作家の堂々巡り
森本 晃次
第1話 喫茶店にて
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。ご了承願います。
深川敦子は今年で二十五歳になる。平凡なOLだった。大学時代は作家を目指して、地元の大学の文学部に入学したのだが、大学三年生の時に山田大輔という人の小説を目にして、とても自分のできる仕事ではないと思い、断念した。
山田大輔という作家はミステリー作家で、二十年くらい前から地道に作家活動を行ってきて、やっとここ数年でベストセラー作家の仲間入りした下積み作家の一人だった。
彼の作品が注目を浴びたのは数年前に発表した作品がヒットしたわけではなく、デビュー当時の作品が今になって売れてきたからである。当時は誰も振り向かなかった作品を今になって皆が注目するというのは面白いもので、彼のことを、
「先遣の明のある作家」
として評論家も揃って称えるようになった。
本当に勝手なものであるが、世の中とはそんなものであり、逆に地道い努力していれば、後になってから評価を受けることもあるという意味で、多くの作家の目標ともされるような作家になっていた。
敦子が彼の作品に傾倒し、自分が作家を目指すことを断念させた作品も過去の作品で、
「目からうろこが落ちた」
というのは、まさにそのことであろう。
敦子は山田大輔の作品を、過去の作品と現在の作品を交互に読むようにしていた。過去作品を一冊読んだら次は最近の作品を読む。そんな毎日を最近始めたのだ。
敦子は作家を諦めてからしばらくは本を読むことをやめていた。確かに作品は素晴らしいものなのだが、さすがに自分に作家への夢を断念させたものだけに、ずっと読み続けるというのは精神的にきついものがあり、そうできることではなかった。作家を諦めてから一年以上、本を読むことさえしなくなり、文学部での大学生活は、単位を取って卒業するだけに目的は絞られてしまった。
それでも成績は悪い方ではなかったので、就職活動にそれほど気合を入れていたわけでもなかったが、地元大手の会社に就職することができた。事務員としての仕事ではあったが、嫌ということもなければ、やりがいがあるわけでもない。平凡な毎日を過ごしているだけだった。
さすがにその頃になると、自分が作家を目指していた頃の気分も忘れてしまっていて、本を読むことに対しての抵抗もなくなっていた。ミステリー好きの敦子は最近の小説を少しずつ読むようになっていき、毎日の平凡な暮らしの中で読書というのが、一つのインパクトになり、趣味と言ってもいいくらいになっていた。
小説を読んでいると、何が一番楽しいかというと、
「集中できること」
であった。
集中できるということは、その日に何か嫌なことがあっても、本を読んでいる間は忘れることができ、平凡でしかなかった毎日の暮らしを一時でも忘れることを許された特別な時間という認識を与えてくれたのだ。
ミステリーというと、トリックや奇想天外なストーリー展開のような華々しい内容のものもあれば、社会派小説のように、人間と組織の関係という少しドロドロしたものもある。敦子はトリックや奇想天外なストーリーに重きを置いた作品が好きで、時々そんな自分のことを、
「ミーハーではないか」
と思うこともあったが、小説に関してはそれでもいいと思っていた。
小説の内容が奇想天外であり、非日常的な部分が表に出ている作品であれば、作品にミーハーさはないという勝手な理論だった。
敦子はそんなミステリーに、ホラーやオカルト性も感じ、ミステリーの派生として、ホラー小説も読むようになった。もっともそれはミステリーに則ったホラーという意味であり、サイコホラーなどのようなものとは違うと思っている。その流れからSFも読むようになったが、それは超自然的という意味でのオカルトから派生したものが、奇想天外なストーリーであり、SF小説だと思ったからだ。
実は山田大輔も最近ではSF小説やホラー関係の小説も書くようになっていた。それは元々のミステリーがトリックた奇想天外なストーリー性を主とした作品を書き続けていた彼の作風からすれば、当然ともいえる転換ではないかと敦子は思った。
「さすが山田大輔の作品だわ」
と思った。
そもそもまた山田大輔の作品に戻ってきたのは、他の人のミステリーから派生してSFやホラーに走り、そこから山田大輔の作品に辿り着いた。山田大輔がSFやホラーを書いていたことは知っていたが、ミステリーしか読んだことのなかった大学時代の敦子には、その頃の著作として描かれていたSFやホラー作品に目がいかなかったのも無理もないことであろう。
「そういえば、私が読むのをやめる少し前の山田大輔のミステリーには、描写にリアルなところがあったような気がする」
と思っていた。
その理由が今分かったような気がする。
「ホラーやオカルト小説を描くようになって、ミステリーの描写にもホラーで描くようなリアルな描写が取り込まれるようになったんじゃないかしら? それも意識的にというよりも無意識になのかも知れない」
と、敦子は感じていた。
SFとホラーはそれぞれに共通点もあれば距離もあるジャンルだと思っているが、それをミステリーという「媒体」を途中に挟んでしまうと、距離があるとしか思えなくなってしまう。
それはリアルという医院で一目瞭然で、SFというのは、元々架空の話だということが前提なので、いくらリアルに思える書き方をしても、リアルに感じることはできない。しかしホラーやオカルトというのは、人間の中にあるものではあるが、表に出すことをまるでタブーとして表に出さないようにしていることを敢えて表に出そうとしているものだとすれば、ホラー、オカルトの本質は、
「リアルへの追求だ」
と言ってもいいのではないかと思える。
敦子がその理論に達したのは、ミステリーから入ったからであって、しかもその題材が山田大輔の作品だということに他ならない。そのどちらが欠けていたとしても、この理論には決して行き着くおkとはなかっただろうと敦子は感じていた。
初めて山田大輔のミステリーを読んだ時、
「こんな小説があるなんて」
と感動した。
その小説はトリックが画期的だということで推理小説界でも一、二を争う賞に輝いた作品で、評論家はこぞってそのトリックの画期的なことを褒めちぎった。
しかし、敦子はその小説を何度も読み返した結果感じたことは、
「この作品の素晴らしさはトリックの画期的さにあるのではなく、その裏に隠された因縁にあるのだ」
と感じるようになった。
その小説のトリックは、いわゆる、
「密室トリック」
であり、機械的なトリックで密室としたのだが、重要なのはそこではなかった。
この密室は犯人にとって、やむ負えない密室であり、本当は密室にしない方が本当の完全犯罪だったのだ。なまじ密室に仕立て上げられたためにそこから足が付いたと言っておお過言ではない。そこを言及する評論家はいなかった。
小説の中で山田大輔はその謎解きの中で、そのことを言及している。それなのに評論家が何も書かないのは実に不思議なことだった。
またこの小説でさらに魅力的だったのは、トリックばかりが表に出てきてしまって、小説の本当の「言いたいこと」が影に隠れているということであった。
