたシャルルだが、その顔は不機嫌そうだ。


 「大丈夫そうか?」


 「・・・・・・」


 「まあいいや。ミシェルのことで、分かったことがあってさ」


 「ミシェル?」


 そこへ、意識を取り戻したヴェアルがやってきた。


 シャルルがやったのか、それとも自分でやったのかは不明だが、身体中包帯がグルグル巻かれた状態のままだ。


 椅子に座ると、空也が話出した。


 「まず、ミシェルがいなくなった」


 「・・・・・・」


 「ええ!?どういうこと!?」


 「医務室で検査してたんだけど、寝てるから大丈夫だと思ったら、逃げててな」


 逃げてるという言葉が合っているのかは分からないが、それでもいなくなったという事実に、ヴェアルは驚きを隠せない。


 「で、ミシェルの身体には、ある蟲がいることがわかったんだ」


 「蟲って?」


 一言も喋らないシャルルとは逆に、ヴェアルは身を乗り出して聞いてくる。


 「蟲使いのラグナ、っていう男がいるんだけど、多分そいつの蟲だと思うんだ」


 男の名はラグナといい、特徴としては、髪型がオールバックということと、髪色が赤いということだろうか。


 そして、ピアスをつけているそうだ。


 ラグナは蟲使いの一族に産まれ、影から世の均衡を保ってきたとされる。


 しかし、体内に寄生されてしまった蟲というのは、そう簡単には取れるものではない。


 ラグナよりも強い魔力によって取り除くか、もしくはラグナを倒すしか方法はなく、蟲の種類によっては、最悪死に至るとか。


 どこで寄生されたのかも分からない、それがラグナの蟲の怖いところだという。


 そして、ラグナと行動を共にしていると言われているのが、レイチェルという女だ。


 「レイチェルは、魔女だ」


 「魔女!?」


 黄色の髪をしていて、やはりピアスをつけているとか。


 以前は魔法界にもいたことがあるのだが、悪魔を召喚するという黒魔術を使っていたことから、追放されてしまったようだ。


 「正直言って、レイチェルの魔法の力は強い。だから魔法界は、レイチェルの体内から魔力を奪ってから追放した心算だった」


 「けど、完全には奪えていなかった?」


 「それか、零からまた魔力を取り戻したかだな。今がどんなもんか分からねえから、何とも言えないがな」


 二人が会話をしている中でも、シャルルは一人目を瞑っている。


 「おっと。俺もそろそろ帰るか」


 「ありがとう」


 「・・・・・・」


 空也を見送りに来たヴェアルに、空也はこんなことを聞いてきた。


 「あいつはなんで不機嫌なんだ?」


 「え?ああ、シャルル?多分・・・」


 シャルルが不機嫌な理由、それはただ一つ。


 ジキルとハイドを散歩に連れて行く時間がなくなってしまったことだろうと、ヴェアルは教えてくれた。


 それを聞くと、さすがに空也は笑ってしまった。


 「ここにも世話の焼ける奴がいたか」


 そのまま帰って行った空也を眺めたあと、ヴェアルは城の中へと戻って行くと、シャルルはまだ動かなかった。


 「シャルル、どうする?」


 「何がだ」


 「何がって、ミシェルのことだよ。放っておけないでしょ」


 「放っておけばいいだろう」


 「最悪死ぬかもしれないって」


 「知るか」


 ガタン、とシャルルが椅子から立ちあがると、何かを感じ取ったシャルルは、目線をそちらに向けた。


 闇に光るシャルルの赤い目の先を見ると、そこには見知らぬ男がいた。


 しかし、それが誰かは良く分かった。


 なぜなら、先程空也に聞いたからだ。


 「ラグナ」


 「お。俺のこと知ってた?それなら話は早いね。以後、お見知りおきを」


 赤い髪のその男は、シャルルたちを見て歯を見せて笑う。


 「さてさて、どうして俺がここに来たか分かるかな?」


 「知らん。さっさと消えろ」


 「おやまあ。てことは何かな?ミシェルって子が死んじゃっても良いってことかな?」


 シャルルを挑発するようにラグナは言うが、シャルルはいらついているのか、足を強く床に踏み込むと、床が抜けてしまった。


 それだけボロいのかと聞かれると、決してそういうわけではない。


