時空超常奇譚5其ノ八. 起結空話/もういいかい?まぁだだよ

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚5其ノ八. 起結空話/もういいかい?まぁだだよ

起結空話/もういいかい?まぁだだよ。


 西暦1969年11月、NASAはアポロ12号による月面での探査ミッションを終了した後、月震調査を目的として高さ7メートル重さ16トンの月着陸船LM6を月面に激突させた。だが、実はそれは月震調査ではなく月面の宇宙人基地の破壊だったと言われている。それだけではなく、NASAにはかつて「プロジェクトA119」という月面に核爆弾を投下する計画があり、その目的もまた月面に存在する宇宙人基地を殲滅する事だったと噂されている。

 だが、その真偽となると所詮は言ったモン勝ちでエビデンスなど欠片もなく、都市伝説界隈を一歩たりとも出る事は出来ない。

 

 宇宙人はいるのかいないのか、そんな事を本気で真剣に議論しても何の意味もない。例え、突然アナタの家に宇宙人なる者がやって来たとしても、結局、信じるか信じないかはアナタ次第でしかないのだ。


「なぁ中嶋、どうしたらいいんだよぅ?」

「どうするって言われても、どうにもなりませんよ」

「そっかぁ、そうだよな。東大出の元大手銀行マンでウチの会社の頭脳、副社長で経理部長のお前が言うんだからダメなんだよなぁ……」

 時計の針は深夜2時を指す頃、中堅印刷会社の事務所兼会議室で朝から延々と打ち合わせを続けている二人の男が天を仰いだ。赤字続き経営の資金繰りが完全に行き詰まっている事に天を仰がざるを得ないのだが、だからといって妙案など出る筈もない。社長の西野と副社長兼経理部長の中嶋が生気のない絶望的な顔をした。

「中嶋ぁ、今からキャバクラ行かんか。ここで仏頂面突き合わせててもさ、どうにもならないだろ。新橋のオレの知ってる店ならオールナイトでやってるぞ?」

「社長、頭大丈夫ですか?」

 副社長兼経理部長の中嶋は、呆れた声をやっとの思いで振り絞る程に追い詰められている。明日、いや夜が明けた今日、振り出した10億円の手形決済がやって来る事が確定している。そして、明確にもう一つわかっているのは、その決済が出来る資金状況にないという事だ。世間ではこれを万事休す、絶体絶命と言うのだろう。

 元はと言えば、社長西野の親父、つまりは前代の社長の無茶苦茶な金使いが原因なのだが、こんな時にキャバクラに行って騒ごうなどと発想出来る頭の構造は持って生まれたものと言うしかない。流石は親子だけの事はある。

 中嶋はみ思う。考えてみれば、自分の人生は不思議の連続だった。懸命に勉強して東大を出て大手銀行の経理畑で経験を積んた後、中堅企業にヘッドハンディングされた。収入は一気に二倍になり、業績向上とともに副社長にまでなった。順風満帆で非の打ち所のないキャリア・アップ、更にこの先もブラッシュアップされ、その先にはセレブな未来が待っている筈だった。

 だが今、中嶋は崖の淵に立たされていて、崖は直ぐにも崩れそうに音を立てている。西野と中嶋が同時にため息を吐いた。朝から何度目だろうか。


 その時、窓の外が一瞬だけ眩しく輝いた。午前2時と言えば昔からお化けの出る時間だが、物ノ怪の類が現れる冷たく微温ぬるい気配はない。雷光かと思いつつ、雷鳴が聞えないのは何故だろう。雨が降って来るのか、天気予報では当分雨など降らない筈だが……。

