第10話 質問があります!

「ほげ……」


 次の朝、目が覚める。

 シュヴァルツさんの小さなアパートの部屋に、お日様が差し込んでいる。

 もうお昼みたいだ。


 むくり、と起き上がって、きょろきょろとあたりを見回す。

 シュヴァルツさんの姿が見えない。

 けれど、そんなに遠くに出かけているわけではないと思う。


(皇帝陛下の指示で、私の面倒見ているんだもんね……ふぁ)


 まだ眠くて、大あくび。まぶしくて、思わず目をこすった。

 もう遠い記憶だけれど、生まれなおした日の世界のまぶしさを私はまだ強烈に覚えている。子供らしく成長して、あたりまえの青春をして、大人になって自分らしく生活したい……それが、私の目標だ。


 けれど、と3歳児の私は考える。

 一家で夜逃げからの帝都に連行、というハプニングに直面して実感したのだ。


(この世界の普通って、なんだ?)


 ゲーム実況動画の中の『FFG』で語られるのは、基本的には「大人の世界」だ。

 オープンワールドゲームとはいえ、赤ちゃんから成長していけるわけではない。商業や狩猟などの同業者組合いわゆる「ギルド」でのできごとや、冒険者としての討伐・採集、生産職としての物作りがメインだ。

 アインツさんのような若者や、リリィさんのような幼い見た目のキャラクターも多かったと記憶しているけれど、誰も彼もが「大人」として振る舞っている。


 その「大人」たちがどうやって大人になるのか?


(わ、わからない……!)


 北方の村に住んでいる3歳児には知り得ない情報だ。

 村の子供たちは、村の集会所で読み書きの手習いをしている様子だった。

 たしか、村の中でも優秀だという子が近所のおばさまたちに「すこし昔なら帝都で勉強できたのに」なんて言われていたような気がする。


(今は、帝都で勉強できないってこと……?)


 子供たちがみんな学校に通って、成人してから働いて、結婚して……なんていうのは、決して「当たり前」ではない。考えてみたら当然のことだけれど、今になって実感する。


(私、この世界で……のんびり子ども時代を過ごせるのかしら?)


 この状況、いまさら村に帰ることはできないだろう。

 帝都での暮らしは、これからどうなるのだろう。

 それ以上に、昨夜聞いた『魔塵まじん』というのも気になる。



「起きたのか。子どもは早起きなものだと聞くが、あれは嘘だな」


 シュヴァルツさんが部屋に入ってきた。

 すでに彼女のコスチュームである黒ずくめの覆面姿で、立ち働いていたみたいだ。何やら大きな荷物を抱えている。ぺこり、と頭を下げる。

 家主を差し置いて爆睡というのは、いくら3歳児といえどもマナー違反だったかもしれない。

 シュヴァルツさんにぺこりと頭を下げる。


「おはよーございましゅ、しゅうあゆちゅしゃん!」

「……は?」

「しゅ、しゅあ、しゅわ、しゅあう……」

「ぷ……もしかして、私の名を覚えたのか?」


 こくん、と頷く。

 今、シュヴァルツさん、笑いをこらえている?


「ノアルでいい。それなら……サクラ殿も言えるだろ」

「のある、しゃん!」


 よし、言えた! やったー!

 ぐっとガッツポーズをする。

 この世界にガッツ石松は存在しないけれど、ガッツ石松が存在する世界からやってきた私がする勝利のポーズはガッツポーズだ。

 シュヴァルツさん、もとい、ノアルさんが私を抱っこして食卓につかせてくれた。


「朝食のパンとミルクだ。花の蜜で甘くしてある」

「わ!」


 村で食べていた、固くて酸っぱいパン……と大差はないけれど、焼きたてのパンがテーブルに置かれている。ミルクは冷めていて、底の方に蜜が固まっているけれど、これはこれでデザートみたいだ。

 贅沢品だった甘味が、こんなふうにカジュアルに味わえるとは。

 私が生まれ育った村と帝都は、根本的に違うんだなと実感した。


「いたらきますっ」

「はい、どうぞ」


 まあ、それはそうだろう。

 せっかく帝都から逃げたお父さまとお母さまが、帝都の近場に暮らしたのならとっくにノアルさん──帝都の隠密隊、が私たちを見つけ出していただろう。灯台もと暗しって言うけれど、この場合はその限りではないと思う。


