ホシグライ5

 キユリが子を生んでから、ヒトの暦に換算して十年が経った。

 キユリはもう、子を産み落とした星系(恒星が爆発した以上最早『星系』ではないだろうが)の領域内に留まっていない。遥か遠くでぽつんと輝く、数少ない光の一つに向かって進んでいる。

 ホシグライは子育て中であっても、新たな餌場である星系に向けて緩やかに進む性質を持つ。餌場である恒星が爆散した以上留まる理由がなく、それよりも新たな餌場恒星に向かう方が時間を無駄にしない分合理的だからだ。ただし飛び方は亜光速粒子ジェットを使った全力航行ではなく、慣性を利用したゆっくり(それでも秒速五千キロは出ているが)なもの。身体が小さな幼体は成体ほど速くは飛べず、また体力も少ない。幼体に速度を合わせておかないと、すぐに逸れてしまう。

 これは幼体に対する気遣いではなく、単純に可愛いものを手放したくないがための行動だ。つまり親側の能動的な行いである。


【ピキュキュキャーッ】


 対して幼体は親に対する愛着もないので、割と自由だ。離れるのも近付くのも、自分の気持ち次第。仮に逸れても身体的には十分生きていけるので問題はない。キユリの子も、キユリの周りを無秩序に泳ぎ回り、離れ離れになる事を恐れていなかった。

 幼体は生まれた時よりも大きく育ち、今や全長四百五十メートルに達している。キユリの見せる技を習得しようと激しく身体を動かしてきたため、筋肉も発達し隆々とした肉体になっていた。表情などないが、顔付きも引き締まっている。

 成長した幼体は表皮も硬くなっている。渡したエネルギーの総量も多く、そろそろキユリは空腹感を覚え始めた。また彼女が持っている技も全て教えている。未だ幼体は技の出来が未熟なので親は小馬鹿に出来るが……未熟なだけで多少は真似出来るようになったため、かつてほど自己顕示欲も満たせない。

 キユリの気持ちとしては、そろそろこの子を育てる事にも飽きてきた。

 遠からぬうちにキユリは子を放棄し、さっさと次の星系を目指して進むようになるだろう。置いていかれた子も、気儘な旅を始める。そうして彼女達の血筋は宇宙に広がっていくのだ。

 ――――ただし今では、広がり過ぎたと言うべきか。


【ピキュ?】


 不意に、キユリは動きを止めた。子は気儘に飛ぼうとしたので手で掴み、引き寄せておく。

 キユリが動きを止めた理由は、目指していた星が

 何故星が消えたのか? 難しく考える必要はない。星を消す事など、キユリにも可能なのだから。

 キユリ以外のホシグライが恒星を食べ、その過程で恒星が爆発したのだ。要するに先を越されたのである。尤も、今キユリが目指していた星は五百光年以上離れた位置にあるので、実際に恒星が爆発した先を越されたのは五百年以上前の事だが。

 目指していた星がなくなった以上、別の星を探さなければならない。まだまだ身体の中には十分なエネルギーを溜め込んでいるが、幼体の世話でそれなりに消耗している。近場で得られるならそれに越した事はないのだが……見える星はどれも遠く、数千光年は離れている。

 遠い星ほど光が此処まで届くのに時間が掛かるため、もうとっくの昔になくなっている可能性が高くなる。だから出来るだけ近い星の方が好ましいが、そもそも星の数があまりに少ない。全方位を見渡し、暗い星も含めれば何千という数があるが……言い換えれば何千しかない。中には星ではなく遥か数十万光年彼方の銀河もあり、ホシグライの寿命とエネルギー量なら行けない事もないが、ここまでの長旅は流石にリスクがあるため積極的には選びたくない。


【ピキュゥゥー……】


 迷ってしまったキユリは、その場でうろうろしてしまう。

 手頃な星が見付からずに右往左往。このような事態は、今のホシグライにとっては珍しくもない。

 何しろホシグライは大繁栄を遂げている。個体数は今や百兆体を超えており、どの個体も繁殖のためのエネルギーを求めている状態だ。大量の恒星が短期間で消費されていく。

 食べた分だけ星が『供給』されるのであれば、大した問題とはならない。そして星は常に誕生している。銀河を満たす塵がそれぞれの重力で集まり、十分な質量を得たところで核融合を起こす星……恒星へとなるのだ。これは銀河のあちこちで起きている事で、決して珍しい現象ではない。

