第24話 前編

 久しぶりに食べるもつ煮の味に、レイは舌つづみを打っていた。


 元々ホルモンは大好きなのだが、様々なもつを煮込んだもつ煮がレイは好きだった。


「もつ煮は美味しいねえ。小腸に大腸、レバー、ハツ、そして何より……」


 もつ煮の底に入ったこんにゃくを箸でつまみ、レイは美味しそうに食べた。


「なんでもつ煮に入ってるこんにゃくって、こんなに美味しいんだろ。ただのかさ増しのはずなのに」


 元々こんにゃくは好物であるが、レイはもつ煮に入っているこんにゃくが大好きだった。


 かさ増しで入っているだけのはずの具が、もつの味を吸い、もつと同じ触感が合わさって、口いっぱいに幸せが広がる。


「真希ちゃんも気に入ってくれたかな?」


 自分と同じく夢中になってもつ煮を食べている真希子に、レイは優しく微笑んだ。


 ここしばらく真希子の面倒を見ているが、彼女は食べることが大好きだ。

 

 すき焼き、天ぷら、ちらし寿司といろいろと手の込んだ料理を気合を入れて作ったが、そのどれもを真希子は美味しく食べてくれた。


 その時はどこか怯えている彼女が安らいでいる。


 父親と離れ離れになり、先が見えない不安の中で過ごしているが、食事の時だけはほっとすることが出来ていることに、レイも嬉しく思っていた。


「真希ちゃん、これも食べる? 玉こんにゃく美味しいよ」


 先ほど買ってきた玉こんにゃくを差し出すと、真希子は無言で頷いて玉こんにゃくを食べ始めた。


 朗らかな日常、平穏に身をゆだねる楽しさを感じながら、レイはお茶を飲む。


 仕事をしながらも休日は遠出し、美味しい物を食べ、心をほぐす。エステやマッサージにも行ければ何も言うこともない。


 その上で、愛する旦那様からの愛情をめいっぱい受け取れれば、後はそれで十分だ。


 それ以上を望むは贅沢すぎるとすらレイは思っている。


 荘龍への恋が愛に代わり、今ではそれを育んでいるが、これほど贅沢なことは無いのではないか。


 そんな当たり前の幸せを、誰もが願っており、平穏というものがなければ人はただひたすらに荒んでいくだけだ。


 そんなことを考えていると、レイは自分が何故この仕事をしているのかを思い出す。


 すると、その切っ掛けの中から生まれたもう一人の自分のこと、そして、荘龍に今も消えない傷をつけてしまった忌まわしい記憶が蘇る。


「レイさん……」


 玉こんにゃくを片手に、自分を心配そうな表情で見つめる真希子に、レイは無意識のままにそっと彼女の頭を撫でた。


「大丈夫。ちょっとね、いやなことを思い出しただけだから」


 この子は優しい。自分の心にある棘すら感じ取り、それを気遣えるような優しさがある。


「私ね、実は父子家庭で育ったんだよね」


 空を眺めながら、レイがそう言うと真希子が少し身構える。


「これが酷い父親でね、研究バカで日本にほとんどいなくてね。いるのはほとんど海外で、今日はパリ、明日はロンドン、明後日はローマとか、とにかく滅茶苦茶だったのよ。そんなんだから、電話したくても時差で寝てたりして、つながらなくてね」


 明らかに真希子は戸惑っている。


 真希子の正体もその背景にある情報も全て、レイは荘龍より共有を受けていた。だからこそ、レイはあえて話を続ける。


「そんなんだから、私、荘龍の実家に預けられたの。荘龍の亡くなったお父さんが私のバカ親父の先輩でね。見かねた荘龍のお父さんとお母さんが私を引き取ってくれたんだ」


「寂しかったですか?」


 おどおどしながらも真希子がそう尋ねると、レイは思わず笑ってしまった。


「全然! 上杉家の人達は私のこと、すごく優しく歓迎してくれたもん。むしろ、私お母さんが生まれてすぐに死んじゃったし、バカ親父のおかげでマトモな家族生活送れなかったから、そういうのに凄く憧れてたの。だから、ああ、これで振り回されなくて済むんだって思っていたんだ」


 ケラケラと笑うレイに、真希子はあっけにとられていた。自分の立場に置き換えれば、そういう答えが返ってくることに驚いているのだろう。


「荘龍のお父さんはスゴイしっかりした人だったし、お母さんは料理上手でいっぱい料理教わったし、本当の娘のように可愛がってくれたの。だから、ずっとこんな感じなら寂しくないかなあと思っていたんだよね。最初の頃は……」


「何かあったんですか?」


「それでもね、やっぱり本当の親と離れ離れになるのって辛いんだよ」

 

