戦火の灯

@kai569

潰走

  世界暦396年、春乃宮皇国はフューツェンラ―王国へ、マルフォース永世中立国への外交的政治干渉を理由に進軍を開始した。


 皇国は甘く見ていた、といえばそれまでだろう。実際、私も、誰もかれもが、この戦争はすぐに終わるものだと考えていた。軍事的に十年は後ろにいる後進国家に苦戦を強いられるなど、誰も考えてはいなかったのだ。


 だからこそ、開戦初頭に皇国は打撃を受けたのだ。


 


 


 


 


 


 寒い。今は冬の真っただ中だからだ。底冷えする寒さに身を震わせながら、肩にかけている29式歩兵銃をぐっと握りしめる。


 華山ミズキははゆっくりと空を見上げた。随分と曇っている。加えてこの寒さならば、恐らくすぐにでも雪が降るだろう。そうなれば―――どうなるだろう。ああ糞。頭が痛くなってきた。考えるのはやめにしよう。


 真っ白な雪化粧が施された野路を彼ら第308師団は進んでいた。その体たらくは到底戦争をしている兵士には見えぬものである。はっきり言ってしまえば、怠けきっているのである。銃を持ち、駄弁りながら縦列行進している彼らの姿は、近年よく見る風刺絵のそれによく似ていた。


 


「こりゃあ、何というか、何というかだな」


 


 隣にいた小隊長―――幼年学校時代からの友人だ―――春山カツキが首の骨を鳴らしながら言葉を発した。彼の言いたい事は分かる。仮にも戦争をしている兵士の態度ではない。こんな士気で、戦闘をするともなれば我軍の敗北は決定的だと、恐らくそう言いたいのだ。


 


「舐め腐ってるんだ。敵を」


 


 舐め腐っている。きっと、この態度は変わらない。上層部は違うだろうが、こういった現場の人間が、上層部の思う100%の性能を引き出せなければ戦争は負ける。


 次の大休止まであと幾らだろう―――そう思って、懐中時計を懐から取り出した。輝きを失った金色の懐中時計は、その年季を感じさせる。所々の錆を無視して時刻を確認すると、丁度午後四時を指していた。


 ふと、特に何の意図もなく上空を見上げた。そこには雲によって覆われた灰色の空しかなかった。だが、遠くのほうに明らかな異物を見た。


 目を凝らしてそれを見る。


 あれは龍だ。赤龍―――レッドドラゴン。ただ一匹の孤独なドラゴンは、華山の警戒心を最大限引き出した。


 すぐさま遥か前方の大隊長の元へ駆ける。赤龍レッドドラゴン。赤龍は基本的に温暖な地域から温暖な地域へ、渡り鳥のように飛び続ける。そして、赤龍は群れる。おおよそ20匹前後で群れを成し、群れで狩りを行う。


 それが一匹。しかも、この底冷えするような季節に。敵の龍兵なのは十中八九当たっていた。


 


「大隊長! 赤龍です! 対空魔導兵に警戒を!」


「こちらでも確認している。だが、別に警戒させるほどのものではないだろう。一匹だぞ?」


「何を言われるんですか! あれは十中八九敵の斥候です! 一瞬の判断が師団を生かすか殺すかにつながるんですよ!?」


「あのなぁ、時にはその過大評価も重要だが、よく考えてみろ。フューツェンラーの蛮族どもは、軍事的に我々の十年は後ろにいる後進国家だぞ? アレ一匹が襲ったところで、師団火力で潰せる。慌てるものではないだろう」


 


 開いた口が塞がらないとはこの事なのか。あれに乗っているのが通信魔導兵だったならば、直ぐにでも赤龍の大群が押し寄せるだろう。大隊長は、それを分かっていない。


 侮蔑と呆れ、そして怒りの感情を胸中に、中隊の元へ駆ける。今すぐにでも戻らねばならぬ。そして警戒態勢を敷くのだ。


 縦列で行軍している師団は、上空の連中にしてみればただの的だ。縦に長く伸びた兵は、赤龍の摂氏数百度と呼ばれる炎で直ぐにでも焼き払われるだろう。


 急がなければ。そう考え、走っている正にその時に背後から大声が聞こえてきた。


 


「赤龍だ! 敵襲――――――ッ!」


 


 遅かった。遅すぎたのだ。何もかも遅すぎた。


 途端に、背後から熱気が迫るのを感じた。それは華山を焼くことはなかったが、そばにいた見知らぬ兵を焼き殺した。


 家族の名を叫ぶ者、恋人の名を叫ぶ者、或いは生への執着を叫ぶ者の声が背後から聞こえる。背後の兵たちは真っ赤な炎に身を包みながら、ばたばたと倒れ始めた。


 畜生。畜生めが。結局俺もそうだったのか。俺も奴らを舐め腐っていたのか。


 


「中隊! 対空形態で戦闘隊形をとれ! 敵の歩兵もすぐに来る、方陣を敷くんだ!」


 


 大声を張り上げて指示を飛ばす。対空魔導兵がその歩兵銃から、青白い煙のような光弾を空へ向けて放ち始めた。


 次いで、重い砲声と歩兵銃の物と思われる銃声が一斉に鳴り響いた。敵だ。敵が来たのだ。


 囲まれている―――包囲されている。これでは方陣を敷いたところで役に立たない。


 


「くそったれ………中隊! 誰でもいい、聞こえる者は後ろに逃げろ! 包囲されるぞ!」


 


 それを聞いて周囲の兵士が一斉に走り出す。目指すのは数分前に出てきた森。一先ずははそこまで逃げねばならない。


 森の中ならば、龍兵の捜索も木々に邪魔されるし、あの森は随分とうっそうとしているから、敵に対して伏撃―――待ち伏せもできるはずだ。


 ぐっ、と極短いうめき声を上げて、目の前にいた兵士が視界から消える。


 龍だ。赤龍に啄まれたのだ。ただ何もなく後ろを見た。


 


 そこには、銃剣で敵に殺される兵士がいた。そこには、生きたまま赤龍に腸を喰われる兵士がいた。


 そこには、地獄が満ち溢れていた。


 


 唐突に激しい吐き気に襲われる。だがまだだ。まだ吐いてはいけないのだ。


 


 


 ただぶるぶると震えている指先に気付かぬふりをしながら、華山ミズキは前方の森へと走った。


 


 


 


 


 世界暦396年12月8日 16:00 春乃宮皇国第308師団、師団としての抵抗能力を失う。


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