本当に作家が言いたいのは動機の面だった。小説内で、
「トリックを解いても、事件は解決していない」
と探偵が言っていたが、まさにその通りだった。
トリックを解くことで犯人が誰かは分かったが、その動機やその背景にあるものは何も分からなかった。確かにこの話はトリックや奇想天外なストーリー展開という意味ではkぁんぺ期であるが、その裏に隠された本来であれば一番言いたいことを読者が分かっているかそうか疑問であった。
実際に敦子は、
「この事件の動機が一番重要だということを、本当に読者に知ってもらいたいという意識があるのだろうか?」
と思ったほどだ。
敦子も何度も読み返してやっとその意図を理解することができた。つまりは、作家としても、
「何度も読み返さないと、この作品は分からないんだ」
ということを読者に考えさせるという意味で、一種の読者への挑戦と言ってもいい作品だったのではないかと敦子は思っている。
山田大輔という作家は、そういう作品を世に送り出してきた作家なのだ。確かにこれ以上の作品は今までの彼の作品の中にはない。他の人の作品を見渡してみても、この作品に匹敵するようなものは、ほとんど見当たらないように思える。
敦子はその作品を読むことで、これまで小説を避けてきたことに少し後悔を感じていた。最近の敦子は、小説を書くことを別に職業にしなくてもいいのではないかと思うようになった。要するに趣味でもいいという考えだった。
あれはいつ頃のことだっただろうか。今から五年ほど前のことなので、大学三年生の頃だっただろう。すでに作家への夢を諦めかけていた頃だったので、もし作家を諦めていなくてもそのことのおかげで作家への夢を諦めることになっていたのではないかとも思っている。
小説家へのデビューというのは、いくつかのパターンがある。当初は一番ポピュラーなのは、出版社系の新人賞や文学賞の公募に原稿を送り、審査を受けるというやり方。そして同人誌などの活動を通して人の目に触れるというやり方。さらには、直接出版社に原稿を持ち込むというやり方だ。
出版社の編集者に対して原稿を直接持って行っても、以前はまず見られることはない。毎日いくつもの原稿が持ち込まれ、編集者としてもそれを一つ一つ読み込むことなど、実質的には不可能だった。普段から自分の担当作家も抱えているうえで、余分な仕事を増やすようなことはしたくないんだろう。持ち込まれた原稿は、本人の目の前で少しだけ読んで、
「後は読んでおきます」
と言って、本人が帰った後には、そのままゴミ箱行きというのが当たり前のことであった。
そんな事情も原稿を持ってくる人たちの間でも知られるようになり、無名作家がデビューするには登竜門と言われる文学新人賞を受賞するしかないような状況であった。
だが、今から十年くらい前であっただろうか、新種の出版社が登場した。いわゆる、
「自費出版社系」
と言われる業種で、
最初は主に持ち込みの人を対象に細々とやっていたようだった。
「本にしたい原稿をお送りください。批評をしてお返しします。出版社が見ていいと思った作品は、出版社より企画出版を行います」
という触れ込みだった。
つまりは、作品は必ず読んでくれてそれに対しての批評もしてくれる。試しに送ってみると、丁寧に批評を書いてくれて返してくれた。
何が新鮮かというと、批評の中には、いいところ以外に悪いところも書いてある。作家のプライドを傷つけない程度に批評してくれているので、信用できると思うのだ。いいことばかりしか書いていないと、嬉しいとは思うが批評としては中途半端でどうにも信用できないと思えてくるだろう。そういう意味で出版社側も巧みで、作家としても出版社に信頼を置くようになる。
そのうちに出版社の方から、作品を共同で出版しないかと言ってくる。要するに費用を分担で本を作ろうというやり方だ。
その頃になると、出版社の方も自社の中で「コンテスト」をいくつか開催するようになる。
出版社系の新人賞というのは、応募しても、入選作品が発表されるだけで、せめて途中の中間発表に残るかどうかが分かるくらいで、作品に対しての評価はまったくないのが実情だ。
しかし、自費出版社系のコンテストでは、どんなに応募作品が多くても、作品一つ一つに対して批評を施して返すようにしている。もちろん、その作品を出版するかどうか、ランクをつけて見積もりを一緒に送り返しているのだが、作家の方とすれば、その批評がありがたかったりする。だから出版社系の新人賞への応募件数に比べて、自費出版社系の応募の方が数倍、いや、十数倍という単位で多かったりする。その作品を一つ一つ批評して送り返すのだから、相当な労力を要しているということで、素人作家の方も、出版社の努力に対して、一定の評価と多大な信用を寄せるようになるのだ。
実に巧みに作家心理を読んだやり方だった。敦子の大学での友達の中にも、応募作品をせっせと作り、応募している人が少なくもなかった。実は敦子も大学時代、作家を目指していた時、何を隠そう、何度か作品を送ったこともあった。だから、他の作家の気持ちもよく分かったし、自費出版社系の会社の考え方もよく分かるのだ。
まるで、
「時の寵児」
とでもいえるような会社が隆盛を極めた時期は、実に短かった。
五年もすれば、世間から忘れ去られるほどの短さだったような気がする。
似たような会社はいくつもあり、まず問題になった会社は顧客に対しては積極的なアプローチで、マスコミも今風の顧客向上志向の会社ということで、話題にしていた。
客に対しても当然に好印象で、本を出すにあたってのアプローチもしっかりとしていたようだ。
ただ問題はそこではなかった。出版社の言い分としては、
「本を出せば、一定期間有名書店の店舗に並べます」
ということを触れ込みにしていた。
しかし、これは冷静に考えれば無理なことは分かりそうなものだった。
毎日のように本を出す人はたくさんいて、有名出版社からも当然いる。その中には名前の通った作家もたくさんいるわけで、当然売れるのは著名な作家である。本屋としても有名作家の本を全面に打ち出して、コーナーを作って売り出しに躍起になるだろう。そうなると無名な新人作家で、しかも最近聞くようになっただけの出版社からの新刊など、どの本屋が棚を作るというのだろう。実際に本屋に行っても、自分のところの出版社の棚すらない状況だ。
万が一、どこかの隅にポツリと置いたとしても、一日二日もすれば、他の新人が出てくるのだ。置かれた自分の本は返品されるだけのことである。
自費出版社系の経営は、いわゆる自転車操業と言われるものである。つまりは本を作ろうとする作家が増えなければ経営が立ち行かなくなるのは当たり前のことだった。
お金がかかっていると思われるのは宣伝費と人件費であろう。毎日の新聞や雑誌に、
「本を出しませんか?」
という触れ込みの広告を入れ、いかにたくさんの人の目に触れさせ、そして頻繁に宣伝していることをアピールすることで自分たちの業界が、今が旬であるということを最大限に宣伝する。
そして人件費としては、まず原稿を送ってくれた人の作品を読んで、それに対して批評をして返す人がいる。批評ができるくらいなので、それなりに執筆や評論に関しての知識と能力を有していないと無理な仕事だ。さらに本を出そうとする人のために、それをフォローする人がいる。他の出版社にもいる編集担当者という人である。これは有名出版社であっても自費出版系の会社であっても同じことで、これも一定の能力を必要とする。
