魔法少女ときりぎりす
しーえー
魔法少女ときりぎりす
あなたは、正義とは残酷なものだとおっしゃっていましたね。私は、今でもまだ、その言葉の意味を考えています。
初めて出会ったときを覚えていらっしゃるでしょうか。身体の芯まで凍る白い日でした。あのころの私は魔法少女として駆け出しで、ですのに妙に自信を持って活動していました。たまたま弱い魔物をニ、三匹狩り、助けた方からチヤホヤされ、有頂天になっていたのです。私には才能がある。正義の味方としての力がある。今にしてみると思い上がりも甚だしく、恥ずかしい勘違いですが、齢13の小娘ですから、鼻が伸び切っていたのも致し方ないことだったのかもしれまふせん。そんな驕り昂ぶった鼻をへし折られ、命が潰されかけたとき、現れたのがあなたでした。あの瞬間のあなたの横顔は、きっと死ぬまで私の目をくらまし続けるでしょう。色白のきれいな肌。形の良い鼻と薄いそばかす。泣きぼくろ。強い意志を感じさせる碧眼。颯爽と現れ、魔物の前に立ちはだかったあなたは、あまりにも美しかった。そして、強かった。私がどれほど力を振り絞っても傷ひとつつけられなかった怪物を、たった一撃で屠る姿に身震いしたものです。
お恥ずかしい話ですので、これまで誤魔化してまいりましたが、実を言うと、私は可愛くなりたくて魔法少女になりました。当時はその理由をあまり深く考えたことはありませんでしたが、今ならわかります。愛されたかったのです。私には歳の近い妹がいるのですが、幼いころから彼女ばかりが可愛い可愛いと頬ずりされ、私は隅の方でひとり遊びをしていたのです。魔法少女になってフリフリの服を着て、可愛いステッキを振り回し、悪者をやっつける。そうすればみんな私を可愛いと言ってくれると思ったのです。
ですが、あの日あの刹那、私の目標はあなたになりました。可愛い魔法少女ではなく、あなたのような強く格好良く美しい魔法少女になりたい。そう思ったのです。
それからの半年ほどは、人生で最も幸福な日々でした。あなたは教え方が下手だとよく自嘲されていましたが、どうでも良いことでした。あなたとともに過ごすことができる。それだけで満たされていたのです。体力づくりのための毎朝のジョギングは気持ちよかったです。魔法の練習で公園に大穴を開けてしまい、大慌てで埋め戻したのも楽しかったです。授業を抜け出して魔物退治に向かったら、あなたがもう終わらせていて、そのまま学校をサボって川の土手で昼寝をしたときは、なんだか不良みたいでワクワクしました。休日にショッピングに向かったときにひったくり犯に出くわし、その場で変身して捕まえたこともありましたね。魔物以外に魔法を使うなと偉い人に怒られている間、あなたがふてくされていたのがなんだかおかしくて、笑いをこらえるのに苦労しました。あなたはたくさんのことを教えてくださいました。魔法少女としての心得だけでなく、あなた自身のことも。それがどれほど嬉しかったか、おそらくわかっていないでしょう。あなたが魔法少女を始めたきっかけ。魔法少女を通じて得たもの。お友達。魔法少女でないときの過ごし方。苦しんでいるすべての人を、誰にも気づかれないうちにこっそりと救いたい。そう熱く語ってくださったこともありましたね。両手で抱えきれないほど教えていただきました。みんな私の宝物です。そうです。勘違いしていただきたくはないのです。なにも、あなたを嫌いになったわけではないのです。出会った日、凛々しい横顔に目を焼かれてから、私の心はずっと甘い蜜の中でぷかぷかと浮いているのです。
ただ、それでも、どうしてもあの出来事が脳裏にこびりついてはがれないのです。
あれは、暑い暑い夏の日でした。ようやく魔法少女が板につき、最初のころとは違う、根拠のある自信を手に入れ始めていた時期でした。必死に命乞いをする魔族の子供を、あなたは無表情に殺しましたね。こんなにも残酷な方だったのかと驚いて、それからすぐ、自分の過ちに気がつきました。返り血にまみれたあなたの手が震えていたからです。私は、ほんの一瞬でもこんな思い違いをしてしまったことが恥ずかしくて、穴があったら駆けこみたい気分でした。魔物のような、私達とかけ離れた外見の生物ならともかく、魔族はほとんど人間と同じ姿形をしていますから。ましてやその子供だなんて、手をかけることに躊躇しないはずがありません。それでもあなたは、感情を押し殺し、本能に抗って、魔族の子供を殺しました。目の前の私を守るため、そしてその先、たくさんの人々を守るため。強すぎる使命感で手を汚した姿は、お慕いしてきたあなたとまったくかわりありませんでした。
正義をなしたはずのあなたのお顔は少し悲しげで、私にはかけるべき言葉がわかりませんでした。守られるばかりで、まだまだ一人前からは程遠い魔法少女でした。このままではいけない。それまで感じたことのない焦燥感が生まれました。あなたにおんぶに抱っこで、負担になるだけではいけない。うしろを追いかけるのではなく、横に立ち、支えあえる魔法少女になりたい。新たな目標が生まれました。魔法少女としての、真の産声でした。