 その閃光が何なのか誰にも予想はつかない。予想する心の余裕もない。

 次の瞬間、唐突に上空から凄まじい音がしたかと思うと、木造平屋の事務所の屋根を突き破って正体不明の生物のような銀色の何かが降って来た。謎の生物はヒト形をしている。

「いっ痛ぁ!」

 落ちて来た天井の板の一部が中嶋の頭に軽く当たった。

「痛いな、何だコイツは?」

 天井から落ちて来た何か。それは頭部も含めた全身が覆われた銀色の宇宙服を纏った宇宙人、背丈は小学生程度で目だけが異様に大きいグレイタイプ。SFマンガにある銀色の宇宙服の宇宙人がいきなり地球に、この事務所にやって来た、そんなシチュエーションだ。登場パターン的には使い古されていて、特に新鮮味も面白味もない。

「おいお前、どこから来たんだ?」

 中嶋の問いに答える銀色の宇宙人のようなそいつは、右手の人差し指を上に向けて小学生の男の子のような人懐っこい声で言った。

「ワタシは、天の川銀河系恒星ぺガスス51に系属する第1惑星ディミドから来た人間だ。名前はコンパクと言う」

「人間?じゃぁ、宇宙人なのか?」

「??宇宙人という意味が理解出来ない。地球外宇宙にいる我が艦船からテレポートで来たのだが、ちょっと機械の調子が悪いようだ。まぁ良くある事だから気にする必要はない」

 宇宙人らしきその生物は、日本語を流暢に話し「テレポート」だの「宇宙艦隊」などとB級映画の中に踊っているような聞き飽きたベタ話を並べ立てた。宇宙人だとするなら、言語が通じるのはきっと超高性能な翻訳機を持っているからなのだろう。

 そして、更に続けて今度は何やら聞いた事もない「不思議な何か」を訊いて来た。

「あのな、地球にある『スピリチュアニウム』の在り処を教えてくれないか」

 西野が目をしばたかせて中嶋に確認した。

「中嶋、スピリチュアニウムって何だ。印刷専門用語か?」

「知りませんよ。社長が知らない印刷専門用語を僕が知っている訳ないでしょ」

 西野も中嶋も当然の如く首を傾げる。先程の聞いた事のあるベタ話だけではなく、聞いた事もないその言葉を理解出来ない二人を置いたまま、宇宙人が続ける。

「あのな、スピリチュアニウムが手に入るなら、何でもやるぞ」

「中嶋、スピリチュアニウムって何だ?」

「何とかニウムって元素っぽいですけど、何ですかね?」

 二人が首を傾げる傍で、宇宙人はちょっと考え込んだ後、頷いた。

「そうか、地球では名称が違うのか。スピリチュアニウムは元素の一つだ。地球にはスピリチュアニウムが幾らでもあると聞いている。譲ってくれ」

「スピリチュアニウム?」

 二人は首を傾げたまま硬直している。

「地球での名称は不明だが、我々生物の根本的意識に作用する元素だ。譲ってくれるなら代わりに何でもやるぞ。我々に出来る事なら何でも良い」

 西野は今度は胡散臭そうにしっしっと追い返す素振りをした。

「お前が何者なのか知らないけど、今はそれどころじゃない。他を当たってく・」

「社長、ちょっと待って」

 西野の言葉を遮った中嶋は、何やら下心剥き出しの顏で宇宙人に訊いた。

「何でもくれるというのは本当なのか?」

 銀色の宇宙人は悠揚迫ゆうようせまらざる態度で言う。

「嘘ではない。我々に出来る事なら何でも良いぞ」

「何でもか?」

 中嶋が物欲しそうな目で宇宙人を見つめる。

「何でもと言っても限界はある。例えば、中性子星の地殻深部にしかない核パスタなどは流石に無理だな」

「中嶋、何とかパスタって何だ。スパゲティの一種か、美味いのか?」

「宇宙一硬いと言われている物質ですよ」

 西野の理解が宙を舞っている。

「核パスタは要らない。それより、かねはないか。10億円」

「10億円とは何だ?」

かねだ」

かねとは何だ?意味が理解出来ない。それは物質なのか?」

 朝から苛ついているせいなのか、中嶋は一瞬殴りたい衝動に駆られた。宇宙人だの、かねを知らないだのと小馬鹿にされているようで無性に焦れ込むが、宇宙人の顏が芝居にしては余りにも真剣なので驚き、殴りたい衝動を一度だけ堪えた。


