第6話 いつでもさっちゃんは、あーちゃーとお話がしたかったのよ?
チャイムが鳴ってなお、担任が喋るのに苛々してしまう。ようやく終わって、号令。みんなが気怠そうに頭を下げたその瞬間、俺はバックを掴んだ。
「おい歩、今日のバスケ部の練習なんだけど――」
「ごめん、黄島。今日は休む」
「は? え、おい?」
その後に続く声なら聞こえない。
――あーちゃー!
朝の沙千帆の声が未だ、俺の鼓膜を震わせ続けるから。
俺は本能のままに駆け出した。
「神社のご神木はさみしがり屋さんでした。仲の良い男の子と女の子のことが羨ましくなって。可愛いあの子を、天の川に攫ってしまおうと思ったのです」
全速力で、保育園にたどり着いたら拍子抜けしてしまう。プレイルームで、沙千帆が真剣な眼差しで、紙芝居を見ているところだった。
――保育園に入ったら、意外とお友達と順応しますから!
花園さんの言葉を思い返しながら、ほっと胸を撫で下ろす。そういえば、と思う。引っ込み思案の沙千帆は、輪に入った途端に、活き活きと笑顔を見せる。最初の一歩に躊躇するだけで、踏み出してしまえば誰とでも接点がもてる。俺は最初の橋渡しをすれば、それで良くて――。
「遅かったですね」
エプロンをつけた花園さんが、にっこり笑う。
「あ、うん……」
あの後、担任にしつこく沙千帆のことを聞かれたのだった。そりゃそうだろう、これまで皆勤賞の優等生。母親からしばらく学校に行けそうにないと言われたら、気にならない方がおかしい。とりあえず風邪と言い訳をして、その場は逃げたのだが、ずっとこんな言い訳は通用しない。そう思い巡らしていると――。
「あーちゃぁぁぁぁっっ!」
「うぐぅっ?!」
沙千帆の全力タックルが、俺の鳩尾に響く。
「浮気は、ばってんよ?」
ばってんはお前だ! そう言ってやりたいが、悶絶中の俺に反論する気力は残されていなかった。
■■■
「あーちゃーとデートっ! デート!!」
あの沙千帆さん? デートだけ、どうして舌足らずじゃないの? そう思いながらも、手をつなぎ家路につく。
「ちょっと、寄り道をしても良い?」
「他の女の子との約束じゃなきゃ、いーのよ?」
また、そんなことを言う。3歳って、こんなにませているものなのか? 唖然としつつ、俺は方向転換。気を取り直して、目的地を目指すことにした。
目指したのは、神社だった。
途中「疲れた!」とグズる沙千帆をなだめつつ、お姫様だっこで階段を登った俺を褒め称えたい。現状、息が絶え絶えで。
赤ちゃんじゃないと、おんぶを拒否する3歳児、本当に意味が分からない。
風が凪いで、笹の葉が揺れる。当たり前だけれど、短冊はすでにない。
と、ご神木である桜の木を見やった。樹齢1000年を越える大木。その木の幹が隆起して、まるで小さな枝のようになっている。そこに結わえられていた、短冊2枚に目がいく。
一枚は記憶がある。
だって、俺が結んだから。
でも、もう一枚は……。
――また、お話がしたい。 神薙沙千帆。
惚れ惚れするくらい、綺麗な字で、そう書いてあった。
――また、話したい。 高邑歩。
イヤになるくらい汚い字で、そう書いてあって。
「あーちゃー?」
不安そうに、沙千帆が俺を見る。
「あーちゃーも、お話がしたかったの?」
「う、うん……」
3歳児を前に、何を素直に吐露しているんだろう。幹に腰をかけて。沙千帆を膝に乗せ、その温度を感じる。
話したかった、もっと話したかった。沙千帆とちゃんと話したかった。
お膳立てをして、後は誰かに託すのはイヤだった。
沙千帆のことを一番知っているのは俺なのに。
そう言いたいのに。
いつの間にか、沙千帆を一番知らないのが、俺になっていて――。
――ないとは思うが、神薙の足を引っ張ることはするなよ。
担任の言葉に、反論ができなくて。
悔しい。
本当に悔しい。
「……あーちゃー?」
沙千帆が俺の涙を、その指で掬う。
どうしてだろう。
「あーちゃー? いつでもさっちゃんは、あーちゃーとお話がしたかったのよ?」
髪を撫でられながら、そんな言葉を受け、沙千帆の顔が二重にブレる。
「あーちゃーが、
その声だけが、鮮明に響いた。
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