 確かにかれこれ何千年か、それ以上建っている建物だが、そこまで脆くはない。


 ただ、そこにいる男の言動や表情、全てにイライラしているシャルルの精一杯の、近寄るなオーラだった。


 それでもラグナはニコニコ笑う。


 「貴様、俺は今すこぶる機嫌が悪いんだ。頼むから大人しく視界から消えろ」


 「それは御免だね。なんたって、君たちは邪魔だからさ。消しておかないと、大変なことになっちゃうし」


 笑みを崩さずにそう話すラグナに、シャルルは文句の一つでも言ってやろうとした。


 しかし、一歩踏み出したその時、シャルルの身体に異変が起こった。


 「・・・!」


 「シャルル!どうした!?」


 シャルルの口の端からは、赤い血が出てきていたのだ。


 そして、そんなシャルルを心配して近づいていったヴェアルも、同じように口から血を吐いてしまった。


 まさか、知らないうちにラグナに蟲を体内に入れられていたのかと、シャルルは遠ざかりそうになる意識をなんとか掴む。


 「無理はするな。楽になれ」


 「貴様は、必ず潰す」


 強がりとしか言いようがないシャルルの言葉に、ラグナはクツクツと喉を鳴らして笑う。


 ぐっと堪えていたシャルルたちだが、今度は身体が徐々に痙攣を始めた。


 動かそうとしても、ぴくぴくと小刻みに動いてしまい、思う様に動かすことが出来ない。


 ついには、ばたん、と身体が床に倒れ込んでしまった。


 「グラドム・シャルル四世。お前はここで死ぬんだよ」


 「死ぬ、か」


 「ああ。俺と関わることがなければ、もう少しだけ生きられたかもしれないけどな。俺がこうしてお前の前に現れた時点で、お前は降伏すべきだったんだよ」


 そう言うと、ラグナはシャルルの前髪をぐいっと掴みあげ、自分の方を向かせた。


 真っ赤に滲むその瞳を見ると、ラグナはその赤い輝きに心奪われたように、ごくり、と唾を飲み込むのが聞こえた。


 「ここで死ぬには惜しいが、仕方ないな。ま、せいぜい痛みに悶えながら死んでいくんだな」


 掴んでいた腕を思い切り離し、床に叩きつけるようにすると、ラグナはふう、と息を整えた。


 そして、そのまま城から消えてしまった。


 ヴェアルも血を流し、呼吸を荒げているため、二人してどうすることも出来ない。


 肉体的な痛みだけなら耐えられるとしても、身体の中から蝕まれているこの状況では、痛み以上の苦痛があった。


 どうしても痛みが引かず、シャルルはなんとか立ちあがり、ヴェアルの具合を見ようと移動を始めた。


 だがその時・・・・・・。


 ごと、と鈍く重たい音が聞こえてきて、シャルルはゆっくりと後ろを振り向く。


 「・・・!!」


 シャルルの右腕が、無くなっていた。


 無くなっていた、というのは正確な言い方ではない。


 正確に言うと、落ちていた。


 まるで蝉の抜け殻のように、肩から腕一本が落ちていたのだ。


 シャルルは肩を押さえようと左腕を出すが、左腕も同じように落ちてしまった。


 両腕が無くなってしまったシャルルは、身体を這いずらせるようにして移動をする。


 これではまるで蓑蟲のようだ。


 ふと、目を覚ましたヴェアルは、そんなシャルルの姿を見て驚いていた。


 「シャルル!その腕・・・!」


 「黙れ」


 「黙れって・・・!」


 ヴェアルはシャルルの身体を支えようと動いたとき、バランスが取れなくなってしまった。


 恐る恐る振り返ろうとすると、シャルルが「見るな」と叫んできた。


 しかし、見るなと言われても見えてしまった。


 自分の足が、取れていたことを。


 「!!あああああ!!」


 時間が経つにつれて、手足が次々にちぎれていってしまい、シャルルもヴェアルも、身動きが取れなくなってしまった。


 そして出血のせいなのか、二人して意識を手放してしまった。








 「・・・・・・」


 シャルルは、朝の鳥の囀りで目覚めた。


 棺桶で寝なかったからか、身体のあちこちが痛いような気がする。


 窓から覗く眩しい太陽の光に、思わず目を細めてしまう。


 ぼーっとしていると、突如、意識を手放す前のことを思い出した。


 「!!!!」


 ガバッと勢いよく起き上がり、自分の身に起こったことを確認した。


