世界一美しく世界一弱いあなたに私の喉は震えない

谷山クロネ

プロローグ

 **本編ではしばらく触れられない内容なので、今は重要ではないです。**


 私は面白いことが好き。平和が好き。笑顔が絶えない家族が好き。でも最近は家に帰れてない。熱中症でよろけてこけたんだけどね、こけた場所が階段だったの。朦朧とした意識の中でも震えたね。怖かったもん。入院するほど怪我したし。右腕骨折、左足骨折に全身打撲、頭蓋骨と鎖骨にヒビが入ってます。クッソ痛いです。


 でもね、声を上げて泣けないの。隣にもっとつらそうな子が居るから。今は鎮痛剤のおかげで幾分痛みもましなんだけど、それでも痛いよ。


 病室は四人一部屋なんだけどね、隣に男の子がいるだけで他は空席。男の子は看護師さんが曰く、生まれて直ぐにここに運ばれて6年間入院しているらしいです。私はまだ二日目なんだけど、男の子を見ればどれだけ辛いのかすぐに分かったよ。すべて分かったとは言えないけど、その末端を推測するでも辛そうだったし。かくいう私も5歳でこの痛みに耐えているのは褒められるべきだと思うけどね。


 男の子は全身を包帯で隠れるほど撒いていた。目を動かすような様子はなく、はっきり見えているようには思えなかった。二日間、観察していたが体をピクリとも動かさなかった。生まれながらに死んでいるかのような状態だった。腕も足も枝よりも細いし、肉がついている様子もない。未発達のまま生まれた未熟成児だ。もちろん体も目線も呼吸すらままならない状態だった。


「ねえ聞こえる?」


 二日間話しかけ続けているんだけど、返事はないです。あの子は話すこともできないみたいで、聞こえているのかも分からないのだとか。ほっとけないよね。一人ってのは寂しいから。二日間、両親がお見舞いに生きてくれるけど、その間ですら寂しいもの。でも男の子の両親が見舞いに来ている様子もないんだよね。忙しいのかな。


「私はふうか。かぜにかおる?ってかくんだってお母さんが言ってた」


 名乗っても返事はありません。仕方ないことって知っているけど、ちょっと不満です。私的にはもっとお話ししたいの。病室は暇で仕方ないから。


「ねぇってば」


 痛いけど我慢して、のぞき込んでみた。


 手足は骨と同じくらい細いし、発達していないから短い。やせ細っているし指一本も動かせないようだ。


 私の言葉に返事できないのも納得した。でも私を認識してないわけじゃないみたい。目は私の方に向いてる。初めて男の子が体を動かしたことに感動しちゃった。唇も震えてるみたい。何かを離したいのだろうけど、聞こえない。この子はなんでこんなにかわいそうなことになっているんだろう。


「名前はなんていうの?」


 男のこの目線が私から離れた。目線の先を見れば名前が書かれた札がおかれている。読めません。5才だもの。漢字なんか読めないし書けないのは普通だ。


「よめないや。ごめんね?」


 お話ししたくないわけではないみたいです。よかった。嫌われているわけでもないようだし、やっぱりこの子の体が弱いだけでいい人みたいです。感情もしっかり感じる。意思疎通ができることがうれしかった。


「ねぇかんごふさん!この子の名前はなんていうの?」


 看護婦が男の子の点滴を変えに病室に来たので聞いてみた。看護婦は名札を見て漢字を読んでから答えた。


「え、この子は・・・菊池・・京谷。菊池京谷らしいよ。そんなに気になるの?」


「らしいって、6年もいるんじゃないの?」


「え、ええ。そうね・・・そうよね。京谷君、点滴替えるわね」


 何だろう、この看護婦さんいやなかんじがする。きょうや君のことをしっかり見てないみたい。なんでだろう、この子は運が悪かっただけなのに。看護婦さんは患者さんの面倒を見る義務があると思うのだけど。


「風香ちゃん、京谷君はね両親がいないの。だから入院費用も払えないでいるのよ。この子はかわいそうなだけ。でもね一円の価値にもならないけど、病院としては見捨てられないから面倒を見ているだけなのよ」


 奥からもう一人の太った看護婦が現れてそう言った。体が弱い上に両親もいないの?ここに長くいられないってこと?病院から追い出されたら生きていけるの?ダメだよね?私たちは運が良かっただけなんだ。幸せなのは運が良かっただけで、運が悪かった人はこんなに不幸なんだ。


