第3話
陸山が部屋に戻ると、怒鳴り声が部屋まで届いていたらしい、
「何かあったのかい」
と李陽が聞いた。
「大したことない。出来の悪い奴を叱りつけただけだ」
と陸山は答えた。陸山はしばらく陰鬱な影を引きずっていたが、だんだん明るく陽気な表情を見せるようになった。
話もたけなわの頃、李陽はふと思い出したように言った。
「そうだ。話には聞いたことがあるんだけど、君の家には代々伝わる秘蔵の刀があるんだって? 僕、武器には目がないんだ。不躾な頼みかもしれないけど、一度でいいから見せてもらえないだろうか」
「いいだろう。おい、もってこい」
陸山は快く受けた。家の者に命令すると、日本の薙刀に似た重量のある大刀が運ばれてきた。
よく手入れがなされていて、刀身は銀色に美しく輝いている。実に見事な逸物だった。
「触ってみてもいいかな」
刀の持つ魅力に吸い込まれ、李陽は興奮していた。
「まあ待て。これには相応しい構え方というものがあるんだ。手本を見せてやろう」
陸山は赤ら顔を崩して体を揺らしながら立ち上がる。お酒が回りすぎているのか、足元がおぼつかない。
「おいおい、大丈夫か」
「うむ」
偃月刀を手に持った途端、陸山の態度は豹変した。友の胸元に矛先を突きつけた。
李陽は青ざめた。
「気でも狂ったか」
と叫んだ。だが、陸山の目は座っている。
「狂っているのはお前の方だ。欲しいのは私の首か? 刀か? いや、両方だろう」
というと、李陽は顔面蒼白になった。生きた心地のなさそうな表情を見つめていると、こんな小心者に自分は気が立っていたのか、と陸山は失望した。
「縄をもってこい。こいつを縛り上げろ」
「待て、待ってくれ、君は酔っているんだ。僕がそんなことをする奴なんかじゃないって、一番知っているのは君じゃないか」
「……上官から言われたそうだな」
李陽は一瞬黙った、その反応に、陸山はまくし立てた。
「それでも酔っ払いだって言えるか? ああ?」
李陽は柱に巻かれた。再び現れた従者には銭をぶつけて追い返した。
「こん畜生」
何が友情だ。何が忠誠だ。
何もかもが、嫌な気分だった。
陸山は真っ暗な寝室で、ガンガンと激しい痛みを訴える頭を抱えながら、悪態をつく。
廊下に足音がしたかと思うと、妻が入ってきた。
「あなた」
妻は、女性としての非力を知りながら、しかし毅然とした態度で訴えた。
「どうしてあんなことをするの。李陽さんは、昔からの友人だったじゃない」
「昔に友人だった頃があっただけだ」
「でも」
「変わっちまったんだ。あいつも俺も。昔の話を持ち出したところで、何になる? お前やこの村が、一体誰のおかげで守られていると思っているんだ」
陸山は眉を吊り上げて怒った。蝋燭越しに見る彼の顔は、修羅の形相をしていて、妻はハッと恐怖で息を呑んだ。
「今のあなたのお顔……恐ろしい盗賊とそっくり」
「何だと」
陸山は少なからぬショックを受けた。
妻はしおらしい仕草で陸山にすり寄り、懇願するように涙を見せた。
「ねえ、昔のあなたに戻って頂戴。盗賊を追い出せても、あなたが悪魔になってしまったら、悲しすぎるわ。……おお、神様」
「……神を持ち出すのはよしてくれ」
陸山は、もう、それしか答えることができなかった。妻は涙まじりに李陽を解放してほしいとあれこれ言い続けていたが、陸山が背を向けてむっつりと黙りこくっていると、諦めて帰っていた。
一人になった。陸山は空虚さを感じて、ようやく本音を壁にぶちまけた。
「こんな社会だと自分の身を守るのに精一杯だ。だが疑っているうちに自分の身すら守れなくなりそうだよ。畜生、ほんと、気がおかしくなってくる」
夜の静寂が苦痛だった。
陸山は一睡すると、煩悶の末、決断を下した。李陽のところに行った。李陽は疲れのせいで、目にクマができていた。その目が、物を言いたげに光っていた。
「いっそのこと、何も知らずにお前に殺されていた方が楽だったかもしれない」
陸山は開口一番、そう言った。李陽は縛られてもなお、気持ちだけは強気を保っていた。
「僕はそんなことしない」
「だったら来なければよかったじゃないか。『李下に冠を正さず』、『瓜田に履を納れず』というのに、お前はここに来てしまった」
「上の命令なんて、ぼくにはどうでもいい」
「仮にそれが真実だとして……いや、俺だってどうでもいい。お前の本心がどこにあったかなんてな。縄を解くから、消えてくれ」
陸山の孤独は深まるばかりだった。
李陽は正直に言った。
「こんな最悪な別れ方をするくらいなら、会わなきゃよかった」
「同感だ」
いつだって、思い出の方が美しい。陸山はそれを切に感じた。
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