そうなると、人件費を必要とする社員は、そのすべてに専門知識が必要であり、人件費も高揚するのも当然ではないだろうか。
さらに、本を作るにもお金がかかる。この部分に関しては本を出したいと思っている人たちに共同出版(出版社によって呼び名は異なる)を呼びかけているのだから、少しはG費用が少なくても済む。しかし、本を作ってしまってから、本屋に置こうとするなら、それにもお金がかかるというものだ。実際に置かれるかどうかは別にしてである。
そしてもう一つの問題は、毎日のようにたくさんの人の本を千部単位で作製している。それらの本を少しは著者に与えるとしても、残りのほとんどは本屋で流通させるわけでもなくどこに持っていくこともできず、倉庫で眠らせることになる。莫大な量の在庫を抱えて、それが毎日増え続けるのである。在庫を持つための倉庫を確保するためにも莫大な費用が掛かることになる、
他にもたくさん費用が掛かることもあるだろうが、ここに並べただけでも本当に莫大な費用が掛かることが分かるのだが、その費用を捻出するためには、収入としての本を作ろうとする人の数を増やして、共同出版という形で費用を出させるしかないというのが、この業界の一般的な考え方であろう。
これが問題になったのは、実際に本をこれらの会社から出版した人が、
「自分の本が約束したような本屋に並んだことがない」
と言い出し、数人が連名で訴訟を起こしたことから始まった。
この業界は信用第一である。実際の今の顧客に対しての信用ではなく、宣伝をして集まってくるであろう、これまでまったく知らなかった新規の相手が信用してくれるかどうかが問題だ。
訴えられた会社でわざわざお金を払ってまで本を出そうとするだろうか?
詳しい事情を知ることもなく、もっとも知っていればなおさらのことなのだろうが、まったくまっさらな知識の中で、
「訴えられた会社」
を信用する人などいないだろう。
当然、応募原稿も減ってくる。応募する人はいても、本を出すことへの抵抗はかなりのものである。一気に収入は減り、支出する費用だけはそのままである。在庫が減るわけではなく増え続けるのだから、それも仕方のないことだろう。
そのためにすぐに経営が行き詰まってしまい、裁判所に民事再生法の適用を願い出たが、再生のための条件が揃わず、最終的には破産ということになった。
最初に破産する出版社が出ると、あとはドミノ現象だった。似たような業種の会社は、まるでデジャブを見ているかのように、まったく同じ末路を描く。
破産した時点で本を作製中だった人は大変だ。お金を支払ってしまった人には、お金は返ってこない。本も出版されないという踏んだり蹴ったりの状況となった。
そんな社会問題が起こったことで、その後、いわゆる
「出版不要」
という言葉が流行するようになった。
活字の本にはお金がかかり、さらにそれに対しての維持費などが莫大であり、割に合わないことが露呈してしまった。
さらには、ネットやスマホなどのタブレット端末の普及により、手軽に本が読めるようになった。つまり製本の時代から、ネット出版の時代に移行してきたというべきであろうか。
そんなこともあり、最近はネットの中でのアマチュア作家というのが増えてきた。
SNSなどという交流サイトが増えたことや、アマチュア作家がお金を掛けずに自分の書いた小説を公開できるということで話題になってきた。
自費出版社系のブームはあまりにも短かったが、一部の人たちの間で時代に衝撃を与えたのは事実だった。
実際に小説を書きたいと思っていた人がこの事件で小説を書くのをやめたという人もかなりいただろう。
元々小説執筆などという高貴な趣味を持っている人は、趣味としては少数派だったのだろうが、今から三十年くらい前にバブルが弾けてから、どんどん増えてきたのも事実だった。
主婦や、それまで会社での仕事ばかりに没頭していて、いきなりリストラを言い渡されたり、給料とともに仕事の量が一気に減ったりして、
「お金はないが、暇だけはたくさんある」
という人が増えていった。
リストラされた人が他の仕事に落ち着いたりすると、余暇を楽しむというのが、それ以降の生き方に変わってきたのだ。
そんな時、
「お金を掛けずにできる趣味」
というのが注目され始めた。
そういう意味では、小説執筆というのは、うってつけだったのではないだろうか。小説を書くというのは、書くにあたって、何か高価なものが必要ではない。筆記用具かパソコンがあればそれだけでできるのだ。これほどお金のかからない趣味はないだろう。
しかも、小説の執筆はある意味何でもありである。自分で書いて楽しむ分には、思っていることを書けばいいのだ。公開さえしなければ、自分が思っている不満であったり、ストレスをぶつけることもできる。嫌いな人を文章の中で抹殺することだってできるのだ。
また、自分が上達したと思えば、賞に応募してチャレンジもできる。あわやくばプロデビューという夢を持つこともできる。そんなアマチュア作家の心理を巧みに利用したのが自費出版系の会社だったのだが、バブルが弾けた当初の趣味としてはこれほどいいものはなかっただろう。
そういう意味で小説執筆という趣味は一般的になっていった。人に言わないまでも影で書き続けていた人はたくさんいるだろう。
敦子も、小説を書くのを趣味としていて、最初の頃は、
「小説を書いているなんていうと恥ずかしい」
と思って誰にも言わなかった。
「見せて」
と言われるに決まっていたからだ。
高校生の頃は、人に見せるほどのものではないと思っていたし、人から少しでも気になることを言われると、すぐに傷ついてしまうという性格だと自覚していたこともあった。
それでも大学を意識した時、このまま小説を書くことをやめることはないという思いから、文学部を目指した。
小説でなくとも何かを書くということが好きだったのだから、文学部への入学は決して悪い方に転ぶことはないと思っていた。上手な文章を書けるに越したことはないと思ったからだ。
中学時代から読んでいたミステリー小説で文章に触れることを覚え、そのうちに、
――自分でも書いてみたい――
と思うようになると、高校時代は小説を書くのも結構楽しかったように思う。
今から思えば、中学時代に本をよく読んで、高校時代になって書くようになったあの頃が、
――今までの中で一番楽しかった時期だったのではないか――
と感じていた。
敦子は、二十五歳になった今では、大学時代に作家になりたかったという意識があったということもほとんど忘れかけていた。
「なりたかった」
という意識は残っているのだが、それが頭で感じている意識なのかが自分でも分からなくなっている。
もうすぐこの感覚もなくなってしまうという思いを抱いていたが、今は何も目標のない自分を寂しく感じることもあり、たまに何を考えているのか自分でも分からなくなっていることが結構あった。
「何、ボーっとしているのよ」
と、同僚の女子社員に言われることもあり、我に返ったその時にも、
――私はその時、無意識だったんだ――
