ヒレナガウチュウサカナ2

 マエススミが繁栄していた時期から六十八億年が経過した今、ビギニング星系の生物は大きな変革を遂げていた。

 何処が変わったのか、というのを一言で説明する事は出来ない。それを挙げるだけで、莫大な時間が必要となるほどに多様な進化を遂げている。ただ、一目で分かる特徴を挙げれば……巨大化した点だろう。

 宇宙空間は無重力だ。そのため一見して水中のように身体を支える必要はなく、巨大化する事は容易く思えるかも知れない。実際、百メートル級の生物種が存在出来る理由の一つは、無重力のお陰である。

 だが実際には、巨大化を阻む問題は重力だけではない。例えばある程度身体が大きくなれば、その巨体が生み出す『力』に耐えられる程度の丈夫さが必要だ。また大きくなると栄養を身体の隅々まで送るのが困難になる。栄養分が不足すれば細胞は餓死壊死するため、巨体を支える事は出来ない。

 こうした諸々の問題にビギニング星系の生物は様々な方法で解決を試みた。例えば極めて平べったい身体になる事、例えば細長い身体になる事、例えば身体に無数の穴を開ける事……

 数々の進化を遂げた生物達は、それぞれ独自の強みを活かして繫栄している。一概にどれが最適とは言えないが、それでも敢えて一番繫栄していると言えるのが、今回紹介するヒレナガウチュウサカナが属する血骨格獣門だろう。

 この血骨格獣門こそが、前回観察したマエススミの直系の子孫の一つだ。マエススミ達は生態系の変化により遥か以前に絶滅したが、その血脈は続き、今では大成功を収めた。血骨格獣門に属する生物はビギニング星系のあちこちで見られ、個体数・多様性共にマエススミ系列の種としては最大。特にミズクイウオ目は大いに栄えており、その一種であるヒレナガウチュウサカナも非常に個体数が多い。

 ただし闇雲に探しても、見付かるのは大きく育った成体ばかりである。というのも幼体や卵は、成体とは異なる場所に暮らしているからだ。

 生育ステージの始まりである卵は、主に恒星から七千万キロ地点でよく見られる。

 恒星からかなり近い位置を、ヒレナガウチュウサカナの卵が幾つも漂っている。卵は直径二十六センチ。色は白く、ビギニングAとBが放つ強烈な陽光を反射して、あたかも光り輝くかのような光沢を放つ。形は真球に近い真ん丸としてものであるが、表面には小さな毛が無数に生えている。

 卵が白色をしている理由は、二つの恒星から放たれる光などのエネルギーを弾くため。恒星から近いこの位置は、その分大量の放射線や熱を浴びる事となる。膨大なエネルギーという意味では魅力的だが、あまりにも強力なエネルギーは細胞や遺伝子を傷付ける毒だ。いくらビギニング星系の生物が宇宙空間で進化してきた種とはいえ、何事にも適量というものがある。しかも卵には発育するのに十分な栄養分が蓄積されているため、わざわざこれを吸収する必要はない。不要かつ危険なため、遮断してしまうのが合理的なのだ。

 しかし光を反射する事で輝く卵というのは、それはそれで不適応に思えるかも知れない。

 地球生命における卵は、一般的に生物として極めて未熟な発育段階だ。筋肉も神経も出来ておらず、故に全く動けない。万一敵に襲われたなら、成す術もなく食べられてしまう。これはヒレナガウチュウサカナも同じであり、彼女達の卵は身を守る術が全くと言えるほど備わっていなかった。地球生命であれば岩陰や海藻の隙間など、簡単には見付からない場所に卵を産む事で危険を減らすが……宇宙空間に遮蔽物など殆ど存在しない。ヒレナガウチュウサカナの卵はそこらにぷかぷか浮いていて、見付からないようにする工夫など全くされていなかった。

 これでは簡単に食べられ、全滅してしまうように思えるだろう。実際、天敵の前にヒレナガウチュウサカナの卵を置けば、呆気なく食べられてしまう。だが彼女達の卵には、しっかりと天敵対策が講じられていた。

 その対策とは、卵が存在する『位置』だ。先程述べたように恒星近くは光や放射線が強力なため、ビギニング星系の生物にとっても有害な環境だ。そのため卵がある場所に生息する種は殆どおらず、仮に強い光に抵抗性を持つ事で定着に成功しても、この抵抗性に多くのエネルギーと資源を費やすため個体数は極めて少ない。更にエネルギーと資源を節約するため、大部分が体長三十センチ未満だ。これぐらい小さな生物だと、直径二十センチ以上ある大きな卵の殻を破り、中身を食べる事は非常に難しい。