 レイは玉こんにゃくを五個一気に頬張ると、そのままムシャムシャと咀嚼してお茶と共に胃に流し、深く深呼吸をして息を盛大に吐き出す。


「あんなろくでもないバカ親父でも、いなかったらいなかったでさみしくなるんだよね。血がつながっているだけじゃない、あんなでたらめで帰国したら朝まで飲んでるようなおバカな父親でも、私にはとっても優しかったから」

 

 レイはなんだかんだで、自分の父親である天城実休のことが好きだった。時差で連絡したくでもできず、SNSやメールを送っても返事が遅い父親であったが、いざという時は頼りになり、自分に優しくしてくれる。


 それは、上杉家で温かい生活を送っている中でも思いは消えなかった。


 優しい両親、それも自慢できるほどに優れた両親の元で、たっぷりの愛情を受けながら育った荘龍のことが何度も羨ましいと思ったか分からない。

 

 上杉家の生活に不満を感じたことなく、むしろ今でも恩義に思っている。でなければ自分はぐれていただろう。


 それでも、自分は本当の家族に愛されていないのではないかという不安と、預けられている自分がとてつもなく寂しい存在に感じてしまう。


 その侘しさと、むなしさ、そして自分という存在のちっぽけさに直面した時、レイは自分が愛されているのではなく、哀れに思われているだけではないのか、ただひたすらに可哀そうな存在と見られているのではないかと思った。


「そして、バカ親父は死んじゃった。魔族に殺されてね。私はその復讐の為に保安局に入ったわけ」


 レイの父である実休は魔族に殺害された。その事実に自暴自棄になったレイは、荘龍との関係を断ち切ってまで保安局に入り、戦う道を選択した。

 

「気づいたら、白銀の牙とかあだ名付けられてさ、復讐の為に生きてたわ。そして、それを止めようとした荘龍のことも、私殺しかけてるのよね」


 暴走する自分を止めようとした荘龍相手に、全力を出したレイは彼に重傷を負わせた。その傷は深く、荘龍の体には今でもその傷跡が残っている。


「最終的には止められたし、助けてもらった。その後に思ったんだよ。悲しみに囚われちゃいけないんだって。自分を哀れとか思っちゃったら、人間って壊れるの。自分で自分を可哀そうとか、こんなくだらないことに時間費やすのはマジで無駄なんだよね」


 父親が死んだというか悲しみに囚われ、自分という存在の哀れさから、仇を取るという目的と、それを果たすためならばどうなってもいいという自暴自棄。


 やり場のない悲しみと怒りから、レイは危うく本当に大切な人を殺すところだった。


 そして、大切な人に救われて今がある。


「だから、真希ちゃんにはそういう風にはなってほしくない」


 真希子に優しい目を向け、レイはそう言った。そこには自分を憐れむこともなく、利用しようとするような邪気もない。


 自分を対等の存在として見てくれる、澄んだ翡翠色の瞳があった。


 その瞳を覗き込んだ時、真希子を覚悟を決めて自分の正体を彼女に明かすことを決意する。


「……レイさん、私実は……」


 そう言いかけた時、真希子はレイに付き飛ばされる。一瞬何が何だか分からないが、レイがアプリコットから銀髪へと変化し、紅に染まった瞳と共に、愛銃ビスクドールを抜いていたことからある種の察しが付いた。


「あらあら、素敵なゲストさん達ね。そんなにこの子が欲しいの?」


 優しさ溢れるレイから、冷ややかで殺気を交えた雰囲気のミラージュへと変わっると、仮面をかぶった襲撃者たちはたじろいでいた。


「レイさん……」


「ダメ」


 自分にしがみつこうした真希子をミラージュははねのける。一瞬拒絶されたかと思ったが、ミラージュはぎこちない笑顔を見せる。


「ごめんね、今の私はミラー粒子をまき散らしているの。あなたにとっては毒でしかないわ。あなたを私は傷つけたなくないの」


 レイからはミラージュの存在を一応聞いていただけに、真希子はそこまでショックはなかったが、戦闘モードとなっても優しさを失わないレイに、真希子は思わず涙を流す。


「泣くのは後にした方がいいわ。このゲストさん達、ちょっと頭のねじが外れてるみたいだからね」


 ビスクドールを突きつけられてるにもかかわらず、この四人のゲストたちは些かも怯む様子がなかった。


 気力とも念動力とも違う力を発しているにもかかわらず、ミラー粒子に怯む所がない。


 どうやら、ついに彼らは動きだしたようだ。


 皇征一郎が率いる鬼道隊、彼らはようやく本気でアーマード・デルタと戦うつもりであることをレイはミラージュを通じて理解した。




 

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