54. 手紙
雄一はとある方から、手紙をもらった。
そこには「神がいるのか?」という雄一にとっては、
不思議な手紙だった!
「神とは何だ?」
説明に困る、なぜなら神はカクレミだから神というからだ!
ゆえに、人間は見ることはできないのだ!
人間は三分息をしなければ、死んでしまう。
三日間、水分を取らないと死んでしまう。
食事も、三週間取らなければ死んでしまうのだ。
では、誰がこのようなことを決めたのだろうか?
神様なのかいや、人間が「動物」の一種だからだ。
そうなのです。
つまり、人間には限界があるのです。
ゆえに「個と全との融合」「有限と無限」との融合をつくらなければなりません。
それを「宗教」としたのですね。
人間にしか「宗教」はありません。
「宗教」がなければ、当然、世の中はメチャクチャになります。
「神」に居てもらわなければ困るのです。
そうなのです、あらゆる「道徳」も「本当の愛」も「良きこと」。「神」が存在しているという前提から始まっているのです。
「実際います!」
私の「臨死体験」ですが、人間は「無」というものになります。
意識する意識も無い状態です。
時間も空間もありません。
「何者か」が私の肩をつかみ、私を作ったのです。
「何者か」そう!「神」ですよね!
さらに「神」にしろ「宗教」にしろ「因果の関係」を説いております。
善は善を呼び悪は悪を呼ぶと。
となれば、良いことをし「徳」を積みたいですね!
さらに、こうとも言える。
神の中で、暮らしているのだとも!
ようするに、私は日本人で神道ひいきだから、
「天之御中主様」のお陰で、こうなっていると考えております。
浄土真宗の方は、「阿弥陀様」のお陰でこうなっていると信じているのでしょう。
つまり「自力」なんてものは一切存在しないのです。
あらゆること、全て「他力」なのです。
「絶対他力」と言い切っても過言ではないのです。
「禅」は自力と勘違いされる方がおられますが、
あれもまた「他力」なのです!
なぜなら「禅」へと向かわせる「何者か」がいるからです。
人生とは何でしょうか?
はっきり言います!
「出会いなのです!」
どういう人と出会うかで人生も決まってしまうのです。
そして「良書」との出会い、したいですよね!
私もしたいです。
友達が少ないので……。
そうなのです。
「人生の背後に必ず、何者かがいるのです!」
その何者かもまた「神」と呼ばねばなりません。
こうなってくると「神」の中で「生活」していると言っても過言ではないのですね。
「はるばると、眺めるに十方世界ことごく神なり!」
分かっていただけると嬉しいのですが…….
ありがとうございます。
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