死にぞこないの幸福論

二宮デク

洗い物

うつ病で休職して、実家に帰った。


休職のことを親には言っていなかったので、今の状況を伝えると驚いていた。


とりあえず二週間、実家に居候することになった。




その次の日から、洗い物が私の仕事になった。


他には、犬の散歩や買い物もあったけど、外に出たくない、人に会いたくないという私のわがままを考慮してくれた結果、洗い物が採用された。


母は、洗い物が下手だった。


母は、大量に溜まった食器をまとめて洗う派だったので、シンクには常に何かしらの食器が置かれている状態だった。


「つけ置きをする」という概念がないため、乾燥して固くなった米粒が、お茶碗にへばりついていて、落とすのにかなり苦労した。


食器にかけてあったラップや、豚肉の発泡トレイなんかも、洗い物と一緒にシンクに置いてしまうから、「洗い物か、それ以外か」を分別するところから始めないといけない。余計な洗い物が増えて、正直困る。


ただこれに関しては、母だけでなく、父も洗い物とゴミを一緒に置いてしまうから、父もこの悪行に加担しているといえる。


こうして考えてみると、洗い物が下手というよりは、それ以前の問題なのかもしれない。


私は一言、言ってやろうかと思った。


洗い物は溜まる前に、すぐ洗おうよ。

使った食器は、ちゃんと水に浸けておいて。

ゴミは流しじゃなくて、ちゃんとゴミ箱に捨てて。


とても一言に収まるものではないな。


「居候の立場で、なに偉そうなことを考えているのだろう」


と、ふと我に返った。


自分の仕事を効率的に行うためのルールを作り、周りにそれを強制する。


あぁ、なんか会社っぽいなと、私は思った。




作業を円滑に、効率的に行うために、会社の偉い人たちはルールを作る。それをミスなく、正確に社員に遂行させる。


「これって、何のためにやるんですか?」


そう誰かに訊いても、


「そういう決まりだから」


としか返ってこない。


「たぶん、何かしらの意味があるんだと思うよ」と。


きっと、何かしらの意味はあるのだろう。私なんかより、ずっと偉い人が言っているのだから、そうに違いない。


でも、そのルールはきっと、私たちじゃなくて、偉い人たちが得をするために作られたものなのではないだろうか。私たちじゃなくて、偉い人たちにとって意味があるものなのではないだろうか。


もちろん、社員のことを考えて作られたルールもたくさんある。でもそれは、最終的には会社のことを考えて作られたルールであって、個人を守るためのルールではない。


私はそれを悪いことだとは思わない。偉い人は、会社を守る立場にあるのだから。


だからこそ、


「居候の身分じゃ、偉い人にはなれないな」


目の前にある大量の洗い物を一つずつ片づけながら、私はそう思った。




夕方になり、パートから帰ってきた母に、私は言った。


「洗い物、水に浸けておくと、洗う時に楽になるよ」


これはルールとかじゃなくて、純粋にアドバイスとして伝えたつもりだった。


だから今日も私は、お茶碗にへばりついた米粒を力ずくで落としている。

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