09.俺からは動けない
騎士が一般市民に魔力を使うことは禁止されている。国を守る騎士の魔法は、威力の強い攻撃系だからだ。
駆け戻ってきたグレアムに抱きかかえられ、逃げるようにしてその場を離れる。抱えられたのはフェイの腰が抜けて立ち上がれなかったためだ。
けれど人通りの多い場所にくると、大柄な男にお姫様抱っこされた姿は目立つらしく、行き交う人々がみんな振り返る。
「おろしてください。歩けます」
「そのかっこうでか」
恥ずかしくなって申し出れば、グレアムにそう指摘される。
フェイは自分の体を見下ろし、「ウッ」と声をあげてしまった。
ジャケットもブラウスもボタンが引きちぎられ、コルセットの紐は緩められている。明らかに乱暴されたことがわかるいでたちだ。未遂だけど。
確かにグレアムに抱っこされているほうがまだ……まだ……。
ところで。
「あの人たち、どうなったんですか」
「気を失ってぶっ倒れているだけだよ。じきに目が覚めるさ」
暴漢たちがどうなったのか気になって聞いたら、にべもない答えが返ってきた。
「副団長、怒られますか?」
「バレなければ問題ない」
見えたのは魔法の光だったから、あの暴漢たちは第三騎士団の副団長の魔力を正面から食らったわけだ。……ただ倒れているだけならいいのだが……禁を犯して助けてもらったのだから、これ以上の追及はやめておこう。
戻る途中で再び体が入れ替わる。この感覚にもすっかり慣れてしまった。
「エレン様が、魂と体は強く結びついているんだって、おっしゃっていましたよね。体が入れ替わると、そのことを強く感じます。体が覚えていることが本当に多いんだなって」
「そうだな。本来は切り離せるものではないからだろう。おまえの体にいると、感情のコントロールがしにくかったよ。リベリスがすぐに顔に出る理由がわかった」
「そ……それは申し訳なかったですね! 私、副団長みたいに大人じゃないんで!」
まだ二十歳なんで! と付け加えると、
「俺は大人ってわけじゃない。単に年を取っているだけだ。今でも判断に迷うことは多い。さっきだってそうだろう……助けに来てくれてありがとう。おまえが来なかったら、どうなっていたかわからない」
グレアムの声のトーンが落ちる。
「あれは、私もいけないんです。私が……自制できなかったから」
「でもそれは」
「だからお互い様だし、結果として何もなかったのだから、それでよしとしましょう」
フェイの主張にグレアムは何かを言いかけ、口をつぐんだ。
「……ありがとう、リベリス」
ややあって、グレアムがぽつりと言う。
グレアムは生まれつき男性で、強い魔力も持っている。
魔力を持たない女の子の振る舞い方なんてわからなくても当然だろう。
そういえば、グレアムも「おまえの体にいると、感情のコントロールがしにくかった」と言っていた。
フェイにつきまとう欠落感についても気が付いていた。
――さっきのあれも、理由をわかっているんだろうな……。
気持ちが抑えられなくなってフェイの体を押し倒してしまったことについて何も言わないのは、そういうことなのだろう。
そうこうしているうちに屋敷に到着する。グレアムを下ろすと、すたすたと玄関に近づきドアノブを回し、
「玄関の鍵が開いてるじゃないか」
驚いたようにフェイを振り返った。
「だって、私は鍵がどこにあるか知らないですもん」
「……まあ、そうだよな……」
言いながらグレアムが中に入っていく。
「いい匂いがするな。そういえば夕食の支度をしてもらってたんだったなぁ」
「ああ、そうですね。時間を置いたから味がなじんでちょうど食べごろになっていると思います。……いろいろあって疲れましたからね、まずは晩御飯にしましょう」
フェイの提案にグレアムが振り返って微笑んだ。
「そうだな」
なぜか、そのきれいな笑顔が心に突き刺さった。
スープを温め直し、オーブンから取り出した塊肉を薄く切って皿に盛る。
買ってきたパンを切り分け、スープを器に注ぐ。
「こんなに豪華な夕食は久しぶりだな」
厨房の隣にあるダイニングルームのテーブルに料理を並べていくと、ズタボロになった騎士団の制服に代わり、グレアムのシャツを羽織ったグレアムが目を輝かせた。
部屋着は持ってきているが、すぐに風呂に入ってあとは寝るだけだから着替えるのは面倒だと、グレアムは自分のシャツを引っ張り出してきたのだ。