 だがその頻度はあまりにも遅い。ヒトが暮らす銀河系ほどの規模であっても、年間十個程度の誕生が精々だ。対してホシグライは個体数が極めて多い。いや、ここまで個体数が増えてしまったと言うべきか。星系文明程度なら苦もなく滅ぼせる戦闘能力故に、最早天敵となる存在はおろか、抑止力となる種族さえ存在しない。喰らう事も増える事も邪魔されず、星々を渡るため寿命が無尽蔵にあり、恒星のエネルギーを蓄えているので飢えも知らない。こんな生物ともなれば、数が増えるのは必然だ。

 更に一体が一個の星を喰うのに費やす時間が少ないのも問題である。光速の十パーセント以上の速さで飛び回るホシグライが次の恒星へと辿り着くのに、距離によっては一万年も掛からない。別の銀河に渡るとしても、近い場所なら数十万年で到達可能である。そして文明の淘汰と繁殖に、百年も掛からない。星が誕生するよりも、ホシグライの増殖速度が圧倒的に上回っていた。

 このあまりに増え過ぎた結果が、星のない宇宙という光景だ。彼女達が生まれた銀河は既に食い尽くされ、今や何十という数の銀河にホシグライは勢力を広げ、星を食い荒らしている。彼女達の大繁栄は宇宙の景色さえも変えてしまったが、その状況に一番困っているのが彼女達自身だった。

 いわば食糧危機の状態である。

 ホシグライの体内には恒星から得た莫大なエネルギーがあるため、活動するだけなら三億年は生き続けられる。しかしたった三億年では星の数は回復しない。むしろ長すぎる寿命と優秀過ぎる飢餓耐性の所為で僅かなチャンスも掴んでしまい、個体数は減るどころか増えてますます状況は悪化していた。飢えたホシグライの数は確実に増えている。そして飢えたホシグライは遠くの銀河にまで足を運び、潤沢な星々を喰らい、本能のまま増えて同じ事を繰り返す。いくら知能が高くとも本質的に野生生物である彼女達に、個体数を抑制するという考えはない。

 ホシグライは今全盛期を迎えているが、それは個体数だけを見た時の判断。生息環境は、既に取り返しの付かないほどに悪化していた。後はもう、衰退するだけ。

 とはいえこのままただ衰退するのであれば、或いは復活の目が合った。ホシグライの数が激減すれば、やがて恒星の誕生数が消費数を上回る。星の数が回復すれば再びホシグライは繁殖し、新たな全盛期を迎えただろう。

 しかし生命は変化する。『今』この瞬間を生き残る、より適した形質を持った個体が繁栄するがために。

 それはホシグライであっても変わらない。


【――――ピュキュリリリリリ……】


 恒星を探して辺りを見回していたキユリだったが、不意に警戒心を強める。幼体もキユリが何かを警戒している事を察し、身を守るため傍に寄ってきた。キユリは ― 愛情はないものの可愛い幼体を失いたくないので ― 我が子を抱き寄せつつ、今度は集中した眼差しで周囲を見回す。

 そうすれば、一つの『脅威』を視認する事が出来た。

 宇宙の彼方から、何かが猛烈な勢いでキユリ目掛けて進んでいた。宇宙空間における速度とは相対的なもののため、厳密には測れないが……静止状態のキユリから見て秒速の猛スピードを出している。

 その凄まじい速さを生み出しているのは、隠れる気がない激しさで噴射している亜光速粒子ジェット。途方もない出力のジェットで推進力を得ていた。物体の大きさは優に一千メートルを超えており、キユリに匹敵する……或いは、少し上回っているだろうか。体色は白く、自身が放つレーザーの輝きを反射してキラキラと煌めく。身体からは四本の腕が生え、暴れのたうつように蠢いていた。

 そして進行方向側にあるのは大きな頭部。四方向に裂ける口を開き、小さな歯が生え揃った攻撃的な口内をキユリに見せ付ける。

 ホシグライだ。大繁栄を遂げているからこそ、ホシグライ同士の接触は広大な宇宙空間であっても稀に起きる。

 とはいえ基本的に単独行動をするホシグライにとって、同種というのは『どうでも良い』存在だ。むしろ恒星という食べ物を巡るライバル関係であり、出来る事ならあまり近くにいたくない。そのため普通は相手の存在を発見すると、お互いに離れるように行動する。同じ恒星を狙っていると分かれば競争(どちらが先に恒星に辿り着くか)もするが、その程度の関係性だ。

