6月のクリスマスイブ

ラムネ

第1話「売る」

 六月に祝日はない。五月にはゴールデンウィークがあるのに、六月になると一気に祝日が無くなる。でも、俺は六月が好きだ。なぜなら、俺にとって一番大事な日が六月にある。その大事な日は今日である。つまり六月十一日は、俺と彼女が必ず一緒に過ごすと決めている。今日、俺の家に午後六時に集まる予定である。


 現在、時刻は午後三時。暑くて起きる。今日のことを考えると中々眠れなくて、朝方までギターをいじってしまい昼に起きる。ギターを夢中で弾いたのは久々だった。

 今年は7回目にしてようやく、彼女にプレゼントを贈ることを考えた。いつもはお互いに物を贈ることを遠慮していた。なぜなら、物を貰った側は返さないといけないけど、お互いにそんな余裕は無かったから。俺の財布には、現在自由に使えるお金は2000円。じゃあ、どうするか。このギターを売って、彼女に贈り物をする。俺は、この木の板を背負い、細い廊下の壁にギターケースがぶつからない様に進み、外に出た。

 十五分ほど歩けば、売りに行く店まで着く。うんざりするほど暑い。彼女は今日も仕事を朝からすると昨日言っていたから、今は冷房の付いた仕事場で絵を描いているのだろう。ギリギリまでギターを売ることを黙っていたかったから昨日はテキトーな理由を付けて帰ってもらったが、今俺の家に居たら熱中症になっちまうよ。


 時刻は午後四時前。ギター専門店に入る。コーヒーの匂いと俺の知らない邦楽が店に充満している。明らかにジョンレノンを意識したと思われるサングラスを付けた、店長が受付に立っている。時間をかけると躊躇ってしまいそうだったから、俺は背中のギターをすぐに受付に置いて、「売ってくれ。」と言った。

 店長はギターバックから手早くギターを取り出し、三秒くらいギターを眺めた後に、俺に向かって「なんで。」と言う。

「もう、俺には必要なくなったから。これを金にして彼女にプレゼントがしたい。」受付の横に置いてある音楽雑誌を見ながら呟くと、

「椅子に座って待ってな。」と店長に言われた。


 ギターの試し弾き用の椅子に座る。ここに初めて座ったのは高校二年生の時である。俺が好きだった女子が軽音に入っている山崎って奴が好きだって聞いて、ここに来た。不純すぎる。本当は山崎がギター担当だったかどうかも知らない。勢いだけで来て、この店の雰囲気に怖気づいて、ぼーっと壁に掛かっているギターを眺めていた。そこで店長がガンガン詰めてきて色々教えてくれた。結局、高校生の時から金が無かった俺は何も買わずに帰った。しかし、その夜に親父が何故か俺にギターを譲ってくれた。この辺は確かに都会ではないけど、情報が回るのが早くないかと親父に言うと、

「あの店の店長、俺の友達、ていうか後輩。」


 そんなで高校二年生でギターを手に入れ、練習した。ある日、俺は教室で自分のギターを披露した。そして、「ナルシ、きっも。」とその子から言われた。あの時、俺は意外と傷つかなかった。悲しかったけど、それよりもギターの演奏を誰かに披露する楽しさが悲しみに勝った。この時から音に興味を持ち、全く面白くなかった物理学が好きになった。おかげで、ボーカルリムーバーのような、音の処理の原理をきちんと理解できた。


「4000円だな。」と店長が俺の肩を叩いて言う。

 値段をある程度予想はしていたが、実際に数字を言われると少し胸がチクリとする。

 でも俺はもう、ひかないのだ。

「それで買ってほしい。」俺は椅子から立ち上がった。

「この4000円で、プレゼントは買えるの?」店長はコップに付いた口紅を取りながら言う。

「ちょっと足らないけど、なんとかするよ。」

「このケースも売ってくれるなら、3000円プラスにするけど。」店長はニヤリと笑った。この提案は、明らかに店長の優しさだ。

「お願いします。」俺は7000円を受け取った。腕時計を見ると針は午後四時半。かなり長い間査定していたのか。

「俺ちょっと急いでるから、これで、さよなら。」

「またね。」店長はサングラスを上に上げて、いつも通り見送ってくれた。

 俺はこれから、彼女に付き添いを頼まれるイラスト系の器具が置いてある店に行く。ここからだと、およそ五十分で着く。荷物が減って、体が軽くなった。俺は走る。急がないと彼女が来てしまうし、気温がだんだん低くなってきたし、俺は走った。


 時刻は午後五時。俺は息を切らしながら店に入って、しばらく涼みながら息を整えた。落ち着くと、タッチペン売り場までテクテク歩く。彼女はデジタルでイラストを描くのだが、タッチペンが昔から安物だから高いのが欲しいとボヤいている。一番いいのは、……ニ万円。ダメだ。本当は、一番高級なペンを贈りたかったけど、手持ちの9000円でギリギリ買えるペンをレジに持っていく。

「今日、菜々さんは居ないんですか?」この店の店長である優太さんに言われる。

「実は、今日はこのペンを彼女に贈るために、お忍びで来ています。」

「あー、そうなんだ。このペンは評判いいよ。」優太さんはレジの横のパソコンを操作し始めた。ちょっとした間があってから、

「菜々さんが持っているペンは、このペンよりグレード低いし喜ぶと思うよ~。」

「じゃあ、これ買います!」お墨付きを貰えた。

「万が一、気に入らなかったら、特別に返品してもいいからね~。」優太さんはニコニコしながら言った。

 俺は持ち金の全てを優太さんに渡した。優太さんはサービスでいい感じにペンを包む。最後、店を出る時に、

「この前、菜々さんが忘れ物していったですよ~。だから、これを。」

 優太さんは、俺にピザが入ってそうな薄い箱の段ボールの荷物を渡して来た。荷物は軽かったが、サイズが大きい。ペンが入ったプレゼント袋はポッケに入れ、荷物は手で抱えながら家に帰った。

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