第9話 朝 × 未練
家に帰りついた俺は風呂に入り、冷蔵庫にあった魚肉ソーセージを三本ほど齧ってから眠りについた。
殺されたり殺したりと色々とあった、さぞや夢見が悪いかと思いきや……何の夢も見ることなく熟睡することができた。
それだけ、身体が芯から疲れていたからかもしれない。
「……自分でも引くほど元気だな。どうなってるんだ、俺の身体は?」
自室のベッドで目を覚ましたときには、自分でも驚くほどスッキリとしていた。身体に疲労は少しも残ってはいない。
怪物猿に殴られて骨折もしていたような気もするが、その痛みもなかった。どうやら、一晩で治癒してしまったようである。
『
いっそ全てが夢であれば良かったものを、現実を突きつけるように胸の奥から女性の声が聞こえてきた。
俺の身体に宿っている黄泉の神の力……『八雷神』の声である。やはり、昨日の一連の出来事は夢幻ではなかったようだ。
「ハア……本当にやれやれな気分だよ……」
『フム? 先ほどから何をそんなに落ち込んでおるのじゃ?』
「落ち込みもするさ。彼女には浮気されるし、猿にどつかれるし、身体に日本刀が入ってるし……俺の平穏な日常はどこに行ったんだよって感じだ」
『妾の器になれたことを嘆くとは、無礼な小僧じゃ。本来であれば、黄泉の主神たる御方から直々に使命を与えられ、神器を授かったことは泣いて感謝するべき名誉なことなのじゃぞ?』
「名誉よりも、平穏と浮気をしない可愛い彼女が欲しかったよ……心の底からね」
何度目になるかもわからない溜息をついて、俺は寝間着を脱ぎ捨てる。
高校の制服に着替えて、鞄を手に取って部屋から出た。
今日は月曜日。土日を丸ごと非日常に奪われてしまったものの、それでも月曜日はやってくる。
一人の高校生として、学校に通わなければいけなかった。
「朝ごはんは……もう、バナナで良いか」
気分的に食欲はないのに、腹は減っている。
俺は買い置きしていたバナナを一房丸ごと食べて、家から出た。
玄関から一歩外に踏み出すと、四月の陽光が俺の身体を柔らかく包み込む。
皮肉なほどに良い天気だ。俺の気分とは真逆の空である。
地元の私立高校に入ってから一年が経ち、今年から二年生になった。
高校生活にもすっかり慣れた。いずれは大学受験の準備を始めなければいけないものの、そこまで上のランクの大学を狙っているわけでもない俺にとって、受験はまだ遠い出来事。
今年は可愛い彼女と精いっぱいに高校生活を満喫する予定だったというのに……そんなプランははるか遠くに消え失せた。
「ハア……」
気がつけば、詩織の事ばかり考えて溜息をついている気がする。
みっともない未練だ。
自分を裏切った女のことなんて考えても仕方がないのに、それでも彼女の顔が脳裏にこびりついている。
初めてできた彼女。初めての失恋である。
おまけにあんな形で恋が終わってしまったのだから、仕方がないかもしれないが。
「せめてキスを……いや、おっぱいくらいは揉ませて欲しかったな……」
『……最低じゃな。小僧』
「しょうがないじゃない。思春期の男の子だもの……」
高校生男子の性欲を舐めないでもらいたい。
彼女に裏切られたのはもちろんショックなのだが、自分とはキスすらしたことのない彼女が他の男とは最後までしているという事実が酷く惨めである。
こんなことなら、もっと積極的にいけばよかった。大事にしたいとか気を遣ったりせず、ガツガツと貪欲に求めれば良かった。
そうしていれば……あるいは、童貞卒業くらいはできたかもしれないのに。
『愚かよのう、小僧……性欲など死んでから何の役にも立たぬぞ? 人はみな死ねば骨。黄泉に落ちて終わりじゃよ』
「死んだあとのことなんて、どうでも良いよ。生きてるうちに、ほどほどにエッチで楽しい人生を送りたい……」
『ウウム、これが若さというものなのか? そんなに女子の乳が揉みたいのであれば、妾のものを触らせてやろうかの』
「いや、刀の胸を触っても意味ないんだけど……」
『いやいや、妾は刀であるが、同時に『常世の媛』より魂を分けられた神霊じゃ。その気になれば、人の姿をすることもできる。乳に触れさせることはもちろん、
「伽って……」
セックスのことだったか?
非常に魅力的な誘いのように聞こえるが……同時に、巨大なアリジゴクを前にしているような不安な誘いである。
『もっとも……妾が人型に顕現するためには、所有者であるそなたがもっと精進せねばならぬな。未熟な今の小僧では、妾を刀の形に顕現するのがやっとじゃろう』
「…………」
『これからも己を鍛え上げ、堕神を討ってゆけ。さすれば、妾を人の形にして呼び出すこともできるじゃろう。その時は、この身体を好きにさせてやる。せいぜい、頑張るのじゃな』
「つまり、アメとムチか……意地が悪いなあ」
結局、どうあがいても俺を堕神と戦わせる方向に持っていくつもりなのだろう。
拒めば死が待っている。逃げ道は完全にふさがれている。
「あーあ……本当に最悪だよ。せめて、どこかで可愛い女の子に出会ったりできないかな?」
ぼやきながら、俺は通学路をトボトボ歩いていく。
空は俺を嘲笑うかのように晴天であり、太陽が温かな光を降りそそいでいた。
せめて、どこかに新しい出会いでも転がっていないだろうか?
そんなふうに虚しい願いを胸に描きつつ、高校に向かっていくのであった。
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