駄散

ばじる

第1話 自己理解と他者理解

自己とは他者を除いて行った後に残る余白のことである


とは誰の言葉か忘れたが


であれば、自己理解とは他者理解の先にあるものと言える。


しかし、果たして自己を解さぬ者に他者へ踏み込む技量があるのかと考えると疑問を生じざるをえない。


では、その平行戦場で自己と他者は永遠に交わることはできなくなってしまう。


否、それゆえ自己理解であれ他者理解であれ、初めに行う方には痛みがつきまとう。


その痛みを他者に負わせて気づこうが気づかまいが、平気でいられるかが人間関係の構築力に影響してくるのかもしれない。



自己理解を初めに行うものはその痛みから他者へ踏み込めなくなる。


他者理解から始めたものは痛みを知らない。


このとき、他者から理解される側になったものは痛みを知る。


しかし、自身が他者へ行使する側へとなったとき、それを思い返すことができてしまえば、たちまち他者へ踏み込む道筋は姿を消し、一方その痛みを思い返すことなく同様に、若しくはさらに手ひどく他者へとぶつけることのできるものは自己理解のステップへと進むことができる。


要は、他者へ痛みを与える加害者になる勇気、若しくはそのことに気づかない愚鈍さを持ったもののみが自己理解を果たし、人間の形を保ったままでいられるのである。



しかし、ここで愚鈍と称したのは、私自身がその立場へと到達できないことから生じる嫉妬なのかもしれません。

自らの力不足の原因を他者に求めてしまう弱さをいつか克服できると祈りつつ、終わりとさせていただきます。

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