 しかし、取れてしまったはずの手も足も、確かにくっついていた。


 「・・・・・・」


 ホッとしたのは良いが、では昨日のあれはなんだったのだろうかと思っていると、隣からヴェアルの叫び声が聞こえてきた。


 そちらを見ると、ヴェアルはまだ起きておらず、悪夢にうなされているようだ。


 どんな悪夢か、と言われれば、きっと昨日の出来事だろう。


 「ああっ・・・!!あがっ・・・うううう!!あああ!」


 「ヴェアル」


 「があああああっ!!!ああ!ううううあああ!!!」


 「ヴェアル」


 少し強めに二度目の名を呼ぶと、ヴェアルは目をいきなり開いた。


 そしてシャルルを見るなり、その胸倉を掴んできた。


 「おいシャルル!俺達一体これからどうすりゃいいんだよ!手も足もなくなって・・!これから・・!」


 「・・・良く見てみろ」


 「へ?」


 シャルルに言われた通り、ヴェアルは今の自分の身体をチェックした。


 すると、確かにもげたと思っていた手も足も、自分の身体にちゃんとくっついているではないか。


 「え?あれ?どういうこと?」


 「その前にヴェアル、お前、俺のことを掴んだな?」


 「ああごめん。いや、それどころじゃないよ!どうなってんの!?」


 「俺が知るか。ただ、現実ではなかったことは確かだな」


 「あんなに痛かったのに・・・」


 シャルルもヴェアルも、昨日のことが嘘だったとは思えない。


 痛覚は確かに覚えているのだから。


 「なんか、不思議だね」


 「・・・・・・いけ好かん」


 「へ?」


 「行くぞ」


 「何処へ?」


 そう言って、シャルルとヴェアルが来たのは、空也がいる魔法界だった。


 当然、二人は魔法界からすると部外者であって、不審者なのだが、なぜか女性たちは寄ってきた。


 あっという間に女性たちが群がってしまうと、すぐに現した人影があった。


 「おいおい、俺の大切な女の子たちに手ぇ出すんじゃねぇよ?」


 「空也・・・」


 「あれ。お前らかよ」


 ひょこっと顔を覗かせたのは、誰であろう、女の子が大好きな空也だった。


 シャルルたちは自分の知り合いだと言って通させる。


 さすがに魔法界の次期国王とだけあってか、何処へ行っても空也は顔が知られており、女性を見かけるたびに声もかけていた。


 すぐにシャルルに引きはがされてしまったのだが、懲りない。


 一方、ヴェアルは感心していた。


 ほえー、と口を少し開けて、高く広いその城を見上げていた。


 いつの時代のものかは知らないが、とても貴重に見える壺や絵画、掛け軸や骨董品、それに天井には様々な絵も描かれている。


 とある部屋に辿りつくと、空也は外にいる兵士たちに、しばらく部屋の中には入らないようにと忠告をする。


 「何か飲むか?」


 「ワイン」


 「お、俺は何でも」


 そうは言っても、空也が持ってくるわけではない。


 魔法でちょいっと動かせば、シャルルの前にはワインが、そしてヴェアルの前には麦茶が用意されたのだ。


 ヴェアルは緊張で喉が渇いていたのか、出てきた麦茶を一気に飲み乾した。


 すると、飲んだはずのコップから、また麦茶がとくとくと注がれた。


 「で、なんだ?ミシェルならまだ捜索中だぜ」


 「・・・・・・」


 ワインを一口飲んだところで、シャルルが昨日自分たちの身に起こったことを簡単に説明した。


 それを聞きながら、空也はお菓子のクッキーやチョコを摘まんでいた。


 「なるほどねぇ。お前等は、ラグナに幻覚を見せられたってことか」


 「幻覚って、あんな風にはっきりと痛みとか感じるものなのか?」


 ヴェアルが昨日のことを思い出しながら聞いてみると、空也はんー、と腕組をしてから、二人を見てニイっと笑った。


 「これだから魔法を知らない奴は」


 「・・・・・・」


 「なっ!そ、そうだけど・・・」


 「いいか?ラグナは蟲使いなだけだ。けど、そこに魔術が加われば、それ以上の力を発揮する。それも魔術の力の差があるけどな。蟲の力だけでも、魔術だけでも、そこまではっきりと感じるだけの幻覚を作るのは難しい。だが、二つが融合すれば、話は別だ」


