第7話
春の枝のはじめ。
この日は朝から年長のヅアンたちがバタバタと慌ただしく動きまわり、僕たち幼年組は指示があるまで決して部屋から出てはいけないと言い渡されていた。
前日の夜にアンバから聞いた話では、天衣領の外から季節分の乾燥ミルガが届けられるのだそうだ。
院にはおおよそ三十から五十人ほどのヅァンが暮らしているようなので、その季節分が一度にとなれば結構な数になるだろう。
院生の人数が曖昧なのは、年長に上がっても我が育たず寝たきりの者たちとは顔を合わせる機会がまったくないからだ。
建国記の内容からして天衣が国教のようなものに関わる存在とはいえ、これだけの数の、しかも働ける見込みのない者たちにまで食事と寝床が用意されるというのは、なかなかの福祉体制かもしれない。
「イェン、スルガの背中に回って体を起こしててくれる?」
「う、うん」
今日はアンバも他の年長者もこの部屋の介助に時間が割けないので、僕とイェンで朝食を回す。
オトワとトルクゥアはミルガを渡せば勝手に食べてくれるが、デヤンは小さくちぎって口に入れないと咀嚼してくれない。
スルガなどはほとんど噛むことも出来ないので、口の中に少しずつお粥を流し込むしかない。
かなりの時間をかけて部屋の全員にミルガを食べさせると、慣れない作業に疲れたイェンの腹が盛大に鳴った。
「イェン、それじゃ足りないでしょ?僕のも食べなよ」
「でも……昨日の夜も分けてもらったもの……」
「いいよ。僕あんまりお腹減らないんだ」
イェンは僕の顔とミルガを見比べたのち、やはり空腹には耐えられなかったのか「ありがとう」と呟いてちぎったミルガを受け取った。
イェンの分のミルガは大きめのものを選んでもらっているとはいえ、やはりそれだけでは量がまったく足りないらしい。
(今度からイェンの分もお粥にして量を嵩増ししてもらった方がいいかもしれないな)
次にアンバに会った時に訊いてみようと心に留めて、僕も残りのミルガを口に放り込んだ時、ちょうど部屋の入口にアンバが現れた。
「アンバ?今日は一日来れないんじゃなかったんですか」
「シゼルとイェンを呼びに来たんだ。お客様が会いたがってるって」
「……?お客様って、ミルガを届けて下さった王国の方ですか?」
「そう。案内するから一緒に来てくれるかな」
王国民に所縁のありそうなイェンはともかく、僕が呼ばれる理由が思い浮かばない。
単にイェンの付き添いだろうか。
訝しみながらも、僕は言われた通りついていくことにして、不安そうなイェンの手を引いて歩き出した。
ひょっとすると、客はイェンの肉親で、イェンを迎えに来たのかもしれない。
一度はこんなところに預けなければいけなかったのだから、引き取られた先で安楽な暮らしが待っているということはないかもしれないが、少なくとも一日ミルガ二枚の生活からは抜け出せるのではないだろうか。
所々石が欠けたり崩れたりしているヅアニマ院の廊下を歩きつつ、僕は隣のイェンを盗み見た。
イェンは不安そうな、思い詰めたような顔でぎゅっと僕の手を握っている。
これだけ懐かれているのだ。いざ別れるとなれば寂しい気持ちはある。
けれど純粋な天衣ではないのだろうイェンにこの穏やかだけど歪な暮らしを強いるよりはずっといい。
そんなことを考えながら渡り廊下を通って中央なかの院に入ったところで、アンバが足を止める。
入口に立派な織り布の幕が掛けられた部屋を指して、イェンの背中をそっと押した。
「イェンは今しばらくここでお待ちください。先にシゼルがお目通りします」
客がいる可能性がある中央だからだろうか。アンバの口調がかしこまったものになっている。
イェンは僕の手を強く握ってふるふると頭を振った。
「い、いや……シゼルといっしょがいい、です」
「シゼルは後でお客様を案内してこちらに戻ってきます。すぐのことですから、待っていて下さい」
「でも……シゼル……」
「僕は大丈夫。アンバもこう言ってるし、すぐに戻ってくるから待ってて」
「………」
イェンは本当に渋々と言った体で手を放し、送り出してくれた。
前世ならイェンくらいの歳の子供を一人で待たせたりしたらじっとしていられずに抜け出してしまうことを心配するものだが、素直に言うことを聞くヅァンの子供しか知らないアンバはイェンに繰り返し言い聞かせるでもなく、すたすたと歩きだす。
僕はイェンが心配で何度も振り返ったが、イェンも幕を持ち上げてずっと僕を見送っていた。
どうやら正門から中央の院の正面を入ったところに応接の間があるのはシゼル宮と同じらしい。
分かりやすい間取りなので道順を間違えることはなさそうだ。
アンバが中に声を掛け、応接の間の幕を持ち上げると僕の背に手を添えて中へ入るよう促した。
部屋の中はお香のようなものが焚かれているらしく、独特の香りが充満している。
大きな絨毯の上にはリリヤンと、見知らぬ三人の男が胡坐をかいて待っていた。
「お待たせ致しました。マクス様がお召のヅァンをお連れしました」
言って、アンバが一歩下がると、入れ替わるように僕を前に出した。