 私はもう幸せになれない。この子を見て、明日も笑えるとは思えない。


「主任、いくら何でも言い過ぎです!」


「ああ、そうね。でもみんな言ってる事よ?あなたも彼の名前知らなかったじゃない」


 私はこのころ何もできなかった。あれから10年後、私は京谷君と共に笑って暮らしている。でも、この時の記憶がいまも夢に出る。あの主任は解雇されただろうか。私は5歳で世界に絶望したけど、京谷君は仕方ないことだと割り切っていた。本人が何も言わない以上私から、何か言えるはずもないし無理やり納得している。


「風香が話しかけ続けてくれたこと、感謝している。俺はそれだけで幸せだったよ」


「そうなの?でも京谷も運がよかったね」


 京谷君は一歳年上で、急激に容体が良くなり退院した。両親も京谷君のことを知っており、何もできない自分と彼の境遇に嫌気がさしていた。だから、京谷君の隊員が決まったと同時に六年間の入院費を支払い養子に迎えた。


「ああ」


 運が良かったというのは、彼の様態が突然よくなったこととそのタイミングで私の両親が彼を養子に迎えることとなったことを言った。京谷は私の兄となった。これ以上ないほど最高な兄だ。


 兄の知能は日本最難関の高校に入学したし、身体能力はあらゆる競技で新記録を更新していたほどだ。彼曰く病院で寝たきりの生活をしていた時、することがなく人の顔と仕草で感情が読み取れるようになったし相手の次の動きが筋肉の動きで分かるようになったらしい。超人だよね。怖いよ、私のお兄ちゃんじゃなければね。隠し事ができないってことなんだから怖い時もあるけど。


「京谷、風香ただいま!お父さんが帰ってきたぞー!」


 玄関から聞こえた声は私の父だ。大手会社の部長でかなり裕福だし、いい父親だ。休みの日は家で面倒を見てくれるし、勉強も見てくれる。大きな体だし、筋肉も程よくある。母を守れるように鍛えてるらしい。


「お帰り」


「早いね、残業はなかったの?」


「残業前提かよ!一応部長だぜ?重役なのよ」


 家族の軽口は愛情の裏返しである。この家族は近年まれにみるファミコンの集まりだ。皆が皆を愛している。私もお父さんとお母さんとお兄ちゃんを愛してるしね。


「それで、お母さんは?」


「あら帰ってたのね?お帰り。ごはんできてるよ」


 キッチンから出てきた母もにこやかに笑いながら父をねぎらう。二人とも歳のわりに若い見た目をしている。私も平均以上の容姿をしていると思う。お兄ちゃんが言ってくれたからね。お兄ちゃんの顔面偏差値は高すぎて、ヴァレンタインデーでチョコレートが入ったゴミ袋を三つ引きずって帰ってきたくらいです。そんなお兄ちゃんが「顔がいい」と言ってくれたので顔に自信が湧きました。


「今日はハンバーグかな?ハンバーグだよね!」


「違うよ。貴方はハンバーグホント好きよね。今日はハムカツです」


「やった!ハムカツも大好きだぜ」


 両親の子供のようなやり取りにお兄ちゃんはいつも鼻で笑う。お兄ちゃんが本気で笑ったところを見たことはない。でも鼻で笑っているのは、決して馬鹿にしているわけではないことをみんな知っている。私はにっこり笑顔を浮かべる。両親はお兄ちゃんの過去を知っているから余計に気丈にふるまうようになった。前もにぎやかだったが、拍車がかかったみたい。いつかお兄ちゃんを本気で笑わせると息巻いているし。


 幸せな日常が続くと思っていた。私も家にいるうちは笑顔でいられた。でも中学に上がるころには、予想もしていなかった日常が待っていた。


「風香、顔が暗いぞ?夏なのに長袖をきるようになったし・・・何かあったのか?」


「・・・何もないよお兄ちゃん。心配してくれてありがと」


 長袖の下に痣があるなんて知れたら、お兄ちゃんなんていうかわかったものじゃないからね。


 前に聞いたことがある。なんで体を鍛えるのか。お兄ちゃんはいくつもの武術を納めているし、スポーツも何でもできる。それほどまでに鍛えるのはなぜか、と聞いた。でも彼はいつまた体を悪くするかわからないから、体を鍛えていると言った。鍛えていればいくらかマシだろう、と言っていたのを聞いて少し悲しくなった。でも次に、私を守れるようになるため、と言ってくれた。父と同じ発想になるのはなんでなんだろうね。血のつながりはないはずなのに。