 天敵となる生物自体がいないため、動けない卵であっても食べられてしまう心配が殆どないのだ。安全な場所で卵はゆっくりと発育を進める。

 ゆっくりとした発育は、幼体にとって幾つかの利点がある。一つは身体を大きく育てる事が出来るというもの。身体が大きければ天敵に襲われる心配が少なく、またライバルと食物を競争する時にも有利だ。身体が丈夫でなければ、戦いの時に怪我を負うリスクも高くなる。もう一つの利点は、神経や血管もしっかりと作る事が出来るため、発育不良などによる『病死』の可能性を下げられる。感染症についても、免疫が十分に働くため回復しやすい。身体が丈夫というのは、それだけで極めて有効な生存戦略なのだ。

 勿論孵化に時間が掛かれば、その分何も出来ない卵時代に食べられてしまう可能性も上がる。丈夫な身体を作るには多くのエネルギーが必要なので、たくさんの栄養を一個の卵に詰め込まねばならず、産卵数も少なくなるという欠点も忘れてはならない。

 小さな卵を多く生むのか、大きな卵を少なく生むのか。どうするのが最適であるかは種によって違うため、一概にヒレナガウチュウサカナの卵が優秀とは言えないが……少なくとも彼女達の『生き方』にとっては、大きな卵は非常に適した発育方法だった。

 発育に掛かる時間は凡そ四千〜四千七百時間。十分な時間を掛けて育ち切った卵の一つが、いよいよ孵化する。卵の中で成体とよく似た姿に育った、黒い表皮と、立派なヒレや尾を持つ幼体がそのための準備を進めていた。

 この孵化という行為が、ヒレナガウチュウサカナの幼体にとって最初の難関だ。

 まず卵の殻が非常に厚く、頑丈なため壊すのに苦労する。殻は恒星の強力なエネルギー、それと小さな生き物達からの攻撃を防ぐ『鎧』であり、無防備な幼体にとっては欠かせない守り。しかしいざ生まれる時になると鬱陶しい障害物と化す。勿論時間を掛けて育った大きく丈夫な身体であれば、この殻を破る事自体は簡単だ。だが大きな身体が通るための大穴を、素早く開けるとなればかなりの体力を必要とする。

 なら時間を掛けて、ゆっくりやれば良いではないか。そんな考えもあるだろう。しかしヒレナガウチュウサカナの場合、そういう訳にもいかない。

 何故なら半端に卵に穴が開いていると、そこから恒星の強烈な光が入り込み、幼生が浴びてしまうからだ。無論これから宇宙に飛び出す身なので、ちょっと浴びたぐらいで致命傷となるほど彼女達も軟ではない。丈夫に育った身体であれば尚更である。

 だが休憩しながら殻を破れば、かなりの時間恒星の光を浴びる事になるだろう。これには流石に耐えられない。浴び方次第とはいえ、火傷のような症状を起こすだけで済めば御の字、最悪致命傷を負う可能性も否定出来ない。

 よって殻は安全な手順に則って迅速に破る。誰に教わらずとも、長い進化の中でその方法はヒレナガウチュウサカナの遺伝子に刻み込まれていた。

 まず幼体は卵の中で、自分の身体の大きさを確かめるため卵内で動き回る。ぐるぐると前転するような動きだ。

 自分の身体についてある程度把握すると、今度は卵の殻を満遍なく触っていく。ここで確かめているのは温度。いくら光を反射するとはいえ、完璧に全てのエネルギーを弾き返している訳ではない。〇・二~〇・三パーセント程度の光は吸収しており、このため恒星を向いている方の殻はそうでない方の殻よりも熱くなっている。より冷たい殻があるのは、そこは恒星から見て影のある方。ここなら穴を開けても光の直撃は避けられる。

 ちなみに幼体の孵化を助けるものとして、卵の殻の組成が『非対称』という点が挙げられる。ミズクイウオ目の卵は左右で成分比率が異なっており、一方は金属元素が非常に多く含まれ、もう一方は極めて少ない。この左右非対称の組成によりどちらかが極端に重くなっている。種によっては二倍近い密度差があるほどだ。

 片側だけ重いとそちらの方が恒星の重力により強く引かれるため、ずっと同じ面が恒星を向き続ける。こうする事で卵がぐるぐる回転するのを防ぎ、安定して一方が恒星から陰になるようにしていた。ちなみにこれは地球の衛星・月が、常に同じ面を地球側に向けているのと同じメカニズムだ。

 恒星から陰になっている部分を確認したら、いよいよ孵化の始まりだ。孵化前の幼体は口内に『出っ歯』のような突起物がある。これは破殻突起と呼ばれる幼少期特有のもの。卵から出るためだけに使われるものだ。さながらキツツキが木を突くように、殻を突く。

 この時、殻には穴を開けない。影にいるとはいえ、穴が開けば恒星近くを飛び交う高いエネルギーに触れる可能性がある。また卵の殻を破るための動きで、殻が回り始めているかも知れない。殻の組成偏りのお陰でそういった危険は少ないが、絶対ではない以上警戒するのが適応的だ。殻自体を満遍なく、先程確認した自分の身体の大きさに合った範囲を叩いて脆くしていく。

