白紙の異世界 ~異世界に召喚されたけど、何故か誰もいませんでした……~
木岡(もくおか)
第1話 誰もいないんですけど
「ありがとうございました――」
店を出る客に向かって頭を下げると、客の背中が遠ざかっていき、自動ドアが閉まった。
本屋でバイト中の俺はそのままカウンターの中から、退店した客の足取りを追った。半透明な窓ガラスの向こうで動く人影と同じように、右から左へ黒目を動かす。
人影が窓ガラスから消えて、すぐに車のドアを開け閉めする音が聞こえてきた。続けてエンジンをかける音も耳に届く。先ほどの客が車に乗ったのだろう。
それを確認した俺は出入り口の方へ素早く移動し、透明な自動ドアから覗くような形で外を見た。
先ほど店を出た客はさらに10秒後にはブレーキを踏んで車を発進させた。他に動く車や人はいなかったので、駐車場を当然迷うこともなく出口へと進む。
最後にウインカーを左に出して、客の車が道路に入っていく。あっという間に店内からでは見えないところまで行ってしまった。
これでもう、すぐに引き返してくることはない。これでもう、完全にあの客が帰ったということが確定した。
「うん」
俺は小さく言って、首を縦に振る。そして、特に何をするでもなくレジのほうへ戻った。
今の警察が容疑者を張り込むような行動は……何も万引きが確定するのを確認していたとかいう訳ではない。俺は万引きGメンなどではない普通のレジと陳列担当のバイト。
だから、客が金を払わずに出て行っても気づきもしないかも。
じゃあ何をしていたのかと言うならば、ただ完全に帰るのを待っていた。
だって、さっきの客が帰ればもう店内には……。
視界に広がる本屋の景色、それを見ると俺は笑った――。
誰もいなかったからだ――――。
並ぶ本棚の間にある全ての通路に、人がいない――。雑誌のコーナーにも漫画のコーナーにも、誰1人いない――。
今このフロアには俺しかいない。嬉しくて、頬が上がった。
「よしっ」
くねくねと腕を上げ、軽くガッツポーズもする。開放感に包まれる。これで本屋の中で1人きり、今ならここで何をしても大丈夫になった。
散らかしっぱなしだったブックカバーを軽く片すと、さっそくカウンターの向こう側へ出る。
まずはぶらっと店内を1周するように歩いた。客の出入りは把握しているつもりだけど、本当に誰もいないか確認もする。
そうしながら腕を天井に向けて伸ばし、大きなあくびを一発かました。
「はあ……」
1人……ああ、1人……1人になれた……。
1人というのはなんて素晴らしいんだろう。青年雑誌コーナーを堂々と横切りながら思う。誰の目も気にすることなく、誰にも気を使わずに過ごせるのは、本当に心地が良い。
俺は1人でいるのが大好きだ。3度の飯より、女性と2人きりよりも、1人でいることのほうがずっと好きだ。
特に今のように本来1人になれないタイミングで1人になれる時はレアだから、特別気持ちが良い。
小さな本屋でお客さんの数も少ないけれど、自分以外誰もいないという時間はあまり訪れない。数日に1度の大事なレアイベントである。
裏に店長ともう1人のバイトもいて、おそらく梱包作業か何かしている。またお客さんが入り口のベルを鳴らして入ってくるかもしれない。
けれど、そうなった時は陳列作業をしていた風に装ってカウンターに戻ればいいだけ。
だから俺は、新しい出会いを探すように愛する本たちを眺めていった……。
今年の春からこの本屋でバイトを始めた――。
理由は大学2年生になったらバイトをやってみようかと考えていたからだった。人と関わるのは好きじゃないけど、いつまでもバイト未経験というのも情けない。進級するのはまだ少し先だったが、1年生の春休み期間中からスタートした。
求人を漁って、バイト先に選んだのが本屋だった。この理由も至ってシンプルで、俺の趣味が読書だからである。昔から本を読むのが好きだったから、本に囲まれて働ける場所は俺に合っていると思った。
もう4ヵ月働いて、随分仕事にも慣れた。記憶するべき情報の量に初めは絶望したが、今では各業務がスムーズになったし、レジに立っても緊張しなくなった。
段ボールにびっしり詰まった本を運ぶのだけは未だに慣れない。いつまでも重くて、慣れるどころか最近腰痛に悩まされている。
でも店長には覚えが良いと褒められたし、職場の人間関係も良好である――。
ふと目に留まった平積みの本を階段にしてやった。本当は奥を1段か2段上げるだけと教わっているけど、横向きで猫が上れるような階段を作った。
理由は本のタイトルが「階段」だったから…………とか、そんな理由はなくて、こうするとなんとなく気持ちいいからだ。
「うん。上出来……」