「ウソついてるな?言ったろ、表情で分かるって。お前が追い詰められてるなら頼れ。でも、隠すってことは俺と両親には知られたくないんだろ?聞かないでおいてやるよ」


「おに・・・いやうん。今はいいや、大丈夫」


 優しい口上に私の決意が揺らぎかけるけど耐える。お兄ちゃんは私のことを理解している。お兄ちゃんは強いけど、私は弱い。だから、頼ることもできない。


「そうか・・・。でもあの頃見たお前の笑顔は長らく見ていないな。限界来る前に言えよ?」


 お兄ちゃんはこれだから・・・。隠し事はできないね。でも、心配させたくはないから隠しておきます。


「来年受験があるから気を張ってるだけだよ」


「そういえば、同じ学校に来るのか?ここからは遠いぞ?」


「お兄ちゃんと登校できなくなるのは嫌だからね。がんばるよ」


 お兄ちゃんはかっこいい顔で反則レベルの笑みを見せてくれた。本気で応援してくれているんだろうね。両親もそうだし、絶対に落ちれないよね。本気で頑張らないと、期待に応えないと私も笑えない。


 ご飯食べたら勉強しなきゃいけないし・・・まぁとにかく食事を楽しもう。


「そうか、風香も同じ学校に行くのか!お父さんがんばって働かないとな!」


「重役なんでしょ?でも頑張ってね」


 お父さんは余裕のある給与をもらっているし、裕福な家庭だと思う。お兄ちゃんはプログラムを書いたり、webデザインをして稼いでいる。他にもいろいろ稼いでいるし、通常の社会人よりももっと稼いでいる。既に扶養家族の域を超えた利益を生んでるし、年収2500萬なんだって。すごいね兄ちゃん。


「俺の学費は俺が払おうか?」


「そんなこと考えなくていいのよ京谷。ただでさえ手がかからなくて私たちは存在意義を失いつつあるんだから」


「そんなことないよ。俺は幸せだよ」


 お兄ちゃんの口から出た言葉は重みが違うね。今のまま成績が上がれば合格は間違いないと思う。お兄ちゃんに聞けばつきっきりで勉強を教えてもらえるから成績も上がった。でも、頼りすぎるのも悪いから最近は自力で頑張っている。成績の上り具合はあまりよくないけどね。お兄ちゃんも少し悲しそうにして、私が勉強を聞きに行くのを待っている、けど頼らないよ。私の決心は堅いの。


「母さんまた腕を上げたね」


「そーおー?ならよかった」


 ハムカツを一口食べると、商品として出せるほどおいしかった。お母さんの愛情をひしひしと感じる。母は私たちにおいしいご飯を作ろうとして、毎日勉強している。だからこそ、私も勉強をしなければならない。よーし、食べ終わったら頑張って勉強しよう!


 そんな毎日が続いている。学校では信頼のおける友人と青春を・・・とはいかない。登校した瞬間から嫌な時間が始まる。


 何時ものように扉を開けて、教室に入ると嫌いな人たちと目が合った。


「今日も来たの?毎日可愛がってあげてる甲斐があるわ」


「やめなよ京香、泣いちゃうよ?」


「京谷のおかげでのし上がって粋がってんじゃないよ」


 いじめられてるのです。菊池京谷が田中京谷になったのは10年前で、まだ小学生低学年だった。小学校を卒業するころにはすでに目をつけられて陰湿な嫌がらせをされてきた。中学に上がった今、エスカレートして殴られたり蹴られたりしている。女友達もいたけど、巻き込まれてほしくないから距離を置くようになった。男子たちから何かされることはあまりないが、最近ではそれもあり得るようになってきている。お兄ちゃんは顔だけでなくすべてのスペックが高いから嫉妬されるのは仕方ないし、私に飛び火するのも分かる。


 お兄ちゃんに言えるわけないよねこんなこと。優しいからきっと心を痛めるし、何より構ってもらえなくなるかもしれない。自分が原因だと知っていたならば、私と距離を置こうとするはずだ。だから耐えているうちは妹であり続けられるような気がした。