 休んでは叩き、休んでは叩き、これを何度も繰り返し、自分が通れる範囲の殻を脆くしたところで最後の休憩を挟む。この休憩は十分から三十分ほど、個体によっては一時間ほど行う。体力を十分に回復したら、最大級の力を込め――――

 ここで尾の付け根にある四つの穴・推力噴射口から、青いジェットを噴射する。

 ジェットの正体は高温の『水蒸気』。具体的には生体内で生成した液体酸素と液体水素を混合・燃焼させる事で生み出している。

 酸素と水素の入手が簡単なのは、これまで見てきたホシクモやマエススミの時に話した通りだ。彗星などが運んでくる大量の水を、恒星が放つ光エネルギーを利用して分解すれば良い。しかしマエススミなどでは、この酸素をそのまま噴射して推進力にしていた。『無駄』なものを捨てる事で推力としているので非常に効率的だが、推進力を強めるのであればもう一工夫出来る。

 それが液体燃料化だ。酸素と水素の混合物を分子量(重さではなく分子の数による比率。例えば酸素分子は水素分子より約十六倍重いため、酸素分子と水素分子の同じ質量集めても水素の方が十六倍も数が多い)にして水素二:酸素一の比率で燃焼させると、水へと化合される過程で莫大な熱エネルギーを生み出す。このエネルギーを推進力として利用し、圧倒的な速度を生み出すのだ。これはヒト文明でも、ミサイルやロケットの燃料として採用されている技術である。

 勿論液体酸素・液体水素を用意する事は簡単ではない。液体酸素はマイナス百八十三度、液体水素に至ってはマイナス二百五十二・六度もの超低温にしなければ作れないのだから。ヒト文明でも量産化こそしているが、ある程度高度な技術が必要である。

 ヒレナガウチュウサカナもこれには高度に進化した機能を使う。

 水分解によって得た酸素と水素は、体内にある貯蔵器官にしまう。この器官には冷却能力があり、その方法は電磁化変換方式と呼ばれるもの。熱というのは主に赤外線の形となって外に放射される。酸素と水素を保管する器官の組織は自身が持つ熱を赤外線に変換し、次々と放出する性質があった。放出された赤外線は周りの細胞が吸収していく。

 熱というのは『均一』になるよう分散する。同じ質量を持つ百度の水蒸気と0度の氷を合わせれば、五十度の水が出来上がるという事だ。貯蓄器官も例外ではなく、赤外線が吸収されて周りが冷えれば、自身も同じく冷えていく。

 最終的に液体水素・液体酸素の製造、貯蓄を可能とするまで冷却。推進剤として保管されるのだ。ちなみにこの貯蓄器官を包み込むように強力な断熱組織があるため、身体全体が冷えたり、或いは体温で器官が温まったりする心配はいらない。

 そして液体燃料を燃焼させた後、『廃棄物』として生じる水が重要だ。この水を、液体燃料を反応させた後の熱により加熱。更に推力噴射口に接続している器官で圧縮する事で一万度もの高温にし、膨張させたこれを勢いよく噴射する事で推進力を得る。噴射された水は圧縮された状態のため、推力が拡散していない。このため噴射口の向きを制御すれば、容易に、尚且つ精密に姿勢のコントロールが行える。ちなみにここまで高温だと水分子は構造が維持出来ず、再び水素と酸素に分解された状態で宇宙を漂う。

 ヒト文明のロケットに匹敵する推力、それをコントロールする方法……ミズクイウオ目は、他の追随を許さない圧倒的機動性を進化の中で得た。これこそが彼女達が、ビギニング星系で大成功を収めた最大の理由である。

 具体的にこの能力がどれほど素晴らしいかは、後々明らかとなるため割愛しよう。今はこの優秀な能力の最初の仕事、卵から孵化する瞬間の観察の方が大事だ。

 卵の殻は既に脆くなっている。ここに全速力での体当たりをぶつければ、殻は一気に壊れ、身体が通るための大穴が開く。下準備を入念に行った事で、幼体は卵から飛び出すように『孵化』した。


【キャピィイィィーッ!】


 そして鳴き声を一つ発する。声と言っても電磁波の放出だ。それに口からではなく、全身から放つ。

 液体燃料を合成する過程で生成・貯蔵器官は大量の赤外線を発する。成体になればこの赤外線を『代謝』として利用する事も出来るが、身体が小さな幼体では間に合わない。処理出来ない赤外線は熱となるため、蓄積すると体温上昇を招いて危険だ。そこで全身から電磁波を放ち、体温調節を行う。鳴き声を上手く発せられないと、体温が際限なく上がり自らの熱で焼けてしまう。

 彼女にとってこの鳴き声は、ただの生理反応に過ぎない。

 しかしヒレナガウチュウサカナという種として見れば、この鳴き声こそが産声のようなもの。ここからが彼女の生涯の、本当の始まりといったところなのだ。

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