Day16 魔除け像(お題・レプリカ)

 雨の中、学生居住区画を救急車のサイレンが駆け抜けていく。

「とうとうやったわね……」

 それを区画に近いスポーツジムのトレーニングルームで聞いた後、睦己はランニングマシンを止めた。

『巻き込まれたくなかったら、おばさんは今日二十時くらいまで帰らないでね』

 楽しげな甥の声が耳によみがえり、わき起こる罪悪感を冷たいスポーツドリンクで飲み下す。

 いつかは大事になると思っていた。しかし、それを自分が管理するマンションでやるとは……。

「……面倒なことになるだろうな……」

 これからの対応を思うと頭が痛い。睦己はスポーツタオルで噴き出した汗を拭うとシャワーを浴びにトレーニングルームを出ていった。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「へ~、良い部屋に住んでんだ」

 大きなリュックサックを背負って突然やってきた甥は、睦己がこの一週間余り滞在しているホテルの部屋に入るなり、中を見回してへらりと笑った。

「……あんたでしょ。兄さんに戻らないつもりなら給料を払わなくていいって言ったの」

 甥を睨む。恐怖からマンションに戻れなくなった睦己に二日前、兄……甥の父……の秘書から、この先の管理人の給与ついての連絡があったのだ。

「オレは身内に甘いばかりはどうかな~って言っただけだよ」

「あんたがその『甘い』の筆頭のくせに」

「まあね」

 甥がケロリと涼しい顔で頷く。

「それに大体、幽霊なんているはずないじゃない。吉野志穂は……」

「それは私も確かめた。でも……だったら、あれは……」

 枕元に立って『出ていって』を訴えたのは誰だったのか。未だに思い出すと身体が震える。睦己はソファに座って、勝手に部屋付属のポットでコーヒーを淹れ始めた甥に訊いた。

「あんたじゃないでしょうね」

「ないよ。あのマンション、二年前の事故でセキュリティが厳しくなって、まだそこまで出来ない。だから、おばさんが居ないと管理人権限が使えなくて困るんだ」

 自分の分だけ淹れたコーヒーをずず……と啜り、彼は睦己を見上げた。

「でさ、オレ、もう一つ、ターゲットをおとすのに、おばさんに、やって欲しいことがあるんだ」

 

「今度のターゲットが家事ロボット付きなのは知ってるでしょ」

「ええ……そうか上位AIね」

「流石、おばさん、理解が早い」

 甥はソーサーの上のコーヒースプーンを手に取ると指でくるりと回した。

「レトロなマスコットロボの姿をしているくせに、これがなかなか優秀な奴でね。工房をやっている親がかなり手を加えているのか、ネットで拾ったツールじゃ歯が立たないんだ」

 その家事ロボットは彼女のバリカとも連携していて、そちらの管理もやっている。

「迷惑メールや違法通信から一人娘を守る為なんだろうけど、過保護だよね。ショートメールやSNSの管理までさせている」

 くるくるとスプーン回しながら彼は忌々しげに唇を歪めた。

「で、間接は無理だから、おばさんに直接これを頼みたいんだ」

 リュックからケースに納まったマイクロチップをテーブルに乗せる。

「これを理由をつけて奴に直接インストールさせて。管理人のおばさんなら口実はいくらでも出来るだろう?」

 睦己は黙ってじっとチップを見つめた。二年前の事故で感じた罪悪感がよみがえる。

「大丈夫。全部『百目』の仕業にするから」

 甥がにんまりとした笑みを口端に乗せる

「……そうそう二年前の事故。おばさんも傷害幇助くらいには問われるんじゃない? 父さんにバレたら優雅な生活も終わりだよ。大学の生協職員もどうなることやら……」

「解ったわ」

 素早く手を伸ばす。チップを取ると睦己はそれを握りしめた。

 

「ところで、おばさん。幽霊が怖いなら、お守りにこれを部屋に置くと良いよ」

 甥がリュックから古びた木箱を取り出す。随分とくたびれた蓋を開けると、そこには木彫りの像が入っていた。太陽系第三惑星の島国のとある観音像に似ているがレプリカだろう。だが、なかなかに優美で高価そうな像だ。胸の前で組んだ細い指も纏っている布のドレープも細やかに彫られ、穏やかな優しい顔で微笑んでいる。

「魔除けの像。兄貴がマジで効果があると言っていた」

「本当なの?」

「さあ? でも気休めにはなるんじゃない?」

「……そうね」

 普段なら一笑しそうなものだが、なにせ一週間前に『幽霊』に遭ったのだ。睦己は素直に受け取った。

「じゃあ、帰ったら家事ロボットの始末をなるべく早く頼むよ」

 木箱の中の像を見つめる。なぜか妙に惹かれるものを感じる。そんな彼女に甥はひらりと手を振ると部屋を出ていった。


 * * * * *

 

「……兄貴が言っていたの本当だったりして……」

 見送りの声も駆けなかった叔母に首を竦める。

 あの像は本当に『効果』があるらしい。自分が言ったのとは反対の、だが。宇宙時代になっても手広く不動産業を営んでいると、そういう科学では測れない『曰く憑き』と出会うことがある。

 アレは父の管理会社がそういうモノを納めておく倉庫にあったものだ。

「アレをマンションに置いたらどうなるかなぁ……」

 バリカをタップし協力を申し出た後、インストールした共有スケジュールアプリを見る。今日、四人は、お好み焼きパーティをしているようだ。

 オレの正体を暴こうとした、お仕置きだ……。

 女が怖がったり怯えたりするのを眺めるのは気持ちいい。

 彼はにやりと唇を歪めるとリュックを覗き、そこで眠っているように停止している頬黒文鳥のペットロボに声を掛けた。

「もうすぐ、出番だよ」

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