と、無意識だったということがまるでウソのように思えてくるから不思議だった。
いきなり何かが起こる時というのは、その時には分からないものではあるが、実際に起こってからその事実をまわりから聞かされた時、
――何か予感めいたことがあったような気がする――
という思いに駆られることが往々にしてあるようだ。
最近、自分が作家になりたかったことを久しく思い出すこともなかったのに、何がきっかけになるか分からない。そのきっかけのおかげで忘れていた何かを思い出すということもあるようで、敦子はそれが実際に自分に起こったことのように考えていたが、そのせいでしばらくの間、それが何を指していたのか分からなかった。
――人の意識っておかしなものだわ――
と思わせたが、敦子にはその時まだ何も分かっていなかったのだ。
敦子は、あまりいろいろなことを普段から考えることのなかったタイプで、ある意味、いつも何を考えているのか分からないとまわりから見られていた。それは何かを考えてボーっとしている人とよく似ていて、それを見分けるのはきっと難しかったことだろう。
敦子のことを、
「いつも何かを考えているように見える」
という人もいれば、
「いつもボーっとしている」
という人もいる。
仲がいい人は、一律に後者の方をいい、あまり知らない人には前者のように思っている人が多いようだった。
「相手が、何を考えているか分からない」
と言っている人のほとんどは、
「この人は絶えず何かを考えている」
と思っているのではないかと敦子は考えていた。
だが、その思いは本当であろうか?
敦子は今まで、自分が人よりも劣っていると考えることが多かった。だからいつも人を見上げるようにしていたが、そのせいか、まわりもいつも自分を見下しているかのように思っていた。自虐的とまではいかないが、高校生の頃までは少なくともいつも何かを考えていた。
そして他の人から影で、
「あの子は何を考えているか分からない」
と言われていたことも分かっている。
しかし、それはそれでいいと思っている。何を考えているのか分からないと思わせている方が、人に不気味な印象を与え、余計なちょっかいを掛けてこないと思ったからだ。
小学生の頃、謂われなく苛めに遭っていたのだが、その時いつも、
――放っておいてほしい――
と思っているのに、どうして皆がちょっかいを出してくるのか分からなかった。
だが、いつも何かを考えていないと怖いという思いがあった。その考えることというのも、まわりに対して考えるということではなく、自分に対して考えるだけで、しかも、自分を客観的に見るわけではなかった。自分の殻に閉じこもっているだけだったのだ。
それでも実際には客観的に見ていたのであって、それを自覚することなく殻に閉じこもっているだけだと思っていた。それが違うと感じたのは高校生になってからで、逆に自分が客観的にしか見ることができない人間だというそれまでと極端に違う考えを持つようになった。その頃から「客観的」という言葉が、敦子の中で一種のトラウマのようになったのである。
山田大輔の小説を読んで衝撃を受けるきっかけになったのが、敦子は交通事故に遭った時のことだった。それまで車が飛び出してくるなど想像もしていなかったので、あっと思った瞬間があったのかどうかすら、しばらくは思い出せないでいた。
あれは久しぶりに早めに目が覚めた時のことだった。いつもよりも一時間ほど早く目が覚めたため、もう一度練るにも中途半端な時間だった。こんな時間に目覚めたことのない敦子だったが、目覚めはそれほど悪かったわけではない。むしろ普段の時間にアラームで目を覚ますよりも快適だったと言ってもいいくらいだ。
それでもすぐに布団から出る気はしなかった。その日は少し寒さも感じたし、布団の中の居心地がこれほどいいものだと思ったことも久しぶりだったからだ。徐々に目が覚めていく感覚と違って一気に目が覚める日というのは夢を見たわけではないと思っていたはずなのに、なぜかその日は夢から覚めてすぐのような気がしていた。
――いや、まだ夢の中なのかも知れないわ――
と思うほど心地よかった。
気分的にはスッキリしているのに気分のよさのせいで、まだ夢見心地だというのも微妙な感覚だった。
いつも決まった時間に目を覚まし、決まった時間に出ていくので、朝の時間というのは、いつも行動は決まっていた。朝の時間を家で過ごしている間には重要な役割があった。それは完全に目を覚ますということである。いや、言い方を変えれば、
「安全に目を覚ます」
と言ってもいいだろう。
決まった行動で目を覚まさなければ、目覚めが中途半端になってしまい、その日一日がすべて中途半端に終わってしまう気がするからだ。
敦子はまだ二十五歳なので、一日一日をそこまで重要だと思っているわけではない。その日一日が無事に済みさえすれば、何も新たな出来事がなくても、
「明日に期待しよう」
と思えるからだった。
しかし、その日一日が中途半端に終わってしまったと感じた時は、何かムズムズとした気持ち悪い感覚が残ってしまい、一日を無為に過ごしてしまったことへの後悔が襲ってくるのを感じるのだった。
その日の目覚めはいつもと違っていたが、それだけに中途半端では終わらない気がしていた。根拠があるわけではないが、漠然とそう感じただけだった。
そんな日は、いつもとパターンを変えてみるのも一つの考えだった。
――今朝は駅の喫茶店で朝食を食べようかしら――
ということを思い立った。
普段の決まった朝の生活を営んでいたことで、その日一日が決まるということで、冒険は決してすることはなかったが、実際には駅前の喫茶店が気になっていた。前に何度か寄ったことがあったが、それは大学生の時と就職してからの仕事の帰りという、夕方の時間がほとんどだったのだ。夕飯をその店で食べたことがあり、味がよかったので、モーニングが気になったというのも自分で納得できた。
その店は七時から開いている。通勤時間は人の波に呑まれるように歩いているので、店を意識しない日もあるにはあったが、時々店から香ってくるコーヒーやトーストの焼ける匂いに引き寄せられる気分になることもあったが、基本的には朝食は家で摂っているので食欲があったわけではない。食欲をそそられることはあっても、食べたいという気分にまではなっていない。その気分が却って店を意識させるものとなっているのも事実のようで、いつかは入ってみたいという衝動のようなものに駆られていたのだった。
家を出てから駅までは二十分くらい歩くので、歩く距離としては、少しボリュームを感じさせる。それでも途中からは駅に向かう人の流れに沿わなければ置いて行かれてしまうような錯覚に陥るほどであり、波に呑まれてしまうと、距離や時間の感覚が若干マヒしてしまうのであった。
途中には国道を横断したりするため、余計に時間が掛かる気がしていた。国道は片側三車線の道路で、交通量も半端ではなかった。
朝の通勤時間で一番最初に人の多さを感じるのは、この時赤信号で待たされた時、集まってくる他の人の多さを見た時だ。老若男女それぞれで、いかにも通勤にいそしんでいると思わせる単独の人、友達と和気あいあいと話をしている女子高生など、本当に様々だった。
そんな中で、
――自分はどちらに近いのだろう?