その場の視線が僕に集中する。訳が分からないなりに何か言った方がいいのかと迷ったが、普通のヅアンは教えられていない言動はしないものだ。
僕は突っ立って反応を待った。
三人のうち二人はリリヤンも着ているような形で、色だけが浅黒い法衣を着ている。
一人だけは壁画の古代人とかが着ていそうな皮の鎧姿だ。筋骨隆々という言葉が相応しい武人然とした佇まいをしていた。
法衣の二人が顔を見合わせ、ニヤニヤといやらしい類の笑いを漏らす。
「おやおや、マクス様はこのように幼い者がよろしいのですか?意外なご趣味でいらっしゃる」
法衣の男の声は妙に甲高かった。
天衣と違って顔立ちはハッキリと男のそれであるのに、動きも妙にナヨナヨとしている。天衣とは違う性別不詳な雰囲気があった。
「まぁまぁ。お互いここでのことは言いっこなしでいこうではないですか」
「……ああ。他言無用で頼む」
「もちろん、もちろん。良い趣味はお互い様でございますものねぇ」
皮鎧の男は他の二人と違って見た目通りの低い男の声だ。
状況はよく分からないが、なんとなく嫌な空気だった。
思わず身を固くした僕に、法衣の男の一人が気付いてコロコロと笑った。
「ほぉう。一丁前に怖がっているようですよ。これは当たりを引いたのではございませんか?さすがマクス様」
「えぇ、えぇ、天衣は従順なところが良いのですが、たまに少しの抵抗も乙なものですからね。どれ、少し味見してみましょうか……」
法衣の男の一人が立ち上がり、にやついた嫌な顔でこちらに近付こうとした。
ぞっとして後ずさった僕を庇うように、リリヤンが間に立ち塞がる。
「おや、このような形の小さいものを取り合わずとも、言ってくださればわたくしがご希望に添いますのに。つれない方ですね」
庇われてホッとしたのも束の間、鳥肌が立つような甘ったるい声で法衣にしなだれがかったリリヤンに驚いて、僕はまた固まった。
今からここで行われる“もてなし”の内容が嫌でも分かって、バッと鎧の男を見る。
「シゼル。その方をお部屋にご案内なさい」
「……でも、リリヤン=トルド!あそこには……!」
「大丈夫です。マクス様はあなたにもあの子にも無体な真似はなさいませんよ」
「でも……だって……」
「シゼル……わたしはトルドだよ。信じなさい」
「…………」
強い瞳で言われて、僕は再び男を見た。
体は分厚く、体中に無数にある傷跡が歴戦の猛者の風格を漂わせている。
襲われれば絶対に勝てない。僕ではイェンを守れない。
一見堅物そうな雰囲気だが、そういう人物こそ……ということは大いにありうるのだ。
とてもイェンの前には連れて行けない。
(どうする……?何か適当な理由をつけて別の場所に連れ出して……途中でまいて逃げ出せば……いや駄目だ。こいつを怒らせたらもう院にミルガが届けられなくなるのかもしれない。せめてイェンは……僕が……我慢すれば……)
「重ねて言うが、無体はしない。案内してもらえるか?……その、あの子のところへ」
男は眼前に立つといっそう巨大だった。
怖くて逃げ出したかったが、院に迷惑を掛けないように逃げる方法が浮かばない。
僕は喉まで出かかったものをなんとか飲み込んで、男を先導するように動き出した。
イェンの待つ部屋は中央の院の奥まったところにある。
僕は素知らぬ顔で部屋があるのとは反対の方向に曲がろうとしたが、鎧男の大きな手に肩を掴まれた。
「待て。そちらではないだろう」
「………ふ、ふたりきりの時間を頂けませんか?向こうに待っている子より、僕の方がご満足頂けると思うのです」
震えて歯が鳴りそうになるのを必死に堪えて、僕は精一杯の媚を売った。
鎧男はギョッとして目を見開いた。
「お前はル……あの子を守ろうとしているのか?ヅァンが何故そこまで……」
に言いかけて、いや、と首を振ると、周囲を見渡しその場に跪く形になって身を屈めた。
声をひそめて男は言い直す。
「そんなこと今はどうでも良かったな……怖がらせてすまなかった。あのような者どもと並んで現れたのだ。同類と思われても致し方ない」
鎧男が大きな体を折って頭を下げた。
ばさばさと硬そうな赤い髪が目前に垂れている。
「私はあの子……イェンの両親の知己だ。それに、イェンのお母上から託されてあの子をここに隠したのも私だ。狼藉など働こうはずもなければ、無理矢理連れ去ったりもしない。闘士の誇りに誓って言う」
「……………」
僕はこの国の闘士とやらがどれだけ誇り高い位なのか知らない。
けれど、言わずにはおれなかった。
「誇り高い闘士様でも、リリヤン=トルドがあの人たちに触られるのは見て見ぬ振りなんですか……?」
確信を突いてしまったのだろう。
愕然とした顔で、鎧男が僕を見た。
何か言い募ろうと口を開きかけ、言葉が見つからなかったのだろう。力無く項垂れて再度謝罪する。
「すまない……本当に……本当にその通りだ……私はもう、闘士の誇りなど振りかざせる身ではなかったのにな………」
心底情けないという風に落ちた肩は小さくて。
ほんの少しだけ、警戒心が薄れてしまった。
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