「うまそうに食べるな、サクラ殿は」

「んむっ」


 食べ盛りなのだ。

 決して美味しいパンではないけれど、よくよく噛めば味が出てくるのをこの3年間で学んでいる。


「食べこぼしもないし、手がかからないのだな……」


 ちょっとだけ残念そうな声色のノアルさんである。

 シュヴァルツさんが運んできた荷物をほどいている。


「おお。さっそく子供服が運ばれてきたぞ」

「か、かあいい!」


 フリルとレース、それから飾りボタンが上品にあしらわれた子ども服だった。

 3、4、5……ざっと見ただけでも10着はありそう。

 ひらりと、厚手の便せんが落ちる。


 そこには「お母さんの子どもの頃の服だけれど」とメモ書きがあった。

 妹姫……アデルさんの話を聞くには、第二夫人、ようは愛人の子だったはずだけれど、皇帝の娘であればやはり「お姫様」だったのだろう。

 華美ではないけれど、質のいい物だとわかる。

 お母さまは、かなりの美人だ。子どもの頃も、さぞ可愛かったのだろう。

 白金髪の美少女を妄想する……うーん、絶対に似合っていたに違いない。

 私のピンク色の髪の毛が視界に入る。今思えば、この髪も若葉色の瞳も、お父さまにもお母さまにも似ていないんだよなぁ……。


「おかーさまの、おようふく」


 ぽつん、と呟く。

 ノアルさんが怪訝な顔をした。


「サクラ殿、文字が読めるのか?」

「あっ!」


 これがお母さまの服だという情報は、ノアルさんからは一言もなかった。

 便せんを読まないと、分からない情報だ。

 しまった……と両手で顔を覆っても、もう遅い。

 生まれたときから両親の言葉を理解できたし、この世界の言葉をすらすらと読むことができた。どういう仕組みかわからないけれど、「そう」なっているみたいだ。


「まあ、普通の子ではないしそういうこともあるのか……」

「うっ」


 ノアルさんに対して、しらばくれるのも限界な気がする。

 いっそ、色々とこの世界のことを聞いておいたほうがいいかもしれない。


 それから数日。

 私は部屋から出ることは禁止されていたけれど、そのかわりにノアルさんから色々と聞くことができた。



 質問①

 お父さまとお母さまはどうなっているの?


「アマンダ殿下の件は……リリィが率いる魔術師たちのチームによって、アデル殿下が行った呪術が事実だったことが突き止められた。それに……サクラ殿を連れ去ったのも、帝都大聖域に召喚された子だと知らずに行われたことだったらしい」


 すべては、アデルさんの一派によって仕組まれたらしい。

 アデルさんの一派は言葉巧みにお母さまに接触して、帝都から逃げる手引きを手伝ったのだという。

 そして、帝都大聖域に召喚された私を、『女神の日』に生まれ親に捨てられてしまった孤児という設定でお母さまに引き渡した……と、関係者を尋問して判明したらしい。


「じ、じんもん……」

「隠密隊の尋問師は優秀だからな、本当も嘘も吐かせられない自白はない」


 さらっと怖いことを。

 深くは聞かないでおこう……。


「おそらく、アデル殿下の裏で糸を引いている者がいると推測される。が、今のところ尻尾は掴めていない」

「……なんのために?」

「異世界から召喚されるという『聖女』をよく思っていないのだろう」

「ふーん?」

「ともかく、じきにアデリア殿下たちの嫌疑は正式に晴れるはず。陛下のあのご様子だと、あなたもご両親と共に暮らせるかもしれんな」


 皇帝陛下の昨夜の様子を思い出す。

 すっかりおじいちゃま気取りだったしなぁ。


質問②

魔塵症まじんしょうって何?


「数年前から帝国内で流行している疾患だ。モンスターの討伐が順調にいっていると思えば、次は疫病だ。この病気の原因はいまだ不明。徐々に衰弱して、やがて死に至ってしまう。アデル殿下の母親である正妃殿も、アデリア殿下のお母上も、魔塵症まじんしょうで亡くなっている……この疾患への対処法の発見が、シャンガル帝国の大きな課題だ」


 やっぱり、HPが少しずつ減っていく状態異常バッド・ステータスで間違いないみたいだ。

 たしか、状態異常解除の白魔法のほかに、アイテムで治すことができるはず。


「この疾患の蔓延のせいで、王族も貴族も外に出たがらないのだ。昨年からは学院も閉鎖されている始末だからな」

「がくいん!」


 気になるワードだ。

 この世界にも学校制度のようなものがある。

 でも、閉鎖って……?


「ああ、帝都学院だな……王侯貴族のほかに優秀な平民が通う帝国内最高峰の学院だ。だが、昨年末に閉鎖されてしまった……今は数少ない研究者と、行き場のない平民たちだけが留まっているそうだが」


 学校……学校!

 3歳児の今は無理だけれど、いつかは通いたい学校!


「……おそらく、帝都大聖域に召喚される異世界の『聖女』に期待が寄せられているのも魔塵症まじんしょうの浄化が目的かと」


 つまり、こういうことだ。

 私なら、魔塵症まじんしょうをどうにかできるかも。


「がっこう……!」


 私は、未来の学院生活に胸を高鳴らせる。

 まずは魔塵症まじんしょうとやらをどうにかしなくては。


 でも、どうやって?


 「むーん」と腕組みをして考える。

 うんうん唸って考えても、答えは出なかった。


「私としては、あなたのような赤子に国の問題を背負わせるのは筋違いかと思っているが……サクラ殿、あなたはどうしたいのです?」


 ノアルさんが言う。

 大人に対するのと、同じ言葉使い。

 でもそれは、今までのような「3歳児には何をしゃべってもわからないだろ」と高をくくったものではなかった。

 この数日で、私が普通の3歳児ではないということに確信を持っているようだった。私は少し迷ってから、ノアルさんに自分の生い立ちを話してみた。

 多分、この人は信用できると思ったから。


「あたちのはなちを、きーてくえゆ?」

「は?」


 舌っ足らずすぎて、全部話すのに丸々3日かかった!

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