などと考えながら信号が変わるのを待っていると、吹いてきた横風の寒さを痛感することで、あらためて朝の光景であることを思い知らされた気がした。
国道を渡ってしまうと、その先には商店街のアーケードがあった。郊外型のショッピングセンターができてしまってからというもの、かつての賑わいはすっかりと鳴りを潜めていた。敦子がまだ中学生の頃にはすでに商店街の活気はなくなっていて、昼間といえど、半分近くの店がシャッターを閉めている状態だった。
もっともかつての賑わいを遠い記憶としてしかなくなってしまっていた敦子には、寂しさというほどのものはなかった。だが、ふとした時に商店街を歩いていると、急に忘れてしまったと思っていた商店街の賑わいを思い出してしまい、寂しさに近い感覚を覚えるようなことがあった。
――忘れているつもりでいたけど、心の奥に封印されていただけなのね――
ということを思い知らされた。
ただその思いを朝に感じることはなく、仕事が終わっての帰り道に感じることだった。仕事で疲れた時や、疲れてはいないが、何か心の中にポッカリと穴が開いたような気分になった時、それまで感じることのなかった寂しさが一気に噴き出すような感覚だと言ってもいいだろう。
その日は、商店街に差し掛かった時、寂しさを感じることはなかったが、普段とは違った光景を見ているような感覚だった。毎日同じ光景を見ていると、見えているはずのものが見えているにも関わらず、意識の中で消えてしまっているということは往々にしてあるというものだ。
例えば何か事件でもあってその目撃者探しに警察から聞き込みをされた時、見た見ていないにも関わらず、自分の中の正直な気持ちとして、
「誰も見ていません」
と答えるような気がしている。
それは半分、
――自分が何かの事件の目撃者になるなどないだろうな――
という意識があるからではないだろうか。
確実ということはないのだから、目撃者になることもあるだろうが、そんな意識を持っているわけではないので、
「ボーっとしている時は見えているはずのものも記憶に残っていない」
という意識が最優先するので、考えていないつもりのことが、無意識に意識させるという矛盾した状況を作り出すのではないだろうか。
朝の商店街は、店舗も開いていない。そして通勤通学のラッシュの時間でもあるということで、車が入り込むことはないが、その分、自転車が我が物顔で走り抜ける。
本当は通行してはいけないはずだった。実際に商店街の入り口には、
「自転車通行不可」
という立札が立っているが、それを守る人などいないのが事実だ。
一人でも乗っている人がいれば、それは守られていない証拠であり、一人がいれば、必ず数人はいる。それが集団意識というものだろう。
最初は自転車を意識しながら歩かないと危ないということもあって、商店街を歩く時はそれなりに注意しながら歩いていた。つまりは人や自転車の動きに意識を集中させていたのだ。
それがいつ頃のことだろうか。人の動きにも自転車にも意識がなくなっていった。無意識のうちに動きのパターンが見えているからであろう。
歩いていると、人の顔も意識しなくなった。人や自転車の動きを見るためには、相手の表情を意識することで次の行動を予見していたからだ。それこそ人間の無意識の本能であり、意識することが無意識に繋がるということでもあった。
まわりを意識しなくなってから、敦子は急に気持ち悪くなった。
――もし、今人の顔を確認しようとすると、相手はどんなことを考えているか、分かるだろうか?
という思いだった。
敦子は想像してみた。
――まったくの無表情なんじゃないだろうか?
顔色も完全に土色になっていて、まるでモノクロテレビを見ているかのような錯覚に陥っていた。
さらに、それ以上に怖いことを想像していた。
――のっぺらぼうだったらどうしよう?
という思いだ。
完全に逆光になっている。朝日を背に歩いている人であればそれも分からなくもないが、朝日に向かって歩いている人であっても、同じように顔だけが影になっていて、その表情はおろか、まったく何も見えないという恐ろしさを感じさせられる。
――これって夢なのでは?