 「・・・レイチェルとか言う女が、威力を増幅させたということか」


 「まあ簡単に言うと」


 空也が言うには、ラグナの蟲だけでは、そのような幻覚を作り出すのはとても難しいそうだ。


 原理がどうとか話していたが、正直言ってヴェアルには理解出来なかった。


 ただ、そこにレイチェルの幻覚を見せる魔法が加わることによって、よりリアルなものを見せられるようだ。


 「それで」


 「それでって?」


 説明が終わったにも関わらず、まだ何か聞こうとしているシャルルの意図が掴めず、空也もヴェアルも首を傾げる。


 空也は足を組み、フカフカソファの背もたれに両肘を乗せてでーん、としながらも、シャルルの方をじーっと見ている。


 シャルルも腕と足を組み、目を閉じてじっとしているのだが、どうにも話が進まないため、はあ、とため息を吐いた。


 「その幻覚に対抗するには、何か策はあるのか」


 「・・・策?」


 「え?シャルル?」


 普段なら、自分でどうにかして敵を倒そうとするシャルルだが、目をぱちくりとさせている空也に対し、ついには睨みつけた。


 空也は両手を軽く上げて降参の格好を取ると、面白そうに歯を見せていた。


 「そこまでリアルな幻覚となると、そう易々とは破れねぇよ?」


 「分かっている。だからお前に聞いている。魔法のことは、どうも俺達はズブの素人のようだからな」


 「お。素直なこって」


 今日まで、魔法を見なかった日はないくらい、ミシェルのものは見てきたはずだった。


 それに、今まで幻覚を見せられたとしても、自分をしっかり持っていれば、容易に見破ることが出来たのだ。


 しかし今回、見事にしてやられた。


 それが悔しいのかは分からないが、シャルルが人に頼むなんて珍しいことだった。


 「幻覚の原理を徹底的に教えてやるよ。俺に教えてもらえるなんて、感謝しろよ?」


 三日間、シャルルとヴェアルは空也の城に泊まることになった。


 空也は図書室に二人を連れて行くと、目立つこと目立つこと。


 幻覚に関する本を全て重ねると、それを一冊ずつ、大事な部分だけを掻い摘んで説明をしていた。


 「ねえ、空也と一緒にいるイケメン誰?」


 「私あの子タイプ。可愛い」


 「えー、私はあっちかなー。なんかミステリアスな感じする!」


 それが聞こえていた空也は、酷く落ち込んでいたようだが、シャルルに急かされて説明を続けた。


 「幻覚を見極めるポイントとしては、痛覚や視覚は役に立たない」


 「そもそも、五感が役に立つのか?」


 視覚、痛覚、嗅覚、触角、味覚のうち、味覚は関係ないにしても、他の四つはあまり意味を成さない。


 だが、ただ一つ、もしも使える五感があるとすれば、それは。


 「嗅覚だ」


 「嗅覚・・・?俺は無理だな。ヴェアルに頼むしかないのか」


 とても不服そうに言うシャルルの横で、ヴェアルはちょっと嬉しそうにする。


 「嗅覚、あとは第六感だな」


 「勘、ってことか?」


 「そ。幻覚かそうじゃないかってのは、夢なのか現実なのか、それと似たような感覚なんだよ。ちょっとだけな」


 しかし、何よりも大事なのは、勘だという。


 「俺たちも、魔法によっては幻覚だって気付き難いものがある。けど、そんときはまず勘を大事にする」


 一瞬心を無にしたとき、見るもの、聞こえるもの、触るもの、自分の周りを取り囲む空気に違和感を覚えるかどうか。


 ただ目の前にあるものだけを見るのではなく、経験をもとに感じること。


 「シャルル、お前は目が良すぎるんだ。だから幻覚に惑わされやすい。お前が幻覚だと分かるのは、あからさまな幻覚だったからであって、リアルになればなるほど、状況は良くないってこと」