「これが1万円、10億円はこれと同じものを10万枚だ」

 中嶋は財布から有乎無乎なけなしの一万円札を取り出して机の上に叩きつけた。宇宙人はそれを受け取ると、暫くの間じっと見据え、そして何かを理解した。

「この物質は殆どがC6H10O5セルロースの結合物だな。完全には理解が及んでいないが、その紙と全く同じものを造るのはそんなに難しくはない」

 そう言って、宇宙人は宇宙服のポケットから四角い機械を出した。ポケットから一瞬で物質が出て来た事に西野と中嶋が同時に感嘆の声を上げた。マジックショーを見ているようであり、ドラえもんの四次元ポケットのようでもある。その機械は黄金色に光る小型のコピー機程の大きさだ。材質は不明だが、純金ならそのまま欲しいものだ。

「な、な、何だぁ?」

 マジックショーに理解が宙を舞い続けている西野が奇妙な声を出すその隣で、宇宙人は笑みを浮かべている。得意げなその顔は「交渉成立だろ?」と言っているようだ。

 その状況で、中嶋はとんでもない事を言った。

「スピリチュアニウムは用意する」

 西野の驚きの声が部屋中に響き渡る。西野が中嶋の顔を二度見した。どうやって用意するのだろうか、そもそも論としてスピリチュアニウムとは何だろうか?

「本当か、それは有難い」

「その代わり、10億だぞ」

「中嶋、そんなもの・」

 話の流れに狼狽うろたえる西野の言葉を中嶋が遮る。

「10億が条件だ。それ以上は絶対にビタ一文まけないからな」

「わかった」

 成り行きが奇妙な展開を見せている。中嶋はダメ元でこの自称宇宙人が10億近くを持っているなら、巻き上げて、いや一時的に貸してもらおうと考えたに過ぎなかったのだが、宇宙人は「わかった」と答えて、腕組みをしている。

 こんな宇宙人のような格好の奇怪おかしな奴が、10億の日本円を持っている事などあり得ない。中嶋にもそんな事くらいはなからわかっている。わかってはいるが、何せ手形の決済は今日なのだ。そして手持ちの金はない、全くない。どうしたものかと朝から二人で考えているのだが、妙案など匆々そうそう出るものではない。

 既に崖は崩れ落ち苦悩の海で溺れている現状で、時計の針は深夜3時を過ぎている。こんな時間に他人の家の天井を破って侵入し、「宇宙人だ」とふざけた真似をして来る輩を殴りたい衝動を抑えてヤケクソで吹っ掛けてみた「10億円を出せ」は、ほんのジョークに過ぎないのだ。にも拘らず、コンパクと名乗る自称宇宙人は真顔で「わかった」と答え、「この全物質プリンターが即座に一万円とやらを出す」と言う。


 中嶋の一万円札が置かれた黄金色の機械の側部ボタンが押され、機械全体が七色に輝き出した。見た目の美しさに見惚れてしまう。と同時に、吐出口から一万円札が出て来た。これはマジックショーの続きなのだろうか。中嶋の一万円札は機械の上に置かれたままだ。

「中嶋、これは一万円札をコピーしているのか?」

「そうみたいですね」

「違法だぞ。コピーした時点で通貨偽造罪か通貨及び証券模造取締法違反。それに、そもそもコピーや印刷したって紙幣は造れない。印刷屋のプロのオレが言うんだから間違いない。そんな偽札なんかゴミだ。どうせ、子供騙しの玩具レベルだ。オレにはわかる。オレは唯のキャバクラ好きオヤジじゃないぞ」

