第6話 事件
「止めて! なにすんのよ!? ぐぐぐ……」
「あんたに恨みは無いけどよ……死んでもらわないと困るんだ……」
女の首に後ろから巻きつけたロープを渾身の力を込めて引っ張る。
だらだらと汗が流れる。
女が手袋に爪を立てる。
ロープを外そうと喉を引っ掻く。
足を蹴ろうとしたり踏みつけようとしたりする。
身体を左右に振る。
もがく……。
「ぅ……ぐ……ぁ……」
女の力とは思えないほどの力でもがく……。
「やめ……くっ……」
なかなか静にならない。
背筋伸ばしをするように女を背負って女の身体を宙に浮かす。
重たい。
五十キロ半ばくらいだと思ったが……。
顎から汗が滴り落ちる。
―― 映画じゃもっと簡単に死んでたじゃないか、こんなに大変な作業だなんて見たことも聞いたこともないぞ! ……冗談じゃない!
……どのくらい経ったのか、いつの間にか大人しくなった。手がだらりと垂れ下がっている。
が、息を吹き返すことも有るかも知れないとの恐怖が女を下ろすのを躊躇させる。
―― 人を殺すってこんなに怖いもんだと初めて知った。掌が擦り剥けたのかヒリヒリする。
女を殺せと言われたのは数日前のことだった。冗談じゃないと断ったが義理があって……うん、と言ってしまった。
変装に手抜かりは無いはず。逃げおおせるのか不安だが殺ってしまった。証拠は残していない、女に爪を立てられたがビニールの手袋は破られていない。―― あ~身体が全部心臓になったみたいだ。
気付くと女に暫く動きはない。もう、大丈夫か? ―― 大丈夫でなくても、もう体力の限界だ。
恐る恐る女を下ろし始めるが、重過ぎて一気にドサッと床に落としてしまう。その勢いで転んで目の前に女の顔が……しっかり見てしまった。
「ぎゃ」思わずでた自分の悲鳴に驚く。
見なけりゃ良かったと後悔した。
醜く歪んだ顔、
見開いたままの白い目、
だらしなく大きく開いた口から舌がだらりと垂れ下がり、
変色した気持の悪い唇、
零れ出る体液、
臭い……脳みそに焼きごてでハンを押したかのようにこびりついてしまった。
――呼吸していないかを確認しようと思ったのだが……全然無理。
これで生きてたらゾンビだ!
一秒でも早くこの場から逃れたかった。
だが、
まだやることが残っている。
五分後、やっとホテルを後にした。
*
「ごめんください」
階段の上がり口辺りで息を切らせながら呼びかける男の声がした。
「は~い、ちょっと待ってて、今、いきま~す」
一心が事務所に顔を出すとまるまると太った豚、否、剥げ親父がその頭を拭き拭き立っている。
「お待たせ、どうぞ、こっちに掛けて」
剥げ親父をソファに腰掛けさせてから応接テーブルを挟んで立ち名刺を差し出す。
「俺がこの探偵事務所をやってる岡引一心です」
剥げ親父は名刺を一瞥してから自分の名刺を出して、「今井昴からここを聞いてきました。ホテルスカイのオーナー飛田敬一です」
「あ~、奴のいるホテルの……そうですか、で、何か?」
―― 今井は一心の飲み友達だ。ホテルで小間使いをさせられていると聞いていた。
「はい、ニュースは? ご覧になりました? 」
「……あ~、女性が絞殺された? ……」テレビでは被害者は中年の女性と言っていたはず。
――ネットじゃ中年のおばさんが若い燕を無理やりホテルに連れ込もうとして抵抗され、殺された。なんて無責任な書き込みがあって、ちょと笑った。
「はい、まだ、被害者の身元も分かってないんですが、こんな事件があって客足が遠のいちゃって……」
「なるほど、それで早く事件を解決して客足を取戻したいということですか?」
「流石、その通りです」
飛田は封筒とメディアを応接テーブルに置いて一心に目線を走らせる。相変わらず頭の汗を拭いている。
一心が封筒の中をみると帯封付き万札。
「これは?」メディアを取上げて尋ねると
「防犯カメラの映像です。犯人と被害者が写ってます」
「警察にも提出してますよね?」
一心が念を押すと飛田は頷いて
「調査費は取り敢えずで、不足があれば仰って下さい」
一心は、勿論「引き受ける」と言って飛田に聞き取りを始めた。
飛田が帰った後、一心は探偵事務所の全員で、つまり家族皆を集めメディアの映像を見る。パソコンの画面に二日前の午後十時二十二分、カップルがホテルに入るところが写し出されている。
女は五十歳前後と見る意見が多い。男は三十歳前後じゃないかと皆がいう。
「このおばさん、きんきら一杯つけんと男に持てんのかな?」
「そうじゃねぇか。金ちらつかせねぇと男寄ってこないんじゃね。この顔にスタイルじゃ。」
「こら、数馬も一助も、亡くなったお方はんにそないな言い方しちゃあきまへん!」
と二人は静に怒られ肩をすくめたが、でも、事実だと、一心も思う。
女の足元がふらついていて酔っていることが分かる。女が男の腕に絡みついている。服装や宝飾品などから金持ちのおばさんが若い燕に入れ込んでいるって感じだ。
仲たがいしている様子はない。
午後十時四十三分、少し慌てた様子の男が一人で出て行く。
その間二十一分。
女のバッグから現金が抜かれていて、名前の分かるものは残されていなかったと飛田が言っていた。
改めて見直すと、男は黒の上下に黒い野球帽、白いスニーカーは量産品のようだ。顔を隠していて、端から殺害目的だったような感じがする。 ――在室時間がそれを物語っている。
美紗に人物が特定できそうな画像を印刷させ、数馬と一助と三人で飲食店の聞き取りすることにした。
*
浅草警察署の丘頭桃子警部は午前〇時三十六分通報を受け現場に急行した。
死因は絞殺による窒息死ということは長年の経験からひと目で分かった。
通報はホテルのオーナーからで休憩で入室したものの、二時間を経過して延長、宿泊などの連絡がないので電話したが応答がなく、部屋へ言って声を掛けたが反応がないので入室し遺体を発見、その場からすぐ百十番通報したという。初めての客のようだ。
被害者の所持品に名前の書かれたものは無く、財布から札が抜き取られていたので強盗殺人事件として捜査を開始したのだった。
鑑識が証拠品集めの為、現場を這いずり回っている。
そして警部は、都内のすべてのタクシー会社に午後十時四十三分以降十一時までの間で、ホテルスカイ付近から若い男を乗せたタクシーの有無確認と現場周辺の飲食店や通行人などへの聞き込みのほか、監視カメラの映像の解析を指示した。
有用な情報が見つからないまま二日が過ぎ、署に一心が来た。事件のあったホテルのオーナーから調査依頼を受けたと言うので、判明している事実はすべて提供した。
―― 一心が捜査に加わると解決するというジンクスがあるくらい署内では彼に頼る傾向があり、その動向を上層部も注視している。丘頭警部も一心が来てくれるとホッとする。 ―― 表立っては言えないが。
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