 だからヴェアル、と付け加えると、空也は馬鹿にしているわけではないのだろうが、ヴェアルを見てニヤニヤする。


 「お前の嗅覚が頼りだ」


 「嗅覚ったって・・・」


 どうすれば幻覚とそうでないのを嗅ぎ分けられるというのか。


 そこまで優秀な鼻をしているとは思えなかったヴェアルに対し、空也は立ち上がってヴェアルの鼻をつまんだ。


 「お前の場合は、気が弱いからダメなんだ。もっとしっかり気を持て。そうすれば、自然と真実は見えてくる」


 「うー・・・」


 鼻から手を放すと、空也はうーんと背伸びをして、今度は煎餅を出してそれを口に含んだ。


 そして三日間、空也直伝の幻覚を解く方法を教えてもらった二人は、シャルルの城へと戻って行った。


 二人が帰ったあと、三日間、珍しく女性たちに指一本も触れていなかった空也は、爆発したかのように女性たちのもとへと駆け寄っていった。


 それをみて、空也の友人のナルキはため息を吐いていたとか。








 「様子はどうだ?」


 「まあまあね」


 「しばらくは動けないだろうな」


 「でしょうね。私達が無理矢理この身体を使って戦わせたんだから、仕方ないといえば仕方ないけど」


 足を組み、その足をブラブラとさせながら話すレイチェルに近づいて行くと、ラグナは後ろからレイチェルを抱きしめた。


 そのままレイチェルの耳をかぷりと唇で噛むと、レイチェルはラグナの鳩尾にエルボーを喰らわせた。


 「OH、NO・・・」


 「で、これからどうするの?あの二人には多少なりともダメージは与えられたと思うけど」


 鳩尾を両手で押さえながら、ラグナはへへ、と小さく笑った。


 「どうするもなにも、もう喧嘩は売っちまったんだ。それよりも、この前みたいなのは勘弁してくれよ?」


 「この前みたいなって?」


 「他人の身体乗っ取るなら乗っ取るで、もっとバレないようにしてもらわねえと」


 ラグナの話を聞いているのかいないのか、レイチェルは髪の毛をいじっている。


 枝毛を見つけたようで、指で強引にその毛をちぎっていた。


 「はいはい。そう簡単に言うけどね、乗っ取ると自然にああなっちゃうのよ」


 「出来ねえってことか?」


 出来ないのかと聞かれると、髪の毛をいじっていたレイチェルはその手を止めて、ラグナの方を横目で見た。


 「出来るわよ。私を誰だと思ってるの」


 「なら安心だ」


 ラグナとレイチェルは、寝ているミシェルに近づいて行くと、その身体に触れた。








 シャルル達が城に戻ってから二日たったある日のこと。


 「空也、全然ミシェル見つからないってよ」


 「そうか」


 淡白な答えの空也に対し、ミシェルにとってお兄さんとも言えるナルキは心配そうに顔を歪めていた。


 二人だけの時間がカチコチと過ぎて行くと、空也とナルキは何かに反応した。


 二人がいた部屋の扉が開くと、そこから一人の少女が現れた。


 それを横目で見ていた空也は、扉から現れた少女が視界に入るも、そのままの状態で座っていた。


 「ミシェル!無事だったのか!!」


 扉から入ってきたのはミシェルで、それに気付いたナルキは、一目散にミシェルのもとに駆け寄って行った。


 「・・・・・・」


 「空也!ミシェルが戻ってきたぞ!」


 戻ってきたミシェルは、ニコッと笑った。


 「ごめんね、迷惑かけて」


 「俺達は大丈夫だよ。良かった。ミシェルこそ、身体は大丈夫なの?」


 「うん」


 微笑みながらナルキとの会話をするミシェルは、ゆっくりと歩いてきて、空也との一定の距離を保ったところで止まった。


 「空也も、ごめんね」


 「・・・・・・」


 「ミシェル、空也はいつものことだから、気にしないで。それより、何があったのか話してくれる?」


 珍しく謝ってくるミシェルだが、空也はそっぽを向いたままだ。


 ミシェルとナルキは、立ったまま少し話をしていたが、ふと、空也が口を開いた。


 「茶番は止めろ」


 「何のこと?」


 「ミシェルを使って何をする気だ?」


 「空也ってば、変だよ?」


