第1章:1日目

第1話 俺達の日常

 どうにもおかしい。


 高校2年の1学期、夏服に衣替えしたこのタイミングで、忌まわしき中間テストが終了したと思ったら、赤点を取ったせいで補習を受ける羽目になってしまった俺は、所属する2年3組の教室で課題のプリントを終わらせるや否や、そう思っていた。


 何せ、監督役の教師が途中で席を外したまま、時間になっても戻って来ないのだ。


 補習というからには教師に教えを乞うものだと思っていたのだが、プリントをやらせるだけ。


 全くもってやる気が感じられない。


 赤点を取った俺が言うのもなんだが、平凡な公立高校というのはこんなものなのだろうか。


 ――あ、いけね。


 名前を書き忘れている……


 俺はプリントの右上に「志摩しま朔真さくま」と書き入れた。


 補習の為に残されているのは俺以外に2人いて、彼らの様子を伺って見ると、どうやら俺と同じく課題プリントを解き終えているようだった。


 俺の席は教室のほぼ中央に位置しており、補習者の1人は俺の右斜め前方、教室のドア前に座っている男子。


 もう1人は、俺と同列の窓際にいる女子だった。


 2人共、俺とは少し席が離れてはいるが、1年の頃から同じクラスで、こうして3人で補習を受けるのも何度目になるかわからない。


 特別に仲良くしているつもりもないのだが、学校行事等も含め、なぜかこうして3人で一緒になる事が多かった。


 ……しかし、補習時間が20分過ぎても担任がやって来ないのはどういう了見なんだろうな?


 痺れを切らした俺は席を立つと、教室ドアに近い男子の方へ向かって歩いていった。


「時間になっても先生来ないけど、もう帰っていいよな?」


 野間のま隼斗はやと――


 それが、俺が話し掛けた相手の名前だった。


「キミか。フッ……我輩も同じ事を考えていたのである」


 野間は中肉中背でグレーを帯びた髪色をしている。


 肌は色白でパッと見は俳優と見紛うイケメンなのだが、妙な喋り方をしているせいで、ちっともモテない悲しい男だった。


 まぁ、本人は恋愛に関心がなさそうなので、俺もとやかくは言わない。


「先生がサボってんなら、俺達がサボってもお咎めなしだろ」


「ふむ。それではこのプリントは鼻紙にでもしておくのである」


「するなよ。それやったら何の為に補習を受けたかわからんじゃないか」


「フッ……」


「その笑い方やめろ。なんか気取ってるみたいで鼻につく」


「ふはははははは!!」


「だからって急に大声で笑い出すな! 言動が一々意味不明なんだよ、お前は!!」


 イケメンなのに中身が大変残念なのが、この野間隼斗という男だった。


「楽しそうだね~」


 背後から声がして振り向くと、もう1人の補習受講者がそこにいた。


「……ひまりか。そっちもプリント終わったのか?」


 夏泊なつどまりひまり。


 それが彼女の名前だった。


「うん。も~、物理とか数学とか理数系は苦手なんだよね~」


 ちっとも苦手そうではない、のんびりと間延びしたような口調で言った。


 ウェーブのかかった明るいセミロングに瞳はぱっちりと大きく、口元はいつもニコニコと笑顔を携えている。


 平均的な背丈にスレンダーな身体つきなのだが、出る所はしっかり出ている。


 売れっ子の読モだと言われても違和感のない美少女なのだが、名前のとおりポヤポヤとした性格で俗世にはあまり興味がないらしく、休み時間はおろか授業中もしょっちゅう眠っている。


 そんな彼女はストレスとは無縁そうな生活を送っているためか、1年の時は皆勤賞を貰っていた。


 運動音痴のクセに、身心は丈夫で健康らしい。


「お前、1年の頃から苦手だったよな」


「そういう志摩君はやっぱり英語?」


「やっぱりって何だ、やっぱりって。俺は英語が苦手なんじゃない、英語が俺を苦手としているんだ」


「あはは、上手い事言うねえ。じゃあわたしも、物理さんがわたしを苦手としているって事なんだね~」


 何が楽しいのか、ひまりは目を細めてクスクスと笑っていた。


 そんなひまりを見ていると、こちらも微笑ましい気分になる。


「キミ、鼻の下が伸びているのである」


「の、伸びてねえよ? 俺が伸ばすのは成績とシワくらいなもんだ」


「いいね、それ。わたしはついついお菓子に手が伸びてしまうかなあ」


「そういう割にはほっそい体型してるじゃねえの」


「いやぁ、お菓子を食べている分、お米には手が伸びないようでして」


 照れたように笑うひまり。


「フッ……我輩は枝が伸びているのである」


「枝って何だよ?」


「ふはははははは!!」


「だから急に大声で笑い出すなっての!! 何なんだ、お前は一体?!」


「我輩は国語の補習を受けていたのである」


「聞いてねえよ!」


「『吾輩は猫である』は国語で習ったのにねえ」


「関係ねえよ?!」


 これが俺達の日常だった。


「……なんかもう、疲れた。なあ、もういい加減帰ろうぜ?」


 俺は嘆息しながら言った。


「課題のプリントはどうしよっか?」


「フッ……職員室へ持っていけばいいのである。先生がいなければ、先生のデスクに置いておけばよかろう」


 コイツ、たまには機転が利く事を言うんだよな。


 頭がいいのか、イカれているのか。


「よし、そうするか」


 そう言って、俺達が帰り支度を始めようとした、その刹那。


 けたたましい音と共に、勢いよく教室の扉が開かれた。


「――い、いたぁ! 先輩達、まだ残ってたんスね?!」


 教室の扉を開けたのは男女2人組の生徒だった。


 上履きの色から1年生だと分かる。


「何だ、お前ら。上級生の教室に殴り込みにでも来たのか?」


「ち、違うっスよ! それより、大変なんスよ!!」


 そう叫んでいたのは、茶髪の1年男子だった。


 見るからにチャラ男風、締まりのない緩み切った顔付きに、校則違反のネックレスをしている。


 しかしガタイはいいようで、スポーツか何かで鍛えていたのだろう、肌もやや浅黒い。


「そうよ、大変なのよ!!」


 そう叫んだのはチャラ男の隣にいる、同じく茶髪のボブカット女子だった。


 背丈は小柄で少々キツイ印象だが、目元にある泣きぼくろが多少はそのキツさを中和しているようにも思える。


「大変って、何がどうしたの?」


 ひまりは突然の珍客にも動揺する事なく、マイペースに訊いていた。


「いいスか、先輩達?! お、落ち着いて聞いて下さいっスよ?!」


「まずはお前らが落ち着け」


「そ、そんな場合じゃないんスよ!」


 落ち着けっつったのはお前だろうが。


「じ、実は自分達――」


 チャラ男は一呼吸置くと、驚くべき事を口にした。


「――学校から、出られなくなってるんス!!」

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