小柄なフェイの体に、グレアムのシャツはだいぶ大きかった。
その姿を見て、グレアムの体が妙にそわそわする。
その理由はわかる。わかるけど、あえて無視をする。
グレアムがいつもやっていることだ。
「副団長、伯爵家の方ですよね」
「実家には近寄ってないからなぁ」
フェイのツッコミにグレアムが肩をすくめた。
その日の晩御飯は和やかなものになった。グレアムはエレンとの腐れ縁、今までの失敗談、団長の武勇伝など、いろんなことを教えてくれた。
今まで厄介だとしか思っていなかった変人国家魔術師が、実はいろんな制約に縛られて苦労していることや、近づきがたいと思っていた団長の意外な一面、そして何よりグレアム・ハンスティーンという人についてたくさん知ることができた。
夕食後、グレアムが「とっておきのお茶がある。実家で分けてもらったやつ」と言って、いい匂いのするお茶をフェイに淹れてくれた。
口にすると爽やかな風味が広がる。
「エレンは本当は天文学者になりたかったみたいだ」
「へえ。でもなんか、らしいですね。副団長は?」
「俺は……騎士以外は考えたことがなかったから、よくわからないな」
「もし魔力がなかったら、と考えたことはないのですか? 一度も?」
「もし魔力がなかったら……そうだなぁ……」
フェイは猫舌だと教えたため、お茶が冷めるのを待ちつつグレアムが思案する。
「よその貴族の家と同じで、兄の補佐にでもついていたんじゃないかな」
「ハンスティーン伯爵家の?」
「そう。次男は長男に何かあった時の控えだからな」
「……何か役割があるって、羨ましいですね」
フェイは光の加減で色が変わって見える不思議なお茶を眺めながら、呟いた。
「何も持たない私は誰からも何も求められていないから、自分で見つけてつかんでいくしかないもの」
「……それは、おまえが気付いていないだけだよ。おまえにはいいところがいっぱいある。たくさんの人と関わるうちに、みんながおまえのよさに気付いて、いつのまにかなくてはならない存在になっているよ」
「副団長が私に優しい。副団長に褒められたのは初めてかも。いつも怒られるから、てっきり副団長には嫌われてるのかと思ってた」
ティーカップを手に、グレアムに驚きの視線を送れば、
「事務官としてのおまえは、いろいろ抜けてるからな。思うところはある。おまえはしょせん事務と思っているかもしれないが、任務で命を張る俺たちを支えるのは事務官だ。どこまで指摘するべきか、いつも悩んでる」
グレアムもティーカップを手にしたまま答える。
「う……精進します……。あ、じゃあ、あの顔は言いたいことを呑み込んでる顔ってことですか」
「まあ、そうだな」
「事務所でもこんなふうに優しくしてくれてもいいんですよ?」
茶化して言うと、
「それはできない。上司と部下という立場は崩したくないからな」
ようやくお茶に口を付けながらグレアムが答える。
「なぜですか。気軽に話せる間柄のほうが、仕事のやりとりもスムーズになりそうなものなのに」
「俺も昔はそういう考えをしていたんだが、こっちがあれこれ口出しして部下をだめにしたことがあって、団長にこっぴどく怒られた。上司に部下は逆らえないんだ、おまえのほうこそ立場をわきまえろ、って」
だから、明後日からは元通りだ。
グレアムの言葉が、胸に切なく響く。
「……せっかく仲良くなれたのに、元通り?」
「そうだな。元通りだ。じゃないと、いろいろと支障が出る。おまえだけ特別扱いにはできない」
フェイの問いに、グレアムが静かに答える。
さっきのきれいな笑顔が心に突き刺さったのはこれだったのだ。気持ちを押し隠している時の彼は常に仏頂面だ。笑顔は、隠すものがない時。覚悟を決めている時。
グレアムはすでに決断を下している。
自分の立場をわきまえて。
フェイの気持ちは置き去りにしたまま。
彼はこの期に及んでもフェイを「ただの部下」として扱おうとしている。
「いやです。私は元通りなんて無理。だって、副団長のことをいろいろ知ってしまったもの。そのせいで副団長への気持ちも変わってしまったもの。なかったことにはできません」
「それは俺も同感だ。だから俺が異動願いを出す」
フェイの抗議にグレアムが冷静に答える。
異動願い?