 少なくともほんの数億年前まではそれがホシグライ同士の主流なコミュニケーションで、賢い生き方だった。

 ところがキユリが出会った同種個体は、そのセオリーを無視してキユリ目掛けて突撃してくる。離れるどころか、キユリの僅かな動きも正確に追っていた。今のキユリと相手個体の距離はざっと〇・五光年は離れているのだが、そうだとしても相手目掛けて突き進む事はホシグライの生態上まずない。普通のホシグライから見ると異常な行動だが、優れた知能を持つキユリは過去の経験からこの個体の狙いが分かっている。

 故にキユリは全身に力を込め、臨戦態勢を整えた。


【ピィキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!】


 そして一際大きな電磁波絶叫で威嚇。

 威嚇した狙いは二つ。一つは声の大きさで相手を怯ませ、近付くなと警告するため。これに怯んで逃げ出してくれれば良かったが、相手個体は速度を緩める事すらしていない。尤も〇・五光年も離れている相手だ。電磁波である声が届くのに半年は掛かる。だからこれは半年後に結果が分かれば良い。

 もう一つの狙いは、幼体をこの場から離れさせるため。


【キュピピピィーッ!?】


 今まで聞いた事のないキユリの絶叫に、幼体はすっかり怯えてしまう。ホシグライは自信満々で自己顕示欲の強い生物だが、恐怖や絶望の感情がない訳ではない。ましてや親への愛情などろくに抱いていないのだ。怖くなってしまえば、親相手だろうがそそくさと逃げ出す。

 成体にとっても、幼体が逃げ出す事は然程辛くない。ヒトで例えれば可愛がっていた野良猫がさっと逃げてしまったぐらいのもの。幼体がこの後起きる事にのに比べれば、ずっとマシな不愉快さでしかない。

 相手側に幼体が逃げたと伝わるのもまた半年後。そして光速の一割以上の速さで飛んでいる相手がキユリの下まで辿り着くのは、ざっと四年後の事である。ヒトからすればかなり長い時間だが、無尽蔵の寿命を持つホシグライにとってはちょっと待つぐらいの感覚。四年間身体に力を込め続ける事も苦ではない。

 そして同種個体側も、四年間キユリ目指して突き進む事は止めず。


【ピキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!】


【キャアアアピキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!】


 やがて両者の距離が十万キロと迫ったところで、互いに大声を発する。至近距離での方向を浴びても、キユリも同種個体も一切怯まず――――

 ついに二体は激突した。


【ピキャアアアッ!】


 肉薄するや同種個体は大きな口を開け、キユリに噛み付こうとしてきた。更に四本の腕でキユリを掴み、逃がすまいとしてくる。

 キユリは知っていた。突撃してきたこの個体の狙いが、自分の肉体であると。

 この同種個体は共食いをしようとしているのだ。知性ある同種を喰らおうとするなど、ヒトのような知的生命体にはなんとも恐ろしい行動に思えるかも知れない。だがホシグライの現状を鑑みれば、この選択は誤りとは言い難い。何よりこの相手個体も、好んで共食いなどという行動をしている訳ではなかった。

 まず共食いをする理由は、飢えが原因だ。

 あまりにも増え過ぎて、餌となる恒星が激減した今、ホシグライ達は飢餓に喘いでいる。恒星の無尽蔵のエネルギーを取り込んでも、活動し続けていればいずれ底を突く。キユリを襲った個体も、もう二億年近く恒星を食べる事が出来ておらず、エネルギーが枯渇寸前に陥っていた。

 しかし代替となる餌を探そうにも候補がない。例えば小惑星に含まれる有機物や水分は論外だ。彼女達の表皮は電磁波を跳ね返し、非常に分厚い細胞膜で覆われているため物質を吸収する事も出来ない。恒星が持つ水素やヘリウムを口から吸いこむのが限度。大昔の祖先種のように隕石に抱き着き、取り込む事は出来ない。仮に出来たとしても、有機物から得られるエネルギーは脂肪一グラムから数キロカロリー程度。電磁シールドや核融合器官を動かせるほどのエネルギーには到底足りず、焼け石に水だ。