と思うと、次の瞬間に、今までのっぺらぼうだったりモノクロに見えていた人の表情が分かるようになるのだった。
それを錯覚というのであれば、錯覚を招いたのは、毎日同じパターンの行動であるということになる。
敦子は毎日同じ行動をすることが無難な毎日を過ごすことだと思っていたが、朝の商店街を通りかかる時だけ、一日のうちで一番不思議な気分に陥る瞬間であることを理解していた。
しかも、それは毎日のように感じるようになった。最初は感じなかったはずなのに、いつの頃からそんな気分になったのか、自分でもハッキリとは分からなかった。
敦子にとって商店街を通り抜けることは、通勤という行動の一つのプロセスにしか過ぎないとずっと思ってきたが、この日、今までに見たことがないほどの朝の時間でほとんど誰も歩いていないと思えるほどの少なさに敦子は正直戸惑っていた。
――商店街に入ってからかなり経っているにも関わらず、まだ少ししか歩いていない――
商店街の出口は少し歩けば見えてくるほど、それほど長い商店街ではないのに、結構歩いてきたつもりでいるのに、出口を見ることができないのは不思議だった。
そう思って後ろを振り向いてみた。
商店街のアーケードの切れ目は思っていたのとほぼ変わりがない。ただ、いつもは入ってすぐだと思っていたこの場所が、振り向いてもすぐにアーケードの切れ目が見えると思っていただけにおかしな感覚だった。
だが、この感覚は無理もないことだった。
今まで振り返ったことが一度もなかったというのもその一つではあるが、通ってきたところというのは、自分で思っているよりも実際には結構来ているものであったりするので、後ろを振り返った時、少し遠くに感じるのも当たり前だということを、学生時代に感じたのを思い出した。
その時は、
――新鮮な発見だわ――
と感じたはずなのに、今感じても、それを新鮮だとは思わないのはなぜだろう。
その日は通行人もほとんどおらず、自転車もたまに通るくらいだった。風もなく、まるで真空の穴の中を通っているような錯覚を覚えていたが、なぜか耳鳴りがしていた。
それは、キーンという音ではなく、普段の喧騒とした雰囲気だった。耳鳴りだと感じたのは、普段と違う環境で、風もないのに耳に入ってきて鼓膜を揺さぶる喧騒とした雰囲気が錯覚のように思えたからだ。
「耳で感じる錯覚というのは、耳鳴りのことんだろうな」
と敦子は以前から思っていた。
それがこの日、証明された結果になったのだが、なぜか釈然としない感覚に陥ったのは、誰もいない中で聞こえるからだろう。
そんな感覚をかつて感じたのを思い出した。
――そうだ、あれは海に行った時に、巻貝に耳を当てて聞いた時の感覚だわ――
というものだった。
巻貝に耳を当てて聞いてみると、そこには喧騒とした雰囲気の音が聞こえてくる。
海に一緒に行った人に、
「これを耳に当ててみてごらん」
と言われて当ててみると、不思議な音が聞こえたことで、
「これは一体?」
と訊ねると、
「これは潮騒というものだよ」
と教えてくれた。
この時に教えてくれた人が誰だったのか、敦子は思い出せない。それこそ、のっぺらぼうか、モノクロに見える無表情の男性しか思い浮かばないのだ。
――そんなものしか思い出せないのであれば、思い出さないに越したことはない――
と、敦子は感じていた。
敦子は商店街の中で、アーケードをまるで、
「大きな巻貝のようだ」
と感じていたようだ。
もっとも、巻貝から潮騒の音が聞こえてくるのは、耳を押し当てたからで、自分が中にいるからではない。だが、中に入ったとすれば、同じ音を感じることができるかも知れないと思うと、やはりアーケードを大きな巻貝だという認識でいることは間違いではないように思えてきた。
アーケードがこれほど長いと思ったこともないのも事実で、人がいてもいなくても、実際には長いアーケードなのではないかと思うようになっていた。
歩いていると、香ばしい香りが漂っていた。
――この香りはトーストの香ばしさだわ――
と感じた。
コーヒーの香りよりもトーストの香りをより強く感じたのは、それだけお腹が空いていたからではないだろうか。敦子は目が覚めてすぐにお腹が減るわけではない。ある程度まで目が覚めないと食欲がわいてこないのだ。おれは敦子に限ったことではないと思うのだが、人に聞きにくいことの一つとして意識することで、余計に自分だけの考えのように思ってしまうのだった。
朝の時間をそれほど有意義に使っているつもりはない敦子だったが、短い朝の時間で、よく自分の家で朝食が摂れるものだと思うのだが、それが毎日の習慣というものなのかと思うと、納得できてしまう敦子だった。
目の前には喫茶店の看板が見えた。普段はもっと大きなものに思えたのだが、今日は普段よりも小さく感じた。それは距離的なものも関係しているのかも知れない。思ったよりも近づいてくる気がしなかったからだ。
いつもよりも少し歩いた気がする。店の扉を開けると、中には常連と思しき人たちが数人いた。
「いらっしゃいませ」
少し暗めのシックな雰囲気に、話し声一つしない陰気とも思える店内に、乾いた空気を思わせる声が聞こえてきた。
明らかに場違いに思えるその声に敦子は救われた気がした。もしその声がなかったら、店に入ったことを後悔するに違いないと思ったからだ。
店内は彼女の乾いた声とは対照的に湿気を帯びた空気が充満しているようだった。その空気はコーヒーやトーストの香ばしい香りを運んでくるのだから、一概に嫌な空気だというわけではない。表の寒さを補って余りあるほどの暖かさの中では、湿気を帯びた空気も致し方のないことであり、敦子にもそれは十分に分かっていることだった。
だが、それを差し引いても初めての客には少しハードルの高さが満ち溢れていた。カフェというよりも昭和の香りを感じさせる昔ながらの喫茶店。早朝から開いているのだから、常連で持っている店であることは一目瞭然だったはずだ。
もちろん、敦子にも分かっていたことだった。だが、今まで気になっていて一度も立ち寄っていなかったのは、そんな思いが影響していたことも分かっている。しかし、一度も入らないというのもせっかく気になっているのにおかしなことだ。気になっているのであれば入ればいい。気に入らなければ、二度とこなければいいだけのことだ。
テーブル席は十ほどだっただろうか。個人でやっている喫茶店としては広い方ではないだろうか。カウンター席は半分ほど埋まっているが、テーブル席にはそれほど人は座っていない。
敦子は窓際の席に腰かけて、店内を一瞥したが、皆それぞれ好きなことをしていて、会話になる雰囲気は皆無だった。
新聞を読んでいる人、本を読んでいる人、スマホをいじっている人。本当にそれぞれだ。カウンター奥で先ほど声を掛けてくれた女の子であろうか。まだ女子大生と言ってもいいくらいの無垢に見える女の子が慌ただしく手を動かしていた。
敦子が席を決めたのを見て、彼女は水をトレーに乗せ、持ってきてくれた。
「何になさいますか?」
と、先ほどよりもトーンを下げた声で聞いてきた。
声の大きさが下がった分よりもさらにトーンが下がったような気がした。その声を聞くと、
――元々声のトーンは低いんじゃないだろうか?
と感じた。
敦子の友達にも似たような女の子がいた。普段は声が大きいのに、声を少しでも低めにすると、明らかにトーンが下がっているのが分かる。自分で自分を抑えているという雰囲気が分かる気がするのだ。
彼女の本性を、決して控えめではないと思っていたが、実際に付き合ってみると、自分から発言する方でもなければ、決して輪の中心になろうという雰囲気でもない。大きめの声はそんな自分を鼓舞でもしているのか、声で抑えている気持ちを発散させようという意識があるのか、抑えていない時は気持ちが入っている。しかし、少しでも抑えようとすると、本性が声にも出てしまうのだろう。声を抑えることで気持ちを抑えようとしているわけではなく、気持ちを抑えようという意識があるから、声を抑えている時に、自分の本性が出るようだった。
理屈で分かったとしても、それを理解することはできなかった。敦子は相手を思い図ったとしても、その人になることはできないからだ。この店の女の子が同じような気持ちなのかどうかは分からないが、店の看板娘だとすれば、これでいいような気がした。
もちろん、客が常連で少ないとはいえ、彼女一人で切り盛りしているわけではない。カウンターの奥に少し暗めの男性が、黙々と作業している。この男性がこの店のマスターなのだろう。年齢的には中年から初老に近いくらいであろうか?
少し白髪も混じっているかのように感じるその男性は、
――脱サラでもしたのかな?