 偽札を造るのは簡単ではない。今時のコピー機は警報が鳴る機種もあるし、日本の紙幣にはすかしもホログラムも入っている。世界に誇る日本の一万円札はそんな簡単に造れるものではないのだ。

 かなりのスビードで姿を見せる福沢諭吉軍団に、激しく非難し続ける印刷のプロを自負するキャバクラ西野。だがその実、次々と刷り上がる一万円札のようなその偽札に異常な興味を示している。その内の1枚の一万円札を拾い上げ興味津々で中空に透かし、更なる非難を展開しようとしていた西野が思わず驚嘆した。

「凄い、触った具合は一万円札そのものだ。紙幣としての大きさや紙質には全く問題ない。すかしもホログラムも入っている。右部分にすき入れられている三本の縦線もあるし、表面の左下と裏面の右上に潜像模様もある……」

 印刷のプロを自負する西野の目にも偽札には見えないようだ。

「中嶋、何でこんな事が出来るんだ?」

「どうやら、あの機械が空気中から札束の原材料を元素レベルで取り出しているようですね」

「そんな馬鹿げた事が出来るなんて、どうなってんだぁ……」

 中嶋も現状を把握し切れていない。この日本で、こんな簡単に偽札が造れるなんて馬鹿げている。馬鹿げてはいるが、これが夢でないとするなら目の前に紙吹雪の如く舞い雪のように降り積もっていくこの一万円札をどう理解すれば良いのだろう。

「おい宇宙人コンパク、取りあえずこれを朝までに10万枚くれ」

「わかった。スピリチュアニウムの用意を頼む」

 宇宙人の言葉に頷く中嶋自身、何を言っているのか良くわからない。その会話が現実なのか、それとも西野と二人で見ている夢なのか。はたまた、目前の宇宙人は変ちくりんなマジックで騙して金品を盗んでいく新手の泥棒なのだろうか。

 どれなのかは不明だが、少なくとも泥棒ではない。仮に泥棒だったら失格だ。何故なら、この事務所には盗むものなどない。数日前に金目の物は全て売り払ってしまって、印刷工場の機械以外綺麗さっぱり何もないのだ。


 既に午前3時半を回っていたが、七色に輝く機械から次々と一万円札が、いや一万円札らしきものが吐き出され続けている。

 データは読み取ったので機械の上に置いた中嶋の一万円札は不要だと宇宙人に言われて回収し、ついでに一枚拝借した。窃盗くすねた意識はなく、刷り上がったビラの一枚を参考資料に貰った、そんな感じだ。

 死刑宣告が近づいている状況は一切変わっていないし、どこからかやって来た不審者の地味な小芝居&マジックショーが繰り広げられている以外何も変わらないので、仕方なく西野と中嶋は帰宅する事にした。どうせ金目のものなど何もないのだから鍵も掛けず、この際延々と続く宇宙人の小芝居&マジックショーは無視する事にした。

「社長、このまま夜逃げなんかしないでくださいね」

「中嶋、逃げるときは一緒に逃げような」

 西野のその声が地獄の底から聞こえたような気がした。中嶋自身も共同経営者として会社の代表権を持っているのでこのまま逃げたいのは山々なのだが、人として逃げる訳にはいかないし、自慢じゃないがそんな事が出来る気合いも根性もない。


 中嶋は、帰りがてらコンビニに寄って缶ビールと冷やし中華を買った。一万円札を出して支払って釣銭を財布に仕舞って、帰り道でふと思った。財布には二万円入っていた。そう言えば、ついでに参考資料として偽札を貰ったんだった。今出した一万円札は本物だっただろうか、それとも……。

 そんな小さな疑問が頭を反芻する。確か偽札を使ったら偽造通貨行使罪だったか。まぁいいか、もしこれで偽札事件が発覚して捕まったとしても、それはそれでいい。今夜は満月が綺麗だ。


