第1話 全てはここから間違えた

西暦2028年、ロシア連邦は首都モスクワのクレムリン宮殿。その一室にて、大統領はこう呟いた。


「そうだ、戦艦を建造しよう」


 大統領の呟きに、国防大臣は己の耳を疑った。


「…閣下、正気で御座いますか?」


「何を言っているのかね、私は正気だとも。でなければ、どうして我が国はこうして平和を手に入れると思うのかね?」


 彼の言う通り、大統領は真面目に職務に取り組み、前大統領の負債の完済を半ば成し遂げていた。


 全てが無に帰す直前であったウクライナ侵攻が、前大統領の辞任と、国防省及び連邦軍司令部の上層部の総辞職によって終結を迎えた後。軍の穏健派であり、戦後に退役して出馬した大統領は、内戦等でガタガタとなった祖国の立て直しに奮起していた。


 まず、手始めに行ったのは軍縮である。旧ソ連の悪しき遺物の始末こそが再建のヒントだと考えた彼は、西側諸国からの信頼を回復させる事も目的として、核兵器の作減に取り組んだ。これはベラルーシに亡命した民間軍事会社が、核兵器を盗む可能性もあった事を考慮しての対策でもあった。


 続いて取り組んだのは、各地で死蔵されていた陸軍装備の管理見直しである。共食い整備等で使い物にならなくなっていた装備の廃棄処分は膨大な費用が掛かる事が予想されたため、経済関連の協定を用いて西側諸国からの協力を得た。見栄などウクライナ相手に惨敗した時点で張れる筈も無い事を彼は理解していた。


 続いて核兵器の削減に伴い、デルタ型戦略原潜8隻とオスカー2型ミサイル原潜7隻、ヴィクター3型原潜3隻の退役を発表。これには古巣である海軍から文句が出たが、その代わりボレイ型戦略原潜とヤーセン型原潜で更新すると約束する事で怒りを収めていた。


 そして、石油や天然ガス、各種地下資源の安売りやそれに関連する、不平等条約にも等しい屈辱的な取り決めにより、西側諸国の企業再進出が許される状態を作り出す事に成功。若者からは『資本主義の豊かな暮らしを取り戻した』『本来あるべき豊かさをロシアにもたらした』として高い支持を得ていた。


 だが、大統領は大国としてのロシア復活を諦めてはいなかった。既に日本に範を取り、『国産半導体の開発・生産』を主目的とした国営企業の設立や、軍需に偏りがちであった産業構造の改革など、ウクライナ侵攻にて顕となったロシアの弱みの改善に取り組んだ。万が一、経済制裁が再び行われたとしても耐えられる様な国にしなければ、アメリカは勿論の事、今のところは関係が良い中国からも侮られる事になるからだ。


 そうして将来も見据えた国家運営を行っている指導者だからこそ、彼の呟きは正気を逸した様に見られるのである。


「お言葉ですが大統領閣下、現在の我が軍の状態をご存知でしょうか?軍は陸軍を中心に、再建と装備の更新を進めているのです」


「分かっているとも。その大まかな計画を立てたのは私なのだからな」


 先の侵攻で最もダメージを負った陸軍は、幾つかの旅団を解体した上で、新たに三つの師団を編成。6個師団42個旅団で国土を守る形となっていた。中でもモスクワ近郊に拠点を置く独立親衛第1自動車化狙撃師団は、民間軍事会社の反乱を反省して設置された部隊であり、西側からの半導体含む部品の輸入再開に伴って生産再開されたT-90M戦車や、部隊単位で調達されたばかりのT-14〈アルマータ〉戦車が優先的に配備されている。


 続いて航空宇宙軍は、保有していた機体の多くをウクライナやポーランドへ売却しており、その分浮いた費用と、資源輸出で得られた利益でSu-57戦闘機の配備に使用。何とか質的向上を目指していた。


「そして海軍であるが、ソブレメンヌイ級駆逐艦の全艦退役と、潜水艦の保有数作減により、数こそ減ったものの新型へ更新する余裕は得た。だが、新型艦へ更新するだけでは得られないものがある。それは威信だ」


「威信…?」


 連邦軍司令官は首を傾げる。大統領は続ける。


「将来のロシア海軍の主役は、警備艦や対潜艦を祖とするフリゲートに、新型の潜水艦となるのは私も承知だ。だが、小粒揃いの核弾頭で威張る事しか出来ぬ艦隊など、余りにも見栄えが悪い。さらに核を使わない戦争では、誘導ロケットのみでの戦闘も含めて費用対効果が悪すぎる」


 半導体の輸入停止で、ミサイルの生産が覚束なくなったトラウマもあるのだろうか、何故か火砲に信頼を寄せている様な雰囲気を出す大統領に、一同は不安を覚える。


「そして、首都の名を冠した巡洋艦「モスクワ」は沈んだ。ダメージコントロールの不備以外にも、彼の艦には直接的な防御力が無かった。もし堅牢な装甲があれば、無傷とまでは行かずとも生き延びる事は出来た筈である」


 大統領の親友の一人が、彼の「モスクワ」に乗っていた事を知る海軍司令官は、大統領が何故こんな事を言い始めたのかを察する。彼の独演は続く。


「そして私が密かに敬愛していたフルシチョフは、海軍の使い方を誤った。普段目にはつかない潜水艦と、普段から見せびらかしてはならない核兵器のみで、如何にしてアメリカと渡り合えると思えたのか。キューバ危機でいらぬ緊張をもたらしたのは、密かに核魚雷を抱えて大西洋に踏み入れた潜水艦ではないか」


「…すなわち、閣下は何を求めておられるのですか?」


「海軍の物理的な威信としての戦艦だよ、君。イマの戦争には役に立たずとも、我が国の建造能力を示すには好機であるし、それに制空権が万全なれば、洋上から沿岸部の敵を叩き潰す事が出来る。かつてスターリンの果たせなかった浪漫を果たした上で、海軍は近代的な外洋艦隊へと進化出来るのである」


 最早説明が支離滅裂である。とはいえ、ミサイルの使い方で他国からいらぬ警戒を持たれている現状、分かりやすい打撃力を持つことは割と良いパワープレゼンスになるとも思えた。何せ、核兵器はおろか、イスカンデル巡航ミサイルやキンジャール巡航ミサイルの保有数も作減しており、ミサイルで隣国へ圧力を掛ける事が難しくなっているからである。


 そして何より、この場に集う全員が、戦争で幾分か心を病んでいた。現代で軍事大国としての見栄を張るのに使える核兵器とミサイルが減った今、誰しもが『これぞ力』と呼べる様なモニュメントを求めていたのである。


 斯くして、臨時予算によって『沿岸制圧型砲艦』の建造が承認。サンクトペテルブルクのオルジョニキーゼ工廠での建造が開始されようとしていた。

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