と感じさせたが、ひょっとすると、この店をやっていたのは彼の親で、元々どこかで仕事をしていて、親が店を続けることを断念したことで、店を畳むか、それとも誰か他のオーナーを探すかというところだったのを、息子が、
「それなら俺が後を継ぐ」
とでもいったのかも知れない。
今日初めて見た男性で、しかも何の特徴もない雰囲気のおじさんが黙々と作業しているのだけを見て、結論が出るはずもなかった。ただ、考えてみただけで、却ってそれが楽しみでもあった。
――それにしても、ここの常連客というのは、どんな人たちなんだろう?
と思わせた。
まだ通勤時間には早すぎる時間で、彼らを見ていると、これから会社へ出勤するという雰囲気の人はほとんどいない。ラフな服装で、各々好きなことをしているだけだ。
だが、その雰囲気はマンネリ化しているように思えた。皆くらい雰囲気を醸し出しているのに、誰も何も感じない。初めて見た敦子には、
「凍り付いた空間」
にすら感じられるほどだった。
――まるで時間が止まっているかのようだ――
そういえば、山田大輔の小説の中で、
「消えていく時間」
というオカルト小説があった。
ホラーというような恐怖ではなく、読み終わってゾッとするような、いわゆる
「奇妙な物語」
の一種であった。
れっきとしたジャンルとして認識はされているのだろうが、知名度としてはさほどではないような気がする。読書が趣味の人だとか、文芸に造詣の深い人には馴染みなのかも知れないが、ジャンルとして、
「奇妙な味」
というものが確立されているらしい。
ホラーのようでミステリーのようで、SFのようでもある。つまりは確固としたジャンルというわけではなく、曖昧な雰囲気なのだが、物語としては全体的に奇妙な流れで進行し、ラストの数行くらいで読者に、
「そういうことだったのか」
と思わせることを目的にした小説。
いわゆる奇想天外なストーリーというわけではないが、読み終わってから、
「もう一度読み直してみよう」
と思わせるようなストーリー性を醸し出している話が、
「奇妙な味」
というジャンルを創造しているようだ。
小説の内容としては、場面構成はこの店のような昭和の香りを残す喫茶店であった。敦子が昭和の香りを残す喫茶店に憧れを持っているのは、山田大輔の小説によく出てくる雰囲気の喫茶店を自分の中で絶えず創造しているからだ。店の雰囲気はいつも同じもの。あらためて店の雰囲気を書き出していないと、創造される店の雰囲気は最初に読んだ時に感じた雰囲気そのものでしかなかった。
山田大輔という小説家は、一度描写した光景を、何度も描写することをしない。だから、読む順番が違えば、まったく情景を想像させるような描写がないので、完全に読者の感じた様々な雰囲気が存在してしまう。
雰囲気がバラバラなら、作品に対して感じたこともまた様々だ。しかし、彼の小説に対して、描写への批判は聞いたことがない。皆自己で解釈した雰囲気を、自分の中で消化して、想像を豊かにしているに違いない。
――ひょっとして、それが彼の作風の魔力なのかも知れないわ――
と、敦子は贔屓目で見ていた。
昭和の香りを残すその喫茶店に、ある日、酔っ払いの老人が立ち寄った。時間は早朝だったが、老人は一晩中呑んでいたのではないかと思うほど、みすぼらしい恰好だった。
店は常連が占めていたので、彼らはその男が入ってきたことを意識することはなかった。普段と同じ空気が流れているだけで、誰も老人を見ようとはしなかった。
「なんだ、ここは」
カウンターに座った老人はそう言って、マスターに耳打ちした。
「ここはこういうお店なんです」
というと、
「誰も動いちゃいないじゃないか、呼吸をしている雰囲気もない。まるで時間が止まってしまっているかのようじゃないか」
と老人が聞くと、
「ええ、ここは人それぞれで時間の流れが違うんです。だから誰も人に関わることをしないし、他の人から見ると誰も動いていないように見える。つまり見えている彼らは、『抜け殻』のようなものなんですよ」
と、マスターは答えた。
「なるほど、そうなんだな」
老人は、マスターの話を信じたのか、疑うという素振りをまったく示すことはなかったが、信じたということを決して表に出すこともなかった。
「じゃあ、わしがこの店に来たのも、意味があったということか」
と老人はぼそりと呟き、それ以上口にしなかった。
どれくらいの時間が経ったのか、老人はふらりを表に出た。お金を払った雰囲気はなく、それをマスターが咎めることもなかった。
「毎度、ありがとうございます」
と、マスターは老人を送り出した。
老人はどうやら、同じ日を繰り返しているようだった。その日の終わりがずれてしまっていて、この店から出た瞬間が、この男の一日の終わりだった。彼の一日が流れ出すためには、ずれてしまった時間を戻す必要がある。そのためには、この店に入ることをやめなければいけない。
老人はそのことを分かっているのだろうか。店から出ることをやめるのがいいのか、それとも他のことで時間を消していくのがいいのか、彼は分かっていないようだった。
その結論は最後の数行で分かるのだが、一度読んだだけではよく分からない。ただこの小説のラスト数行にはこういうことが書いてあった。
「夢というのは、どんなに長い夢でも、目が覚める寸前の数秒に見るものらしいよ。目が覚めるまでに見た夢は忘れていくものらしい。どこかに封印しているのか、それとも……」
これがラスト数行の謎解きなのだろう。
まさかこんな結末だとは思っていない読者は、意表を突かれる。
「こんな終わり方、中途半端だわ」
と感じることだろう。
だから読み直さないと気が済まない。それが作者の狙いであり、読者はその術中にはまってしまったことになる。作者冥利に尽きるというもので、まんまとそれに嵌ってしまった読者も、納得の感情を抱くに違いなかった。
山田大輔の小説は、文章的には読みやすいのだが、内容が難しいということで、なかなか若い読者には受け入れられない。
最近の傾向としては、スマホでも簡単に書けるような
「携帯小説」
と呼ばれるものであったり、一部の無料SNSの投稿サイトでは、異世界ファンタジーなどが幅を利かせていて、他のジャンルはなかなか入り込みにくいという傾向にあったりする。
それがいいのか悪いのか分からないが、明らかな流行であるのは間違いなく、それを批判することは、誰にもできないだろう。
だが、山田大輔のような、いわゆる古いジャンルの小説は、アンティークな雰囲気であり、玄人好みと言われる、一種の「大人の小説」だと言っても過言ではないだろう。
そんな小説を読んでいると、マンガを好んで読んでいる人が信じられない気がしてくる。別にマンガが好きな人を蔑視しているつもりはないが、やはり活字を読んで状況を把握したり判断する小説の方が、高貴に思えてくるのも無理のないことだろう。
