ペイントライアー!
沼米 さくら
01 クビシメアストラガルス
――――ああ、また発作だ。
「はぁっ、は、ああ、ッ」
苦しい。喉が絞まる。――そんな幻覚。
幻覚なのは知ってるし、病院で見てもらっても何もなかった。心のせいかもしれないけど、心当たりなんてありはしない。
ただ、呼吸ができない。
ひぅひぅと微かな浅い呼吸しかできない。
苦しい。苦しい。ただ、苦しい。
ベッドの上、もだえ苦しみ、ついに私は叫び出す。
ただ肺の中の空気が押し出され声帯を震わした結果の叫び。赤子のような、あるいはサイレンのような。
溺れるような、首が絞められるような息苦しさ。
苦しい。苦しい。ただ、苦しくて――。
「あー、うるさ――え」
しゃっとカーテンが開いた。
――ここが学校の保健室でベッドの上なのを、一瞬忘れていた。
いつの間にかチャイムが鳴っていたようで、いつも保健室にたむろするいわゆる陽キャの連中の一人が、私の目の前にいた。
金髪。短いスカート。着崩した制服。私とは正反対の人種。
ひゅう、ひゅ、ひゅ、と不規則な呼吸は私のもの。喉に手を当て(自分でこういうのもなんだけど)いかにも苦しいですよといった感じにうずくまってもだえ苦しんでいた私に、彼女は目を丸くして。
「あの、
一気に高くなった声音。私を呼ぶ。知ってたんだ。――まあ、保健室登校してるから必然的に有名になるか。
「……だいじょうぶ?」
その問いかけに、私はゲホッとひとつ咳をして。
すぅ――――っと長く息を吸って。
あ、苦しくなくなった。
苦しみが遠のく――はーっと息を吐くと、疲れからか急に眠くなって。
ふらー、あるいはよたよたと擬音がつくような足取りで、どうにかベッドサイドに戻り。
そのまま、パタンとベッドに倒れ込んだ。
「せんせー呼んでくる!」
「や、いいよ」
「でも……」
「あとで、言っとく。ありがと、心配してくれて」
ぼんやりと、そんなことを話した記憶があり。
「寝ちゃった……」
すうすうと寝息を立て始めた私。意識が遠のく直前に、そんな声を聴いたのだった。
高二の五月、連休明けの一幕。
これが、後の親友である
*
「ねーねー、板野さん」
「……なに? てかいま五限のはずだけど」
「サボった」
「ふりょーだ」
二週間くらい経った。私と久留見とはたびたび会話を交わす程度の仲になっていた。
「板野さんも同じでしょ?」
「私は許可をとったうえで課題もこなしてるからいいの」
「いいなー。授業でなくていいなんて」
その言葉をそっくりそのまま返したい。私だって好きで保健室登校してるわけじゃない。――いつあの苦しさがやってくるかわからない状況で、のんきに教室で授業なんか受けてられない。
私はため息を混じらせつつ。
「そりゃどーも」
半眼でベッドの隣に座る少女を睨んだ。……大きめで形のいいおっぱいが目に入って、なんとなく負けた気がしたのは内緒だ。
「板野さんってかわいいよね」
「え、なに? 皮肉か当てつけ?」
「そんなんじゃないってー」
――ここで、私の容姿について説明しておく。
伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪。天パ。目つきはお世辞にもいいとは言えず、ついでにチビで貧乳。表情は基本真顔。表情筋は固くて、声も低い。
対する久留見は、一言で言えばめっちゃ美人でいい女。さらさらの金髪でストレート。いつも愛想よさそーに笑ってて、身長も高めでおっぱいでかい。読モでもやってそうな美人。なんでこんな片田舎の公立校に通ってんだ。お前に似合うのは東京のオサレな私立校だろ。
心の中で、隣に腰掛ける女への称賛と羨望と毒電波を吐き散らかし、ため息を吐く。
「なんていうか、板野さん、マスコットって感じでさ」
こんな愛想の悪いマスコットがいるか。
けど、なんとなく言われて納得した部分はある。愛玩動物みたいに扱われることはよくあったからね。姉にもよく髪をモフられるし。
久留見は私のほっぺをむにむにとつついて。
「ほっぺも髪もめっちゃさわり心地いいし。ちっちゃくてかわいいし。マジマスコットだってー!」
