第32話

 週明けの月曜日、教室に入ると珍しく近江が先に来ていた。


 自分の机に突っ伏している近江というのを僕は初めて見た。


「どうかしたの?」


 僕が声を掛けると近江は顔を上げた。


「ああ。まっちゃんか……」


 少し枯れ気味の声で近江は言った。ぼんやりとした表情は近江らしくない。


「何かあった?」


 近江は立ち上がって、教室を出る。僕はその後を付いていく。


 それから近江は誰もいない渡り廊下で立ち止まった。そして、ゆっくりと口を開いた。


「由紀に告白されたんだよ……」


「ああ」


 この間、泉が言っていたからそれほど驚きはしなかったけど、こんなに早く実行するとは思わなかった。


「それで、どうしたの?」


 僕が言うと再び近江は俯いてしまう。


「実は、な」


 近江は歯切れ悪く言う。


 そこで僕は何となく察しがついた。


「断った?」


 近江は黙って頷いた。


「なんで?」


「それは……」


 僕は近江も泉のことが好きなんじゃないかと思っていた。それなのにどうして断るなんて選択になったのか。


「俺はさあ。ずっと三人でさ。楽しくやっていきたいんだよ。だから──」


「何それ?」


「だから、今まで通り三人でさ──」


「なんだよそれ……」


 思わず口調が強くなる。


「泉から聞いてないの?」


「何のことだよ?」


 呆れてため息が出る。泉も近江も馬鹿だ。どうしてこんな時でさえ正直になれないんだろう。


「泉、もうすぐ引っ越すかもしれないって」


「は? どういうことだよ?」


「だから、親が別居することになって、だから、泉は母親の実家に引っ越すって……」


「何だよそれ? 俺聞いてねぇよ。わけわかんねぇ……」


 近江は頭を抱えてしゃがみ込む。


「あー、くそ」


 近江はそれ以上何も言わなかった。僕も何かを言える立場にない。


 近江は三人がこれまで通り楽しく過ごすために選択したのだろう。でも、そんなことは誰も望んでいない。


「ハルくん!」


 不意に後ろから声がした。


 渡り廊下の端の方から小金井が駆けてきていた。


「どうしたの?」


 小金井は息を切らせて言う。


「泉さんが!」


 僕は心臓を鷲摑みにされたような気分だった。


「由紀がどうした⁉︎」


 近江が小金井に言う。


「泉さんがいなくなったって」


「どういうこと?」


 僕が言うと小金井は続ける。


「先生が泉さん、昨日の夜から家に帰ってないって」


 どういうことかわからない。泉がどうしていなくなるのだ。


「何なんだよ。本当に」


 近江が吐き捨てるように言う。


 とにかく、泉を探し出さなければいけない。


 僕たちは授業開始の鐘の音も気にせず、昇降口で靴を履き替えて正門を出た。空は雲一つない快晴だった。


「手分けして探したほうがいいな」


 いつになく真剣な面持ちの近江が言った。


「そうね。私は学校の周辺を探してみる」


「俺は泉の家の近辺を当たってみるわ」


 僕も頷いた。


「僕は泉の行きそうなところをいくつか回ってみるよ」


 そうして僕たちは正門前で別れた。


 心臓は早鐘のように脈打っている。

僕はいくつかの場所を回った。小学校時代によく遊んでいた海岸、公園、どこにも泉の姿はなかった。


 近江にも連絡を取ってみたが手掛かりはないようだった。


 もう少し遠くまで調べてみようと僕は駅に向かった。


 駅前まで来た時、駅の前で佇む人の姿があった。自然と体に力が入る。


「またお前かよ」


 西海は鞄を片手にこちらを睨んでいた。


 今、絶対に会いたくない相手だったけど、今はそんなことを言っていられなかった。僕は意を決して西海に話しかけた。


「あの、泉、見なかった?」


「は? 誰だよ。そいつ」


 西海はこちらに詰め寄ってくる。


 僕は逃げ出したい気持ちをグッと堪えた。


「泉だよ。ショッピングモールの時に一緒にいた女子」


 僕が言うと西海は空を見上げ、数秒考えているようだった。


 そして、何かを思い出したのか声を出した。


「あー、あいつね。そいつが何だよ」


「家に帰ってないって……」


 西海はしばらく顎に手を当てて「あっ」と声を出した。


「昨日、教会で見たぞ」


 西海は何でもないように言った。


 でも、僕はどうして西海がそんなことを知っているのか疑問だった。しかし、そんなこと今はどうでもいいとも思った。


「ありがとう」


 僕はそのまま駅に向かった。


「おい!」


 しかし、西海は僕を呼び止める。


「お前、早瀬の話を聞いてくれたんだってな」


 西海は唐突に言った。


「何のこと?」


「いや、まあいいや。早瀬に俺が謝ってたって伝えといてくれ」


 西海はヒラヒラと手を振って駅とは反対の方向へ歩いていった。


 一体何が言いたかったのか僕にはわからなかった。とにかく僕はすぐに電車に乗り込んだ。

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