Day7 一号室 市川瞳(お題・酒涙雨)

 金曜日のアティーナ星系標準時AST午後十一時。一号室の仁智大学四年生、市川いちかわひとみはネットの配信番組を眺めながら、最近知った居酒屋で買った日本酒をガラスの猪口で飲んでいた。

 外は雨。『天神』気象センターは、新暦の七夕は無視するつもりらしい。ぽつり、ぽつりとベランダに落ちる雨の音が聞こえる。

 瞳の古風な美人画を思わせる容貌が憂いを帯びている。つまみの葱と鰹節を散らした蒸し茄子を一切れ、箸で口に運ぶ。

「……志穂……」

 小さく呟いた声が雨音に紛れ込んだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 あれは一昨日の晩のことだった。先月、企業の内々定を貰い、前期授業で二年前の友人の事故のショックで落としてしまった単位を取れば、後期は卒論に集中出来る。前期期末試験のレポートに向け、タブレット内のファイルを整理していた瞳はマンション南側から聞こえてきた怒鳴り声に外に飛び出した。

「樹季ちゃん!?」

「あっ! 瞳さん!」

 門に足音荒く向かっていた樹季が赤い顔で振り向く。

「どうしたの?」

 訝しげに問う瞳に「また、性質たちの悪いイタズラですよ!」彼女は猫のような釣り上がった目を怒らせて訴えた。

「しかも、映像を志穂さんに似せて……絶対に許さない!」

 顔の赤さは酔いだけではなく怒りも混じったものらしい。ジャリジャリと防犯用に敷かれた砂利を踏み、門扉から出て行く。

 住む者には迷惑この上ないが、事故物件としてそこそこ知名度のある、このマンションは、たまに肝試しの輩がやってきたり、配信者が配信番組を撮りにきたりする。今回もそんな連中のイタズラに違いない。しかしも、そのドローンで投影した3D映像が転落事故を起こした元住人、吉野志穂に似ていた。二年前、まだ彼女が一年生のとき、慣れない一人暮らしで困っているところを瞳と志穂で助けてあげたのもあって、樹季は本気で腹を立ている。

「どうかしましたか?」

「あ、向井むかいさん」

 瞳達より年輩の40代の女性……六号室の向井睦己むつみが出てくる。彼女は仁智大学の生協で働く事務員。このマンションの所有者の親戚で管理人も兼ねて住んでいた。

「また、イタズラのようです。映像を映す何かが侵入したみたいで」

「それはいけませんね」

 今回は映す目的だったようだか、こういうオートロックのマンションは入れない代わりに、小型ドローンやロボットを侵入させ、盗撮や盗聴を試みる輩がいる。

「警備会社に問い合わせてみます。後、塀周りの監視カメラの映像を調べて、警察に届けましょう」

 二年前の事故からこのマンションは何か異変があると警備会社の警備員が飛んでくることになっている。睦己は管理人室へと戻っていった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 しかし、警備会社のカメラにも、塀に接置された防犯カメラにも、不審者の影も飛行物体の影も見つからなかった。とりあえず、三人で樹季の目撃情報を警察に届け、パトドローンやパトロボの巡回を増やしてもらえることにはなったが……。

 小瓶の中の日本酒を猪口に注ぎ、くっとあおる。

 この騒動は瞳にどうしても二年前の事故前を思い出させる。志穂はあのときストーカー被害を受けていて、付き合っていた彼氏と警察に届け出る直前だった。志穂の場合は……今も真相は解らないが……黒い小鳥のようなものに付きまとわれていて、その鳥を樹季があの晩、門のところで見たという。

「……志穂……」

 この茄子のつまみも志穂の教えてくれたレシピ、今飲んでいる日本酒のガラスのお猪口も彼女がくれたものだ。側面の可愛らしい桜とうさぎの絵を指で撫でる。志穂は少し人みしりだったものの、他人を思いやる優しい女の子だった。いつも週末は手製の料理を持ち寄って、お互いの部屋を訪問し合って楽しく過ごしていた。

 どうして、あんな良い子があんな目に遭ってしまったのか。

 雨音がまだ響いている。瞳は酔いが回った頭を軽く振ると空になった皿と猪口と小瓶をキッチンに片づけにいった。


 * * * * *

 

 ぱささ……雨が止んだのか、軽い鳥の羽音がする。

「……ん……」

 何か身体が思い。寝苦しさに瞳はうっすらと目を開けた。

『……出ていって……お願い……ここから出ていって……』

 か細い声が聞こえる。声の方向に寝返りを打つと枕元に女性の影が立っていた。

 その声、ほっそりとしたシルエット、顔立ち、全てが瞳が知るある女性ひとと一致する。

「志穂!!」

 恐怖よりも驚きが先に立って、思わず飛び起きる。

「どうして、あなたがここにいるの!?」

 思わず叫ぶ。その声に驚いたように影は消えた。

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