「どうして副団長が異動するの!? 私といたくないなら、私を飛ばせばいいでしょ!?」
「いたくないわけじゃない。俺だってできればおまえのそばにいたい。でも、もう無理だ。これ以上、自分を抑えられる自信がない。俺はおまえを傷つけたくない。おまえだってわかってるんだろ、さっきのあれが俺の本音だって」
大きな声をあげたフェイを、グレアムが睨み返してきた。琥珀色の瞳にみるみる涙がこみ上げてくる。「フェイ」の体は感情のコントロールが苦手なのだ。
グレアムも葛藤している。
「私、別に傷ついてないし!」
「嘘をつけ! 俺の体に襲い掛かられて、この体は明らかに怯えていた!」
葛藤の理由はこれか。
「それは、その体の認識が今日の午前中で止まってるからです! 私が副団長を好きになったのは今日の午後からだもの。今なら怖がらないはず!」
ふーふーと息を荒げるフェイを、グレアムが涙を堪えながら見つめる。
「副団長は、私に気持ちをぶつけて私が傷つくかもしれないのが怖いんでしょ? 私が平気なら、問題ないってことでしょ? 異動なんてしないで、このまま第三騎士団にいてくれるんでしょう? 私、副団長のいない第三騎士団なんていやです」
「……リベリス」
「グレアム・ハンスティーンがいない第三騎士団なんて……いやです……私を助けてくれた騎士様は、私を助けてくれた騎士団にいてください……」
フェイの懇願に、グレアムの瞳から一筋、涙が零れ落ちる。
「……リベリス、俺は、おまえが好きだ」
「はい」
「ずっと前から好きだった」
「……はい」
「立場をわきまえろと、おまえの採用が決まった時に団長から言われた。俺がおまえに何か要求すると、おまえは断れない。おまえのほうが立場が弱いからだ。だから俺はおまえを特別扱いしなかった。近づくこともしなかった。俺にできることは、騎士団の連中を牽制することと、エレンの要請を却下することくらいだ」
それで配属されてからこっち、誰からも声をかけてもらえなかったのか!
初めて知った。
騎士団は職場恋愛が禁止されているわけではない。証拠に同期のミネルヴァは騎士をつかまえるべく奔走している。
「俺からは動けないんだよ、リベリス」
グレアムがそう言って目を伏せる。また一粒、涙が頬を滑り落ちる。
フェイは立ち上がるとゆっくりとテーブルを回り、涙をこぼすグレアムの前に立った。
「なんだ、そういうことなんですか」
グレアムが目を上げる。頬に手を伸ばし、指先で涙をぬぐう。
そしてそのまま顔を寄せて、口づける。
眩暈。視界の暗転。今日一日で何度も経験した。
目を開けると、フェイはダイニングのイスに座っていて、目の前に腰をかがめてこちらを至近距離から覗き込んでいるグレアムの姿があった。
青い瞳に自分の姿が映る。そこにいるのはフェイ・リベリス。私自身だ。
フェイは両手を伸ばしてグレアムの頬を挟んだ。そしてそのまま引き寄せ、唇を重ねる。
二度、三度。
「じゃあ、私から近づくぶんにはかまわないんですよね?」
好きです、副団長。
そう囁いた瞬間、フェイはグレアムに強く抱きしめられた。
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