 もっと巨大な熱エネルギーでなければならない。では文明が持つ原子炉や核融合炉はどうかと言えば、それもハッキリ言って物足りない水準だ。ホシグライが餌としている恒星は、太陽程度の大きさであっても三・八二×十の二十六乗ジュールを一秒で放出している。対して文明が作り出すエネルギーは、ヒト文明ほど発展したものでも年間六×十の二十乗ジュールに届かない。ヒト文明が一年で消費するエネルギーの五十万倍以上ものエネルギーを、太陽は一秒で生み出しているのだ。ホシグライはこれを数十時間で吸い上げ、溜め込んで生きている。文明が使うエネルギーなど、彼女達からすれば米粒ほどの価値もない。そもそも文明がある星系は近くに恒星があるのが普通なのだから、文明をわざわざ狙う意味などないだろう。

 唯一候補となり得るのは惑星だ。惑星の核が発する熱量であれば、ホシグライもちょっとだけ小腹を満たせる。腹の足し程度であるが、ないよりはマシだ。しかし惑星は自ら光らないため発見が困難であり……尚且つ、

 もう宇宙にはホシグライが利用出来る資源は殆ど残っていない。

 ただ一つ、自分達自身を除けば。

 ホシグライは大繁栄を遂げている。つまり個体数資源量は膨大だ。おまけに推進力として強力な亜光速粒子ジェットを用いているため、恒星ほどではないが比較的発見しやすい。そしてその体内には恒星から得た莫大なエネルギーが溜め込まれている。

 ホシグライの体内にあるエネルギーとは、見方を変えれば「ホシグライが何億年も生命活動を続けられる」量のエネルギーという事だ。数億年の活動期間が得られれば、次の恒星を見付けるまでの猶予はある。巨大な身体を食べる事は出来ないが、中に蓄積している水素やヘリウムであれば吸い込む事が可能だ。数値だけで見れば、極めて魅力的な餌である。

 勿論同種を狩るというのは、そんな簡単な話ではない。同じ種であれば身体能力は基本的に互角。合理的に考えるなら、勝率はどう多く見積もっても五十パーセントである。そして相手を殺そうとする以上、相手もこちらを殺すつもりで抵抗するだろう。つまり負ければ死ぬ。

 それにホシグライの中にあるエネルギーがいくら膨大と言っても、恒星の生み出すエネルギーの方が多い。恒星ほど優れていない餌を得るため、五割の確率で死ぬ勝負を挑むのはあまりにも非効率で危険だ。しかし恒星の代わりになる餌が他にない以上、共食いを行う以外に生き残る方法はない。

 生き延び、子孫を残すため、同種個体は最後の手段に出たのだ。キユリにとっては迷惑極まりない話であるが。


【ピキュウウアアアアアアアアアアアッ!】


 大きな口を開け、執拗に噛み付こうとしてくる同種個体。まずは身体に傷を与え、弱らせようという魂胆か。

 キユリは四本ある手で同種個体の頭を掴み、噛み付かれないよう離そうとする。最初の攻撃はどうにか防いだが、しかし同種個体にも腕はある。キユリの手を掴み、頭から退かそうとしてきた。

 力比べで勝てれば良かったが、今襲い掛かってきている個体はキユリよりも大きい。堪えるどころか少しずつ、頭から手が退かされそうになってしまう。


【キャップゥアッ!】


 このままでは不味いと判断。キユリは尻尾を思いっきり振るい、同種個体の胴体を殴り飛ばす。

 これには同種個体も流石に怯み、大きく仰け反る。この隙に距離を取ろうと後退するキユリ。しかしこの考えは甘かった。

 ぱっくりと裂けるように開いた同種個体の口が、赤く煌々と輝いているのだから。


【キュオオオオオオオオオオ!】


 同種個体はキユリの頭部に向けて、赤外線レーザーを放つ。

 惑星さえも破壊する強力な攻撃だ。キユリはこれを顔面に受けてしまう。電磁シールドのお陰で致命傷は割けたものの、命中時の反動で身体が大きく仰け反り……回転。空気も重力もない宇宙空間故に、強烈な衝撃を受けると体勢を維持出来ない。