修業の日々は、正直、とてもつらかったです。お師匠は驚くほどスパルタンな方で、精神的にも肉体的にも毎日へとへとになっていました。ああ、いえ、もちろん恨んでなどいません。心より感謝しております。本当です。あなたのご紹介というだけあって実力は当然、教え方もとても上手で、とにかく言語化能力の高い方でした。それまで感覚で使っていた魔法の原理と意味を基礎の基礎から叩きこんでいただきました。少なくとも、お師匠がいなければ今の私は絶対に存在しなかったでしょう。三ヶ月もの間、なにもメリットなんてないのに、来る日も来る日も朝から晩までみっちりと付き合っていただきました。才能の足りていない私にきっと辟易としていたことでしょうが、それでも最後まで投げ出さずにいてくださいました。とても足を向けては眠れません。
そうして苦しい修行期間を終えた私は、三ヶ月前とは比べ物にならないほど強くなっていました。ただ守られるだけだったころと違い、今ならばあなたの力になれる。そんな自負がありました。
魔物が出現し、意気揚々と出向き、あなたと共に戦い、ようやく目に入りました。足元に引かれたスタートラインに。一瞬前に感じていた自負は過信でしかなく、ようやく最低限のレベルを超えたところなのだと理解しました。実力の違いすぎる相手は、自分との距離感すら掴めないものなのですね。あなたと私の立っている場所は対等と呼ぶには程遠く、天秤ならひっくり返ってしまうほどの大きな力の差が隔たっていました。強くなったね、とあなたは褒めてくださいましたが、私は、自分の未熟に歯噛みするしかありませんでした。でも、しゃがみこんでいる暇なんてありません。とにかくがむしゃらに頑張ろう、と心に誓いました。あなたの背中に追いつくため、必死に頭を振り絞り、視野を広く持ち、魔力制御を特訓しました。あなたの役に立つ方法を死ぬ気で考えました。
そうして血を吐くような努力を積み重ねた先、ついに、あなたは背中を預けてくださいましたね。あの瞬間は、天にも昇るような気持ちでした。もう死んでも良いだなんて、魔物を前に縁起でもないと叱られてしまいそうなところですが、本気でそう思っておりました。
そのころからだったでしょうか。世間があなたに気がつきだしたのは。徐々に増えてきた魔物や魔族が話題になり、片っ端から討伐するあなたの姿がだんだん注目され始め、テレビの取材や野次馬が集まるようになりました。私はその事態を前に、誇らしい気持ちと、今更気がついておいてなにをという悔しさが同居する、自分でも制御しにくい相反する感情に囚われていました。カメラを向けられて照れたように笑うあなたに不思議と苛立ち、冷たくあたってしまったこともありました。その節は本当に申し訳ありません。戸惑わせるばかりで、自分の狭量さに嫌気がさしつつ、それでもやめることができませんでした。あの感情の正体はきっと、あなたが私だけのものでなくなることへの恐怖だったのでしょう。
私の未熟さについては、これ以上語っても仕方のないことですから、一旦脇に置きます。今は、あなたの話をしたいのです。ある日、どうしても断りきれず、あなたはテレビに出演されましたね。私は期待半分、不安半分にテレビの前に座りこみました。くだらないバラエティでした。浅い番組でした。美人すぎる魔法少女だなんて外面だけ囃し立てて、あなたの気高さにも強さにも触れないとはなんたる不敬かと、画面の前で憤慨したものです。せめてドキュメンタリーでしたら良かったのに。頼まれると断りきれないあなたのお人好しなところは大変な美徳ですが、テレビの向こうに映る薄い笑みは見るに耐えませんでした。同時に、嫌な予感が背中を這いました。この、綿菓子よりも軽い扱いが今後の基準となるのではないか、と。あなたの誇りが汚され、蹂躙され、無惨に切り刻まれてしまうのでは、と。私の直感は昔からあまりアテになりませんでしたから、きっと今回も外れてくれる。そう言い聞かせて布団にくるまりました。
結果だけを見ると、半分当たり、半分外れですから、なるほど私の直感に対する評価はそれほど間違っていなかったようです。
手応えを感じたのか、あなたはそれからテレビへの出編頻度を上げましたね。雑誌のインタビュー、インスタのライブ配信、ユーチューバーのゲストとしてもいくつかのチャンネルにお出になられていました。美人すぎる魔法少女という修飾語はいつのまにかあまり使われなくなり、代わりに正義のヒーローとか、聖母、美少女戦士といった呼び方をされるようになりました。二つ名をもらえるのは嬉しいとあなたがおっしゃるので、私も同意しておりましたが、正直な話、あなたに貼られたレッテルはどれも、スーパーのお惣菜コーナーで見かける半額シールのような薄っぺらさ、浅ましさしか感じられず、惨めな気持ちになるばかりでした。