 翌早朝、殆ど寝ていない中嶋が会議室に行くと、ゴ・ゴ・と小さく唸り音が聞こえていた。その音はソファーに座る宇宙人の前にある七色に輝くプリンターの動く音だった。

 中嶋は再び呆然とした。社長西野は既に来ており、積み重なって散乱する一万円札を数えている。中嶋は、西野にも、腕組みしてソファーに座る不審者、いや自称宇宙人コンパクにも掛ける言葉を失いその場に立ち尽くした。

「おい中嶋、凄いぞ。10億円くらいある。これで今日の手形を決済しよう」

「駄目ですよ。これは偽札なんだから、銀行に偽札を持って行くなんて余りにも非現実的ですよ」

 この能天気オヤジは何をほざいているのだろう。この紙は偽札で、相手は銀行だ。偽札かどうかなど機械で一瞬の内に見抜かれるに決まっている。そうなれば、必然的に後ろに手が回る。もし、これで偽札事件が発覚して捕まったら……。

 あれ?いつだったか同じ事を諦観ていかんしたような気がする。いつだっけかな。あれは、昨日?の深夜だったか。余り寝ていないので、記憶が曖昧だ。

「でもさ中嶋、この一万円札って偽物かどうかわからないくらい良く出来ているぞ。昨日の夜、じゃなかった今日の深夜?に家に帰る途中でコンビニに寄って、この一万円札で払ったけど、全然バレずに釣銭貰ったぞ」

 何と、この能天気オヤジ中嶋と同じ罰当たりな事をしていたらしい。しかも、バレずに釣銭をもらった事まで一緒だ。

 宇宙人がたり顔で言う。

「言っておくが、この全物質プリンターは複製対象の原子配列を読み取り、元素変換から物質を構築する。従って、刷り上がったものは複製対象と全く同じ物質だ」

「同じ物質?」

 俄かには信じ難い宇宙人の言葉が西野と中嶋の小さな疑問に回答を与え、同時に当日予定されている手形決済という初めから負けの見えている戦いに勇気と希望を与えてくれる。もしかして、このかねで溺れている海からそして崖から這い上がって来れるのか……。


 考えに考え抜いた上で、他に方法の見つからない西野と中嶋は、やむを得ず刷り上がった10億円を車に積んで銀行へ行った。当然だが、二人はそれが偽札である事を知っている。

 別室に通されて入金手続きの間中ずっと心臓の音が銀行の店舗内に響き渡り、内臓が口から出そうになる程のプレッシャーに押し潰され続け、生きた心地がしなかった。偽札がバレて警察を呼ばれ、その日の内に逮捕留置される……それはそれでいいと思ってはいても、出来る事なら避けたい。

 暫くして「西野印刷様、ご入金と手形決済のお手続きが完了致しました」と、信じ難い法人担当テラーの言葉が聞えた。何事もなく全ての手続きが完了し、融資担当から「是非とも新たに融資を」という掌返しの言葉など聞こえない二人は、キツネに抓まれた気分で帰社した。どうにも理解が追いつかない。

「中嶋、これは夢か?」

「そうかも知れません」

「でもさ中嶋、どうやって10億円を用意したんだっけ……」

「何でしたっけ……」


 二人は「そうだ、宇宙人」と同時に声を上げた。張り詰めた緊張感の連続と開放感と現状の整理で忘れていた、宇宙人には申し訳ないが完全に忘れていた。


 早々に帰社し会議室に駆け込むと、未だゴ・ゴ・と七色のプリンターが小さく唸る音が続いている。

 中嶋は、見る度に変わっていく事務所内の様相に唯々唖然とするばかりだ。部屋の中に一万円札が積み重なって散乱している光景は、尋常ならざるものがある。TVの人気ドラマで女優が部屋中に札束を撒くシーンがあったが、これはそんなものではない。部屋が一万円札で埋まり、ソファーに座り続けているだろう宇宙人の姿も見えなくなっているのだ。

