第6話
翌日、僕は体育館裏のコンクリートの段差に一人で座ってパンを
蓮見中学校のグラウンドの端には巨大な
今日の三限目後の休憩時間に泉がまた僕と近江の教室に来た。昨日に引き続き学食への誘いだった。僕は断ろうとしたのだけど、泉は返事を聞く前にさっさと教室を出て行ってしまった。
昼休み、僕は近江には図書館に最新の本が入荷したから行けないと適当な言い訳を残し早々に昼飯のパンを手に教室を出た。
二日連続学食というのはさすがに経済的に厳しかった。パンを持参して学食に行くという手もあったが、学食の席数は大変少なく何も注文していない人間がいると妙な視線を集める。図太い奴ならば気にしないのかもしれないが、そんな視線に耐えながら居座ることは僕にはできなかった。それに泉としても僕がいないほうがいろいろと都合がいいだろうと思えた。
僕は誰もいない場所を探して結局行き着いたのが体育館裏だった。
昼休みの校庭には人の気配がない。ただ風がやけに強く、校舎の合間をピューピューと音を立てて駆けていく。
惣菜パンに齧り付いて空を見上げる。視線を横にずらしていくとちょうど特別棟の二階辺りが見えた。理科室の窓は締め切られており、白いカーテンが邪魔をして中の様子は見られない。小金井はまたあそこにいるのかもしれない。
泉に言われた時は否定したけど、彼女のことは少なからず気になっていた。それは恋愛的な興味というよりももっと違うものだ。海で彼女が言ったこと、あれが本当ならもっとシーラカンスについて彼女と話してみたかった。しかし、彼女の近くには西海がいる。彼氏持ちの女子に近づくほどの気概も勇気も僕にはなかった。
そんなふうに考えていると校舎のほうから誰かが歩いてくるのが見えた。
「やっと見つけた」
風の音と共に声が聞こえた。高くてよく通る声。思考の中でも噂をすれば影が刺すらしかった。
そこには小金井がいてわずかに笑みを浮かべていた。
「一人?」
小金井は座っている僕の顔を覗き込んで言った。
今、体育館裏には僕と彼女しかいない。だから、僕に話しかけているのは明白だ。
しかし、なぜ彼女がここにいるのかわからない。
「な、何?」
小金井は眉根を寄せる。
「もしかして忘れてる?」
「いや、その……」
僕が顔を背けると彼女は僕の顔のあるほうに回り込む。
「曖昧な反応」
「いや、さすがに覚えてる、よ」
小金井の顔が目の前にあった。あまりに近かったので僕は思わず俯いてしまう。
「それで、何か用?」
やっと見つけたと言っていたが彼女が僕を探す理由が見当たらない。
「また今度って言ったでしょ? この前の話もっと聴きたいと思って」
彼女は僕の横にしゃがみ込んで言った。
僕が黙っていると彼女はこちらをじっと見つめる。
「わかるよね?」
彼女の顔が僕に近づいてくる。
そして、「シーラカンス」と彼女は囁いた。
彼女は目を爛々と輝かせており、目の中には僕の間抜けな顔が写っている。
「あれは……その」
何か言おうと口を動かそうとするが、かつての苦い記憶が蘇ってきて何を言えばいいかわからなくなる。
「君、好きなのよね? シーラカンス」
まるで誰かから聞いたような口ぶりだった。
小学校の同級生のほとんどが同じ中学に通っている。彼らは昔の僕をよく知っていた。今でも僕のことを妄想家だと
そんな話を小金井が聞いたのかと思うと気が重かった。
「誰が言ったの?」
こんな質問に意味がないと思いつつも訊かずにはいられなかった。
小金井は人差し指を顎に当てて視線を宙に漂わせる。
「えっと、君と同じクラスの、近江くん、だっけ?」
「はあ?」
思わず声が出た。近江? いつ聞いたのか。近江からは何も聞かされていない。そんな話があれば近江から何か一言あるはずだ。
「いつ⁉︎」
「さっきだけど」
「さっき?」
「そう。君の教室で」
「なんでそんなところで?」
「だから、君を探してたの」
小金井は笑顔になって言った。
「なんで?」
「だから、シーラカンスのこと聴かせてもらおうと思って。君、言ってたでしょ。シーラカンスを釣るって」
「それは、言ったけど……」
僕は何を言えばいいのかわからなくなる。
小金井はぽつりと呟いた。
「わたしも探してるのよ」
彼女はこちらを見ていた。その表情は先程のフランクな感じではなかった。瞳には鈍色の光が反射していた。
茶化して言っているわけではないらしかった。
「君はどうしてシーラカンスを釣ろうなんて思うの?」
彼女はまっすぐこちらを見ていた。
「僕は……」
祖母の顔が思い浮かんだ。
近江や泉以外に僕が同級生と話すことなんてほとんどなかった。そもそも僕は人のことをあまり信用していないし話すのも苦手だ。だから、言うのを
小金井は首を傾げる。顔には薄い笑みが張り付いている。
「祖母が信じてたから」
「おばあさま?」
彼女は指を組んで言う。蝋燭みたいな白い指が互いに交差しているのを見て僕は奇妙な生物みたいだなと思った。
「どうして、おばあさまは信じて──」
小金井の言葉は後ろから来た誰かの声にかき消された。
「早瀬」
振り返るとそこには赤茶色の髪と耳に無数のピアスをつけた男が立っていた。西海だった。
小金井は笑みを消して彼のほうを見た。
「司」
「なんでこんなところにいんだよ」
「別にいいでしょ」
西海は目を細める。
「で、そいつは?」
小金井は一瞬僕のほうを見て、すぐに西海に視線を戻した。
「この間、海で会ったの。私が溺れかけてたのを助けてくれて。だから、ちょっとお礼を、ね」
「溺れかけた? そんなん聞いてねぇぞ!」
西海は声を荒げた。
「ごめん。言ってなかった」
小金井の言葉を聞くと西海は額を押さえる。
「たくっ、次からはちゃんと言えよ」
「わかった」
小金井はばつが悪そうに頷いた。
「行こうぜ」
西海が言うと小金井は立ち上がる。
彼女は嘘を吐いた。あの日、溺れかけたのは僕で助けられたのも僕だった。
西海が踵を返したとき小金井は口元で人差し指を立てて笑った。
「また今度」
小金井は小さく手を振った。そして、すでに校舎のほうに歩き出していた西海の後を追う。僕はその背中を呆然と眺めていた。
校舎の影に二人が消える瞬間、西海と目が合った気がする。一瞬だったけど睨み付けるような鋭い視線だった。
やっぱり小金井とは関わらないほうが良さそうだ。
空を見上げると太陽には雲がかかり始めていた。
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