知名度が上がるにつれ、あなたは一層精力的に魔法少女の活動をされるようになりましたね。テレビに出ている暇があったら魔物を退治しろ、だなんていうくだらない中傷を真に受けてしまったのでしょうか。寝る間も惜しんで働く姿は痛ましくすらありました。ですが、テレビの生出演している間に魔物が出現した際、颯爽と現場へ向かい退治したのは大きな宣伝効果を発揮いたしました。あなたの格好良い姿を一目見ようと、魔物が現れるとまず野次馬が群がるようになりました。責める気はありませんが、私も随分苦労をしました。駆けつけたのがあなたでないというだけでため息をつかれ、戦っている私を尻目にトボトボ帰っていかれるのは、なんだかやるせなかったです。それでも人々を守らなければならないという現実に理不尽を感じたことも、一度や二度ではありません。愚痴っぽくなりました。恨んでなどはいません。仕方のないことでした。
ただ、このときの私はまだ気づけていませんでした。あなたの正義が決定的に変わってしまっていたことに。
必死に命乞いする魔族の子供を、あなたは見逃しましたね。テレビカメラこそありませんでしたが、野次馬たちからスマホを向けられる中での出来事でした。泣きじゃくる魔族の子供に困ったように笑んでみせ、頭をポンポンと叩き、もう悪さをするんじゃないよと、人間の幼児にするのと同じように優しい声で伝えましたね。周囲の人たちはあなたの慈愛に感嘆のため息をもらし、憧憬のまなざしを送っていました。ネットでも、一部では叩かれていましたが、おおむね称賛の声で賑わっていました。私は、わからなくなりました。かつて私が未熟だったころ、魔族の子供を容赦なく殺したあなたはなんだったのでしょうか。考えが変わったのでしょうか。それとも、カメラを向けられていたからなのでしょうか。正義とは残酷なものだと、哀しげに語ったあなたはどこへ行ってしまったのでしょうか。血の気の引いたような、舌の痺れる感覚。私の足元だけがぐらぐらと揺れていました。その日の晩に送ったメッセージを覚えていらっしゃいますか? きっと覚えてはいないでしょう。正義とはなんですか。震える指で、そう問いました。夜が明けても既読はつかず、メッセージを取り消しました。憎たらしいくらいに眩しく照りつけてくる朝日が、足元から長い長い影を作り出していました。私は、ただただ不安でした。魔族の子供を見逃したあなたの決断が、どんな未来を招くのか。人類を破滅に導くのでは。そんな恐怖が胸の内で日に日に膨らんでいきました。毎晩、布団の中で必死に両手を握りしめ神様にお願いをしました。どうか、どうか私達を救ってください。そう唱えていました。
あなたの行いは、正しかった。今ならばもう、そう結論付けても良いのでしょうね。あなたの見逃した魔族は成長し、あちらの世界で力を持ち、私達との和平を結びました。魔物が現れることも減り、魔族の襲来もほぼなくなりました。魔法少女が血を流すこともなく、世界中が安堵の息をつきました。この平和は、数え切れないほど多くの人や魔族の尽力によって築き上げられたものですが、土台は間違いなくあなたが固めました。聖人君子。日本のマザーテレサ。あなたを表現する数々の代名詞も、大げさではないどころか、役不足と言って良いでしょう。それほどに、あなたがこの世界に、魔法少女に遺した功績は大きかった。
だから、わかりません。正義とは一体なんなのですか。私はなんのためにあなたの背中を追いかけていたのですか。あなたの見逃した魔族の子供が私達を滅ぼしてしまえば良かったのにと、心の片隅に思ってしまうのは間違っているのでしょうか。……いえ、わかっています。人類が滅べば良かっただなんて、すべての魔法少女への冒涜です。正しいのはあなたです。ですが、この平和な世界のふわふわとした空気の中に漂っていると、時折、フラッシュバックするように思い出されるのです。泣いて許しを請う魔族の子供を、無表情に屠るあなたの姿が。
私にはもう、あなたのそばにいる資格がありません。だから、あなたのもとを離れます。本当にお世話になりました。心より感謝しております。あなたのおかげで私は強くなれました。しかし、あなたほど強くはなれませんでした。
聞こえていますでしょうか。どこからか、きりぎりすの鳴き声がします。まもなく、手のかじかむ季節がやってきます。ご自愛ください。雪はあなたの肩に積もります。払ってください。雨にも風にも冬の寒さにも、人は勝てません。屋根の下でしのいでください。どうか、支えあえる方を見つけてください。それが、私からの最後のわがままです。
魔法少女ときりぎりす しーえー @CA2424
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