 数える事など到底出来そうもない一万円札の大海の中から、宇宙人の声がした。

「10億円はもういいか?」

「えっ、あっ、まだまだだ」

「そうか、わかった」

 中嶋は意味もなく反射的にそう言った。会議室にゴ・ゴ・と黄金色のプリンターの小さく唸る音が響く。

「ところで、スピリチュアニウムの用意は順調か?」

「あ、あぁ、順調だ」

「それは何よりだ」

 宇宙人が嬉しそうに言葉を返した。


 10億の手形決済が完了して夢心地になっていた中嶋は、改めて宇宙人との約束を思い出した。そうだ、スピリチュアニウムなる何やらさっぱりわからない物質を用意しなければならないのだった。

 一体、スピリチュアニウムとは何だろうか。宇宙人は元素の一種類だと言うのだが、少くとも地球の元素周期表にはそんなものは存在しない。地球にはない元素なのだろうか。いや、宇宙人は「地球にはスピリチュアニウムが幾らでもあると聞いている」と言っている。その正体に興味を惹かれる中嶋は、探りを入れるべく宇宙人に訊いた。


「地球には色々なスピリチュアニウムが存在するから事前に訊いておきたいんだが、お前達はどんなのが欲しいんだ?」

 宇宙人コンパクは、中嶋の問いに小首を傾げながらもスピリチュアニウムの概説を始めた。その間にも七色の機械から本物と区別がつかない偽一万円札が刷り出されている。

「そうか、地球のスピリチュアニウムには種類があるのか。地球人は凄いな」

「そ、そうだ」

 単純に興味本位で訊いた話が変な方向へ進んでいきそうな気がする。宇宙人が勘違いしているのは、取りあえず有り難い事だ。

「我々のスピリチュアニウムに関する研究は始まってから日が浅いので種類の知識はない。わかっているのは、スピリチュアニウムが我々の根本的意識を構成する元素で、生物が存在する星により生体磁力にかなりの強弱があるという事だけだ」

「根本的意識を構成する元素?」

 根本的意識とは何だろう、正体を探るつもりが尚更謎の沼に嵌っていく。

「地球時間の473040時間前に、我々の地球調査隊から「地球人も我々と同じように身体にスピリチュアニウムを内包している。しかも地球のスピリチュアニウムは相当強力な生体磁力だ」との報告を受けている。残念ながら、その時月面に建設していた我々の調査基地が原因不明の爆発によって次々に消滅してしまった為に、それ以外の事、特に地球のスピリチュアニウムがどこに存在するのかについては特定出来ていない。我々は、その報告を受けると同時に宇宙艦隊で地球へと進発し、先刻到着したばかりだ」

「473040時間前に月面に基地があったのか?」

「473040時間前って言うと、54年前の1969年だな」

 西野が電卓片手に説明したが、1969年というのは単なる偶然なのだろうか。嫌な予感がする。「地球人がスピリチュアニウムを内包している」「宇宙艦隊」と宇宙人の語る内容はどこまでが真実なのかと疑いたくなるものの、一連の状況を踏まえればこれは現実であり真実であると考えざるを得ない。1969年にアポロ12号が月面で行った実験及びNASAの「プロジェクトA119」が、宇宙人の月面基地消滅と無関係である事を願うばかりだ。