 深くため息を吐くと、空也は立ち上がってミシェルに近づいて行く。


 ナルキはミシェルから離れると、同じように距離を保つ。


 「ミシェルは俺のこと空也なんて呼ばねえんだよ。お前等が何を企んでるのかって聞いてんだ」


 「・・・・・・」


 一瞬、表情の動きを止めたミシェルだが、またフフフ、と笑いだした。


 「やあねぇ。なんでこう上手くいかないのかしら」


 ミシェルがそう言った次の瞬間、ミシェルの身体の中から、ラグナとレイチェルがボコボコと姿を出した。


 そして部屋の窓から脱出すると、ラグナは魔法界に蟲を撒き散らして行き、レイチェルはその蟲に魔法をかける。


 「ちっ!」


 「しまった!」


 空也とナルキは、窓から外の様子を見てみると、ラグナの出した蟲が身体についた者は、身体のその部分が腐ってしまっていた。


 蟲に魔法をかけ終えると、レイチェルは今度、魔法界に大きな魔法陣を描き、悪魔の召喚を始めた。


 「ナルキ」


 「どうすればいい?」


 その状況を見て、空也はナルキの他、数人のメンバーを急遽呼んだ。


 「空也、どうなってるんだ!?」


 「お前たちに頼みたい事がある」


 「そりゃ、協力するけどさ」


 魔法によって、魔法界全土には緊急速報としてこのことが知らされた。


 それは風によって、葉っぱによって、花によって、草木によって、水によって、火によって、とにかく、色んな方法で魔法界に住む全員に報せた。


 「ソルティは蟲に侵された奴らの治療、海斗は親父のところに合流して蟲の除去、ナルキは俺の援護を頼む」


 「わかった」


 空也に言われた通り、まずソルティは蟲が近づけない魔法をかけながら、蟲に襲われた人のもとへと向かい、医務室へと運ぶ。


 そこで腐ってしまった肉や骨を再生させるという高等な技術を、体力の許す限り、いや、許さないとしてもやるしかなかった。


 海斗は空也の父親、つまりは国王たちが集まって蟲の正体を調べているところへ向かうと、サンプルをもとに蟲の特定を急いだ。


 空也とナルキは外へ出ると、レイチェルが書いた魔法陣を消そうとするが、魔法陣には強い魔法がかけられており、消そうとすると結界が張られてしまう。


 そこで、空也はその結界ごと打ち消す為に、その場に胡坐をかいて座る。


 「汝、血のもとに我の声を聞きたまえ」


 空也はがりっと自分の親指を噛んでそこから血を出すと、左腕に何か模様を描いた。


 そして数珠の様な鎖のようなものを腕に巻きつけると、魔力のストッパーとなっている指輪を外す。


 掌をレイチェルの作った魔法陣の方に向けると、空也の髪は徐々に黒く染まって行った。


 「空也!?」


 「大丈夫だ。ナルキは下から頼む」


 そう言われ、ナルキは地面に両手をつけた。


 ぽわ、と地面が光り出すと、ナルキの周りには不思議な風が巻き起こり、両手に力を少し入れただけで、地面がくずれていった。


 レイチェルによって召喚された悪魔は、空也が強い魔法で縛りつけたあと、ぎゅうう、とそのまま絞られ、粉々になってしまった。


 同時に魔法陣を壊したことにより、レイチェルはそれ以上悪魔を召喚出来なくなり、その場からいなくなった。


 海斗の方では、蟲の特定がされたため、それに対する治療薬を作ることが出来た。


 それまでソルティが再生させていた腐った手足も、その薬によって治った。


 「ふう。良かった」


 「それにしても、まさか複数の蟲を交配させていたなんてな」


 「どうりで強力なはずだよ」


 しかし、ラグナもレイチェルも逃がしてしまったが、被害が広がらなかっただけ良いとしよう。


 空也は部屋に戻るが、そこには誰もいなかった。


 「・・・・・・」


 また姿を消してしまったミシェルのことを追い掛けることも出来ぬまま、空也はソファに座った。








 「っく・・・。ふうっ・・・」


 身体を乗っ取られたミシェルもまた、苦しんでいた。


 操られている時の記憶は残っているため、ただ一人で声を押し殺して泣く。




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