「あ、ありがとう?」
「どーいたしまして!」
まあ、褒められて悪い気はしないし。
アニメのツンデレキャラみたいなそぶりはしないけど。
無表情のままで私は久留見に触られていた。
不思議と、いやな感じはしなかった。それどころかなんとなく優しさというか、気持ちよく感じてしまっている自分がいて。
深呼吸した。
――久留見と出会って以来、発作が起きていないことに、今更気づいた。
「ねね、久留見――」
「じゃーん、ツインテール!」
突然目の前に自分の顔。驚いてのけぞった私。手鏡の中の自分は珍しく目を見開いていて――髪型が、変わっていた。
耳の上、両サイドにまとめられた髪。かわいいかわいい……ぶっちゃけ、幼い顔立ちの私には皮肉なほどによく似合ってしまっているツインテール。
「――やっぱからかってない? 私のこと」
「そんなことないってー」
彼女は笑いながら否定した。素直にそれを信じる私。
――ある種、信頼関係のようなものが生まれていたのかもしれない。
だから、私はこんな提案をしてみる。
「……ね、久留見」
「なに? 板野さん」
「その、板野さんってのやめてよ」
「じゃあどう呼んでほしいの?」
「……ミキ。名前。呼び捨てで」
「おっけ。……これでいいかな。『ミキ』」
――呼ばれて安心感を覚えたのは、気のせいか。
「ん」
こくりと頷いて、私は隣に座る彼女に身を預けた。
眠気に目を細めつつ、彼女を見る。
彼女はそれに気づいて、微笑みを返した。
ただ、幸せだった。その感情だけは確かだった。
彼女が私に向ける優しさも微笑みも、全て嘘だと知るまでは。
*
「嘘つき!」
保健室。カーテンの向こう。騒音。
胸騒ぎ。カーテンを少し開けると、保健室の入り口のあたりで、いつもたむろしてる陽キャグループが喧嘩をしていたようだった。
その中に――久留見がいた。
「そんな、嘘なんて」
「吐いてない? 嘘つけ」
「……」
「心当たり、あるよね?」
弾劾されてるのは、久留見。
「一人だけカレシ作って抜け駆けして、あと暴力団とも繋がってるとか?」
「挙げ句アタシらの情報売ってたらしいじゃん」
「……っ」
「泣きそうな顔してんじゃねえよ。泣きたいのはわたしたちだよ」
弾劾する二人の陽キャ。真剣な顔で怒る彼女らに対して、俯いて顔を隠す久留見。
「おい、なんか言えよ!」
怒鳴った一人。久留見は肩を震わせ――笑いはじめた。
「ははは……そうだよ。ぜんぶホントのこと。あなたたちに見せてきたのは全部全部ウソのあたしだ!」
高らかに笑う彼女に、背筋が寒くなる。
「そうだよ。本当のあたしはこんな汚くて欲望にまみれたクズさ! なあ、笑うなら笑えよ。なあ!」
あまりの豹変ぶりに引いている陽キャたちに、久留見は言い放った。
その目に涙が浮かんでいることに気付いたのは、きっと私だけだろう。
「あばよ。いい金ヅルだったよ、あんたらは」
その言葉は、哀れな二人以外にも向けて告げていたのだろうか。
――私も、そんな風に思われていたんだ。
ひゅ、げほっ、げほっ。
喉が絞まりはじめた。
ああ――発作だ。久々の。
苦しい。苦しい。
苦しみはいつもより鋭く、喉を強く締め付ける。
幻覚だ。これは幻覚だ。
手をのばした。
誰か。誰か――――。
*
これ以降、久留見が保健室に来ることはなくなった。
以前のいつも通りに戻った、それだけの話。
発作はまた不定期に、不随意に起きる。
いつ襲い来るかわからない苦しみに怯える日々だ。いつも通り。そう、いつも通り。
なのに、苦しみは日々増えていくみたいで。
「――久留見 来愛、もう誰も友達いないみたい」
「五人いたカレシにもフラれたって。自業自得。ザマミロだよね」
保健室。カーテン越しに聞こえた声に、私は目を見開いた。
……どうしようもなく、あなたを求める私に気付いた。
*
astragals sinicus
ゲンゲ。別名レンゲソウ。
花言葉「あなたといっしょなら苦痛が和らぐ」
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