第1話 そんなこと言われても

 今を全力で生きる。


 言葉にするのは簡単だ。1回くらいなら実行もできるかもしれない。


 でも僕たちはどこか妥協している。これでいいやと諦めている。明日があるからと今を薄めている。


 今だけを見つめて、今だけ頑張る。それを繰り返せば、今を全力で生きられるだろう。


 仮に今を全力で生きられない人は、人生をやり直したって全力で生きられないのだろう。何度やり直したって、少しずつ人生を薄めるだけなのだろう。

 

 ……


 まぁ何が言いたいのかというと……


 子犬なんて助けなければよかったという話だ。





 2年生に進級して、少しばかり調子に乗っていた4月8日。

 度重なる赤点によって課せられた追試を突破し、やっぱり僕はやればできるなんて思い違いをしていた。


 だから、


「あの……!」登校中に声をかけてきた小学生の頼みを、引き受けてしまったのだ。「モコが……僕の犬が……犬が……!」

「……落ち着いて……犬がどうしたの?」

「あそこ……」


 現在僕がいるのは、この町を流れる川の近く。要するに土手が通学路なのだが、そこで少年に声をかけられた。


 少年が指を指した場所は、川のど真ん中。不法投棄の粗大ごみが集まってできた小さな陸地。


 その場所に、子犬がいた。水に濡れて、ブルブル震えていた。


「た、助けて……」

「……そんなこと言われても……」


 いくら川の流れも穏やかとはいえ……川は川だ。

 川遊びをするときは細心の注意を払わいといけないし、川には気をつけろと今は亡き母からも教わっている。


「ごめんなさい……!」少年は泣きじゃくりながら、「僕がリードを離しちゃって……追いかけてたら、モコが川に飛び込んじゃって……」

「モコって言うんだ」 


 かわいらしい名前の犬だ。


 さらに少年は言う。


「お願い……僕、泳げなくて……」

「……」正直言って気が進まない。2年生進級初日から遅刻するのも気が引けるし、制服だって濡らしたくない。「……大切な犬なの?」

「家族だよ……お母さんが死んじゃって……落ち込んでた僕のところに来てくれた、大切な家族なんだ」


 大切な家族……


 ……


 まぁ、制服くらい新しく買えばいいか。





 そんなこんなで少年および子犬モコのヒーローとなるべく、僕は川に飛び込んだ。


 一応ブレザーは脱いできたが、シャツは濡れてしまった。気持ち悪いが、気にしていられない。


 気分は物語の主人公。スーパーマンにでもなった気分だった。


 川の流れは穏やかで、簡単に粗大ゴミでできた島にたどり着く。


 そして颯爽と犬を助けてヒーローになる……


 


「げ……!」


 粗大ごみでできた島は……当然ながら粗大ごみが大量に集まっている。


 その中の1つ、冷蔵庫らしきものが島から外れて僕に襲いかかってきた。


 そのまま、冷蔵庫に押しつぶされるように川底に沈んでいく。押し返そうにも水中では力なんて入らない。


 焦って水を飲み込んでしまう。喉を汚い水が通って、体が一気に熱くなる。叫んで助けを呼ぼうにも水中だ。


 袖が冷蔵庫に引っかかって、うまく動けない。そのまま押しつぶされるように沈んでいき、ついに川底に背が付いてしまった。


 ……


 あれ……? これ死ぬのでは? 肺活量と体力にはそこそこ自信があるが、当然水中では生きていけない。

 袖が引っかかって脱出できない。冷静になればどうってことないのだろうが、今の僕はパニックだ。

 

 ああ子犬なんて助けようとするんじゃなかった……自分が死んじまったら意味がない。あの少年の心に傷を負わせてしまう。


 その瞬間だった。


「……?」


 入水音が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る