 お兄ちゃんと同じ学校に行くのは知り合いがいる進学先では同じことが繰り返されると思ったからという理由もある。お兄ちゃんと登校したいからっていう方が大切なんだけどね。今辛いのは自分のふるまい方が悪かったからだと思うし、耐えれば終わることだよね。お兄ちゃんがすごいから自分がすごいと思い込んでいたのかもしれない。


「おい、ちょっと来いよ」


「ムカついてきたよね」


 暴行されるんだろうな。教師に話したら家族に相談されるかもしれないし・・・そもそも取り合ってももらえないと思う。相手がお偉いさんだからとかではないよ、教師も面倒なことはしたくないんだろうね。


 校舎裏の人気の少なく薄暗いところでいつも殴られる。悲鳴は出さない。屈していると思われたくないしお兄ちゃんなら喚かない。お兄ちゃんなら返り討ちにするんだろうね。


 お兄ちゃんの在学中はお兄ちゃんがいじめられてたらしいのだけど、いじめられてるという認識すらなかったんだって。殴られたから殴り返したら半殺しにしてしまったわ、って言ってた。ちょっと問題になったんだけど、両親に連絡が行く前にお兄ちゃんが教師たちを脅してたから二人は知らない。多分、両親は気が付いていると思うけどね。いじめを認可している教師たちの動画を撮影していて証拠として握っているみたい。お兄ちゃんをいじめてた人たちもトラウマになってお兄ちゃんに逆らえなくなったと聞いている。


 私にそんなことできはしないし、正当防衛でも暴力を振るいたくはない。


「ッチ、面白くねぇな。帰るよ」


「京香今日はいつも以上に溜まってたんだ」


 悲鳴を上げなければ直ぐに終わるし、もう慣れた。


「顔に泥付いちゃった・・・洗わないと心配かけちゃうな」


 何時もは見えない場所を殴られるのに今日は顔を殴られちゃった。痛いなぁ、それにしてもいつまで続くんだろう。そろそろ限界だよ・・・。


 今日も一日耐えきって帰路につく。一人の下校は寂しい。去年までお兄ちゃんが居たのに今はいない。去年まではまだお兄ちゃんが守ってくれていたからイジメもそこまでではなかった。


「ダメダメ、頑張らなきゃ」


 優秀な兄と優しい両親からの過度な期待に応えたい。応えて見せたい。そうじゃなきゃ家族と言えないでしょ。


 次の日もまた学校に来た。いつも通りいじめられるのだと覚悟していたが、京香はこない。風邪かな、大丈夫かな。


「お、おいあれ見たか?」


「あれって何?」


「校庭だよ、見ろよ!」


 男子たちが騒がしい。グラウンドに何があるんだろう。いじめがないならそれ以外はどうでもいいよね。


「え?マジかよあれって・・・」


 うるさいな、何があるっていうの?


 イライラしながら騒ぎの正体を確かめようと思った。どうということないじゃんと、笑ってやりたい気分だった。だったんだけど、これは騒ぐよね。


「京香・・・ちゃん?」


 グラウンドの中心に板が10枚突き立てられていた。その板一枚につき一人の人間が貼り付けにされている、しかも全裸で。全員体中の同じ箇所に痣ができてるし、泣いてる。小声で何か言ってる人もいるように見えるし、聞こえないけどなぜか一瞬心が軽くなった。


「ご・べん・・・なさい・・・ごべん・・なさい!」


 京香が声を上げた。その眼は私を見ているように思った。その瞬間、体の痛みが消えた。救われたような気がした。でも、心は晴れない。重なった、去年の惨劇が。


 去年兄を殴った男たちは5人とも校庭のフェンスに張り付けられていた。全身に痣を作って。


 お兄ちゃんだよね・・・多分私のためにやったんだよね。そう思うと嬉しくも悲しく、寂しいような気がした。兄からの愛を感じながら、自分の力で解決することから逃げた自分に嫌気がさした。


「お前ら席につけ。朝礼を始めるぞ」


「え?先生あれはそのままでいいのかよ?」


「あいつらはイジメの主犯だということが分かったから懲罰中だ。アイツらのことは他言無用だ」


 一年ごとに起こる校内での不思議な事件。その全貌が明らかになることはなかった。教師たちは弱みを握られているし、貼り付けにされている10人の親もなぜか苦情を言ってこなかった。


