16話 公爵令嬢の友
「帝国との戦争、といえば……アクアレイン公爵令嬢のご心中お察しいたします」
「ええ……スタン様も
アクアレイン公爵令嬢の声は、風前の灯火のようにか細いものとなる。
それほどまでにスタン公爵令息を心配しているのだろう。
恋する乙女、戦争で引き裂かれるってやつか。
ただし、アクアレイン公爵令嬢とスタン公爵令息は2年後に結婚する。きっかけはどこかのパーティーでアクアレイン公爵令嬢が得意のピアノを披露したことにある。
アーチヴォルト公爵家は質実剛健の武家でもあるけど、実はスタン公爵令息は音楽への造詣が深い。自身も密かにヴァイオリンの弾き手として、練習を積んでいたりする。そんな知られざる背景もあって、アクアレイン公爵令嬢の並々ならぬピアノの音色に彼は惚れこんでしまったのだ。
無論、それほどまでにピアノに打ち込める彼女の努力家な部分にも。
こうして家格的にも公爵家同士で問題ないこともあり、二人の熱愛は戦時中であるにも関わらず、思いのほかトントン拍子で進んだのだ。
それなら、ここで私の出番だ!
どうせくっつく運命なら、今すぐ一緒になってしまえ!
私がきっかけで! 私の功績で!
公爵令嬢に貸しを作ろう!
さあ、何食わぬ顔でポロッと言ってみようか。
「アーチヴォルト公爵令息ですか? 確か近々、私の父とフローズメイデン領内で合同演習を行う予定です。もしよろしければ、アクアレイン公爵令嬢もご覧になりますか?」
帝国戦争においてアーチヴォルト公爵領もフローズメイデン伯爵領も、最前線とは離れている。しかし、この二領が持つ騎士団の戦力は王家より期待されており、いわずもがな互いが互いを認め合っている仲でもある。
平たく言えばうちの
そうじゃなかったら、初陣を控えた自分の大事な
「あら! そういえばフローズメイデン伯爵は、アーチヴォルト公爵と親しい間柄でしたわね? 領地もお近いですし」
「ですが……合同演習といえど、戦は殿方の神聖な場でございます。私がスタン様のご雄姿をこの目で見るのは慎むべきでは……」
姫は乗り気だが、アクアレイン公爵令嬢は逡巡している。
おそらく彼女もスタンの雄姿を見たいのが本心だし、戦争は死ぬ可能性がある。それなら戦いの前に一目でも会っておきたいと願うのが乙女心だろう。しかし女性が男性の場に出しゃばって、スタンに嫌われてしまうのでは、といった懸念もあるのだろう。
「アクアレイン公爵令嬢。私ごときが何をおっしゃるかと存じますが、我らがステラ姫殿下をご覧になってくださいませ」
ここぞとばかりに私は憎き姫を立てる。
「【王国の太陽にして月】と讃えられるにふさわしい御方でございます」
実際、五年後はそう呼ばれるしね。
「淑女として、いえ、王国貴族として、これほど焦がれる御方は後にも先にもございません」
まっすぐに姫を見据える。
周囲には、姫に憧れる熱烈な13歳の貴族子女と映っているだろう。
「殿方の領分すら、姫殿下の領分となりえる未来が来ると私は信じております」
これはもう実質、姫こそが王位継承者にふさわしいと宣言してしまっている。
あまりにもミカエル王子に不敬だけど、案の定ステラ姫は止めはしない。
「その時、姫殿下を陰ながらお支えになるアクアレイン公爵令嬢が、殿方の領分だからとご自身の信念を
詭弁だ。
こんなの信念でもないし、真実でもない。
ただ、恋は盲目と言う。
そして禁じられた状況であればあるほど、心の炎は燃えがありやすい。
「たしかに……一理ありますわ……私は何を怯えて……」
勇者時代。
アクアレイン公爵令嬢はスタンが魔人戦争で戦死した後も、未亡人として亡き夫を愛し続けていた。あまりにも誠実で一途に想う姿はどこか痛ましい印象を受けた。
当時の私はそんな彼女を見て、人間一人の死をそんなに引きずってたら、戦場じゃ1秒も生きていられない。こちとら目の前で仲間を何人失ってると思ってるんだ、と貴族令嬢を冷めた目で見ていた。
だけど。
アクアレイン公爵令嬢は、決して悪い人ではなかった。
私の戦友が死に……その葬式の日は雨だった。
雨粒に打たれ、絶望と虚無に塗れていた私に、彼女がそっと傘をさしてくれたことを忘れてはいない。
だから、どうせなら彼女が愛する人といられる時間を早めてもいいじゃないか。
少しでもスタン公爵令息と一緒に過ごせる時間が増えるならいいことじゃないか。
それで私の評価も上がるなら一石二鳥だ!
「アクアレイン公爵令嬢。どうかご安心ください。もし騎士たちに
「あら? マリアさんは剣を嗜んでいらっしゃるの?」
姫が興味深げに尋ねてくる。
「はい。野蛮かと存じますが、いざという時のために我が身と剣を王家に捧げるべく」
「あらあら、頼もしいわね? アクアさん?」
姫さまのこの振りは、『何か問題が起きても私が上手く処理するわ』という発言に他ならない。
姫さまにそこまで後押しされては、アクアレイン公爵令嬢も思いきれる。
「ではお願いいたしますわ。それとフローズメイデン伯爵令嬢、どうか私のことはアクアとお呼びください」
「まあ! でしたら、私のこともマリアと呼んでくださると嬉しいですわ!」
このやり取りはまさに、アクア・レーゲンクス・ロイ・アクアレイン嬢と友誼を結べた瞬間だ。
私は見事、上位貴族令嬢の仲間入りを果たしたのだった。
◇
お茶会を無事に終えた私は王宮のとあるテラスに来ていた。
ここからは王都アストロメリアの西側を一望できる場所で、特に今のように夕日が落ちかけている頃合いは美しい一面を見せてくれる。
お茶会は終始上手くいったけど、正直に言えば辛かった。
特に姫様の……笑顔の裏に隠されたドス黒い本性を知っていると、何度も反吐が出そうになったからな。
「ふう……疲れたなあ……」
早く帰ってシロちゃんのしっぽをなでなでしたい。
なんて現実逃避してる場合でもない。
私がここにいる理由は、とある人物を待っているからだ。
別に約束しているわけでもないし、マリアとして面識のある相手でもない。
それでも勇者時代と変わっていなければ、きっと目的の人物に遭遇できる確率は高い。
なにせ彼は決まって夕暮れ時に、このテラスで人目を忍んで黄昏れていたからだ。
「おや? こんなところに見ない顔の令嬢がいるなんて……」
澄んだ声に振り向けば、そこには憎き姫と同じく、黄金に輝く髪を持った美少年がいた。
極上の金糸を煩わしそうに払い、太陽のような金色の瞳がジッと私を見つめてくる。
「ここのテラスは僕のお気に入りだから、少し遠慮してもらえないか?」
15歳のミカエル王子は、やはりどこまでも生意気だった。
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