少し離れて自作の芸術品を鑑賞する。綺麗に並んだ本の中に、高くびしっと階段積みされた本があると、変に目立って面白いというか何と言うか、つまりなんとなく気持ちいい。
「ふっ……」
顎に手を当てて、にやつきもする。
――こんな1人遊びは昔から得意だった。幼い頃から1人が好きだったから。
俺はなるべく1人を選んで生きてきた。最も古い小学校低学年くらいの記憶でも、既に1人好きの症状があったと思う。
この日本ではぼっちに風当たりが強いので、いつも1人だった訳ではないけど、1人でいれる時、1人でいても許される時は1人になった。
学校では数少ない友達と過ごすようにしていた。でも帰宅部で委員会にも入ってなかったし、休日はめったに友達と遊んだりしなかった。
せっかく友達が誘ってくれても、半分以上は理由を作って断った。
家でも家族と話すことは少なかったし、娯楽の時間は自室にこもって読書をするかゲームをするのが俺にとっての幸せ。
部屋でゲーム中に、ちょうどオンラインでの協力プレイに誘ってくれたこともあるけど、その連絡を既読すら付けずに無視して、心の中で謝りながら1人装備無しでモンスターを倒しに行ったこともある。
ゲームでも対戦や協力より、勝手にきついルールを作って縛りプレイをする方がずっと好きだった。
という感じだったから、他人からすればあまり良い奴では無かったと思う。協調性が無くてノリが悪い奴。きっとそんな評価をされたこともある。
だけどしょうがないじゃないか、1人が好きなのだから。
大学1年生の春には、俺だって自分を変えたくなって色々と人の輪に入ろうと努力した。積極的に連絡先を聞いたし、新歓に手あたり次第参加したんだ。
でもダメだった。サークルも飲み会も俺には合わなかった。周りに合わせてどれだけ笑ってみても、心の底から楽しくなることは無かった。
複数人と同時に連絡を取るのはめんどくさかったし、大人数の飲み会は周りに気を使うので精一杯だった。
二次会のカラオケが終わった朝に「やっと解放された」と思った時に、俺は根っから1人が好きだということを心底再確認させられた。
今では彼らと全く連絡を取っていない。きっとあいつ何だったんだろうと思われている。考えると……ちょっとだけ恥ずかしい。
でも、それでいい。俺はこういう性格なんだ。ナチュラルボーンの1人好き人間なんだ。受け入れると、随分楽になった――。
しばらく羽を伸ばしていると、外で雨が降り始めた。店内にも充分に雨音が聞こえる雨だった。時刻はもう16時半だから、夕立だ。
今日は人気作の新刊が出る日でもない。大学近くだというのに客が少ないこんな本屋に、大雨の中わざわざ立ち寄る人はいないだろう。また俺の頬が上がった。
背中のほうから鳥肌が立つ。このまま雨が降り続いて、本に囲まれたこの空間にずっと1人でいられたらいいのに。そんなことを思った――。
「――お疲れさまでした」
シフトが終わる17時半にはすっかり雨が上がっていた。夏なのでまだ日は高く、アスファルトはもう乾き始めている。
軽快なステップで帰路につく。ずっと立ちっぱなしだったのに今日1番の元気が体に宿った。
1人好きあるある――人に会いに行くより、人と別れる時の方が好き。雨上がりの独特な良い匂いも背中を押してくれる。
俺には当然、バイトの後に予定などなかった。
夜を一緒に過ごす友達や彼女なんていようはずがない。実家を出て1人暮らしをしているので、自宅に家族もいない。
帰れば1人きり、相棒と言えばパソコンと本…………全く最高である。
澄んだ夕陽が町を包んでいた。どの建物もオレンジ色の装飾を施されていて、眩しい。信号に待たされている時はいつもは見ないような角度で、右に左に視線を飛ばした。
自宅マンションが近づいてきて誰もいない通りに出ると、もっと大げさに首を振った。いつもは帰ってから何をしようか、夕飯は何を食べようかなんて考えるものだけど、今日はただ景色を眺めるだけで退屈しなかった。
「あっ……」
そうしていると、遠い山の向こう側に虹を見つけた。思わず息を呑んだ。虹を初めて見た訳じゃないけど首の動きを止めて、足の動きまで止めてしまいそうになる。
2本の虹が並ぶように架かっていたのだ――。
見とれた――。今日の夕立は絶世の芸術を空に描いていたみたいだ。こんな虹は初めて見た。20年生きてきて初めてなのだから、きっと最初で最後くらいに珍しい。
何より圧倒されるほど美しい。2本とも濃くて、はっきりと7色が確認できる。撮影しておこうかとポケットのスマホに手が伸びる、けど共有したい相手なんていないから、やっぱりただ見とれた。
それが良くなかった。
俺はしばらく歩いて横断歩道まで来ても、ずっと斜め上を見続けてしまった――。渡り始めてもずっと双子の虹に釘付けだった――。