山田大輔の小説が、すべて「奇妙な味」を表しているわけではないと思うが、そもそも奇妙な味というジャンルは、SFであったり、ホラーであったり、ミステリーであったりする。一種の派生型と言ってもいいのではないだろうか。
あるいは、ミステリー、SF、ホラーなどのジャンルのどれに相当するのかなどという次元の発想ではない小説が存在し、そのどれにも少しずつかすっているものがあるとすれば、それを新しいジャンルとしての「奇妙な味」に分類することも可能であろう。
ただ、敦子は「奇妙な味」というものをジャンルとしては考えていない。どちらかというと、文章作法の上であり得る発想ではないかと思っている。読者を最後まで欺き続けるという意味で、新たなる作法と言ってもいいだろう。
この「消えていく時間」という小説も、敦子に大きな衝撃を与えた小説であることは間違いない。
「もっと話題になってもいいはずの小説なのに」
と感じたが、実際にはそこまで有名になることはなかった。人知れず本屋で棚に一の本として並んでいるだけで、誰からも注目されることはなかった。
山田大輔の小説は大きなインパクトを与えているにも関わらず、話題になることはほとんどなく、あまり本屋も力を入れて本を売っているという雰囲気は見ることができなかった。
敦子が思うに、
「ジャンルがハッキリとしていないからではないか?」
と思っていた。
ミステリーなのかSFなのか、あるいはホラーなのかがハッキリとしない曖昧な小説は今の時代には受けないと思っていた。
急に、
「奇妙な味」
などという新ジャンルを持ち出されてもよほどの新鮮さがなければ受け入れられないだろう。
しかも、奇妙な味というジャンルは最近になって起こったジャンルではなく、昔から存在はしていたのだが、その時代時代で受け入れられなかったから、影のジャンルとして存在しているに過ぎないからだ。
敦子はそんな山田大輔の小説が本当に一般読者に受け入れられることを望んでいるのだろうか? 最初は人知れずのジャンルに一抹の寂しさを感じていたが、今ではあまりまわりに浸透していないこのジャンルをこのまま「影のジャンル」として保存しておきたいという気持ちになってきていた。
特にこの「消えていく時間」という小説は敦子の中では独特だった。
この小説の中で、敦子は、主人公が曖昧な気がして仕方がなかった。一見主人公は老人のように思えていたが、最初の頃の登場人物としての彼は、露出的には主人公としては十分なのだが、その存在感は微妙だった。
何か煮え切らない感覚を抱いていて、しっかりとした意識を持っているわけではない。山田大輔の描き方が、わざとそのようなイメージで描いているのかも知れないが、それにしても描き方が一人称で描いているわけではなかった。
主人公だということであって、彼が自分の意志を独り言のように表現しているのであれば、分かるのだが、読んでいるうちに彼自身も不思議な世界に誘われているだけで、主人公としての様相を呈していないのではないかと思うと、誰の目線で小説を追えばいいのかよく分からなくなってしまうのだった。
この話の全体を掴んでいるのは、どうやら店のマスターのようだった。主人公はある意味でこのマスターであり、お店自身だという意見は乱暴であろうか。
ただ、主人公がすべてを網羅していないといけないという小説は、意外と少ないのではないか。特にミステリーやホラーなどの場合、その怪奇性が主人公にもたらすものが謎だとして展開するストーリーも一般的だからである。
この小説のタイトルである、
「消えていく時間」
というのも、実に微妙な気がする。
「読者の気を引くために、何となくぎこちない内容のタイトルにしたのではないか?」
という考えもあるが、タイトルに込められた作者の思いを読み取って小説を読み込んでいくと、見えていなかったものも見えてくるのかも知れない。
老人が店の雰囲気にただならぬものを感じ、独り言のように言うと、そこでマスターがまるでその質問を待っていたかのように、
「ここでは人それぞれに流れる時間が違う」
という衝撃的なことをサラリと話した。
確かに誰も動いていないような、そして呼吸すらしていないような雰囲気というのは、尋常ではないだろう。だが、それは老人が感じたことであって、大げさな表現に他ならないだけなのかも知れないと思えば、別に大きな衝撃を感じることもない。小説の中の起承転結でいえば、「承」の部分にあたるのではないだろうか。
だが、マスターが言った、
「人それぞれで流れる時間が違っている」
ということを、あたかも事実のように表現している。
小説の展開からすれば、「転」あるいは「結」部分にあたることであって、この期に及んで、曖昧な話ではないだろう。
これこそがこの小説での一番のネタであり、クライマックスであるにも関わらず、マスターは淡々としかも、サラリと言ってのける。
これを聞いた老人がどのような感覚になったのかということを、小説ではぼかしているようだ。敢えて読者に言わずに考えさせようというのだろうか。この技法は山田大輔の他の小説でも見られることだった。
ミステリーであれば、それなりの法則がある。ラストまで「ネタバレ」しないようにしないといけない小説や、「ネタバレ」をしたうえで、その後のサスペンスを「結」の部分に持っていくという文章作法である。
この話は、「ネタバレ」を「転」の部分に持っていき、その後の「結」に結び付けるやり方なのだが、ラストの方では、実際の「ネタバレ」に言及することはなかった。
あくまでもネタであることを含ませておいて、その後の老人の行動を淡々と書いているだけだった。
老人は店の表に出ると、近くの神社の境内で一夜を過ごすことになるのだが、翌朝、散歩の老人に発見された。老人は寒さから凍死していたのだ。
しかし、不思議なことに老人は死後数日経っているようで、昨日の宵の口くらいまでは、その場所に誰もいなかったことは証明されていた。
「じゃあ、この老人はどこで死んだんだ?」
ということになり、死体遺棄が疑われて捜索されることになったのだが、例の店に彼が死体発見の数時間前にいたということが証言されたことから、事件は混とんとしてくる。
あくまでもこお話はミステリーではない。ホラーを十分に含んだ作品なので、人が推理する謎解きはこの際問題ではないのだ。
時間の矛盾を謎解きのキーとして、作者は読者に最後問題提起している。
その時に、タイトルの違和感がこの問題提起の回答に繋がるということを誰が予想できるだろう。この小説はインパクトや受ける衝撃に比べて、さほど売れないのは、ラストの問題提起が読者に受け入れられないからだろう。
「こんな小説は、ルール違反だ」
と書いている文芸雑誌もあった。
ミステリーやホラーの純粋なファンであれば、そう思うだろう。もし、それ以外の小説ファンであっても、どこか小説作法としてルール違反だという暗黙の了解を感じているかも知れない。
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