 噴射口からジェットを出し元の体勢に戻ろうとするが、それよりも早く同種個体はキユリに肉薄。大きく開いた口で、キユリの尾に噛み付いた。

 口内にある小さな歯が肉に食い込もうとする。電磁シールドによりこれを防ごうとするが、しかしずぶずぶと歯は沈んでいく。電磁シールドは強力な電磁波の放射圧によって脅威を跳ね除けるのだが、ホシグライの表皮はその電磁シールドを留めておけるほどの反射性を持つ鏡面膜が細胞を包んでいる。そしてホシグライの口器は皮膚が凹む形で形成されたものであるため、性質的には皮膚と同じ。同種相手に、電磁シールドは効果が薄い。

 噛み付いてきた同種個体は、噴射口からジェットを出しつつ大きく身体を振るう。強力な慣性が身体に掛かり、キユリは胴体から尾まで一直線に伸びてしまう。長い尾が仇となり、腕を伸ばしても尾に噛み付いている同種個体まで届かない。


【キュフゥウウウウウゥウウウ! ウウゥウウウウウウウ!】


 邪魔が入らなければ好都合とばかりに、同種個体は更に激しく頭を振るう。するとキユリの尻尾の肉がギチギチと、此処に空気があればそんな音を鳴らしたであろう軋み方をした。

 事実、体組織が千切れ始めていた。度重なる攻撃を受け、筋肉が耐えられなくなりつつあるのだ。


【ギ、ギキャアアアアアアアアア!】


 このままでは尻尾が千切れてしまう。どうにか同種個体を引き離すため、キユリは口から赤外線レーザーを発射する。

 だが直接攻撃である噛み付きと違い、赤外線レーザーは鏡面膜である程度反射可能だ。ましてや不意打ちなら兎も角、キユリの攻撃動作は同種個体に見られている。同種個体はぐっと身体に力を込め、直撃の衝撃に耐えた。

 何度も何度も赤外線レーザーを撃ち込んでもダメージにはならず、それよりもキユリの尾が限界を迎える方が早い。

 ついに筋繊維が耐えきれず破断。キユリの尾は真ん中辺り、凡そ三百メートル付近で千切れてしまう。


【キ、キュキュキキキィイ!】


 尻尾を失った事でキユリは大きく体勢を崩してしまう。更に千切れた断面から大量の体液が流れ出した。体内に溜め込んでいるエネルギーと物資を消費し、急速に分裂した細胞によって傷はすぐに塞がるが、尻尾の再建には至らず。

 どうにか立て直そうとするが、しかし一千百メートルの全長のうち、三百メートルを失ったのはあまりに大きな喪失だ。何より尻尾を失うなど初めての経験で、ここからどうすればバランスを取れるのかキユリは知らない。知能に優れるため訓練を行えばすぐに順応出来るだろうが、生憎敵に襲われている時にそんな暇はない。

 それでもせめて相手が猶予をくれれば、悪足掻きぐらいは出来ただろう。されど此度襲ってきた相手は、二億年も何も食べていない極度の空腹状態。いくら自己顕示欲の強いホシグライといえども、この状況で相手を嘲笑うほど愚かではない。


【フゥウウウウウウゥウウ!】


 食べられない尻尾を即座に投げ捨て、同種個体はキユリに肉薄してくる。大きく、鋭い爪を有した手を振り上げながら。

 攻撃を予感し、キユリは四本の腕で身を守ろうとする。

 しかし尻尾を千切られ、大量の体液が外に溢れ出した状態では身体に力が入らない。元々あった力の差は更に開き、キユリは相手の動きを追えなかった。鋭い爪がキユリの身体を切り裂く。強力な電磁波が噴き出すが、ホシグライの表皮は全て弾いてしまう。

 同種個体は執拗に爪による切り裂きを行う。爪にも鏡面膜があるため、電磁シールドを形成する電磁波も全て通用しない。十メートル以上肉を引き裂き、ついに中身が露出する。


【シャフゥ!】


 この時を待っていたと言わんばかりに、同種個体はキユリの胸部に噛み付いた。

 キユリは同種個体の狙いがなんであるか理解した。そうはさせまいと身体を激しく左右に揺さぶり、爪で相手の頭を切り裂く。相手の爪攻撃が有効であったように、キユリの爪も同種個体の頭部を数メートルの深さで抉ったが……同種個体は怯まない。