致命的――。気づいた時にはもうすぐそこに迫るトラックと目が合った――。
そして、何で信号が無い横断歩道なのに片側の車が止まっているだけでと後悔したときにはもう首が折れ曲がる感覚がして、悲鳴を上げる間もなく――目の前が真っ暗になった――――――。
「……ああ!!」
しかし、次の瞬間に俺の叫びは喉を突き破っていた。辺りに声が響き渡る。
「………………は?」
それから……自分が生きていることの意味不明さが口から漏れて、固まった。
え、今何が起こった……。確かに車に轢かれた気がしたのだけど、何で俺はまだ立っている……。何でまだ息をしている……。しかも1歩前まで夕方の道路上にいたはずなのにここはどこだ……。
一瞬訪れた暗闇が晴れると、周囲の環境は全くの別物になっていた。薄暗くて石の壁に囲まれた、地下室のような部屋。何も置かれてなくって無機質、ただ1つ見えるドアの所にだけはほんのり明かりがある。
何だ何だ、デスゲームでも始まるのか。ちょうど読んでいた小説がデスゲームものだったので、そんな訳はないけどまずそう思った。
「落ち着け落ち着け落ち着け……」
足に力が入らないから、その場で四つん這いになる。さっき俺はたぶん死んだよね……。なのに生きているということはつまり夢……。余りの急展開だからそれ以外考えられない……。
「でもこれが夢……?」
冷たい石の床を撫でてみる。温度はもちろん、砂っぽいざらつきも確かに指先から感じる。
「ん……?」
その時見つけたのは床に書かれていた不思議な模様だった。見渡すと俺を囲むように円形の模様が書いてある。
「魔法陣……?」
ファンタジーも大好きだったからそう認識するのに時間はかからなかった。二重の円に星形やひし形が書き込まれた模様は、それにしか見えない。
すぐに脳内で情報が繋がっていく。だとすると、これはまさかそういうことなのだろうか……いや、そうに違いない……噂に聞く異世界転生っ。
俺は四つん這いの状態から、クラウチングスタートで走り出す。一気に心臓が跳ね出した。
ってことは、俺やっぱり死んだのか――。でも、転生ってこんな感じなんだ――。こんな一瞬で異世界なのか――。
何も定かではないけど走って、押したドアは簡単に開いた。
「おお……」
先に見えた廊下の壁には剣や盾が飾られていた。仮説が信憑性を増す。何しろ装備達には宝石や竜の紋が付いていてザ・ファンタジーソードなのだ。
さらに廊下を走って、階段を駆け上がった。やはり地下だったみたいで、辿り着いた先の窓付きドアでようやく明るさを感じる。
先ほどよりも力強くドアを開く――。
「うおお…………」
窓から差す日の光に包まれた。そこからはもう感動の連続だった。
本当の本当に異世界に来たっぽかった。目に映る全てが胸をときめかせる夢のような景色が俺を迎えた。死んだかもしれないという絶望を一時の間忘れていられるほどの感動が込み上げた。
内装しか見ていないけれど城に違いなかった。レッドカーペットが引かれた通路に高級感のある家具、やたら高い天井とやたらでかい窓。とりあえず階段があったら上ってみているのに3階4階まで来ても終わりがない。
加えて、別世界の人間が召喚される場所は城だと決まっている。いやこれは勝手な決めつけだろうか……。
たまらなく興奮する。途中見つけた部屋には水晶玉や色鮮やかな液体のビンが棚に飾られていた。きっと魔法に関する道具だ。魔法なんてものがある世界に俺は1人やってきたのだ。
走って走って、夢が覚める前にと急ぐように、さらに城内を上へと進んだ。
「やっ…た……」
ある部屋まで来ると言った。まるで勝者のように拳を握りしめ、唇を震わせながら。
まさかこんな……こんなことってあるのか…………。
胸の中から感情が溢れ出す。それに呼応して鼓動も強く重くなっていた。
――けれど、ただ異世界転生という出来事に歓喜し、喜びを噛みしめている訳ではなかった。
むしろ逆、震えているのは広い空間があまりに静かなせいだ。
「はあ……はあ……」
奇妙でおかしな点が1つあった。転生してハイテンションになっている状態でも、無視できない。
異世界に来れたことは嬉しい……嬉しいんだけど、今度はその喜びを忘れてしまうほどの違和感を覚えた。
最上階の最奥にあった部屋。金色の椅子が置いてある玉座の広間。ここまで来たのにまだ俺は誰とも…………。
「何で…………」
全ての階の全ての廊下に人がいない――――。
どの部屋にも最上階の玉座まで来ても、誰1人いない――――。
今この城には俺しかいないかもしれない。不安で、頬が下がった。
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