 それ以降、この学校でのいじめはなくなり、京香をはじめ私をいじめていた女子7人と男子3人は転校した。


 家に帰った後、お兄ちゃんに聞いてみた。


「お兄ちゃん・・・今日ね学校で―」


 言い出せない。真実を聞くのが怖い。お兄ちゃんが、理解したくない存在になってしまうのではないかと怖い。でも、私のことを愛しているのがわかってしまうから否定できない。お兄ちゃんが好きだから問いただせない。


「そうか、やっぱりお前は救われなかったわけだ」


 お兄ちゃんの一言で後悔と悔しさを感じた。怖い存在になったわけではないんだ。多分、お兄ちゃんは何も変わっていない。私のことを考えて、大事にしてくれているからこういうことになったんだ。怒りに任せて行った行為も、再犯防止と反省を促す最善手だと言われても納得がいく。実際にそうなったのだから。


「お兄ちゃん、ありがとう」


 お兄ちゃんが唖然とした顔をした。初めて見る間抜けな顔に耐えられなくて吹き出しちゃった。私を見てお兄ちゃんも笑ってくれたし、やっぱり家族なんだ。


 なんだかんだで、クラスの人数もかなり減ったまま、受験の季節が過ぎ無事に兄と同じ学校に入学できた。試験の合格通知が来るなり家族を上げて大騒ぎの祝宴が始まった。あの時の満ち足りたという感覚は忘れられない。満足して、心配する必要のないことへの心労と、いじめの苦痛から解放された私の笑顔を見て、お兄ちゃんが本気で笑ったように思う。


 両親もそれを感じて、涙を流しながら喜んだ。


「やっと追いついたよお兄ちゃん」


 入学式を終えて、近くの川沿いでお兄ちゃんと座って話していた。一年求めた状況に嬉しい気持ちが止められない。


「待ってたよ。よく頑張ったな」


 お兄ちゃんのこの言葉を待ちわびて勉強を頑張ってイジメも乗り越えたんだ。うれしいに決まってる。飛び跳ねそうなくらいうれしい。


「これでお父さんとお母さんの期待にも応えられたかな」


「ああ、前から思っていたんだけど風香。俺になろうとしなくていいんだぞ?」


 お兄ちゃんにはやっぱり隠し事はできない。お兄ちゃんに憧れて同じようになりたいと思って努力し続けていた。それが両親の望みだとそう考えてしまったから。今までの努力が否定されたが嫌な気はしない。お兄ちゃんは努力しすぎていた。私じゃ到底まねできない日課を送っていたのを知っている。毎日手に新しい豆を作り、潰して血だらけにしながら鍛錬していたし勉強時間も半日以上取っていた。当然、常人が遅れる日常ではなかった。否定よりも解放されたような、心が晴れる気分だった。


「あの二人は確かに俺たちに期待している。でも、二人は俺たちに好きなように生きた末に、幸せになることを期待しているんだよ。つまり俺たちの両親は最高ってこった」


 お兄ちゃんが無邪気に笑って言ってくれた。私の肩から重荷が下りたようで体が軽い。いつもほしい言葉をくれるな、お兄ちゃんは。確かにあの両親が私たちのことを第一に考えないわけがない。そうでなきゃおかしいでしょ、家族なんだから。




 走馬灯かな、考えてみればあの時が一番幸せだったのかも。ごめんねお父さんお母さん、期待に応えられそうにないや。幸せになる前に死んじゃうよ。


「―――」


 お兄ちゃんの声が聞こえる。でも雨の音で何を言ってるか分からないよ。ごめんねお兄ちゃん。まだ何も返せてないのに、返事をすることすらできないや。ごめんね、ごめん。


 私は何かできたのかな、短い人生の中で何かを残せたのかな。


 寝心地が悪いなぁ、ごつごつしてるし硬いよ。視界も雨でぬれてぼやけちゃうし。お腹が熱いよ。助けて、お兄ちゃん。助けてよお母さん、お父さん。


「おい、風香!おい!!!・・・絶対助けてやるからな」


 意識が完全に途切れてやっと、兄の声が明瞭に聞こえた気がする。

 

 私は死んだ。最後にお兄ちゃんからもらった初めての誕生日プレゼントである金メッキのペンダントを握りしめながら。


 アッツ!!


 あれ、死んだよね私・・・。死んだのに熱い?あれ、でももう熱くないや。今は何も感じない。死ぬ瞬間は熱いんだな・・・。今行くからねお母さん、お父さん。



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