 それどころかしっかりと牙を突き立て、深く噛み付く。キユリが何度切り裂いても、もう頭は揺らがない。

 噛み付いた状態のまま、同種個体の口内にある核熱結晶体が熱を帯び――――最大出力の赤外線レーザーがキユリの体内に直接注ぎ込まれた。

 ホシグライが電磁波を跳ね返せるのは、表皮部分だけ。体内は一般的な有機生命体程度の防御力しかない。熱に対してはある程度の処理能力を持つものの、惑星さえも破壊する赤外線レーザーの瞬間火力に耐えられるほどではない。一気に体液が過熱・沸騰し、体積が膨張する事でキユリの身体がぶくりと膨らんだ

 瞬間、肉体が耐えられず弾け飛ぶ。

 かつて太陽や惑星を破壊した時のように、キユリの身体も粉々に砕け散った。爆発の威力は凄まじく、赤外線レーザーの威力もあって惑星爆発級の破壊を撒き散らす。普通の物質であれば中身など何一つ残らない。

 しかし一つだけ、爆発の中残ったものがある。

 蓄熱器官だ。膨大な熱を蓄積しているこの臓器だけは、赤外線レーザーの熱量を受けても殆ど温度が上がらず、弾け飛ぶ事がなかった。物理的衝撃で押し潰されてはいたが、その衝撃は蓄熱器官の性質により熱へと変換されて吸収・軽減している。このためある程度の形を保てていた。

 とはいえ蓄熱器官だけが残っていても、再生は出来ない。高度な肉体を得たホシグライは、細胞一つから再生するような能力は失ってしまったのだ。だが食べる側からすれば、ここだけ残っていれば十分。

 この器官に、全ての熱量が蓄積しているのだから。


【キャアアアリュウウウウウアアアアアアア!】


 喜びの雄叫びを上げながら、同種個体はキユリの蓄熱器官に食らい付く。核熱結晶を押し当て、溜め込まれた熱量を吸い取る。

 これまでの子育てとこの戦いで、キユリは多くのエネルギーを消費した。しかし未だ蓄熱器官には大量の熱が溜め込まれている。

 キユリを捕食した事でこの同種個体は、あと一億年は生きられるだろう。

 ……このような共食いが、宇宙のあちこちで起きていた。恒星の不足はそれほど深刻であり、今やホシグライの誕生数と共食いによる死亡数が釣り合ってしまっている。本来ならその場凌ぎに過ぎなかったこの行為は、彼女達の日常と化したのである。

 そしてこの激しい共食いの頻発や食糧不足、その結果起きる死は、ホシグライという種に新たな進化を促していた。

 その最たる事例が、一体の幼体を大きく育てるという繁殖戦略だ。宇宙全体の星を食い荒らした事で、餌となる恒星の数が激減した。この状況でたくさんの小さな幼体を産み落としても、大半は恒星にすら辿り着けずに飢え死にするだろう。どうにか辿り着いても、数少ない恒星を巡って争い、姉妹同士の殺し合いになるだけ。ならば体力のある大きな幼体を少数生む方が、生存率は高くなるため適応的だ。

 また共食いをする、またはされる場合でも、幼体は大きい方が適応的である。共食いの成功率を少しでも上げる方法は、自分より弱い個体を狙う事。自分自身が大きければ、相対的に弱い個体が多くなるので共食いが成功しやすい。見方を変えれば、自分が大きくなれば共食いの対象として狙われる可能性も低くなる。

 キユリが大きく育てた子も、共食いが氾濫する今のホシグライ社会で生きていく事が出来るだろう。

 ――――種内競争が激化した場合、競争力を高めるため少数の幼体にエネルギーを投資し、確実に生き残れる個体を生む。これは地球生命でも見られる、一般的な生存戦略 ― K戦略と呼ぶ ― の一つだ。宇宙の悪魔であろうとも、生存競争の原則からは逃れられないのである。

 そしてこの原則が極端に振り切った結果が、彼女達の衰退を決定付ける。

 何が起きたのか。それは次の観察対象である種、生き延びたキユリの子孫を観察すれば分かる事だ……

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