 中嶋の興味本位は次第に膨れ上がり、遂に一連の成り行きの根底にある前提に踏み込んだ。

「お前がスピリチュアニウムを必要とする理由は何だ?」

 室内に積み上がっていく一万円札の隙間から見える宇宙人が苦渋の表情に変わったような気がした。

「我星は現在危急存亡の時を迎えている。子供が創れず、絶滅が目前にあるのだ」

「子供を創れないというのは、子供が産まれないという意味なのか?」

「地球人が精子と卵子で子供を創り、スピリチュアニウムを融合させて輪廻のループシステムを構築している事は調査済だ」

「輪廻のループシステム?」

 宇宙人が続ける。

「我々の世界もかつては地球と同様だったのだが、科学の飛躍的向上とともに身体を機械化する事で最終的に不老不死を達成した」

「身体を機械化して不老不死か、なる程な」

「その結果、新たに子供を創る事が不要となり、必然的にスピリチュアニウムの輪廻ループシステムは崩壊した」

「不老不死になると、何故輪廻が崩壊するんだ?」

「地求人は知っているのだろうが、愚かにも我々はスピリチュアニウムが自我意識を持っている事を知らなかったのだ」

「そ、そうなのか。愚かだ、な……」

「輪廻ループシステムを放棄したせいで、我々世界に存在したスピリチュアニウムは今は完全に消え去ってしてしまった」

 スピリチュアニウムなるものの本質が朧げに見えて来た。スピリチュアニウムとは、もしかしたら……。


「それでも、人工的に生成した有機体にスピリチュアニウムを生体磁力で融合させれば、生命、即ち子供が産まれる事は理論的にわかっている。後はスピリチュアニウムさえ手に入れば、我々は存亡の危機を乗り越えられる」

 宇宙人の置かれた状況が、何となく理解出来た。

「なる程……わかった」

「有り難い、その言葉が何より嬉しい。もし地球人の協力が得られなければ、最後の手段を行使するしかない」

 中嶋には何もわかる筈などないが、宇宙人の目に涙が光ったように見えた。

「最後の手段って何だ?」

「この宇宙には生命体の住む星は腐る程あるが、地球のようなレベルの生体磁力値となると数は限られる。我々は対価との交換によって必要なスピリチュアニウムを得る事が基本だから、最後の手段を使う事はない」

「最後の手段とは?」

「どうしても難しい場合は、宇宙艦隊がその星の生命体の全てのスピリチュアニウムを掻き集める。地球でその予定はない」

 中嶋は宇宙人の言葉に戦慄し、息を呑み、言葉を失い、身体が硬直した。そして、自らがを理解した。


 西野が小声で囁いた。

「中嶋、今どれくらいあるんだろうな?」

「ざっと100億円くらいですかね」

「もういいんじゃないか。10億円は決済出来たし、その他に100億あるんだからさ、キャバクラだって行き放題だぞ」

「駄目ですよ。絶対に、絶対に、絶対に駄目です」

 中嶋は首を振った。西野が何と言おうと、人類代表としてそう言うしかないのだ。

「何故?」

「社長、スピリチュアニウムって何だか知ってますか。『魂』ですよ」

 西野が「ひゃっ」と首をすぼめた。

「社長、これで「スピリチュアニウムは渡せない」なんて言ったら、どうなるかわかります?」

「どうなるんだ?」

「間違いなくぶち殺されます。僕達だけじゃなくて、地球ごとあいつ等の宇宙艦隊に破壊されて、地球人は最後の手段で皆殺しにされるんですよ」

「じゃぁ、いつまでやらせるんだ?」 

「ずっと、ずっと永遠にです。そうすれば、スピリチュアニウムなんて必要ない」

「無茶苦茶だな」

「何を言ってんですか。僕達がこうしなけりゃ地球人は皆殺しにされて消滅するんですから、言うなれば僕達は救世主って事ですよ。尤も、直接的な原因をつくったのも僕達ですけどね」

 中嶋は吹っ切れたように、無邪気に、無茶苦茶な理屈で微笑んだ。


 どうやら、彼ら宇宙人は疑うという概念が薄いようだ。それが二人にとって、いや地球全人類にとって好都合である事は言うまでもない。


 会議室から宇宙人の声がした。

「10億円はもういいか?」

「いや、まだまだだ」

「そうか、わかった」

 七色に輝く機械は、今日も一万円札を刷り続けている。


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